幕間 カルナの想い、彼の過去 その2 カルナの決意
カルナが物心ついた時、すでに母親は家に居なかった。
元より愛でも情でもなく、ただ優れた子を作るためだけに、父親が落ち目の名家に莫大な資金援助をして招き寄せただけの相手。
カルナが生まれ3歳になり、優れた魔術の適性があると分かってからは、触れることはおろか言葉を掛けることすら無く、いつの間にかカルナを置いていなくなっていた。
「問題は無い」
かつて一度だけ、カルナが母親の行方を聞いた時、父親は言った。
「アレと私の間では、お前以上の素質を持った子は生まれん。予備を設ける意義はあるかもしれんが、それに消費する余剰よりも、お前を育てる労力を増やした方が効率は良い。だから、アレはもはや不要だ」
平然と、ただ事実を淡々と告げるように返すだけだった。
家族ですら、こうであったのだ。周囲の扱いは、それに輪を掛けて冷淡だった。
だから、カルナはミリィと出会えるまで気付く事すら出来なかったのだ。
誰かと関わることに、飢えていた事に。
その飢えを満たすように、少しずつ少しずつ、カルナはミリィと関わっていった。
関わると言っても、ミリィのことをよく見て、気を遣うようになっただけだったが。
主人とメイドでしかないせいで、それぐらいしか出来なかった。
出来る限り余計な仕事はさせないように。
けれど仕事が減れば、悲しそうな表情をするミリィを気遣って、自分の身の回りのことを頼んでいった。
最初はぎこちなく、けれど少しずつ素直な気持ちで、ありがとう、と返しながら。
そうして一緒に過ごす日々が続く中で、ある日カルナは気付く。ミリィの手が、傷付ついている事に。
「ミリィ。手、どうしたんだ?」
「ぁ……その、なんでもないです」
「なんでも無いことないだろ。なにかあったのか? ちゃんと教えてくれ」
「…………」
カルナの問い掛けに、その時初めて、ミリィは答えることを拒絶した。
それでも問いただすと、ミリィは自分の傷付いた手を恥ずかしそうに後ろに隠しながら答えた。
「カルナさまを、お守りするために、訓練しています」
「……は? なんだそれ、聞いてないぞ」
更に問えば、カルナの傍で仕え終わった後に、訓練を重ねていると答えた。
「なんでそんな事してるんだ」
「カルナさまを、お守りするためです」
決意を込めるように返すミリィの応えに、ようやくカルナは気付く。
(あぁ、そうか……魔術が使えなければ、自分の体を鍛えるしかないんだ)
それは魔術師ゆえのズレ。魔術師であれば、わざわざ自分の肉体を傷つけるほど苦労しなくても、魔術で肉体を強化できる。
だから気付けない。そして理解できない。
魔術無しで行う、努力という物を。
カルナはミリィと関わることで、ようやく自分がズレていることに気付けたのだ。
それが、どこか怖かった。だから、
「ミリィ。体を鍛えるよりも、魔術を覚えた方が効率が良い。だから、魔術を教えてやる」
ミリィを自分の傍に繋ぎ止めるように、自分と同じだと思いたくて、彼女に魔術を教えることにした。
それからミリィに魔術を教えることは、カルナにとって、何よりの楽しみになっていった。
最初は、なに一つミリィは出来なかった。けれど一生懸命に頑張って、少しずつ少しずつ積み上げるように魔術を覚えていくミリィに、努力という物を教えられた。
それまでのカルナは、努力という物をしなかった。それ以前に、する必要が無かった。
積み重ねられた魔術師の血統が、魔術の全てを易々と成し遂げさせたからだ。
努力をしなくても、魔術ならば何でもすぐに覚えられた。そして、誰よりも強く魔術を使いこなせた。
それ以外は、何も求められていなかったから、努力をする必要が無かったのだ。
だから、初めて努力という物を知って、カルナは感動した。
(頑張れば、ここまでやれるんだ)
カルナは最初、諦めていた。ミリィが魔術を覚えることを。
それほど、ミリィは覚えが悪く、才能が無いように見えた。
けれど、その全てをミリィは乗り越えた。カルナが諦めた場所に、ミリィは到達したのだ。
「ありがとうございます、カルナさま。これでカルナさまのことを守れます」
魔術を覚え、喜ぶミリィに、カルナも嬉しくなった。
それが、自分の身を盾にして守ることだと、気付けぬまま。
そうした日々が続いたある日、カルナがミリィに魔術を教えていることが父親にバレた。
ミリィが責められることを恐れ、言い訳をしようとしたカルナに、父親は言った。
「良き経験だ」
分かってくれていると、カルナは思った。けれど、それは間違いだった。
「自分の価値に気付けたな、カルナ。才能のない者がどれほど足掻こうが、決してお前には届かん。無能は、何をしようがその程度だ。
それに気付けただけで、意味がある。
だから、もうソレに無駄な時間を費やさなくても良い」
それはどこか労るような響きで、小さな子供に言い聞かせるような言い方だった。
カルナはそれに、何も返せなかった。煮えたぎるような怒りで、何かを口にする余裕が無かったのだ。
なぜ、お前がミリィの努力を否定する? お前が彼女の何を知っている?
(何も知らないくせに、ふざけるな)
その怒りの中で、同時に一つの事を悟る。
魔術師は、完成し、終っていると。
ただ一つの価値観に引きずられ、その先に進めない。それ以外の全てに、気付けない。魔術以外の全てを、捨てている。
それでいながら、自分達は正しいのだと、疑いもしない。
それが間違いだと、カルナはミリィのお蔭で知ることが出来た。
ミリィは確かに、カルナほど魔術は使えない。身体強化魔術をお互いが使えば、明らかにカルナの方が効果が高い。
それでも、自分がミリィに勝てるとは、まったく思わない。
何故ならミリィは、魔術だけでなく自分自身も鍛えているからだ。自分の体を動かす、ということに掛けては、カルナなど足元にも及ばない。
魔術で自分の身体能力を幾ら高めた所で、自分の体の動かし方が下手な者が、自分の力を把握し最大限に使おうと努力している相手に勝てる道理などない。
ミリィに教えた身体強化魔術の実戦をする中で、カルナはそれを実感していた。
魔術で足らない物を補い、最大限に生かすために、魔術以外の何かで埋めれば良い。
それが出来ない。いや、気付けないのが現在の魔術師だと、カルナは気付いた。
ぞっとした。ミリィと出会えていなければ、自分はいずれ、確実に目の前の父親と同じモノになっいたということに。
だからこそ、それからのカルナは努力した。
魔術を更に磨き、限界に行き付けば、それを突破する何かを魔術以外にも留め足掻いた。
自分以外の誰かを頼ることを恥とせず、積極的に関わろうとした。
その中で、自分と同じ危機感を抱いているのは他にもいるのだと、知ることが出来た。
大半は自分と同じ若い者達だった事もあり、いつしか仲間と言えるほどに絆を得ることのできる相手も出来ていった。
その全ての始まりはミリィのお蔭だと、カルナは感謝していった。
そして同時に、女性としての好意を抱いている事を自覚していった。
ずっと一緒に居たいと、そう思えるほどに。
けれど、それは無理な話だった。
何故なら、異なる身分同士の色恋沙汰など、世間は認めていない。法で、自由な結婚さえ禁じられていた。
それでも、カルナは自分の気持ちを捨てたくなかった。
なぜ、自分が好きな人のことを口に出す事さえ許されないのか。
どうして、自分の想いを諦めなければならないのか。
ミリィに、拒絶されたわけでもないのに。
受け入れることなんて、絶対に出来なかった。
だから、力を求めた。
誰にも自分の想いを否定させないだけの、力が欲しかった。
そのための努力を重ね、15歳の誕生日が近付いた時、カルナは決意した。
父親に、自分の気持ちを正直に伝えようと。
否定される覚悟もあった。それでも、想いを捨てないという決意を抱いていた。
けれど、父親とのズレは、正面からぶつかることすら出来ない物だった。
「もう使ったか、あの娘を」
「……は?」
15才になったその日、父親に呼ばれ自分の想いを伝えようとしたその時、父親は平然と言ったのだ。
「なにを、言っているのですか?」
本気で、父の言っている意味が分からなかった。すると父は軽くため息をつき、
「女として使っておけと言ったのだ。そのために、わざわざお前の傍に付けておいたのだぞ」
父の言う「女」が、ミリィの事だと理解したカルナは、怒りのあまり言葉を無くす。
けれどそれに気付けない父は、更に火に油を注いだ。
「来年16になれば、アルテミア家の娘を1人、こちらに貰い受けることになっている。それまでに女を知っておけ。壊しても構わん。本番で問題なく事を成せるようになればそれで良い」
「……本気で、言っているのですか?」
静かな冷めきった声。けれどそれにすら気づけず、父は続けた。
「なにを心配している? 別にあの娘は、当家で買った物だ。たとえ死んだ所で、問題は無い。どう扱おうが、お前が気にする事は無いぞ」
まるで気の小さな息子を元気づけるかのように、父とか言うその男は、ぐちゃぐちゃと喋り続け、
「どうせなら、孕ませておけ。アルテミラ家も、子をなす能力があると分かれば安心するだろう」
どうしようもない言葉を口にした。
その瞬間、カルナは目の前の父とか言う男を、完全に見限った。
顔面に、思いきり気絶するほどの拳を一つ叩き込み、即座にミリィを連れて家を出た。
その時には、持ち出せるだけ多くの宝飾品の類を手に取って。
それからは博打の連続だった。
家を出る時に持ち出した宝飾品で、需要が高い魔術素材を見極めて買占め、高値ギリギリで売り抜ける。
稼いだお金を惜しげなく使い、自分に賛同する若手の魔術師を援助して。
それでも足らず、有力な家を苦々しく思う魔術協会の長老たちの小間使いとして動きまくり。
どうにか、それなりの地位と権力を手にした。
ただただ、運が良かったと思っている。
どこか一つでも踏み外せば、奈落に真っ逆さまの博打でしかなかった。
それぐらいしなければ、どうにもならなかったのだ。
その全ては、ミリィと一緒に居たかったから。
ただ、それだけだったのだ。けれど――
「――ごめん、ミリィ……」
いまカルナの口からついて出るのは悔いる言葉ばかり。
意識無く横たわるミリィを前にして、そう思うことしかできなかった。
それを意識無く耳にするミリィは、悪夢にうなされるように、自らの過去を見ていた。
自分の価値を、告げられた時のことを。




