美しい討論
人とうまく話すには、論争になってはならない。
よく言われる事でしょうが、日本人的な礼節や程よい人間関係を保つためには、角を立てず柔らかく、論争になってはならない。
日常生活において顔を合わす相手ならば、距離感を計る事も出来るでしょうが、ネットで出会う相手、匿名性もあり同じ人物に二度と会えぬ相手ならば、なおのこと角を立てるべきではないでしょう。
日本人の特徴と言うべきか、顔お合わした相手に自分の意見を主張して討論をする人は少ないのですが、相手の反論が聞けるかどうかも分からないネットであれば、やけに自分の意見を主張しようとする人が出てきます。
その時、問題となるのが討論慣れをしていないため、自分の意見を主張する方法が分かっていない、と言う事です。むしろ、だからこそ、ネットのみで発言し、相手からの反論が返ってこない事を前提としているのかもしれません。
自分の主張はするが、相手の反論はきく耳は持たない。
これは、見てわかる通り、非常に醜くなります。自分に関係がなく、興味のない事がらでも、こういうものを見かけると、醜悪な物を見てしまった不快感を抱かずにはいられないでしょう。
そして、これが論争であり討論と結び付けられ、討論は醜い物、避けるべきもの、参加すべきでない物というイメージだけが残るのです。
こうして、論争が無くなる訳ではなく。
討論の出来ない論争と、無関心を装う傍観者が出来上がります。
せっかくネットで、世界中のと言うのは大袈裟ですが、同じ言語を使う相手とつながりを持てるのですから、これが、非常にもったいないと思うのです。
討論とは何でしょうね?
分かりやすい例を一つ上げて、日本の防衛力強化に付いて、討論してみましょう。
肯定側の主張として、「北朝鮮のミサイルの脅威に対応するため、イージスアショアとF35を配備すべきだ」と言う意見が出されたとします。
これに対して否定側が反論として、「戦争放棄の精神にのっとって、軍備増強は受け入れられない」と反論した場合はどうでしょうか?
意見が正しいかどうかではなく、反論になっていないため、これはいくら続けても平行線のまま近づかず、討論にはならないのです。
では、「北朝鮮の短距離ミサイルが脅威であって、イージスアショアやF35では、長距離ミサイルにしか対応できない」ではどうでしょうか?
反論にはなっていますが、防衛力強化の反対意見にはなっておりませんね。
それならば、「イージスアショア等のミサイル防衛網の構築は経済的負担が大きすぎるため、軍事力に頼らず、外交的な経済圧力や技術の流出を防ぐべきである」や「北朝鮮は経済的にミサイル開発を続けられないため、建設に10年かかるイージスアショアを論じても仕方がない」はどうでしょう?
つまり、相手が何を主張しているか。主張している事実は正しいのか? それに、どういった反論が出来るのか?
反論とは、相手の意見を頭ごなしに否定するための物ではなく、相手の主張の足りない部分を捕捉する役目があるのです。それを反論の反論が補い、反論の反論の反論が補い、やがて水も漏れなく……。
と言うのが、従来の討論の説明となるのですが、果たしてこれで美しい討論と言えるのでしょうか?
互いに、論のほつれを指摘し合い埋め合わせれば、ステンドグラスのような美しい模様が描かれるのかもしれませんが、どうも、薄っぺらい障子を一生懸命張っているように思えてなりません。
討論している本人たちには、見事な完成形が見えるのでしょうが、視点を変えれば、薄っぺらい紙でしかない。そんな気がしてならなかったのです。
明確に答えのある問いや、時間が経てば答えの出る問いを、討論するわけではなく、曖昧な感性であったり、自分自身の好みであったりする意見を主張するほうが現実には多いのですから、討論するには曖昧で大きすぎる範囲であり、それをカバーしようと、広げれば広げるほど、埋めれば埋めるほど、ほころびが出来てくるものなのです。
ならば、どうすべきなのでしょう?
外部に意見を出さずに、自分の中だけに閉じ込めておくべきでしょうか?
それも一つの方法ですが、自分の好きなものに付いて話したいと思うのが本音だと思います。ネットの匿名性を生かして、書き逃げのような主張も、好きから始まったのでしょう。よくここまでねじれた物だと思えるものも多々ありますが。
好きな物だけを集めたブログ等で、一方通行の主張もありますね。
確かに、これはストレスなく意見を解放し、時折、現れる同じ方向に進める人たちと、意見を共有できる利点もあります。方向が違う人はいないものとした扱えば良いのですから。
しかし、同じ方向だけだと、どうも物足りない。
同じ意見だけだと物足りない。
何か物を作る時、皆がいいなーこれいいなーと言って作っていると、その中ではすごくいい物が出来上がるのかもしれませんが、他から見ると、「」のようなものになっているかもしれません。
皆で同じ方向に向かって、丸くなるのではなく。
薄い紙を隙間なく敷き詰めたいわけでもなく。
同時に、ある一点を指す。お互いに指さした一点を合わせてみたい。
遠くから勢いよく突き出した指の先が同じ場所を指すように。ずれた部分が削れ、段々と細くなるように意見を研ぎ澄まし、磨き上げ、針の先のようになれば、なお、良し。