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ブラックサイト ー秘密施設ー  作者: アツシK
8/10

フェイズ 7

「うっ!?」

 肩甲骨の間に片膝を入れられ、背後から不意に両肩を思い切り引かれた。その衝撃(ショック)で猛烈に咳き込み始め、沢渡香織はどうにか意識を取り戻した。自身に何が起きたのかさえはっきりとせず、朦朧としながら辺りを意味もなく見回した。

「うっ…う……はっ…は……な…何!?」

 しゃがんだままの彼女に、息苦しさと嘔吐感がまるでジャブの応酬のように絶え間なく襲い掛かった。無意識のうちに手の甲で唇を拭った。

「動かないで…そのまま手を頭の後ろへゆっくりと回して」

 ぼんやりと浮かぶ視線の先から聞き覚えのある淡々とした声が突然発せられた。徐々にはっきりとした視界に拳銃(ハンドガン)の銃身が上から睨むように鼻先を捉えていた。

「あ、あなたは……お隣のスズキさんじゃ……えっ、な、何で…!?」

 呆然と見上げた先に立っていたのは、何故か地味なカーディガンとスカート姿の小太りな中年女性の隣人だった。香織の背後から前へ誰かがもう一人回り込む。女の隣で同じように拳銃を構まえ直した割腹の良い角刈りの男は、その女の夫のはずだった。ストライプシャツに、穿いていたグレーのズボンが窮屈そうだった。

「どういう事なんですか…何故あなたが、スズキさんがここに?」

「何を惚けた事を言っているの?…夜明け前からやけに騒がしいと思って来てみれば、案の定、あんたがそんな‘妙な恰好’のまま泡を吹いたまま倒れているし、どう見ても誰かと強烈に争った、いえ、死闘でも繰り拡げた、という後がありありの室内のようよねぇ…」

「ハヤカワシュウヘイと、シオリは何処へいった?」

 見事な太鼓腹にドスの利いた声質の男が、乱れたリビングとダイニング辺りへ視線を泳がした。

「だ、だから…何なの、一体!?」

「何処へいった、と聞いているんだ!!」

 角刈り男が恫喝する中、霧が少しずつ晴れていくように、倒れる前の記憶が戻って来ていた。早乙女と格闘する以前に香織自身が握っていた拳銃がリビングの何処かに転がっているはずだった。

「警部、いよいよ何か動き出したようですね。どうしますか、他のチームと接触(コンタクト)を試みますか?」

 太鼓腹が出っ張った角刈り男が銃を香織に向けたまま、ズボンの腰位置を片手で直しながら小太り女へ問い掛けた。

「け、警部!?」

「そう、実は私達、警察庁警備局公安課の捜査官なのよ。秘密裏にお互い顔も知らない数チームがこのマンション街に擬装夫婦や家族として、テロリストと思しき犯罪者集団や容疑対象者、暗殺者を一年前から張っているの、あの研究所を守る為にね。そして、あなた達ハヤカワ家は、そのテロリスト集団の第一対象容疑者として私達が隣で見張っていたの…このマンション街が完成した直後に、私宛に密告があったのよ、日本人に扮した日系米国人男性テロリストと、世界的な東洋系の女性暗殺者(アサーシン)が特区施設を狙う為に、偽装家族となって紛れ込む、と…」

「テロリストに…アサーシン?」

 銃を下ろした女は、もう一方の手で見下すように警察手帳をひたひらと示した。香織はわざと惚けて反復した。

「そうよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ、擬装した潜入チームって、それは私達の事よ、私達こそが警察庁内で秘密裏に組織された‘身分秘匿囮捜査班、Decoy and Undercover Investigation Team’のはず…」

 動揺を悟られまいと、うずくまったままそう口走りながら、横目で左手にあるリビングソファの足下の中に転がっていた拳銃を見付けた。

「何なの、その‘身分秘匿囮捜査班、Decoy and…何とか’って? ははっ、漫画や映画じゃあるまいし、警察庁警備局がそんな馬鹿な名称の部門をわざわざ組織するわけがないじゃない…でも、あなたがそんな出鱈目をほのめかす、という事は、私達公安の秘匿任務の情報が何処からか漏れていた、っていう事には違いがないようね…それで、あなた自身は…本当は何者なの?」

 まぁ、いいわ、とりあえず逮捕するから、と高飛車な小太りの女警部が小馬鹿にして油断した刹那、香織は素早く左手をソファの下へ伸ばして拳銃を握った。

「えっ!?」

 立膝の低い態勢から素早く左手を前方へ向け、息も付かせぬ速さで拳銃を二度斉射した。それぞれの銃弾は、男と女の眉間に綺麗な銃創を作り、二人は後頭部が吹き飛ばされた事も判らないままに背中から床へ崩れた。倒れ落ちた衝撃だけがフローリング床に響いた。

「そうよ、ばれていたんじゃ仕方ない、私達は名前も何もかも嘘ででっち上げた偽物…三人でそれぞれが公安捜査官として化かし合いをしていた、それぞれに目的が違った偽物…」

 あんた達に付き合っている時間はない、と腰のホルスターへ銃を戻しながら彼女は夜が明けたリビングのサッシ戸を睨んだ。

「奴を捉えて息の根を止めなければ」

 私を殺さなかった事を後悔させてやるわ、と立ち上がってバルコニーへ駆け出た。物干し金具にワイヤーが引っ掛けられていた。それが研究施設内の森林の何処かへ向かって下りていた。だが、専用貨車か何か道具がなければワイヤーを伝って森の中へ下りるのは不可能だった。

「死に損ないの男が今更何を……すでに遅いのよ、局内(ラングレー)はもう私っていう‘Bプラン’を発動したのだから…記憶を失ったまま死んでいれば良かったのよ」

 早朝の幾らか靄が掛かった森を一瞥し、二体の汚れた屍が転がるリビングから玄関側へ急いだ。手前の男の部屋のドアを乱暴に開けて中を覗く。空っぽになったデニムのボストンバッグが無造作に置かれていた。

「ちっ!!」

 舌打ちが自然と出た。どうやって研究所内に忍び込むのか、何か特別な考えが今の彼女にはなかった。ただ、すでにネオ・エネルギー研究所内へ侵入したであろう‘最重要(MK)機密計画(ウルトラプロジェクト)被験者(ファースト)一号(サブジェクト)’の男を止めて、まず地上から葬り去らなければならなかった。それが半年遅れで父母役の二人と合流した建前上‘娘役’の彼女に与えられた本当の最優先任務だった。

 問題だったのは、侵入用に局内(ラングレー)が開発した最新(ブランニュー)侵入道具(ハッキングガジェット)全てを男に持っていかれてしまった、という事だった。

 玄関を飛び出した彼女は、右手の先にあるエレベーターホールを反射的に凝視した。だが、当然の事のようにそちらへは向わず、反対側へ向って走り出した。踊り場から非常階段を二段飛ばしで何度も折り返し、一階まで一気に駆け下りる。

 非常出口から外へ出ると、エントランスロビーの方へ向けて闇雲に進んだ。このマンション街から隣接するネオ・エネルギー研究所の正門までは外壁に阻まれ、相当に大回りを余儀なくされる距離があった。だが、今は危険を承知で正面突破する以外の方法が探し当てられなかった。正門の警備がどれほどのものなのか想像が付かなかったが、凄絶な訓練(トレーニング)を繰り返して来た事で大抵の包囲網は突破する自信が彼女にはあった。

《あの‘男’と‘女’に出来て、私に出来ないはずがない》

 一対複数人、或いは武装した複数人との戦闘訓練は、これまで嫌というほどに積み重ねて来た。その全てが遂行経過時間を含めて彼女の圧倒的な成績(スコア)に終始していた。

 中米の不穏な地域へ要人確保の為に、実際にたった一人で派遣された任務も数回あった。その作戦全てで彼女が殺した現地のテロリストや傭兵の数は、とてもじゃないが世間に公表出来るような数ではなかった。つまり、彼女の‘完成度’は、被験者(ファースト)一号(サブジェクト)に勝るとも劣らない出来だったのだ。

 ただ、この任務に充てられた彼女は、父方が中国人、母方が日本人の中国系米国人だった。必然的に家庭内では中国語、日本語、英語が自然と飛び交う環境で幼少時から育って来ていた。日本人女性と騙っても疑われぬ細面な顔立ちだったし、自然(ネイティブ)な日本語の発音が出来ていた。

 皮肉にも、暗殺対象となった被験者一号に続いて日本人に成り済ますには、彼女以外の適任者は局内にはいなかった。だが、被験者としての適合(フィット)が上手くいくかどうかは全く予測不能だった。しかし、奇跡的にも被験者二号として問題なく適合出来ていたのだった。それはすでに奇跡ではなく、開発が進んでいた最重要(MK)機密計画(ウルトラプロジェクト)遺伝情報(DNA)の何処かにに、東洋人の体内に潜む遺伝配列が何らかの影響を与えている可能性も、局内の研究機関(ラボ)で検証し始められていた。

 彼女はエントランスロビーの前で右に折れた。細い通路から園内の中央通路へ出て全力で駆けた。北側正門入口に向って常人とは掛け離れた速度で走り続けた。

 円形の噴水を瞬く間に通り越した辺りだった。公園入口に面した通りを右から左へ向う陸上自衛隊の幌掛け兵員移送トラックを認めた。早朝のこの時間帯に自衛隊のトラックが走っている、というのは不自然に思えたが、近辺の陸上自衛隊第一師団から研究所警護の交代要員を運んで来たのだろう、と彼女は察しを付けた。

 走り続ける女の脳髄から爪先に閃光に似た衝撃が貫いた。何人乗せているのか判らなかったが、特殊部隊員を乗せたトラックは一台だけのはずがない、という思考が脳内を瞬時に満たした。そのそばから二台目のトラックが目前を法定速度以下と思しきのんびりとした速度で掠めた。

 彼女は「絶好のチャンスだ」と意を決した。更に力強く地面を蹴り、のんびりと走っていった二台目のトラックを追った。

 国立帝東大学付属病院の横を過ぎ、公園正門をようやく出掛かった時、幸運にも三台目の移送トラックがすぐ目の前を研究所正門へ向けて左へ過ぎていく。

 躊躇する猶予も思考もすでに必要なかった。正門に等間隔に設置された擬石車止め(ストーンボラード)を怒濤の勢いで走り抜ける。そのまま車道に出て駆け続け、幌掛けの荷台へ常人離れした俊敏さで飛び移った。腰掛けた特殊部隊員でさえ気が付かぬ間の出来事だった。

「な、何だ!?」

「はっ!?…あ、あんた」

 事態がまるで飲み込めない両側のとば口に座っていた隊員は呆気に取られ、その招かれざる客にお互いのサスペンダー鞘のサバイバルナイフを瞬く間に奪われた。彼女は両手に握ったそのナイフを両側の特殊部隊員の頸動脈に疾風の如く無慈悲に走らせた。

 運転台(キャビン)へ向った彼らの両側先に座る特殊部隊員達は、首から血飛沫を上げる後端に座る同僚二人と、荷台真ん中にしゃがむ何者かを青天の霹靂というような眼差しで凝視した。

「何だ、な、何だ、どうした……お、お前は何だ!?」

 首を押さえたまま息絶えた同僚のすぐ隣に座る右側の隊員が、悲鳴に等しい呻きを発したが、女はそれ以上の時間を彼に与えなかった。心臓を外さずにナイフで一突きし、続け様に左の隊員の心臓をもう一方のナイフで躊躇なく素早く突く。隊員達が苦悶の絶叫を上げる間もなく奥へ向って右、左と立て続けに返り血を浴びながら血祭りにしていった。僅か数秒で荷台は鮮血の海となり、隊員達十人がライフルを抱えたまま何の抵抗も出来ずに屍となった。それなのに運転席と助手席に座る隊員は、背後で起きた彼女の瞬殺に全く気付いていなかった。

 女を乗せた移送トラックは、何事もなかったかのように前走車に続いて壁伝いに四百メートルほど進んだ。前方を走る二台目のトラックがいきなり左方向へ向きを変えると、左手に繋がっていたコンクリート製の壁が突然に途切れた。変わって背の高い網フェンスと重なるように青々とした垣根が現れた。フェンスと垣根は並んで内側に向って抉れるように食い込み、扇状に大きく拡がっていた。そこが研究所の正門エントランスだった。

 鉄製の大きな格子門が開かれた正門の右側に守衛小屋があり、通過車輌はそこで速度を大きく落としていた。二台目のトラックの後に、女が潜む三台目が追いついた。二台目がゆっくりと門を通過する際に、運転席に座る特殊部隊員が、五十がらみの守衛に向って軽く敬礼を送っていた。

 続けて三台目が守衛の前を通過する。会釈しながら守衛が門を通過するトラックの車体を舐めるように観察して見送った。車体が敷地内に入って荷台後部が守衛の目に大写しになったその刹那、何かが荷台の中から守衛目掛けて鋭く飛んで来た。それは守衛の喉元に深く突き刺さり、刃先は骨を避けるように後ろへ貫通していた。女が投げた小型のシースナイフだった。

 守衛の中年男は、喉に手を当てたまま目を見開いて背後へ崩れ落ちた。アスファルトの地面へ見る間に鮮血が拡がり始める。

 後方でのその異変をサイドミラーで偶然認めた運転席の隊員が急ブレーキを踏んだ。トラックが大きく前方に揺れて急停止した。騒がしかったエンジンも停止させ、慌てたようにドアを開いて地面へ飛び降りた。助手席側の隊員も、異変を察してライフルを抱えてそれに続く。

 先行して離れていた二台目も、三台目が停車した事で、何かあったのか、と三棟連なった研究棟の手前で急停車した。道幅六メートルはある施設内主要道路の真ん中で、二台の大型移送トラックが距離を取って立ち往生するように停車していた。

「どうしましたぁ?」

 三台目を運転していた隊員が叫ぶように問い掛けながら倒れた守衛に慎重に近付く。二台目の運転席から隊員が肘を窓枠に掛けながら後方へ顔を向け、幌掛け荷台の隊員達も立ち上がって様子を窺っていた。

「大丈夫ですか?」

 惨状を見れば、全く大丈夫ではない状況なのは誰の目にも一目瞭然だった。それでもそう尋ねている間抜けな自身に呆れながらも運転係の隊員に緊張感が走った。幌掛けの荷台の横を足早に進んだ。

「一体、これは……うっ!?」

 倒れた守衛の傍らで屈んで状態を確認していた隊員の背中へ、血塗れの女が荷台から飛び降りながらサバイバルナイフを片手で勢い良く突き立てた。女の自重が掛かったナイフは心臓を裂いて刃先が胸まで突き抜けていた。

「立川曹長…!?」

 助手席側からようやく顔を覗かせた隊員へ向け、彼女は倒れた男を突いた姿勢のまま、もう一方のサバイバルナイフを素早く真横へ放った。ナイフは男の首を痛烈に掠めて頸動脈を鋭利に裂いた。男は抱えていたライフルの安全装置(セーフティロック)を外す間もなく血飛沫を上げて倒れた。

「敵襲だぁ、敵襲!! 非常事態、非常事態発令ぃ!!」

 遠くから傍観していた二台目トラック特殊部隊員が、後方のトラックで起きた明らかな異変を察知した。即座に無線で通知され、敷地内に緊急サイレンが鳴り響いた。サイレンの騒がしさに呼応するかのように、二台目の移送トラックの荷台から続々と装備した特殊部隊員達が下りて三台目へと急いだ。

 彼女は助手席側で倒れた特殊部隊員から八九式自動小銃(マシンガン)を奪い取った。素早く弾倉を外し、装填された残弾丸を確認してから装着し直す。安全装置(セーフティロック)を解除し、ライフルを応戦出来る姿勢で胸に抱えた。そのまま荷台後部あおりと左後輪ダブルタイヤで前方から陰になるようにしゃがんで気配を窺う。目を閉じて集中力を高め、周囲の細かな音に耳を澄ました。

「アルファ、左から目標(ターゲット)を囲め!ブラボー、右だ!」

「クリア!」

「クリア!」

「フォックス、オレの背後から援護(バックアップ)!」

「ラジャー」

「デルタ、施設内警護本部へ救援要請!」

「ラジャー」

 緊張した無線(インカム)通話の掛声が周囲からじりじりと躙り寄って来るのを彼女は感じていた。脳内で相手の規模や展開力、装備、こういう状況下での数々の戦術を瞬時に想像(イメージ)した。

「まだ警護任務の申し送りさえ済ませていねぇ、っていうのに…」

「全く迷惑な奴だぜ!」

「あぁ、ただじゃ済ませない…」

「無駄口を叩くな、油断するんじゃない…」

 部隊(チーム)を指揮する曹長と思しき男が、自身とは反対の運転席側で展開する特殊部隊員の部下達へ無線(インカム)で注意を促した。ライフルを構えて運転席へ近寄る数名の部隊員に緊張が走る。

「チャーリー…オレが先にいく…」

 運転席ドアまで五メートルほどと一番近かった部隊員が、耳にした無線(インカム)イヤホンを左手で押さえながら呟いた。

「ラジャー、援護(バックアップ)する…」

「クリア!」

「クリア!」

 背後の同僚数名が呼応したのと同時に、先頭の部隊員が銃床(ストック)を肩に当て、腰を低くして慎重に躙り寄る。ドアの横を過ぎ、更に用心深く幌掛け荷台の後部へ向った。右側の後輪ダブルタイヤに近付いた時、突然にライフルの斉射音が数度響いた。

「何!?」

 思いもしなかった急な射撃音に驚愕し、射撃態勢のまま素早く周囲を索敵する。

「何処だ、何処だぁ!?」

 慌てたように背後へ視線を走らせると、援護していたはずの同僚部隊員数名が、トラックの先で両脚の膝を見事に撃ち抜かれてうずくまっていた。

「ここよ…」

「えっ!?」

 何処からともなく女の声がしたと思ったら、トラックの車体真下から身体を真っ直ぐにして横転させながら女が飛び出した。部隊員の男の意表を衝いたままに素早く立ち上がり、右手に持っていた二本目のシースナイフを男の心臓へ息つく間もなく突き刺した。

 目を見開いたままの男はそれでも反抗を試みようとライフルを女へ向けようとした。彼女は瞬時に刺したナイフを心臓から抜き、そのまま男の首へ走らせる。心臓から噴き出した血汐が女の黒い戦闘スーツに降り掛かって更に真紅に汚した。

 男はライフルを落し、死にたくない、というように険しい表情で胸と頸動脈を必死に押さえて立ち竦んだ。そんな男を尻目に彼女がすかさず横蹴りを腹部に見舞うと、倒れながら噴霧状の鮮血を大量に口から吹き出した。

 振り向きざまに、膝を撃ち抜かれてうずくまっていた特殊部隊員達へ向けて容赦なくライフルを連射して頭部を吹き飛ばした。屍の数がまるでゴミが溢れるように造作もなく積み上がっていった。

 そのまま運転席の方へ進み、ドアの陰で一度屈んで止まった。その動きを、助手席側の十数メートル離れた場所から見抜いた部隊長らしき男が八九式を執拗に連射した。他の隊員達もそれに倣って連射し始めた。トラックの窓は粉々に飛び散り、運転台は蜂の巣のように穴が開いていく。彼女は首を竦めながら繰り返される無鉄砲で無慈悲な破壊に耐えた。

目標(ターゲット)は運転席の陰だ!!」

 ドアを背にした彼女の目に、敷地内の緑化された丘陵部分が大人しく拡がっていた。そこだけが別世界のような静寂を保っているように何故か思われた。ふと気付けば、銃声が止んでいたのはほんの数秒間だけのはずだったが、彼女にはとても長く感じられていた。

 再び彼女は目を閉じた。頭の中に殺そうと狙っている奴のイメージを何度も何度も吐き気が起きるほどに焼き付けた。

「フォックスぅ、誰か丘陵部分へ回り込めないかぁ!?」

 部隊長と思しい曹長の落ち着いていた声は絶叫へとすでに変化していた。その声を合図にしたかのように彼女は目を見開いた。運転席の陰から一刻飛び出し、声の主に向けて奪った八九式ライフルを斉射した。

「デルタぁ、増援は…」

 曹長が周辺の部下達へ無線を通して声を発した直後、ケブラー製の防護鉄帽(ヘルメット)と一緒に顔半分が吹き飛んでいた。

「そ、曹長!!…畜生!!」

 顔を失した男の背後で援護(バックアップ)に付いていた隊員が、どうする事も出来ない悔しさを吐露した。そう嘆いて間もなく斉射音が轟いた。無情にも油断していた彼の顔面中央も銃創で抉られ、誰なのか判別さえ出来ないままに死んでいった。

 二台目の移送トラックから駆け付けた特殊部隊員は侵入者の女に殺され続け、残りはすでに二人ほどになってしまった。だが、施設警護本部に到着していた一台目のトラックに乗っていた部隊と、施設内のあらゆる場所で警護監視していた交替前の部隊員が、修羅場と化した正門近くの主要道路に集結しつつあった。

 彼女が目指している丸屋根(ドーム)状施設は、前方左手に聳える三棟繋がった研究棟(ビルディング)の更に先だった。そこに最重要(MK)機密計画(ウルトラプロジェクト)被験者(ファースト)一号(サブジェクト)の男もすでにいるはずだったし、その施設の中で一体何を開発しているのか、を知る事が彼女と局内(ラングレー)にとっては最重要事項(マストミッション)だった。

 後から後から湧いて出て来るゴキブリのような特殊部隊員達をいつまでも相手にしている猶予はそうなかった。

 女はおもむろに弾倉が空になったライフルを捨て、トラックの横で今し方死に絶えた隊員から新たな八九式ライフルと、片耳にはめていたマイク一体型無線(インカム)イヤホンを奪う。

『ブラボー、三人で丘陵部分の裏側から侵攻して展開し、目標の意表を衝け!』

 耳にセットした途端、増援隊の交信が飛び込んで来た。

『ジュリエット、オレ達は右からだ、研究棟の陰から挟み撃ちだ!』

 そう耳に伝わって来たそばから丘陵の稜線に人影の頭部を僅かに覗かせたのを見逃さなかった。何も躊躇っている必要はなかった。彼女はライフルを抱えたまま低い姿勢で丘を猛烈に駆け登った。

『目標が動いた!! ブラボー、そっちへ向ったぞ…は、速い、気を付けろ!!』

 その交信が終る以前に彼女は電光石火の勢いで丘を登り切り、反抗の猶予も与えずに部隊員の頭上から五・五六ミリ弾を連射して見舞った。ケブラー製ヘルメットは無残にも砕け、部隊員三人の四肢は残酷にも千切れて至る所へ血塗れて飛散した。

『な、何なんだ…あの常人離れした運動能力(アビリティ)は…い、一体、何がどうなって…な、何なんだ!?』

 彼女は自身が殲滅した特殊部隊員達の惨状を見る間もなく丘を駆け下った。ガラクタと化した移送トラックの前を通り越して、研究棟へ怒濤の勢いで走った。

『こ、こっちへ来る、来るぞ!?』

『そ、曹長、この(ビル)の二階には、経産省の役人(テクノクラート)が滞在しているんですよ…や、やばいですよ』

『‘宮使え(キャリア)’か…畜生、何でこんな時に……何処だ、何処にいる?』

『官僚専用の執務室です、A棟の二階です!!』

 彼女にとって、聞き捨てならないやりとりだった。

 死体が彼方此方に散らばる施設内を走る女の視界には、三棟連なった研究棟の一番手前の一階フロアがすでに映っていた。全面ガラス張りのそこに、武装した数人の特殊部隊員達と思しき人影が動いていた。

『了解だ…後退だ、後退、研究棟A棟の二階の執務室を死守だ!!』

 重要な情報が勝手に耳へ飛び込んだ。

《経産省?…Ministry of Economy, Trade and Industry…役人(テクノクラート)がいる?》

 その交信が彼女の思考と判断を一時乱した。

『他の研究施設はどうしますか!?』

『こ、交替前の部隊をさ、再配置だ、二チームに振り分けて、他の二つの施設に再配置だ!!…特に丸屋根(ドーム)状施設には比重(ウェート)を置け!!』

 更に奥の丸屋根(ドーム)状施設へ向けていた足を直ぐさま止めた。視界の隅に引っ掛かっていた研究棟A棟を見詰め直す。左手で無線(インカム)イヤホンを押さえて聞き入り、ゆっくりとそちらへ歩を進めた。

『お前達、何をあたふたしているんだ!!』

 突然に空気感が全く異質の声が交信に割り込んで来た。明らかに特殊部隊員の言いようと声質が異なっている事に彼女は気付いた。

『えっ!?……あの…あ、あなたはもしや経産省の…』

『曹長、今はそんな事はどうでもいい。少し落ち着け…君らは陸上自衛隊員達の中から選りすぐられたエリート、特別な訓練を特権的に与えられた特殊部隊員だ。そんな何処ぞの、一介のテロリストなどに狼狽える必要はない…』

 施設内で現在起こっている、生死を争う緊張した空気とは全く毛色が異なった、煽てるような口調だった。

『お言葉を返すようですが、あの侵入者(イントルーダ)は只者じゃありません、どうか外をご覧になられて下さい、貴方様が今言われたその我が部隊の精鋭達が、たった一人の侵入者、それもたった一人の女に、ばたばたと討ち死にさせられているこの現状を…』

『何をそんな弱気な……まぁ、いい…私の事はいい、私より‘最先端エネルギー開発棟’…丸屋根(ドーム)状の研究施設(ラボ)を死守するんだ。あそこは何を置いても部外者に絶対に知られてはならない研究開発部門だ、いいな…』

 役人の問い掛けに、すぐに反応が窺えなかった。

『どうした…?』

『うっ……』

 乾いた連射音のような雑音が断続的に数回続き、明らかな人の呻き声も同じ周波数帯(レンジ)無線(インカム)に拡散した。

『そ、曹長…?』

「あなたが役人(テクノクラート)、ここの責任者(ディレクター)ね、今すぐそこへいくから、待っていて…」

 冷淡な彼女の声が交信に突然割り込んだ。

『な、何!? ちょ、ちょっと待て…お前は誰だ…誰なんだ……彼ら、彼らはどうした!?』

「殺したわ、ここにいた全員…あなたには人質になってもらう…逃がさないから、絶対に…」

 彼女の足下には、血の海となった床の上で、粉々になったガラス壁の残骸と、息絶えた特殊部隊員十数名の死体が滅茶滅茶に入り混じって転がっていた。冷ややかな視線を辺りへ投げ、彼らを殺める為に使ったライフルや、奪い取ったサバイバルナイフをその場に未練なく捨てた。

 振り返るようにその場を離れ、ホルスターに収めていた拳銃を手に取って、長方形の面積をした建物の内部へ足早に向う。

 廊下の両脇に、幾つものドアが白い壁の中に連なっていたが、どれもこれも彼女にはまっさらに映り、何故か使われている、という感じが余り得られなかった。何の部屋なのか、若しくは研究室なのかを表記する札さえ何処にも掛かっていなかった。

 ほぼA棟建物の中心部と思われる場所まで進んで来た。そう思ったのは、エレベーターが二基並ぶホールと、その横に一軒ほどの折り返し階段、更に右側には隣の棟へと繋がるガラス屋根で採光された連絡通路あったからだった。

 彼女は上階を見上げ、躊躇なく折り返し階段を上って二階のホールへ出た。ぱっと見た感じは一階のホール周辺と景観がほぼ同じだったが、先程の交信で、この(フロア)の何処かに役人がいる執務室があるはずだった。

《まだ部屋からは出ていないはず》

 隣の棟へ続く連絡通路は無視し、前後どちらの廊下へ向かうか、だった。時期に残りの特殊部隊員達がここへ押し寄せて来るのはまず間違いなく、のんびりとしている時間は許されなかった。

 無線交信を傍受していた時の、連中の言葉のやりとりを刻まれた記憶中から呼び起こす。そこに何かしらの居場所のヒントが隠されている可能性が考えられたし、それ以外に読み解く為の与えられた条件も存在しなかった。

 思い起こせば、特殊部隊の曹長は、役人に外を見てくれ、と必死に促していた。それなのに、当の役人自身は敷地内の喧騒には全く気付いていないようにも受け取れていた。或いは関心がなかったのか、どちらなのか決めかねていた。

《奥ね…きっと》

 執務室は、敷地内の騒ぎからは離れた場所だ、と読んだ。彼女は迷わず施設内道路とは真逆の左側の廊下へ向かった。一階の廊下と同じで、ドアは幾つも連なって存在したが、札は一切掛かってなく、一つ一つ手早く開けて回るしかなかった。

 両手で拳銃を胸に添えながら、次々とドアを蹴って開けた。常に開いた直後に射撃態勢を取ったが、何故かほとんどの部屋が、空っぽで一度も使用されていないように見えた。

「何なの、これ?」

 何か解せない、と悟りながら、最後に廊下奥の真正面の部屋だけが残った。同じようにドアを蹴り飛ばしたが、今までの部屋とは違って強固に閉じられていた。

《ここね…》

 それとなくドアノブを回したが固く施錠されているか、ドア自体が特別頑丈な構造になっているようだった。

《それなら…》

 彼女は躊躇わずにドアノブ目掛けて二回連続で発砲した。廊下内に鼓膜を大きく揺さ振る発砲音が反響して飛んだ。ドアノブは木の枝が折れるように床へ落ち、周辺には硝煙が薄らと舞った。間髪を入れずにドアを蹴り放つと造作もなく開き、勢い余って回転して内側の壁に激突した。

「やめろ…撃つな」

 両手で銃を構えるウィーバースタンスの射撃姿勢の先には、グレンチェックのスーツが苦しそうに見える小太りの男がいた。耳を覆うほどの長髪に、縁なしフレーム眼鏡を掛けた男が両手を挙げ、顔を引き攣らせていた。締めた青いネクタイが似合わず浮いていた。

「あなたが役人(テクノクラート)?……よく逃げなかったわね」

「死にたくない…」

「よく判っているじゃない、確かに逃亡しているところを見付けたら、容赦なく殺していた…」

 男は、前方と左右を幾つもの液晶モニターとパーソナル()コンピューター()のドライブユニットで囲まれた専用デスク(コンソール)の中にいた。それだけが二十畳ほどの部屋の中央にぽつんと鎮座し、床はそれらの機器の配線コードがのたうち回っていた。

「確かに…ここじゃ、外の騒ぎは判らないわね」

 銃口だけは逸らさず右手だけに拳銃を持ち替え、室内を素早く見回した。複数の昼光色のダウンライトで照らされた部屋には、採光の為の窓が一切なかった。

「いや、そんな事はない……ちょ、ちょっとだけいいかな…」

 銃を向ける女の瞳から視線を少しも動かさず、男は声を震わせて尋ねた。

「何?」

 聞き返した女に、男は顎と目線で自身の前に置かれた一際大きなモニターを示した。

「いいわ…」

 拳銃を細かく振るようにして男を促した。許しを得た彼は右手だけを慎重に下ろし、目の前の大型モニターをゆっくりと回転させて女の方へ向けた。

「へぇ…監視映像ね…この研究所内全ての映像が観られる、ってわけなのね」

 彼女に向けたモニター内は四つにブロック分けされていて、それぞれに違う箇所の高精細なライブ映像が映し出されていた。男の周囲にはそれ以外に左右合わせて四つの中型モニターと、それぞれにキーボードと通常のマウス、更にトラックボール・コントローラーが置かれていた。

「それなのに…っていう事よね。私がさっき外で無慈悲な殺戮行為を散々行なっていたのを、これで観ていたにも関わらず、まるで知らない振りをしていた、っていうわけよね…お役人様って、本当に残忍、よね」

 まぁ、私も人の事は言えないけど、と皮肉を漏らして口の端を吊り上げた。

「観る事が出来るのは、この施設内だけではないよ…」

「そう…なの、だから、何?」

 男は、自身に銃を向ける相手に表情を全く変えず、何の脈略もなく話題を強引に変えようとした。彼女は、こいつって何者、というような薄気味悪ささえ少なからず抱いた。

「そんな事、今はどうでもいいわ。余り時間がないの、私とすぐに来て…」

 銃口を向けたまま近付き、モニターが並んだデスクの中から男を強引に引っ張り出そうとした。ちょっと待ってくれ、というように、デスクにつんのめりながら、彼女の動きを恐る恐る制した。

「今、出るから…」

 移動車輪(キャスター)が付いていたサイドデスクを開き、壊れちゃうじゃないか、と呟いてモニターで囲まれた砦からゆっくりと出て来た。

「来て」

 少し呆れたような目線で見詰め、男の左肩を掴んで背中に拳銃を当てた。

「何処へいくんだ?」

「決まっているじゃない、あなた達が‘宝物’のように大事に守っている場所よ…」

 部屋を出て「もう少し早く歩いてもらえない、時間がないの」と背中に当てた銃で小突いた。二人以外誰もいない静かなA棟二階の廊下を足早に進んだ。

「何故、そんなに焦る?」

「別に…焦ってはいないわ、ただ、生き残っているあなた達の特殊部隊員がちょっとウザいだけ…よ、やろうとしている事を無駄に邪魔されたくないの…それに、そこには同類の‘お邪魔虫’がすでに侵入しているかも知れないしね…」

「何なんだ、それ?」

 わざと意地悪く返したつもりだったが、男の反応は不思議と淡々としたものだった。一体何なのよ、気が抜けるじゃない、という思いの中、隣の棟へ繋がる連絡通路へ向かうように背中を押して促した。採光屋根から朝の陽射しが溢れる連絡通路で隣のB棟へ入るが、A棟と同じで何故か全く人気が感じられなかった。

 そのまま廊下を素通しでB棟を潜り、C棟へ繋がる連絡通路へ足を踏み入れる。

「何かおかしい、って思っているんだろ?」

 彼女は、意表を突かれた事が面白くなかった。確かに特殊部隊員の追従が現段階で全くないという事自体が謎だった。

「それはね、私が止めたからだよ…無益な殺し合いはすでに必要ないからね…実は私には、そういう‘(フォース)’があるんだよ」

(フォース)…何なのそれ?」

 C棟の階段を下りながら男がやけにのんびりとした口調で妙な事をほのめかした。彼女には、男が言っている意味がまるで理解出来ずにいた。

 C棟建物を出て、施設を隔てているアスファルトの通路を渡って目的の丸屋根状研究施設に辿り着いた。

「本当にいいのかい?」

「当り前じゃない」

 何を今更、という表情を浮かべる女を尻目に、男はまるで施設の中へ入る事を留まるようなニュアンスで問い掛けた。

「判った」

 施設入口の両開き自動ドアの脇に設置されていた液晶生体認証パッドに右掌を添えた。パッド内で縦横に走る赤いレーザーが男の指紋を読み取る為にゆっくりと移動した。数秒してからブザー音が小さく響き、圧縮空気が抜けるような作動音を発しながらスライドドアが開いた。

「さぁ…どうぞ」

 言われなくても入るわよ、という睨みを利かせ、銃を突き付けた男の背中を荒っぽく押した。

 中へ入ると、暗闇だけが先に続いていた。手前の格子状の手摺りがある通路が左へ進むように促していた。それに倣って二人は手摺りに触れながら慎重に進んだ。役人がスーツのポケットからリモコンらしきものをおもむろに取り出して、空間へ向かって翳した。一斉に巨大な施設内に幾つもの真っ白な照明が灯った。

「ここが‘君達’が知りたがっていた場所だよ」

 目を覆いたくなる白い光の中、彼女が目指していたその確信的な場所がようやく目前に待ち受けていた。

「君が、いや、君達(・・)が知りたかったものは、これだよ」

 皮肉めいた笑みを浮かべて男が振り返った。

「や、やめてよ……な、何、何なの…何の冗談なの?」

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