1.残響
シリーズ前二作を読んでからこちらをご覧下さいませ。現代に転生した二人のお話です。
他人に褒めそやされる容姿も、出来の良い頭も、飛び抜けた運動神経も欲しくなかった。普通にひっそりと生きていければ良かった。幼い頃にある記憶を得てから、彼は『平凡』を目標に生きてきた。
それは進学校と呼ばれる県内一の高校、遠凪学園に入ってからも変わらなかったけれど、どこに行っても人の中心に立つという彼の役割は前世から変わってはいなかった。
──彼が得た記憶というのは、所謂、前世の記憶というものだった。悲惨な国の王子だった彼は、中々に悲惨な目に遭って、最後には自死を選んだ。王子が自死を選んだのは色々と理由があったが、今思えば生きる気力を失ってしまったからだと彼は過去を振り返る。そうするしかないと、思い込むほどにはあの頃の彼は追い詰められていた。
あまりに幼い頃からそんな記憶と隣り合わせで生きてきたために、人格もどうやら前世に引っ張られているようで昔から手のかからない大人びた子供だと言われた。
そのまま成長した今、彼、藤宮祀は「学園の王子様」なんてあだ名で呼ばれている。元王子についたあだ名にしてはずいぶん皮肉が効いていると彼は思う。
「祀くん! 私も一緒に行っていい?」
「ああ」
教室に向かう道すがら同じ生徒会で書記をしている学園のアイドルこと斑目ひまりが声をかけてきた。クラスメイトということもありよく一緒にいる彼らは最近では学園のベストカップルと言われていたが、実際のところ二人は付き合っていない。ひまりの方には多少その気があるようだが、祀の方にその気がまったくなかった。
斑目ひまりは美人で頭が良く、気も利いて趣味は料理という男の憧れを形にしたような少女だ。けれど、祀には全くと言っていいほど彼女に関心がなかった。というより、異性への興味がほとんどなかった。前世の記憶がそうさせるのか、はたまた他の理由からなのか、それは彼自身にもよくはわかっていなかったけれど。
いつもは賑やかな教室も放課後になればしんと静まり返っている。教室に人影はほとんどなく生徒会で残っていた二人と、自習をしている生徒が数人。その中でひとり、祀の目を引く人間がいた。
豊海朱音。黒髪の地味な見た目の少女だ。学力はこの特待生クラスの中でも高いが、静かで大人しい性格の彼女はひっそりとこのクラスに籍を置いていた。祀は彼女のような生活が理想だった。それが出来ないのは自分が背負った罪のせいだとも思った。人が羨むステータスも彼にとってはただの枷でしかない。
そして、祀の目がその何の変哲もない少女を追ってしまうのは、それだけが理由ではなかった。
朱音は、前世での婚約者だった。
そして、その彼女を死に追いやったのが、祀の前世である王子だった。
『お幸せに』
夢の中で何度も聞いた言葉。それは姫だった彼女が死の間際に言った最後の言葉。その後すぐ首を切られ、息を引き取った彼女が遺した声は王子を縛り、王子はひとつの後悔を抱いたまま自らの死を選んだ。
『もう幸せになんてなれないんだよ』
王子は姫を愛していた。そのことに気がついたのは彼の指示で彼女の首がはねられた直後のこと。自分の役目を果たしたとともに彼は愛する人を殺してしまった。……そうするべき以外の選択肢を彼が持ち合わせていなかったとはいえ。
その喪失感に耐えられなかった彼は國のゆく先を見届けることもせずに死んだ。そうすることが正しいことだと王子は最期まで思っていた。
祀である彼も、また、似たような思考を辿り必要以上に自罰的に生きている。まるで生きていること自体が罪であるかのように。
ただ彼自身にその自覚はなく、またその考えも前世での記憶に依るものだということを知るものはいない。
「祀くん? どうしたの? ほら、早く帰ろう」
「……悪いけど、一人で帰るから」
一瞬トリップしていた祀は、ひまりの誘いをすげなく断ると横目で豊海朱音の方をちらりと見て教室を後にした。異様なほど、胸がどきどきと鳴っている。だが彼はそれを罪の暴露をされるかもしれないという恐怖からだと思い込んだ。そう、思い込みたかった。
祀が豊海朱音の存在を認識したのは一年前の入学式のことだった。新入生代表に選ばれた彼は目立つことに嫌気がさしながらも、元来の生真面目さと求められることへの弱さからその壇上に上がっていた。
一応形としてカンペを持っていてはいたが、諳んじられるスピーチを特に気概もなく読み上げていく。ふと体育館内へ視野を広げるとそこに異色を見つけた。
黒い群体の中にひとつ。壇上の高い位置からではないと気が付かないような淡さではあったが、視界に飛び込んできたその赤に、祀の目は奪われた。そして、その赤の持ち主を見た瞬間、彼の淀みない完璧無比なスピーチは一部の欠損を作る。
「っ、!」
たったの一呼吸ほどの間。気づいたものは誰もいない。彼だけが気づいていた。
──彼女だ。
……あれはかつての俺が葬った最愛の人。
ここが人目のある場所でなければ衝動的に駆け出していたことだろう。そして彼女の腕を掴んで離さなかったはずだ。
だが、幸か不幸か、彼は衆人監視の只中にいた。その中で、そんなことは出来なかった。
祀は知っていた。集合体の中で突飛な行動するものは輪の中で浮いてしまうことを。今そんなにことをすれば自分ひとりだけの問題ではなくなるのだと、知っていた。
だから彼の足は地面に縫い付けられたように舞台の上に固定される。
『ああ、今も美しい』
その少女は決して美しいといえるような身なりをしていなかったが、祀にはなによりも尊く、美しいものに見えた。あれが、彼が奪った命の輝きなのだと思うと打ちのめされそうなほどに。
瞳は見えないが、何色なのだろう。姫のように赤いのだろうか。あの赤い髪についぞ触れることは叶わなかった。あの瞳が自分を写したことだってそう多くはない。最後に見たのは最期のときだった。
ああ、あの時もそうだ。美しく気高い。自国からも他国からも疎まれていた彼女は決して折れることがなかった。死ぬ間際ですら、彼女は──。
『叶うのならば、もう一度』
こうして再び巡りあった彼は、彼女の存在を深く心に刻み付けることになった。
そして、彼女もまた、彼の存在に気が付き、その胸を抑えじっと堪えるように俯いていたことを彼は知らない。
一話ずつ更新します。全五話+おまけで完結します。よろしくお願いします。