進化する公式
数学という学問がある。非常に単純でもあるが面白い学問であるが面白さを理解してもらい不遇な学問ともいえよう。なぜかと言われればその理由も簡単な事であるだが。
数学の問題を解くにあたって足し算から始まり、幾つか重なった計算を経て公式と言うものにたどり着く。円の面積を出す公式を丸暗記していれば、直径一メートルの円と言われれば面積が出さるという訳だ。ただそれだけの物それが何の役に立つか分からないといわれるが、何故その公式が出来たかを理解できれば別の図形の面積も出せたり、直径一メートルの円の中にある三角形の辺の長さなんてのも求められる。
しかしだ、それが面白いのだろうかと疑問に思うだろう。
直径一メートルの中の四角形ならどうだ? 五角形ならどうだ? 六角形なら……。そう考えるうちに直径一メートルの円の中に描ける最大の辺の長さのある図形は無限の長さを持っている事に気が付く訳だ。
有限の限られた空間の中にある無限という矛盾の面白さに気が付き誰かにそれを伝えようと思っても相手が円の公式を知らなければ、その面白さが伝わるはずもないのである。
小説も同じ事だ。小説のテンプレ、特別な能力を持った主人公が別の世界で無双する話はそれこそ紀元前からある。ホメロスも異世界からやってきた神に無双させたり、調子こいて無双する強大な神を非力な人間が協力して撃退したりする話を書いている。いつの時代もそのテンプレに沿った物語が書かれているのだがそれは当然の事だ。ホメロスを読んでいない人は次の時代の作者の物語を読み、その次の時代も、と続いて来たからだ。その流れは当然現代まで続き、今のテンプレ作品が出来上がった分けだが、当然時代とともに進化してきた人間の文明であるからテンプレ小説も進化すべき筈と思うが、どう考えても劣化の一途をたどっているようにしか思えないのはなぜだろうか?
その答えは数学から導き出された。こんなにも簡単に近くに答があるのに誰も気が付いていなかったのだ。
小説は劣化などしていない、より簡略化し誰にでも理解できるまで洗練され続けた円の面積を出す公式と同じなのである。
つまり、小説のテンプレの最終到達点は、
敵が現れた。
「あっ」
驚いた。
「うん」
倒した。
事件が起こった。
「あっ」
困った。
「うん」
解決した。
こうなるはずである。
ここまで来れば当然誰もが、どんな敵かどうやって倒したか、その過程をどう描くかが物語の面白さだというであろう。しかしそれはこの公式を知っているからこそ、公式の過程を楽しめるのである。公式を知らなければより簡単に単純にテンプレが理解できる話でなければ、有限の中の無限のように面白いとはとは思わないだろう。
物語を書くにあたってもまず初めに読者が簡単に解ける問題を定義しなければならない。読み始めた初めの問題が難しすぎればその先を解こうとは思わないだろう。数学のテストと同じである。一門目が最も難しいテストを作るものは頭がおかしいと思われても仕方がない。簡単な問題から徐々に難しく最後の問題が解けなくてもやり切った満足感が得られれば、次のテストに向かえると言うものだ。
小説の面白さを知っている者ほど万人受けしない物を書き始めるのは、数学の面白さを知り円の面積を出す公式の求め方を教えようとしているのと同じなのである。
足し算から始めなければ一歩も前には進めないというのに。
数学には答えの求められない問題もある。
数学には答えが一つではない問題もある。
求められないという答えが求められるのであるのだが、その面白さを説明しようとすると誰も話を聞いてくれないと嘆かなければならなかったりもするのだ。
ランキングに乗っている作品が駄作だというのは間違いである。
ネット小説とは洗練された結果なのだ。
足し算が無駄である筈は無く、円の面積を求める公式が駄作である筈が無いのだから。
確実にランキング1位をとれる、最も時代を先取りし洗練された作品とは、「あっ」「うん」なのだ!
あっ、うん、人類にはまだ早すぎたようだな……。