上下する波の動き
景気がよくなっただの悪くなっただの、普通に生活してりゃ嫌でも耳に入ってきますが、経済なんてものは実によく分からない。
いや実際によく分かってる人なんて一人もいやしませんけどね。
それでも、見向きもせずに生きていけるかって言うとそうでもない物なんです。
何が関係するかって?
裸でかすみ食ってるわけでもなし。
働いていくら貰えるか、給料の差額に現れると考えるのが普通です。短期的に小さな範囲で考えるとそうなんですけど、社長にたまたま貰った小遣いも入れるんですか?
それで、経済と言うにはあまりにも小さい。
どっちかと言うと、お金を使う方。
店に行って何が買えるのかってところですね。
より良いものを、よりおいしい物を、より面白い物を、いつの時代もお金さえ積めばそれらは手に入りますが、それがいくらで買えるのかが問題ですよね。
値段が安ければよいってものでもないのは、品質の悪い安価なものしか店屋に売っていなければ、いくらお金を持って行っても、いいものが買えない何てことからも分かります。
良いものを作って、良いものが売れる環境。
この循環を作ることが、良い景気なわけなのです。
実際、日本の景気はどうなのでしょうか?
日産を例に挙げてみるのが分かりやすいのですが、コストカッターと呼ばれるゴーン氏が社長に就任して以来、業績を回復させたのは有名で、他の企業も、それを手本にしたものです。
しかし、このアメリカ式と言うか、書類上の数字から算出される無駄コストをカットすることによって何が起こったかと言うと、品質の低下です。
半分の値段で働く人を使い、半分の値段で仕入れられる材料を使い、簡単にコストを下げられますね。
そこに落とし穴があったわけです。
何も特別な技能が必要のない仕事であっても削ってはならない物もあるのです。
毎朝顔を合わす同僚と「おはようございます」くらいは言うでしょう。
しかし、コストカットしたがために、朝顔を合わせても挨拶もしない人しかいない職場になったら?
そもそも、言葉さえ通じなかったら?
それを良しとするかしないかは、個人によって差がありますが、その差を融和するのも職場環境と言うものではないでしょうか?
生産性、効率性に現れない場所にあったものから削られて行き、それが何か、何が足りてないのか、気が付かないままにカットしていったのです。
一度削ると、元に何があったのか非常に分かりにくく、埋めれなかった部分は個人がストレスとして引き受けるしかなくなってしまったのです。
その結果として、
自動車の品質低下は、最近よく耳にしますね。
車のらなきゃ関係ない。
そう言いたいところですが、数字上の業績を上げられるってのは魅力的で、2000年ごろからどの企業もこぞって同じ手法を取って来たのです。
スクエニなんかが、良い例かと。
何も考えずに、ネットゲームなんかやってても、
最近、なんか物足りねーな、もうちょっと、何とかならなかったのか?
なんて思うゲームが増えたのも、その一因でしょう。
プレイヤーならば、当然気づいたことを製作側が気が付かない。
これは、両者の間に、昔はあった何かが抜け落ちてしまっているのですよね。
足りない分は埋めればいいのですが、
初めに足りない物を出すと、埋めるのは劇的な演出が必要だったりしますので、なかなか大変ですよね。