敬語という名の格差
相当、ストレスがたまっていた。誰かに聞いてもらいたいが、こんなことを言う相手はいない。いや、自分の落ちぶれたしみったれた話など誰も聞きたくない。全部がお前が悪いんだろうと・・・。そんなことはわかっている。書くことが何よりもの精神安定剤になっている。
先日、日雇いでピアノの引っ越しのバイトをした。届け出先は、ある小学校だった。そこに入るとある先生が手招きをしていた。彼は中学校時代の同級生だった。その学校の教頭となっていた。
私の中学時代は、不良全盛の時代である。私もリーゼント、ボンタンというスタイルで毎日登校していた。夜遊び、シンナー、ケンカと定番通りの道を歩んだ。彼は中学時代から真面目で勉強もよくできた。しかし、私は彼にこの後の人生も負けるはずがないと思っていた。勉強では勝てない、偏差値でも勝てないが、自分の方が将来、いい暮らしをする自信はあった。自分の方が器用に世渡りして、出世すると思っていた。
中学校時代からバンバン女性と付き合い、大人びた人生を送ってきた。ファッションもつれている女性も最高だった。しかし、彼は高校時代に会っても相変わらず、いけていない雰囲気全開だった。私は「こいつに人生負けるはずがない」と思っていた。 現に20代のころは・・・・・。
中学卒業から35年・・・。彼は小学校の教頭となっていた。私は「俺だよ俺・・・」と馴れ馴れしく話かけた。彼は一瞬わからなかったが、思い出してくれた。私はタメ口で話していたが、彼は丁寧語だった。私が「同級生なのになんだよ、その言葉遣いは・・・」と言うと、彼は丁寧に頭を下げた。
会社に戻ると責任者から、お客様への言葉遣いを理由に二度と来なくていいと言われた。道路誘導の仕事よりは日給もよかったので、できれば長期のバイト採用を狙っていたが、クビを宣告された。
49歳で教頭になるのだから、あいつは優秀な人生を歩んでいるのだろう。それに比べて自分の人生のなんというみじめなこと・・・。彼の敬語が自分の心に今になって突き刺さる・・・。
こんなことを思い出すと、余計に暗くなる。三月だというのに、やることもなくボロアパートに閉じこもり、一人で悶々と思いを綴る中年のさびれたオヤジ・・・。それでも生きている。




