褒められたい子供たち。褒め方を知らない大人たち。
最近は、誰もかれもが褒められたがっている。
叱られるより褒められた方がやる気が出ると言うのはもっともな話だが、本当に、褒めて伸びるタイプなんてものが存在するのだろうか?
褒めるという行為は、本来自分より劣っている者、未熟なものに対する行為である。
「よくできました」「頑張りましたね」などは顕著な例である。自分には及ばないが、努力しましたねと言われて素直に喜べるのは、非保護下に入っている相手、子供なら親、弟子と師匠も同じ関係と言えるのかもしれない。しかし、いい大人になって、この関係を続けているのは、はた目から見れば狂信者と映るであろう。
「おもしろい」は誉め言葉か?
作品を読んだ人に一言でも感想を貰えればうれしいものだが、作者によっては、「おもしろい」と言われれば天にも昇る気持ちになり、「おもしろくない」と言われれば、世界が終わったほど絶望するらしい。
「面白い」という単語に、二種類ある事を知っているだろうか?
一つは、誉め言葉としての「おもしろい」だ。
もう一つが、評価としての「おもしろい」だ。
誉め言葉として使う場合は、子供が親に何かをやって見せた場合だろう。何をやっても、「おもしろい」という答えが返ってくる。ここで、「おもしろくない」や「つまらない」という言葉が出る場合は、それを繰り返しやるなと言う、叱る意味合いが含まれる。
評価として使う場合は、自分の中の価値基準に置いて、それが、「おもしろい」~「おもしろくない」のどの部分に振り分けられたかという事であるから、「おもしろい」と「おもしろくない」は、評価される側にとっては同じもののはずである。
ただし、評価者が支配的な決定権を持つ相手(小説なら出版社とか審査委員とかであろうか)なら話は別であるが。
この場合は、評価であっても、親と子の誉め言葉のような関係性が生まれるからである。
人の作品に感想をつける場合は、気軽に「おもしろい」か「おもしろくない」か書けばいいのですよ。それをどう受け取るかは、相手次第ですが、貴方が有名人や有力者じゃなければ、商業活動として作品を発表している人以外には、どちらでも同じですから。しかし、金を払って読んだ作品がおもしろくなければ、作者を殴って良いとは思いますけどね。値段分だけ。