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前編

初投稿です。お見苦しい点は多々あると思いますが、ゆっくりとご覧下さい。

               01

 セフカとナナは朝食を食べていた。

 この何処とも知れぬ森の奥深くにある古城には、二人の化け物が住んでいた。

 古城の食堂には、一面白色のとつもなく長いテーブルに二人だけが並んで座っていた。食卓にはバスケットに積まれたパンに、肉や卵料理、サラダを盛り付けた皿と野菜がゴロゴロ入ったスープカップ、赤い液体の入ったガラスのボトルや銀色のゴブレットが置かれていた。

 「今日の肉は、どこの部位を使ったんだい?ファントム。」

 セフカは、白シャツに黒のズボンと靴というシンプル極まりない服装で、肉を咀嚼しながら質問した。少し長めの白髪はボサボサのままだった。

 「右肩の付け根辺りの肉をいい感じに焼いてみたんですけど…何か?」

 ファントムは二人の席の間のスペースの床からぬっと出て、質問に答えた。彼女は、実体を持たず青白く発光しており、フリルの付いていないシックなメイド服を着た長髪の若い女性であること以外は、分からなかった。

 「いや、朝食うにしてはちょっと油が多いような気がしてな。」

 セフカはナフキンで口を拭いながら答えた。肉にはトマトを煮溶かして作ったソースが掛かっており、食欲をそそる香りが立ち込めていた。

 「そうですか?まぁ私、味見出来ないんで勘弁してくださいね。」

 ファントムは、謝るでもなく淡泊に返答した。

 「私ハ、ファントムガ作ル料理ハ全部オイシイト思ウゾ?」

 ナナは肉をフォークで豪快に刺し、それを口いっぱいに頬張りながら答えた。ナナは真っ白なワンピースに黒い靴といった、これまたシンプル極まりない服装だった。彼女の口はソースでベッタリと汚れていた。

 「ふふ、ありがとうナナ。お礼に口元を拭ってあげましょう。」

 ファントムは柔らかい笑顔をナナに向けて、ソースで汚れた口元を、白ナプキンでグシグシと拭った。

 「ンン…。」

 「そのくらいの愛嬌を俺にも向けてくれないもんかねぇ」 

 セフカは二人の、まるで母と娘のような微笑ましい場面に思わず愚痴を漏らした。

 「何百年も無駄に齢に重ねて、子供みたいなことを言わないでください。ほら、髪を梳かしますから動かないでくださいね。」

 ファントムは、セフカの後ろに移動して、何処からともなく取り出した櫛で、白髪を優しく梳いていった。セフカはバスケットにあったロールパンを取り、モッシャモッシャと食べていた。

 「自分の髪くらい自分でケアすればいいじゃありませんか。ナナは自分でやってますよ。」

 今度はファントムが愚痴を漏らし、目を細めて、白髪に櫛を入れていた。ナナの方に目をやると、彼女の腰まである白髪は毛先がしっかり揃っており、健康的な光沢を放っていた。

 ナナは自慢げにこちらを見ていた。

「ふん。何百年もやっている習慣をそう簡単に変えてたまるかよ。」

 セフカは面白くなさそうに正面を向き、今度はクロワッサンに手を伸ばした。

「マァマァセフカサン、ソウカリカリセズ一杯ヤリマショウヤ。」

 ナナはそう言うと、テーブルの赤い液体の入ったボトルを手渡してきた。ナナのゴブレットには、既に赤い液体が溢れんばかりに入っていた。

 セフカは無言でボトルを受け取り、自分のゴブレットに中身の液体を全て注いだ。

「それでは、今日も我らに…。」

 二人はゴブレットを高々と掲げて

「救いあれ。」

「救イアレ。」

 中身を一気に煽って、ゴブレットを同時に置いた。

「お二方、儀式終わりで申し訳ないのですが…。」

 二人が、煽った血の余韻に浸ってところに、ファントムが割って入った。

「レア様がお呼びです。」

「マジか。」

「マジカ。」

 二人が、心底嫌そうな顔したところで黒い靄に包まれて消えた。



 「沼の底」は焚火の光と闇だけの領域だった。

「まさか、儀式の直後によびだされるとはな。」

「モウチョット、タイミングヲ考エテ欲シカッタヨ。」

 二人は焚火の周りに座り、ゆらゆらと煌く火をただ眺めていた。

「タイミングを考えている状況ではなくなったのですよ。」

 このほとんどが暗闇の支配する領域に似合わない、透き通った声が聞こえてきた。彼女は灰色に薄汚れた上衣に、丈の長いスカート、、目まで隠れるフードを着けていた。

 聖女レアは闇の中から、するりと抜け出すのように現れて、焚火の前に座った。

「最近、ある呪いが蔓延しているのをご存知ですね?」

 彼女は、さも知っているのが当たり前のような口ぶりで質問した。

「ご存じないな。何せ外にはあまり出ないもんでな。」

「ワタシハ外ニハ出ルケド、呪イノ感ジナンテ全然シナカッタゾ。」

「それは、人間のいる場所に二人とも行ってないからです。」

 聖女レアは、二人の冗談めいた返答にぴしゃりと言い放った。

 セフカとナナの表情が、少し硬くなった。

「たまには町や村に降りて、人間の混沌を見学してはどうですか?」

 聖女レアは、表情こそ窺い知ることは出来なかったが、口角を少し上げてふふっと笑って見せた。

「ふん。何故好き好んで、あんたの作った泥人形の悲劇喜劇を見に行かんといかんのだ。」

「私モ観劇ノ趣味ハナイゾ。」

 二人はつまらなそうに、目を細めて言った。

 聖女レアは、そんな不平不満を余所に、ゆっくりと立ち上がり横に手をかざした。すると何もない真っ黒な地面から、何かができてきた。 

 それは、全身黄土色で顔面には嘴が生えて、不細工な鳥のような形相だった。頭髪は全くなく、手足も不自然に節くれ立っており鍵爪のようになっていた。体も不自然な丸みを帯びており、下腹の部分が異様に膨れていた。

 少なくとも、それは人間ではなかった。

「これは呪いを受けた人間の一例です。」

 聖女レアは、それに目を向けること無く淡々と言った。

「人核ガグチャグチャニナッテイルナ。コレハモウ喰エタモノジャナイ。」

「かなり強い呪いと見えるな。人核に直接影響するなんてそうそうある物じゃあない。」

 セフカとナナは、醜いそれに顔を顰めながらも、値踏みするように分析していた。ナナに関しては、収穫せずに腐ってしまった果物を見るような眼をしていた。

 それの人核は、辛うじて人の形を保っていたが、中に内包されている闇が外に流れ出てしまっていた。そのせいで表面が常に渇いており、狂わんばかりに何かを求めていた。

「ええ。強い呪いですが直接人核を変質させるという、単純なものです。」

 聖女レアは、淀みなく言った。

「どこかの馬鹿が、私の可愛い泥人形を醜い姿に変えているということです。創造主たる、人間の神である私の許可も取らずに。」

 語気を強めた聖女レアに、二人は目丸くしていた。

「珍しいな。一応聖女であるあんたが怒るなんて。」

「当然です。私は人間の神であり、私の神が人間なのです。神を冒涜されて黙っている聖職者がいるものですか。」

 この矛盾に関して、聖女レアは独特の言い回しをいつもしていた。自分の神を、呪いによって醜い姿に変えられたことは、彼女にとって激怒するに値することだった。

「この呪いは、人核に中にある闇を増大・暴走させて、人核そのものの性質を変えてしまうものです。」

 聖女レアは、何もないところから大きな灰色の鎌を取り出した。彼女の背丈と同じくらいの柄に、緩く湾曲した刃を持つそれは、少なくとも聖職者を名乗る彼女には、とても似つかわしくない代物だった。

 「私の敬愛する信徒二人に命じます。」

 聖女レアは、セフカとナナを見据えながら、鎌を高々と掲げて

 「この呪いを広めた輩を突き止めて、今すぐ殺しなさい。」

 刃を、醜いそれの頭に深々と突き立てた。



 古城に戻った二人は、すぐにいそいそと準備を始めた。

「何か面倒事ですか?」

 セフカの部屋にノックもせずに入ってきたファントムは、ぶしつけに聞いてきた。実際にはドアをすり抜けて入ってきた。

「あぁ。とてつもなく厄介で面倒な仕事だ。」

 部屋のクローゼットから真っ黒なコートを取り出しながら、セフカは答えた。部屋は大きめのベッドと本棚、小さな机とノッキングチェアがあるだけの殺風景なものだった。机の傍に付けてあるやたら大きい窓から、朝の爽やかな光が差し込んでいた。

「悪いが留守を頼めるか?面倒な上に時間のかかる仕事らしいからな。」

「分かりました。何か申し付けはありますか?」

「貯蔵庫の様子を時々見といてくれないか?たまに変な虫やらが湧いてるからな。」

「了解しました。」

 ファントムはそう受け答えながら、コートに袖を通すセフカの前に立ち、白シャツの曲がった襟を正した。

「…お気をつけて。」

「あぁ。分かっているさ。」

セフカはそう言いながら、ファントムの髪をさらりと撫でた。実際には触れることはできないが、それでも彼女は心なしか柔らかい表情をしていた。

「オオイセフカ!モウ準備デキタゾー!」

下の階からナナの溌剌とした声が聞こえてきた。

「おっと、お姫様がお待ちだ。」

「…いってらしゃいませ。」

「行ってきます。」

セフカは髪から手を離さないまま、彼女に優しく口づけた。これも実際に唇が触れることはなかった。小鳥の啄みのようなキスをしたセフカは、意気揚々と下の階に降りて行った。

 一階のエントランスには、ナナがソファに座り足をパタパタさせていた。

 ナナは先程の白いワンピースに、セフカの着ているものと同じ黒いコートを着ていた。彼女に透き通るような白い肌に、黒のコートがよく映えていた。

 「遅イゾセフカ。何シテタンダヨ。」

 ナナは腕を組んで、いかにも怒っている仕草をした。

 「寂しがり屋のメイドに、留守番をお願いしただけだよ。」

 「ナンダ、マタイチャコラシテタノカ。」

 「うるせえ。ところでパンツ何色?」

 「黒ノローレグダ。」

 「へぇ、今見せてよ。」

 「ホレ。」

 そんな戯けた会話と共に、ナナはおもむろにワンピースの裾を腰辺りまで持ち上げた。すると結構きわどい布の面積のローレグが晒された。彼女のやけに白い肌の足と、対照的な色のそれがいいコントラストになっていた。布の両端は、細い紐によって小さく結ばれていた。

 「おお、ローレグに紐とはわかっているじゃないか。」

 「ドッカノ誰カサンガ、コンナパンツシカ履カセテクレナイモンデナ。」

 パンツを凝視するセフカに、ナナは小さく悪態をついたが、悪い気はしていなかった。

 セフカは二分ほど、ナナのパンツを食い入るように見ていた。

 「オイオイ、イツマデ見テンダヨ。日ガ暮レチマウヨ。」

 「いつまでも見てられるんだが、まぁこれくらいで勘弁してやろう。」

 「フン、言ッテロ。」

 ソファの上に立っていたナナは、そこから勢い良くジャンプして玄関の前で着地した。

 「ホラ、モウ行クゾ。」

 「ハイハイ。」

 そう言って二人の化物は、狂った女神の言いつけ通り、調査に乗り出した。








               02

 村は壊滅していた。

 このエストゥーダという村は、漁業が盛んでサーモンフライが美味であると、セフカは聞いたことがあった。なので、見知った名前の村から行こうという彼の提案が功を奏したことになる。

 この場所には、すでに正常な人間はおらず、全員呪いを受けて人間ではなくなっていた。

 顔が魚の頭になり、手足に鱗をびっしり生やした男に、教会には顔が脳だけになって、槍が顔中に突き刺さって死んでいた聖職者。角が生えて赤黒い肌の子供に、通りの果物屋には両腕に爪を生やした爬虫類のような出で立ちの者がおり、店先の棚には、人間の手足や頭部がずらりと並んでいた。

「いきなり当たりを引いたなぁ。」

 セフカはそう言いながら、向かってきた異形を両腕から生えた剣で切り捨てた。生えた刃は彼の血で作られており、赤黒く染まっていた。

 異形は、服を着ていること以外は「沼の底」で見たものと同じで、手には小さな刃物が握られていた。右肩から斜めに斬られた異形は、血を吹き出し倒れ、セフカの白髪と服を赤く染めた。

「デモ、レアノ所デ見タ奴ハコンナ凶暴ジャアナカッタゾ。」

「人核が乾きに乾いて、荒れに荒れてんだぜ? そんな奴らが正気を保っているとは思えない。」

 ナナも両腕に生やした赤黒い剣で、太った単眼の異形が振るった斧を弾き飛ばし、刃を深々と体に突き刺した。異形は声も無く崩れ落ちて、死んだ。

「コレデ大分片付イタナ。」

 村は、異形の死体と赤黒い血だまりで溢れかえっていた。動く者は無く、呪いと主を失くした人核が村を行き交い、彷徨っていた。

「でも結局呪いの出どころは分からなかったな。」

「イヤ、ソウデモナイミタイダゾ。」

 この村の大通りに奥には教会があった。十字の横線の両端が、下に垂れて下がっているシンボルがあることから「ヴァランの意思」の信仰による協会だった。その中から微かな剣戟の音と凄まじい呪いの気配をナナは感じ取っていた。

「ああ、親玉がいたんだな。それに誰か戦っているらしい。」

 セフカは嬉しそうに呟いた。

「ソレニ結構旨ソウダゾ。二人トモ。」

 ナナも嬉しそうに唾を飲み込みながら言った。ナナは先程、興味本位で襲ってきた異形の首に齧り付いてみたが、まるで粘土を咀嚼しているような食感と味だったので、すぐさま吐き出した。

 なので、ナナは教会の二人に関しては、ご馳走として期待が持てた。

「おい、獲物は仲良く折半だぞ。」

「ウルセィ、早イ者勝チダ。」

「あっ、てめっ。」

 ナナは教会の中のご馳走に向かい、一目散に駆け出した。セフカもナナを追いかけたが、目の前のメインディッシュに心を奪われた彼女は速かった。滅茶苦茶速かった。

 ナナは、教会のやけにデカい扉を勢い良く開けた。

「ガハァッ!」

 彼女が扉を開けた瞬間に、一人の男が、隣の石壁に派手に叩きつけられた。

 男は、全身に銀色の鎧を身に着けていた。胸の部分には太陽を模した紋章、具足にはオレンジ色の薄汚れた腰巻きが巻かれており、兜には十字の切れ込みが入っていた。武器はハルバード持っており、それを杖ににして立ち上がろうとしていた。

「ヌウゥ…」

 男を吹き飛ばした異形は、腰の曲がった老人のような姿をしており、病的な青白い皺だらけの肌と、丁度臍にあたる部分からは、何本かの管が垂れ下がっていた。今にも折れそう細い腕には、肉塊の一部が刃になった巨大な武器が握られていた。

 異形は、男がハルバードに縋り立ち上がるのをじっと見ていた。

「キエアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」

 突如、異形が甲高い奇声を上げて、武器を振り上げて飛びかかった。

「クッ…、ヌゥン!」

 男は、避けるのは無理だと判断し、ハルバードで異形の一撃を受けた。異形の攻撃は思った以上に重かったらしく、男はその場に膝をついた。

「舐めるなァ!」

 男は膝をついた状態から、異形の武器を左に受け流し、態勢を崩したところに光の玉を炸裂させた。

「アアアアアアアアアアアッ!」

 異形は光の爆発を受け、大きく吹き飛ばされた。光の玉を放った男の右手には、教会で見たシンボルのタリスマンが、掌に付けられていた。

「おーい、そこの人―。」

 男と異形の状況が互角になったところで、この攻防をずっと見ていたセフカが、間延びした声を掛けた。

「苦戦しているようですが、手伝いましょうかぁ?」

 セフカはニヤニヤしながら、呼びかけた。ナナもニヤニヤしていた。隙を見て、二体とも喰らってしまうことしか、二人は考えていなかった。

 男は、セフカ達の方を見ずに武器を構えなおした。

「心遣い感謝する。が…。」

「ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 異形は、武器を引きずりながら男目がけて、斬り上げに行った。

 男は横っ飛びでその強烈な一撃を避け、ハルバードを横薙ぎに振るった。男の攻撃は防がれた。

「心配は無用。あと五分終わらせる。」

 男は低い声で答え、そのまま連続で攻撃を叩きこんだ。攻撃は全て防がれたが、最後の突きで異形を吹き飛ばした。

「ギィィ…。」

 異形は少し呻いて、その場に蹲った。男に攻撃が上手く決まったわけでなかった。

 異形の周りには呪いが立ち込めており、異形は呪いを呼び集めていた。

 それの人核は渇き、飢えて、混沌していた。人核は呪いを喰らい、貪り、肥大化していった。

「キィィィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 ゆっくりと立ち上がった異形の背中には、それの青白い肌とは裏腹の、黒いボロボロの布のような羽が生えていた。それの人核は破裂せんばかりの呪いを内包し、巨大化していた。

「こりゃあマズいな。」

 セフカがそう呟いて瞬間に異形は、手から黒の玉を男に向かって撃ち出した。弾には内包された呪いが濃縮されていた。

「グウッ!」

 男はハルバードで弾を打ち払ったものの、間髪入れずに異形が接近し、武器を振り下ろしてきた。防御はしたものの、異形は何度も武器を振り下ろした。男は堪らず攻撃の隙をついて、横っ飛びで避けて、光の玉を放った。

「ギャアウッ!」

異形は黒の玉で迎撃して、つかさず蹴りを放った。

「ガフッ!」

男は防ぐ間もなく、蹴りを脇腹に受けた。男の体は宙を舞い、石柱にぶち当たり倒れた。

男が立ち上がることはなかった。

「キィアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

異形はトドメだと言わんばかりに飛び上がり、武器を両手で持って押しつぶそうとした。

男の運命が決まる三秒前、異形の体が、いきなり横に吹っ飛んだ。

「確かに五分で終わったな。」

「言ッタ通リニナッタナ。」

 セフカは右手から血を流して、ナナは両腕に血の刃を生やしていた。

「あれはお前が食っていいぞ。」

 倒れている異形を指さしながら、セフカは言った。異形の体には、赤い槍の様なものが突き刺さっていた。

「オウ、味見ナラ任セロ。」

「グゥアアアウ…。」

 セフカの攻撃から立ち直った異形は、灰色の瞳で二人を睨んでいた。

「よう化け物!もう一本どうだい!」

 そう言うとセフカは、右手から滴る血で槍を作り、異形目がけて投げた。

「キアアアアアアアアアアアアッ!」

 異形は黒い玉を三発放ち、槍を撃ち落とそうした。

 槍はびくともせず、異形は横に大きく飛んでこれを避けた。

「ドコ見テンダヨ。」

 大きく飛んだ先にはナナが待ち構えており、両腕の刃で斬りかかった。

 着地の瞬間を狙われた異形は、防ぐのがやっとだった。

「マダマダァ!」

 ナナの連撃は速く、重いもので異形はどんどん追い込まれていった。しかし、

「アアアアアアアアァッ!」

「オット。」

 ナナの横薙ぎを打ち払い、少しよろめいたところに異形が渾身の一撃を振り下ろした。

 ナナは赤い霧となって、異形の一撃を躱し、眼前に迫った。

「ヨウオ爺チャン。」

 そういってナナは、それのくわくちゃな顔に蹴りをくれてやった。

「ギャッ。」

 異形は、床に体を打ちつけながら転がっていった。

 転がった先で異形が立ち上がろうと、顔を上げた時には、

「アバヨ。」

 異形は、刃で顔を貫かれて死んだ。



 男は勢い良く起き上がったが、脇腹の痛みによりすぐに臥せった。

「寝てたほうがいい。血が効くまではまだ掛かる。」

「貴殿は…。」

 男は短い黒髪に黒い瞳の、精悍な若い男性だった。

「あ、あの化け物!あの化け物はどうなったんだ!」

 男は大きな声で尋ねたが、また痛みで唸っていた。

「落ち着けよ、まず化け物だが…。」

 セフカが少し離れところにナナを指差した。

「あいつが今処理中だ。」

 ナナは今、異形の右足の大腿部に齧り付いていた。肉を?みちぎるブチブチという音や、滴る血を啜るジュルジュルという音が聞こえてきた。彼女に周りには、肋骨や鎖骨の破片に白い肉の切れ端、肝臓や腸やらが散乱していた。

 そんな散らかった彼女の食卓が、心臓だけは食卓からは離れた場所に置いてあった。まるで一番好きなものは最後に取っておく子供のような、見た目が十歳くらいの思春期真っ只中の少女である彼女らしい行動だった。

「ウッ…、き、貴殿らは一体…。」

 男は目の前の凄惨な光景に、思わず目を逸らした。

「俺たちは血術師(ブラッドメイジ)だ。だからああやって定期的に血を摂取する必要があるのさ。」

 セフカはナナの食事を微笑ましく見ていた。

「いい娘だよ。本当。俺の好物の心臓だけは、ああやって残してくれるんだから。」

 そして男に目線を映して、

「お前もそう思うだろ?鋼の意志さんよ。」

 セフカは嫌味たらしく言った。

 男は体を強張らせて、睨みつけた。

「まぁまぁそう構えるな。何もお前まで喰ってしまおうという訳じゃない。俺らの獲物はあれで十分だ。」

 セフカはナナが取っておいてくれた心臓を一瞥した。

「俺が欲しいの情報だ。」

「…情報?」

「そう。ヴァランの意志の暴力装置たる鋼の意志のお前なら、なんか知ってんだろ?」

 セフカは男の近くでしゃがみ込んだ。

「俺らもなぁ、ある人に頼まれてこの呪いについて調査しているんだが、そいつは非常にせっかちな奴で早々に解決しないと手酷い仕打ちを受けちまうんだ。慈悲深いヴァランの信徒であるあんたを見込んでのことだ。協力してもらえないだろうか。」

「……。」

 セフカは丁重にお願いをしたが、セフカたちが魔術師の中で最も忌み嫌われる血術師(ブラッドメイジ)であると知るや否や、男は状況を理解し、黙秘を決め込み俯いた。

「だんまりか…。まぁ正しい判断だな。」

 セフカはさらに男に近づいた。

「では、お前の流れる血に聞くとしようか。」t

 すると男の体は突如、鞭で打たれたかのように強張り、すぐに気を失った。

 ほんの数秒で男は目を覚ましたが、目は虚ろで瞳は赤色に変わっていた。

「…よし、ではまずお前の名を聞こうか。」

 男はゆっくりと顔をあげて、

「……スターク。……黒銀騎士の…スタークだ…。」

 スタークは焦点の合ってない赤い目で、ひねり出すようにポツポツと答えた。

「へえ(シルバー)騎士(ナイト)だったのか。こんな辺境に駆り出される訳だ。」

 セフカは意外そうに呟いた。

 鋼の意志の中で、管轄区域を持たず独立して活動している(シルバー)騎士(ナイト)のスタークが、ここに居ることは不思議ではなかった。協会からの直々の依頼で、スタークはこの呪いの調査をしていたのだった。

「次だ。この呪いについて、お前は何を知っている?」

「……詳しい事は…分からない…。ただ……この、場所から…山を二つ、超えた場所に……‥カリアンという…町がある…。そこで…妙な、噂を聞いた……。」

 スタークは途切れ途切れに話した。途中、首が痙攣したりあらぬ方向に曲がったりした。

「……真っ白な…服を着た……女が……、人を……連れ去って…しまうと……。」

「……女か。」

「掌握」の術は自らの血で、相手の肉体と精神を支配・服従させるもので、そこから得られる情報に嘘や偽りはあり得なかった。

「貴重な情報をありがとう。それでは最後だ。」

 セフカは右手で、スタークの頭を鷲掴みにした。

「ウゥ…。」

「お前はこのまま自分を派遣した教会まで戻り、この状況を報告しろ。そのときにこう付け加えろ。」

 セフカの鮮やかな赤い瞳で、スタークの顔を見据えた。

「人と命の守り人が、お前らを見ているとな。」

 セフカは言い終わるとスタークの頭から手を放し、その場から離れた。

 スタークは赤い目のまま立ち上がり、ふらふらと廃墟になった教会を後にした。異形から受けた傷は決して軽いものではなかったが、スタークはセフカの言われた通りに行動した。

「セフカゴ苦労様。」

 ナナはセフカがスタークの相手をしている間、ずっと異形を喰らい続けていた。そのせいでナナの口回りは真っ赤に染まっていたし、黒コートの下の白ワンピースにも、赤い大きな水玉模様を作っていた。

「俺がせっせと働いてんのに、お前は一人でランチタイムかよ。」

「ダカラコウヤッテ労ッテルンジャナイカ。ホレ、心臓ダ。」

 ナナは、異形の心臓を投げて寄越した。小振りながら、ずっしり重く血を滴らせるそれは、多くの血と呪いを閉じ込めていた。

「おう。」

 セフカは心臓をぞぶっと齧った。歯を入れたところから血が大量に溢れ出て、白シャツの襟を赤く汚した。身のしっかりした肉を咀嚼しながら、溢れ出る血をゴクゴクと飲んだ。

 老人の姿とはかけ離れたさっぱりとした味わいに、セフカは舌鼓を打った。

「うん。好きな味だな。呪いの濃さはイマイチだがそれに勝るフレッシュさがいいな。」

「マルデ赤ン坊ノ涙ノヨウダッタナ。」

 セフカは中の血を全て飲み干し、周りの肉を?み千切っていた。歯ごたえと弾力のある肉は老人の姿をした、異形の命を突き動かしていたものと思えなかった。

「うん。肉もいいな。瑞々しくて味も濃い。」

「マルデ赤ン坊ノ首ノ肉ミタイダッタナ。」

 セフカは、ナナの赤ん坊の例えを深く追求しなかった。

 心臓を喰らい終えたとき、彼の体に呪いが駆け巡り、また一つ化け物に近づいた。

「ふぅ。余は満足であるぞ。」

「何言ウトルカ。」

 ナナは頭をぺしっと叩いた。

 セフカは微動だにしない。

「さてそろそろ行こうか。」

「ドコニ?」

「カリアンという町だ。あの騎士の話によると、この件には一人の女が関わっているらしい。」

 セフカは血で汚れた襟や袖を手で拭った。数回擦るだけで、血のシミは跡形もなく消えた。

「ちゃんと綺麗にしとけよ。町に行くのに血まみれじゃあ門前払いだからなぁ。」

「ウィ。」

 ナナも白ワンピースに作った赤いシミを、グシグシと拭った。

「ほれここも。」

「ンン。」

 セフカは、ナナの赤く汚れた口元を親指で擦った。

 柔らかな薄い色の唇を指で弾くたびに、ナナはくすぐったそうに声を漏らした。

 セフカとナナの服のシミはすっかり取れて、新品同様とまではいかなかったが大分綺麗になった。

「早ク行コウ。モウココニ食イ物ハナイミタイダシナ。」

「お前は本当に食い意地張ってんな。」

「ホットケ。」

 死体と炎と食べカスを残して、二匹の化け物は次の目的知へと向かう。
































                 03

 カリアンは活気ある町だった。

 小さいながらも商業が盛んなこの町は、物や人で溢れ、呪いもまた甘い蜜のように絡み合っていた。

 セフカとナナは、中心街にある酒場で食事をとっていた。

 テーブルには、鉄板でいい音を立てながら焼ける牛肉が二皿と、薄く伸ばした小麦の生地にトマトやチーズ、肉を載せて焼いたものに、魚の切り身のブロックをそのまま高温の油で揚げたもの、ワインのボトルが置かれていた。

「たまには動物の肉もいいな。」

「アァ。薄味ダガ歯応エガイイ。」

 セフカとナナは、鉄板の肉を口に運びながら話した。肉にかかった玉ねぎとニンニクのソースが、二人の食欲をそそった。

「コノチーズノパイミタイナヤツモ旨イゾ。」

 ナナが口元からチーズを垂らしながら言った。

「あんまりがっつくなよ。」

「ワカッテルッテ……。ウグッ。」

 生地を次々と口に運んでいたナナの手が止まり、顔が青くなっていった。

「ほら言わんこっちゃない。ほれ。」

 セフカは、ゴブレットにワインを注いで渡した。

 ナナはゴブレットを奪い取り、勢い良く煽った。

「…ング…ング、…‥プハァ。死ヌカト思ッタヨ。」

「死なんくせに何言ってんだか。」

 セフカも自分のゴブレットに注ぎ、ゆっくりと口に含んだ。葡萄の芳醇な香りとコクが、口と鼻に広がった。

「うん。このワインはいいな。いい葡萄の味だ。」

「生娘ノ血ニ似タ味ワイダ。」

 セフカはまたも、ナナのエグい例えを無視した。

 それなりに賑わい、景気のいい声が響く店内に、入り口のドアが勢い良く開かれた。中に入ってきたのは、茶色や鈍色の鎧を着た兵士だった。皆帯剣しており、兜は着けていなかった

(ブロンズ)騎士(ナイト)か…。」

「たった今、この店は我ら鋼の意志の貸し切りだ。一般市民は出て行ってもらうか。」

 騎士の一人が、大きい声で店の客に告げた。すると、さっきまで自分たちの職場環境について愚痴り合っていた男達や、今日の取った客のルックスについて駄弁っていた娼婦達が一斉に席を立った。

 皆、騎士達を恨めしく見ながら店から出て行った。小さく舌打ちする者もいた。

 セフカとナナは動かなかった。

「……あん?」

 一人の若年の騎士が、動かない二人に近づいた。

「おい聞こえなかったのか? 今からここは鋼の意志の物だ。即刻出ていけ。」

「では後三十分待て。私はワインを飲むのに時間が掛かる方でな。」

 セフカは騎士を見ずにこう言い放ち、ゴブレットのワインを口に含んだ。

「ほう…そうか。おい! ここに異端者がいるぞ!」

 その言葉を聞いて、カウンターやテーブルに陣取っていた騎士達がわらわらと集まってきた。

 セフカは相変わらずワインを飲み、ナナは肉や生地を食らっていた。

「知っているか? この町では異端者は牢屋には行かないんだぜ。」

「その場で処刑が町のルールだ。」

 騎士の一人が剣を抜き、セフカの目の前に刀身をちらつかせた。

 セフカの手が止まった。

「どうした異端者? ブルっちまったかぁ?今ならに俺達全員に、跪いてつま先にキスしたら許してやらんこともないぞ。」

 誰かの馬鹿げた冗談に、騎士達は不愉快な笑みを湛えていた。。

 セフカはゴブレットを置いた。

「はぁ……。おいナナ。」

「…ンア?」

「金は多めに払っといてくれ。」

「オウ。」

 セフカは席を立ち、

「なんだ?最後の抵抗か?」

 そう言った騎士の横っ面を殴った。騎士は二回転くらい宙を舞い、後ろのテーブルに激突し、派手な音を立てた。

「……え。」

「なんだ貴様ら。俺は異端者なのだろう? 俺を処刑するのだろう? 殴られっぱなしで俺を処刑できるのか?」

 あまりの出来事に唖然としていた騎士達は、セフカの言葉で我に返った。

「お、思い知らせろぉ!」

 その言葉と同時に騎士達は剣を抜き、セフカに斬りかかっていった。

 ナナも席を立ち、奥のカウンターで縮こまっている壮年の男性に声をかけた。

「オイマスター。」

「ヘ、へい…。」

 男性は、その髭面には似合わない上ずった声を出した。

 ナナはカウンターの上に飛び乗り、男性を見下ろした。

「スマナイナ。ウチノセフカガトンダ粗相ヲシテシマッテ。」

 後ろから兵士が二人飛ん できて、カウンター奥の厨房に激突した。

「コレハセメテノ気持チダ。受ケ取ッテクレ。」

 ナナはカウンター上に小型の革袋を落とした。そこには、今二人が飲み食いした額の三倍近くの金貨が入っていた。

 ぼきゃっという何かが折れたような音が響き、直後に男の絶叫が聞こえた。

「店ノ修理代ニ充テテクレ。足リナカッタラ勘弁ナ。」

 ナナはふわっとカウンターから飛び降りて、出口の方に歩いて行った。

「毎度ありがとうございました…。」

 ナナの頭上を三人の騎士が宙を舞い、椅子やテーブルを破壊した。

 セフカは十数名の騎士相手に傷つくことなく、また一人も殺すことなくこの場を凌いだ。店内は割れた皿やビン、椅子やテーブルの残骸、その中で呻く騎士達で溢れていた。

「マア派手ニブチ壊シタモンダ。」

「あいつらがそうさせたんだ。文句はヴァランに言ってくれ。」

 ナナが入口前で独り言ちた瞬間に、セフカが赤い霧となって現れた。

「金払ったか?」

「オウバッチリダ。」

「そうか。あそこの店主には悪いことをした。料理も酒も旨かったんだがなぁ。もう行けなくなってしまった。」

 セフカは歩きながら残念そうに言った。店内であれだけ大暴れしたにも関わらず、彼の衣服には一切汚れやシワはなく、息も切らしていなかった。

「ドウシテ殺サナカッタンダ? アンナ奴ラ死ンデモ誰モ悲シマナイダロウ。」

「あいつら鋼の意志だったろう? ヴァランの意志の教会に目をつけられると、色々面倒なんでな。骨折程度で許してやった訳だよ。」

「フーン。」

 ナナは興味なさそうに返し、セフカの後ろを歩いた。

「デ、今ドコニ向カッテルンダ?」

「うん?宿屋だけど?」

「ナンダ野宿ジャナイノカ。」

「バカ。町中で野宿するやつが何処にいるんだ。」

 セフカは歩きながらナナに横に来て、彼女の手を握った。

 セフカがナナの手を少し強く握ると、彼女も同じくらいの力で握り返した。

「柔らかいベッドの方が、草の上よりか断然いいだろう?」

「ソレモソウカ。」

 傍から見れば二匹の化け物は、仲睦まじく家に帰る親子のようだった。



 セフカは、自室のドアがけたたましく鳴るので目を覚ました。

 部屋は一人用で、小さな椅子と鏡台とベッドがあった。ベッドも大人一人がギリギリ入るくらいのものだったので、セフカとナナは、体を横にして抱き合うように寝ていた。ナナに至っては、腕をセフカの胸に回し、足を太ももに絡めて寝ていた。

「おい!エイゼル・ルフトールはいるか!」

 ドアの向こうから、朝聞くに堪えない怒鳴り声が聞こえてきた。

 エイゼル・ルフトールはセフカの偽名で、この名で安宿に泊まっていた。

「……ンゥ。」

 ナナは煩わしそうに毛布を深くかぶった。セフカは、彼女が絡めていた腕や足をそっと外し、柔らかい白髪をそっと撫でた。

 ドアは未だ喧しくなっている。

「はいはい今行きますよ。」

 セフカはふらふらと歩き、ドアを開けた。

 ドアを開けた瞬間、何人もの(ブロンズ)騎士(ナイト)が部屋になだれ込み、セフカを取り押さえた。床に顔を押し付けられ、槍の穂先を向けられた。

「クッ…。ナナ!」

 セフカは、ナナの寝ているベッドを見て叫んだ。ベッドの上には誰もおらず、横にあった小さな窓が全開になっていた。

「まったく、よくできた娘だ。」

「静かにしてろ!」

 セフカが独り言ちたのを、騎士の一人が彼の顔をさらに押し付けて制した。

 部屋のドアからもう一人入ってきた。騎士の鎧は眩いばかりに、黄金に輝いており、胸の部分には大きな目の紋章があった。兜には二本の長い角が付いており、具足や手甲は、ぴったりと体のラインに沿うように作られていた。吊るしてある剣の鞘も黄金色だった。

 金色の騎士は、押さえ付けられているセフカの前に来た。

「エイゼル・ルフトールだな。」

 少し高めの男性の声で、セフカにこう尋ねた。

「さぁそうかもしれないし、そうじゃないかもしれないねぇ。」

 セフカの冗談を、黄金の騎士は悉く無視した。

「わざわざ(ゴールド)騎士(ナイト)様にお越しいただけるとはな。一体どのようご用件でしょうか?」

 鋼の意思の、最上級の地位である金騎士が、ただ一人の異端者を捕らえにこの安宿まで足を運んできたことに、セフカは驚いていた。

 本来なら、金騎士というのは余程のことがない限り、人前に現れることはなく、姿を見せるのは戦争の時くらいだというのが、セフカの認識だった。

 故に、セフカはこんな安宿に赴いているこの(ゴールド)騎士(ナイト)が、不思議でならなかった。

「我が隊の騎士達が、一人の異端者に手酷くやられたと報告があった。聞き込み等の捜査の結果、異端者が貴殿であることが判明した。」

 黄金の騎士は、倒れているセフカに向かって比較的丁寧に説明した。

 その場で処刑か、問答無用で教会で異端審問かと思っていたセフカは、拍子抜けしてしまった。

「貴殿には教会で勾留後、異端審問を受けてもらう。」

 黄金の騎士は他の騎士にセフカを立たせ、そのまま連行するように命じた。

「連れていけ。」

「ちょっと待ってくれよ。朝飯も食わしてくれないのか?」

 セフカの気怠そうに言った文句も無視され、引きずられるように宿を後にした。



「マッタク、セフカモ酷イヨナ。朝ッパラカラ働ケナンテ。」

 ナナは安宿の近くにあった屋台で、サンドイッチを買って公園のベンチで食べていた。

 サンドイッチは鶏肉の燻製に味の濃いチーズ、玉ねぎとトマトを柔らかいパンで挟んだもので、ナナは大口を開けて食べていた。

「セフカハ後デ助ケルトシテ、チョット観光デモスルカ。」

 もしゃもしゃとサンドイッチを完食し、ビン入りのレモネードで流し込んだ。レモンの爽やか酸味と蜂蜜の優しい甘さが、程よく調和していた。

「おはようお嬢ちゃん。いい朝だね。」

 一人の若い男性が、ナナに近づいてきた。長ズボンに皺のないシャツを着ており、茶色のハンチング帽をかぶった品のある男性だった。

「オハヨウ。イイ朝ダガ目覚メハ最悪ダッタゾ。」

「ははっ、親御さんに叩き起こされたかい?」

「マァソンナトコロダ。」

 男性は優しい口調で話した。彼の目からは殺意や邪心は感じられなかった。

「隣いいかな?」

「ドウゾ。」

 男性はナナの許可をもらい、隣に座った。

 公園は、タイルで舗装された広場が木々で囲まれており、木の枝を剣に見立て遊ぶ子供たちやその様子を優しい眼差しで見守る老夫婦など、和やかな雰囲気に溢れていた。

 ナナはサンドイッチと一緒に買った、芋を荒く潰して、薄く伸ばし揚げたものを食べていた。サクサクとした歯応えとほのかな塩味が、さらに食欲をそそった。

「君、昨日酒場で騎士達とやらかした奴の仲間だろう?」

「ソレハ危険ナ質問ダナ。」

 ナナは食べながら、男性を横目で睨んだ。

「あ、い、いや、だからどうこうしようという訳じゃないんだよ。うん。」

「フン。」

 男性は言い繕い、自身に関する危険を否定した。

「でも悪い事は言わない。早くこの町を出たほうがいい。」

 男性は神妙な面持ちで言った。

 ナナは表情を変えず、レモネードを飲んでいた。

「ここの騎士達は、自分が異端者を処罰できるのをいいことに、町ではやりたい放題さ。無銭飲食に人攫い、集団暴行。逆らった者はその場で処刑か、連行されて異端審問だ。これじゃあどっちが異教徒なのか分かりゃしない。ヴァラン様は上で何を見ているのやら。」

 男性は遠い目をしながら、不満を交え警告した。

「オ前ラノ神ハ何モ見チャイナイヨ。今頃ハ子作リニデモ夢中ニナッテンダロ。」

 ナナはレモネードを飲み干した。

「今のは聞かなかったことにしておくよ。」

 男性は、ナナの冗談を苦笑いで躱した。

「トコロデ地元民ノオ前ニ質問ガアル。コノ町ハ小サイナガラモ綺麗ナ場所ダガ、所々廃墟ミタイニナッテイルノハ何ナンダ?」

 ナナは、安宿から大通りを避けて裏道からここまで来たが、途中で無残に打ち壊されたレンガの家や、真っ黒に焼け焦げた木造の家を見た。それらが普通の家々に交じって点在していたので些か気になっていた。

「あれも騎士達のせいさ。異端とされた者はその場で処刑されて、家はああやって破壊されるんだ。騎士達は奇跡も使えるみたいでね。僕ら一般市民は為す術がないのさ。」

 本来、奇跡とは神の祝福を受けたタリスマンや杖を用いて、自身の仕える神の力の一部を引き出す術だ。しかし、奇跡の使用には多大なる信仰心と神への忠誠が必要となる。あの傍若無人な騎士達に信仰があるとは思えなかった。

「ナルホドナ。」

 ナナはそんな疑問を飲み込み、適当に相槌を打った。

「サテ、モウ行クトシヨウカ。」

「おやもう行ってしまうのかい。」

「アア、知リタイコトモ知レタシ飯モ食ッタ。大満足ダ。」

 ベンチから立ち上がって、黒コートと白ワンピースを軽く払った。

「ソレトナ。」

 ナナは男性の方を見ずに言った。

 男性はぼんやりと彼女を見ていた。

「オ前ラノ神ハ、人間ナンテ見チャイナイガ、オ前ラモ神ナンテ見チャイナイダロ。オ前ラガ見テンノハ神ノ力ダロ。」

 ナナはベンチから数歩歩いて、

「ソレニ祈リヲ捧ゲタトコロデ、ゴミ程ノ価値モナイノサ。」

 赤い霧となって公園から消えた。 

 男性は何も言えなかった。



 木造の廃墟にナナは足を運んだ。結構大きな住居で、元は貴族や資産家の物だったのだろう。

今は、黒く焼け焦げた壁や抜けた天井の木片が散乱し、タンスやテーブル、ベッドも黒く炭化していた。

「ココハイイ場所ダ。濃イ呪いイガ更ナル呪イヲ集メ、呪詛溜マリト化シテイル。」

 ナナはこの家の、恐らく応接間であっただろう場所のソファに座っていた。これも黒く炭化していたが、黒コートの上から座っていたので汚れは気にならなかった。

「ウン、空気モ重イシ暗イシ最高ダナ。」

 ナナは深呼吸をして、嬉しそうに言った。

「セフカモ連レテ来ルベキダッタナ。」

 そう独り言ちたとき、ドンドンと大きな音が聞こえた。ドアを強く叩くような音だった。

「ンア? ナンダ?」

 ナナはソファに座ったまま、音の鳴っている方を見た。応接間を出て、通路の一番奥にある寝室から鳴っているようだった。

「迷子ノ迷子ノ幽霊ガ、誰カヲ探シテイルヨウダナ。」

 ソファから飛び上がり、ナナは寝室へ意気揚々と向かった。

 寝室は、とても大きなダブルベットに天幕の骨組みが、何れも炭化して置かれていた。その横には鏡台と衣装タンスも置かれていた。

 音は衣装タンスから鳴っていた。ガタガタと小刻みに震え、バンバンと中から聞こえる音は如何にも、中に何かがいることを示していた。

「……。」

 ナナはタンスのドアに手を掛け、開けた。その時、体はドアの方に逸らした。

「うわあーーーー! あれっ?」

 中からパジャマ姿の少女が、勢い良く出てきた。

「わああっ!」

 勢い良く出てきたので、少女は床のささくれに躓いて転んだ。恐らくは派手に登場して、相手を驚かせたかったのだろう。

 ナナは、転んで仰向けになっている少女に近づいた。

「オイ大丈夫カ?」

「ええ大丈夫よ。ありがとう。」

 少女は服の裾を払いながら立ち上がった。

 彼女の体は、セフカの古城に居るファントムと同じく青白く発光しており、実体がなかった。

「ってあなた、私が怖くないの?」

 少女は、平然と話しかけてきたナナに、目を丸くしていた。

「私ノ家ニハオ前ミタイナ奴ガワンサカ居ルカラナ。大シテ珍シクモナイ。」

「ふーん。つまんないの。」

 少女はナナの答えに、眉をひそめた。

「ねえ、あなた何処から来たの?」

「私カ? 私ハ他ノ町カラ来タンダ。父サント一緒ニ観光ニナ。」

「まぁよそ者だったのね。私、この町から出たことがないの。色々お話してくれないかしら?あ、私はフィーバっていうの。」

「私ハ、ナナダ。」

 二人は少し遅めの自己紹介をしたあと、ナナは自分が外で見てきた物を話した。ほとんどがセフカの古城とその周りの森の事についてだったが、フィーバは「まぁすごい!」や「ほんとうなの?」と興味津々に聞いてくれたので、ナナは詰まることなく話すことができた。特に「ある森ではひと月に一回、首が二股に分かれた馬が武装された馬車を引いて暴走している。」という話を、特に熱心に聞いてくれたのが少し可笑しかった。

 ひとしきり話したところでナナは質問した。

「ソウイヤナンデオ前ハココニ居ルンダ?」

 それまで笑顔で話しを聞いていたフィーバの顔色が曇った。

「それが分からないの。お父さんとお母さんが居たんだけど、買い物に出かけたまま帰って来なくなっちゃったの。その後、家に神父様が来てくれて教会に連れて行ってくれたんだ。私、そのときとてもお腹が空いてて…。神父様はパンやスープを食べさせてくれたわ。それから私眠っちゃって…。気が付いたら家に戻っていたの。もうお腹も空かないし眠くもならないわ。」

 俯きながら話していたフィーバが、急に顔を上げた。

「でも寂しくもないの。ここは凄く暖かくて、それにとても落ち着く。まるでお母さんの腕の中にずっと居るみたいに。家は黒焦げになっちゃったけど、でもドレスは無事なの。とっても綺麗なのよ。」

 フィーバは、小走りでさっき自分が隠れていたタンスに駆け寄った。

「ほら見せてあげる。」

 フィーバはタンスを開けて、

「どう?すごいでしょ?」

 上品な青色のドレスを取り出した。ふわっとしたボリュームのあるスカートには水色のレースが巻き付けてあり、花の刺繍がレースの縁を飾っていた。腰から上は体に合った作りになっており、袖の部分も花の刺繍があしらわれていた。

「オオゥ綺麗ダナ。」

「でしょでしょ!お母さんが大きくなった着なさいって作ってくれたんだ。」

 ナナは相槌を打ちながら、フィーバのドレスに目を凝らしていた。

 青色のドレスはかなりの呪いを集めていた。ナナの目にはドレスが黒の靄に包まれ、周りを飛び交っていた。この場所が特に呪いで満ちていたのは、このドレスのせいだった。

 ナナはフィーバに向かって言った。

「オ前、モシカシテ此処カラ出ラレナインジャナイノカ?」

 フィーバはお気に入りのドレスを褒められて、小躍りしていたを止めた。

「あなたよく分かったわね。そうなの。私、この家から出ようとすると何故か気が遠くなっていつの間にか、この場所に戻ってるの。」

 不思議そうに首をかしげながらフィーバは言った。

「ソウカ、ナルホドナ。」

 ナナはフィーバをじっと見ていた。哀れみと悲しみを帯びた眼差しだった。

「モウ一ツ聞イテモイイカ?」

「ええ。何でも聞いて?」

 ナナはゆっくりと言った。

「オ前、ドウシテ死ンダンダ?」

 フィーバの表情が凍り付いた。

「……もしかしてあなた、教会の人?」

「イヤ、本当ニ他ノ町カラ来タンダ。ソレニ教会ノ人間デモナイ。ソレハ約束シヨウ。」

 今度はフィーバがナナを見つめていた。何か不信なところを探している疑惑の目だった。

 しばらく見つめているとフィーバは、諦めたように溜息をついた。

「……やっぱり私死んでたのね。わかってたわ。いつまで経っても眠くもならないし、お腹も空かないんだもの。きっとお母さんもお父さんも……。」

 フィーバは消え入りそうな声で言った。

 きっと彼女は寂しかったのだろう。始めの溌剌した感じは、孤独で消え入りそうだった自分の姿の裏返しだ。そして彼女の孤独が、苦痛が、怨念が、知らず知らずのうちに呪いを集めてしまったのだろう。この家は、そんな彼女を縛りつけ、癒してくれる唯一の場所だった。

「でも死んだしまった時のことは、どうしても思い出せないの。本当に、どうしても。」

 フィーバはこのまま、本当に消えてしまいそうな程、か細い声で続けた。

 ナナはそんな彼女に、何もしなかった。何もできなかった。

「覚えているのは…。」

 フィーバは寝室にある大きい窓から景色を眺めた。外から昼下がりの日差しが差し込み、実体のない彼女の体が薄れた。見える木々や建物の向こうから、ヴァランの意思の教会が薄っすらと見えていた。

「あそこにある教会を見るたびに、言いようもない怒りを感じるの。まるで炎の塊がグツグツと煮えたぎるような。なんでだろう。生きているときは、そんなことなかったのに。」

 フィーバの声が微かに震えた。此処に溜まった呪いがさらに濃くなった。

「怒リ、カ……。」

 ナナは小さく呟き、窓際のフィーバを見た。

「ナァ、フィーバ。」

「うん?」

「オ母サントオ父サンニ会イタクナイカ?」

 フィーバは目を見開いてナナを見た。目には涙が溜まっていた。

「会いたいわ!会いたいわよ!でもどうすることもできないの!こんなにも独りぼっちでも、寂しくても、寒くても、誰も助けてくれない。救ってくれないの!」

 フィーバは絶叫した。彼女が集め、縛られていた呪いが幾重もの奔流となって、家中を駆け巡った。彼女の絶叫は、ナイフが飛び交う大嵐のような攻撃性と秘めていて、打ち捨てられた子猫のような孤独を帯びていた。

 ナナは絶叫を直に浴びたが、腕や足の先を少し切っただけだった。

「フィーバ。」

 呪いの奔流が直撃しているにも関わらす、平然とフィーバに近づいた。

「フィーバ!」

 ナナの強い呼びかけにフィーバは我に返った。呪いの奔流も彼女の中に入り込んで収束した。

「ご、ごめんなさい。少し取り乱しちゃ…。」

 フィーバの謝罪を聞く前に、ナナは彼女を抱きしめた。実際には触れることは出来ないため、ナナの白く細い腕が彼女の体を包んだだけだった。

「モウ、何モ言ウナ。」

 ナナは静かに、優しく言った。

「私ハオ前ヲ救エナイ。人間デアッタオ前ノ救済ハ出来ナインダ。デモオ前ノ願イハ叶エテヤレル。」

 ナナは静かに続けた。

「今夜辺リ、オ母サントオ父サン会エルゾ。」

 その言葉を聞いて、フィーバは涙声で尋ねた。彼女の実体のない腕がナナを包み込んでいた。

「……本当?本当にお母さんとお父さんに会えるの?」

「アア。人間ハ嘘ヲツクガ、人間ジャナイ私ハ嘘ヲツカナイ。」

 フィーバは抱きしめられながらナナの顔を見た。薄い赤色の瞳に、彼女の泣きはらした顔が映り込んでいた。

「……あなた、本当は誰なの?」

「オ前ト同ジ、コノ世ニ未練タラタラノ亡霊(ファントム)ダ。」

 ナナは自嘲気味に言った。

 フィーバが飛び出した衣装タンスには、白骨体が転がっていた。それは小さく膝を抱えた体制で所々に黒ずんだピンクの布切れが付いていた。



「……‥でお前は日が落ちるまで、俺をブタ箱の中に放置してたって訳か?」

 セフカとナナは、前日に夕食を取っていた酒場にいた。大きめのテーブル席に座っており、溢れんばかりの料理が目の前に置かれていた。そのほとんどが肉で、大きなレンガ程のブロック肉が鉄板でいい音を鳴らしていた。

 セフカは不機嫌そうに、眉間に皺を寄せ肉を切り分けていた。

「ダカラコウシテ詫ビ入レテンジャンカヨォ。」

 ナナもセフカと同じように肉を切り分けていた。酒場には、客はセフカ達以外誰もおらず閑散としていた。正確には、店内にセフカ達が入ってきた瞬間、他の客が一斉に逃げるように出て行ったのだった。店主である壮年の男性も、不安げな眼差しでこちらを見ていた。

「だからって半日も放置されるとは思わなかったぞ。」

「コッチダッテサボッテタ訳ジャナイ。チャント調査ハシタンダゾ?」

 ナナは、セフカのゴブレットにワインを注いで手渡した。昨日と同じワインだった。

「そのフィーバっていう女の子が、呪いの根源になるかもしれないってことか。そして、エストゥーダみたく化け物を作り出してしまうと。」

 セフカはワインを一気に煽って一息ついた。昨日と変わらず芳醇でまろやかなコクがあった。

「そして、お前は幼女との雑談に花を咲かせていたと。」

「フィーバガ離シテクレナクテツイ、ナ…。」

「何がつい、な…だ!幼女絡みの案件で何故俺を呼ばない!しかもパジャマ姿なんて相当レアもんじゃないか。何で全世界の幼女の味方たる俺を紹介しなかったんだよ。」

「エヘヘッ。」

「えへへじゃないが。」

 セフカはナナの、その姿に見合った可愛いリアクションで完全に惑わさていた。

「……‥まぁいいや。可愛いから許す。」

「ヤッタァ☆」

 ナナの、年相応の嬉しそうな姿やはにかんだ姿は、破壊的な可愛さがあった。

「ソレデ、セフカモ何カ分カッタコトアンノカ?」

 ナナはいつも口調に戻した。

「ああ。教会のブタ箱にいる間、何人かの騎士に術を使って此処の内情を調べた。そしたら結構おもしろいことやってたぜ。」

 セフカは、肉でワインを煽りながら、戻ってしまったナナの口調を名残惜しんでいた。

「ヘェ何ナノサ。」

「これだよ。」

 セフカはそう言って、口に指を入れて中を引っ?いた。口の端から血が垂れていた。

 彼は向かいに座っていたナナの顎を上げて、口づけた。

 ナナはただ平然と、セフカの口づけを受け入れた。

「…ンゥ……ンム…。」

 ナナは、口の中でセフカの血を感じた瞬間、彼女の中に記憶が流れ込んでいた。

 切り殺される夫婦、射殺される老人達、焼き殺される赤子、刺殺される家族、混沌として凄惨な映像が次々と映り込んでいた。

 その中の映像に見知った顔があった。部屋の中に裸同然の姿をした少女達が、怯えながら隅に集まっていた。無骨な腕が少女達を引きずり、乱暴の限りを尽くしていた。騎士達の暴力、恥辱、凌辱が、恐怖で震える彼女達の体に向けられていた。フィーバはそこに居た。

 フィーバは、ナナと出会った時のピンクのパジャマ姿で、男の欲望を受け止めていた。男は騎士ではなく、真っ白な髭を生やした老人で、白い法衣を着ていた。年甲斐も無く腰を振るその姿は、化物のようだった。

 彼女の表情は空っぽだった。彼女は二度殺されたのだった。

 ナナはセフカの唇を離した。離す時に赤い橋が架かった。

「セフカ、一ツダケイイカ。」

「何だ?」

「コノ白イ服着タ腐レジジイハ誰ダ。」

 ナナの目は殺意に満ちていた。薄い赤色の瞳が深紅になった。

「そいつはこの教会の教区長で、鋼の意思の騎士達の長だ。今見た通りの変態野郎で、この遊びを始めた張本人だ。」

 セフカの低い声で言った。彼の目も殺意で満ち満ちていた。

「ソレダケ分カレバ十分ダ。」

 ナナは静かに言ったが、彼女の人核に内包されている闇や呪いは、ドロドロに煮えたぎって爆発寸前だった。

「おい落ち着けよ。仇討ちは…。」

 セフカは近くの窓から町の様子を見た。外は、煌々と赤く燃えて、悲鳴や怒号が響いていた。

「この後だ。」

 店内に呪われし者が5体程入ってきた。

 それらは人の形は保っていた。しかし、肌は緑や灰色に変色し、目も濁り、体は斬られたような傷が大量にあった。皆、武器を持っており、長剣や短剣やらには黒い靄が掛かっていた。

「ほう、今度は正統派できたか。」

 セフカのそんな呟きをきっかけに、呪われし者達は一斉に、二人に襲い掛かってきた。

「そりゃっ。」

 セフカは空になった鉄板を先頭の二匹に投げつけた。鉄板はまだまだ熱々で、頭部に直撃した。二匹は呻きながらたたらを踏んだ。

 その隙に、ナナは赤い霧となりそれらの頭上へ移動した。同時に両腕から血の刃を生やし、着地と同時に二匹の背中を切り捨てた。

「ギィィィ・・・・・・・・。」

 二匹は小さく苦しんで死んだ。

 他の三匹は、死んだ二匹のことなどお構いなしに、未だ席に座ったままのセフカに飛びかかっていった。

 セフカは右手の平から血の槍を出した。彼の伸長より頭一つ分長いそれは、先端が刀剣のように鋭かった。彼は席から動かず、槍を一気に薙いだ。

 向かってきた三匹は何れも、腰から下を切り離されて死んだ。

「オイセフカ。コイツラノ人核ヲ見テミロ。」

 セフカは上半身だけになっている死体を掴みあげて、中にある人核を見た。

 人核は、辛うじて人の形をしていたが、表面は狂気的に飢えており、内包されている闇は呪いと混ざり合い、形容しがたい色をしていた。

「なるほど。エストゥーダの時とは違うというわけだ。」

 セフカは死体を投げ捨てながら答えた。

「ナナ、こいつの大元をさぐれるか?」

「今ヤッテルヨ……。ア、イタイタ。町ノ入リ口辺リダ。ナンカ鐘ガ鳴ッテイルナ。喧シイッタラアリャシナイ。」

「鐘だと?」

「アア、グワングワント鳴ル錆ビツイタ鐘ガ、二ツ程ナ。」

 ナナは死体から発せられている呪いを辿り、発生源を探し当てた。

「じゃあその鐘のところまで行くとするかね。」

「オウ。」

 セフカとナナは、酒場を出ようとした。

「あ、おいマスター。」

「へ、へいっ。」

 カウンターの隅で蹲っていたマスターは、素っ頓狂な声を上げて顔を出した。

「この町はもうお終いだ。早いとこ逃げたほうがいい。マスターだってこいつみたいに緑色になりたくないだろう?」

「ヒィィッ!」

 酒場のマスターは悲鳴を上げて、カウンターの奥に消えた。セフカ達の食事代はどさくさに紛れてタダになった。



 町中を逃げる男が斬り殺された。斬り殺された男は暫くすると立ち上がり、近くにあった包丁で必死の形相で逃げる女を刺し殺した。暫くすると女は立ち上がり、炎の合間を縫って逃げる兄弟の喉元に食らいついた。

 こんな感じでカリアンの町は終わろうとしていた。

「何なんだこいつ等は!まるで流行り病みたい増えやがって!」

 何処からか、騎士の怒号が聞こえてきた。今頃は鋼の意思の騎士達は、化物共の対応に追われていることだろう。

「それは呪いだ。お前らの神が捨て去り、打ち壊し、置き去りにしてきた物だ。」

 セフカとナナは、町の往来の中央を悠々と歩いていた。

 セフカは槍を、ナナは刃を両手に持っていた。

 灰色の肌をしている女がナイフを持って、フラフラと近づいてきた。女の腹には向こう側の景色が見通せるくらいの大きい穴が空いていた。

 セフカはそれの頭を串刺しにして、振り回して炎の中に突き飛ばした。

「そして今のこれは、その報いだ。寄り集まった幾万の呪詛が、お前らを迎えに来たんだよ。」

 今度は少年の二人組が走って飛びかかってきた。頭や首に斧や刃物が刺さっていた

 ナナは振り返り、二人に刃を振り下ろした。二人はそれぞれ縦に裂かれて死んだ。

「オ前ラノ神ガ愛サナカッタモノガ復讐ヲ果タシニ来タンダ。」

 絶叫と悲鳴が飛び交う地獄の底を、二人の化物が歩いていた。鐘の音が近くなっていた。

「ほう、近いな。」

 確かに、歩くほどにこの地獄の巷にそぐわない鐘の音が大きくなっていた。何かを祝福しているようなその鐘は、町の入り口で鳴っていた。

「アレダナ。騒音被害ノ元凶ハ。」

 柱に括り付けられた鈍色の鐘が二つ、大きく揺れていた。ぐわんぐわんと喧しく鳴るそれは、重い音色が響くたびに、呪いが集まっていた。鐘を鳴らしていたのは「沼の底」やエストゥーダで見た鳥頭の呪われし者だった。一心不乱に上を見上げ、鐘を揺らしていた。

 セフカは二体にむかって血の釘を放った。

 呪われし者二体は、向かってきた釘を鐘で払い消した。

「おお打ち消したか。精鋭部隊と見えるな。」

 二体は鐘を激しく鳴らし、呪いを集めて、飛沫のように撃ちだした。

「セフカ。」

 数十発の呪いの弾とセフカの間に、ナナが割って入った。

 ナナは背中から、赤黒い触手が大量に寄り集まった物を二本出した。彼女はそれを、壁のように展開にして防御した。

 呪いの弾は触手に吸い込まれるように消えた。

「呪術が使えるとは…。生前は優秀な魔術師だったのだろうな。」

 セフカは右手の平を中指で傷付け、血を出した。

「だが本当の呪術とは…。」

 右腕を空に掲げて、呪いを集中させた。それはセフカ自身の人核から引き出したもので、あらゆる欲望、絶望、渇望が濃縮されていた。彼の「慟哭」の術は、小さな屋台ほどの大きさに膨れ上がっていた。

「こういう物だ。」

「慟哭」の術は、二体に向かって容赦無く飛んで行った。術の強大さに恐れをなした二体は、鐘を捨て去り逃げ惑った。

 術は炸裂し、濃縮された呪いが一気に開放された。呪いは二体を消し飛ばし、辺り一帯を、生命の存在できない場所と化した。草木は枯れ、石は砕け、炎は消え、人は死に、一切合切が砂となって消えた。

「ヨシ。騒音被害ハ無クナッタゾ。」

 ナナは伸びていた触手をしまいながら言った。

「これで呪いの浸食は防げた訳だな。」

 セフカは右手を払いながら答えた。手の平の傷は消えていた。

「デハ第二回戦ト行コウジャナイカ。」

「そうしようか。」

 二人の目に、言いようもない殺気と狂気が宿った。

「アイツハ今ドコニイル?」

「詳しくは分からない。ただ予想するならあいつは教会にいるはずだ。一人でいるより協会にいた方が、騎士達が守ってくれるし安全だからな。」

「分カッタ。」

 二人は教会へゆっくり足を運んだ。

 教会は、中心街から少し外れたところに在り、聖職者達の建物にしてはかなり大きな建物だった。真っ白な石造りの建物で、大きな木製の扉にはヴァランの意思のシンボルが刻まれていた。

 扉の両端には、(ブロンズ)騎士(ナイト)が立っており血の付いた槍を持っていた。入口の付近の道端には、人間の死体が転がっていた。体は変化しておらず、人核も正常だった。

「むっ、止まれ!何者だ!」

 騎士二名は近づいてくるセフカとナナに向かって、槍を突き出した。

「ここには今、教区長様がいらっしゃっている。教会に立ち入ることは出来ない。騒ぎの鎮静化なら他の騎士達がやっている。一般市民は自宅にて待機だ。」

 セフカとナナは歩みを止めない。

「聞こえなかったか!自宅待機だ!」

 歩みは止まらない。

「おのれ異端者め!なら我らが正義の槍を受けるがいい!」

「正義だと?」

 セフカは地の底から響いてくるような、低く冷たい声で言った。

 騎士二名は一瞬たじろいた。

 その時、二人は赤い霧となって消えた。

 二人は背後に回り、生やした血の刃で首を切り落とした。ナナは身長が足りなかったので、軽くジャンプして斬った。

 二名は音も無く、血の海に沈んだ。

「正義の名の下に、助けを求めた一般市民を殺したのか? この…神の力の狗に成り下がったくだらない生き物め!」

 セフカは絶叫した。

「ナナァ!」

 ナナは騎士の死体の足を掴み、勢いよく放り投げた。

 死体は扉をぶち破り、教会の最奥にある祭壇に激突した。

 祭壇前には、多くの(ブロンズ)騎士(ナイト)が集まっていた。その中にはセフカの血の中で見た、白い法衣の男も居た。

「何だ!何事だ!」

 法衣の男は年甲斐もなく騒いだ。

 セフカとナナは、教会の中にゆっくり入った。

「何だね君達は! どうやってここに入った!この死体は何だ!」

「あ、アイツは! 教区長様、アイツは今朝連れてこられた異端者です。この混乱に乗じて我々に復讐しに来たのです。」

 (ブロンズ)騎士(ナイト)の一人が、法衣の男に耳打ちした。

 セフカは進みながら、右手を前に挙げた。すると祭壇に投げつけられた死体から、赤い霧が吹き出し、辺りを包み込んだ。

「ほお異端者か。異端者ならば仕方ない。皆の衆!光王ヴァランの名に懸けて、あやつらを根絶やしするのだ!討ち取った者には褒美を取らせる!」

 法衣の男の命令に、騎士達は雄叫びを上げて二人に向かっていった。霧の事を気に留める者など誰も居なかった。

「動くな。」

 セフカは一言だけ言った。

 すると、武器を構えて飛びかかってきた騎士全員と、勝利を確信してほくそ笑んでいた法衣の男がその場で、完全に静止した。

 「掌握」の術により彼らは、セフカに支配された。

「何だ。どうなってやがる!」

「くそっ!動けねぇ!」

「何しやがった。畜生っ!」

 騎士達の品の無い有様に、セフカはため息をついて、

「喋るな。」

 気品溢れる静寂をもたらした。

 二人は騎士の群れを通り過ぎ、気持ち悪い笑いのまま固まっている、法衣の男の前に来た。

「お前が教区長か。」

 法衣の男は答えなかった。

「ああ、話せ。」

「……‥カハッ!……‥ゲホッ!…。貴様ら、この私が誰だか分って…。」

「喋るな。」

「コイツデ間違イナイナ。」

 ナナは冷たく言った。

「じゃあ後はお前に任せよう。フィーバはお前に託したみたいだしな。」

「ウン、アリガトウセフカ。」

 ナナは教区長の方を向いた。

「話セ。」

「グホッ!…ゲハァッ!……‥。お、お前らはい、一体何なんだぁ!」

 教区長は、この状況を理解してなかった。

「イイカ教区長。今カラ二ツ質問ヲスル。正直ニ答エテモ答エナクテモイイ。ダガ正直ニ答エタ時ニハ、オ前ヲ解放シテヤロウ。」

「な、何を言って…。」

「一ツ目。オ前ハヴァランノ意思ノ信徒トシテ、教区長トシテ十分ナ役目ヲ果タスコトガデキタカ?」

 ナナは淡々と質問した。

「私はここの教区長だぞ!人々のために尽くし、人々のために祈りを…。」

「喋ルナ。」

 教区長は喋り方が、ナナには無性に気に障った。

「二ツ目ダ。」

 ナナは続けた。

「オ前ハナゼフィーバヲ殺シタ。…話セ。」

「ゲホゲホッ!……‥それは誰だ。何の話だ!」

 教区長は嘘を付いた。

「…ソウカ。……‥ワカッタ。」

 ナナはため息を付いた。

「ジャア死ネ。」

「え?」

 ナナは背中から触手を繰り出し、教区長の足を絡めて持ち上げ、逆さ吊りにした。

「アアモウ動イテモイイゾ。オ前ハ嘘ヲツイタ。ダカラ殺スコトニシタ。」

「な、何故だ!正直に答えなくてもいいと言ったじゃないかァッ!」

「ホウ、ヤッパリ嘘ヲツイテイタノダナ。コノ腐レ背信者ガァッ!」

 ナナは吊り下げた教区長を大きく振り上げて、石畳に思い切り叩きつけた。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 教区長の顔は血塗れになっていた。もう一回叩きつけた。

「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああっ!」

 ベキョッと頬骨や鼻が折れる音がした。もう一回叩きつけた。

「んぎゃあああああああああああああああああああああっ!」

 グキョッと眼底の割れる音がした。もう一回叩きつけた。

「きゃああああああああああああああああああああああっ!」

 グキャッと顎の砕ける音がした。ナナは叩きつけるのを中断した。

「……‥ああ〜〜。だずげて〜。だでが〜だずげでぐで〜…‥。」

「貴様ガ…。」

 顎が砕けて言葉にならずとも、未だに自分のことしか考えていない教区長を見て、ナナは激怒した。もう一回叩きつけた。

「貴様ノタメ二!」

「ぐぎゃあっ!」

 歯が砕けた。叩きつけた。

「ナゼフィーバガ!」

「ふぎゃあっ!」

 肩が外れた。叩きつけた。

「二度モ!」

「ッギィッ……!」

 首の骨が折れた。叩きつけた。

「殺サレナキャ!」

「……‥。」

 頭蓋骨が割れて脳漿が飛び散った。ナナは教区長を祭壇上に、振り回して投げた。壁一面に血と脳漿がまき散らされた。

「ナランノダァァァッ!」

「……‥。」

 教区長は祭壇上のシンボルに、背中から激突した。ナナはつかざず血の槍を出し、教区長の頭目がけて思い切り投げた。槍は見事に頭部を貫き、教区長をシンボルに磔にした。

「……‥ハァ……‥ハァッ…。」

 ナナは赤い瞳をあらん限りに見開いて、

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 力の限り叫んだ。教会内のガラス全て割れ、拝礼者用の椅子も、入口の扉も全て吹き飛んだ。

「掌握」の術で静止していた騎士達も、静止したままの体勢で吹き飛ばされた。壁に激突した者もおり、腕や足を折った者も居た。

 セフカだけがその場から動かず、ナナの処刑を只々見ていた。

「終わったか。」

「アア、コレデオ母サントオ父サンニモ会エルハズダ。」

 ナナはそう言って、膝から崩れ落ちた。

 祭壇上のシンボルは、磔にされた教区長で血塗れになっていた。

「珍しいな。お前が少女であれ人間に肩入れするなんて。」

 セフカは手を差し伸べるわけでもなく、淡々と言った。

「……‥確カニ人間ハ嫌イダ。汚クテ醜イ泥人形ダ…‥。デモ私ハ聞イタンダ。二度殺サレテモ消エナイ彼女ノ意思ヲ。彼女ノ呪イヲ・・・・! ソレヲ見テ見ヌフリハデキナカッタ。」

 ナナは崩れ落ちたまま、項垂れていた。

「悪カッタナ。私情デヴァランノ意思ト敵対スルコトニナッテシマッテ。」

「いいさ。幼女の敵は俺達の敵だ。神の敵になることも初めてじゃないしな。」

「コノ変態メ。」

「よく言われる。」

「……‥アリガトウ。」

 ナナはゆっくりと立ち上がり、ちいさな声で、だがはっきりとお礼を言った。

 そして二人は教会を後にした。騎士達は術にかけたままだった。

「…‥おっと忘れてた。」

 教会の入り口から少し進んだところで、セフカは教会を見た。

「罪に罪を重ねたところで、大して変わらんだろ。」

 そう言いながら、セフカは左手首を引っ?いて血を出した。手首を伝って滴り落ちる血は、高い純度の熱と呪いを秘めていた。

 セフカは左手から流れる血を、教会を向かって飛ばした。

 飛んだ血はごく少量だったが、セフカの手を離れた瞬間に巨大な炎の奔流となった。「業火」の術は瞬く間に教会を包み、燃やし尽くした。

 教会の中で、人の声はしなかった。

「火葬マデシテヤルトハナ。親切ナコトダ。」

「俺達は聖職者だぞ。ちゃんと丁重に葬ってやるさ。」

「ナラ私ノヤリ方ハ、アマリ相応シクナカッタナ。」

「そうだな。後でレアからビンタもらうかもな。」

 二人の化物はカラカラと笑い合った。

 そのとき、前から光の槍が二人目がけて飛んできた。夜の闇に煌きながら飛ぶそれは、二人の腹と肩を貫いた。

 二人は倒れも出血もぜずに、ただそこに立っていた。

「……‥何故だ。何故倒れない。」

 槍が飛んできた方向から、金色の鎧の騎士が現れた。セフカを拘束した時にいた騎士と同じ

目の紋章が、鎧に刻まれていた。

「さぁ? 死ぬのが少し下手くそでね。」

 セフカは、腹に穴が空いたまま冗談を言った。

 金色の騎士は、その派手な鎧とは裏腹に、細身の簡素な長剣を携えていた。

「黙れ異端者! …‥ああ何という事だ。我らの象徴が…正義の象徴が…。」

 未だ火勢衰えなく燃える教会を、金色の騎士は愕然として見ていた。

 二人の傷はもう元に戻っていた。

「異端者共。一つだけ聞かせろ‥‥。何故こんな真似をした!」

 金色の騎士は、長剣を構えながら叫んだ。

「ふむ。何故、か…。深い問いだな。特に理由はないが…。強いて言うなら、正義のためだな。」

「オ前ラト同ジダヨ。クソ聖職者。」

 二人はニヤニヤしながら騎士を見ていた。

「そうか。お前らことはよく分かった。」

 金色の騎士は、左手に括り付けられているタリスマンに意識を集中させて、

「なら私も、我が神の正義を以って、貴様らを討ち果たすまでだ!」

 光の槍を二本同時に放った。

 セフカとナナは、赤い霧となって左右に避けた。

「ハッ。神の力の狗に成り下がった者に、俺達は殺せない。」

 そう言ってセフカは、血の釘を放った。

 騎士は長剣で釘を打ち消した。何本か防ぎきれず鎧に当たったが、刺さりはせず鎧に触れた瞬間に消滅した。

「さすがは最高位の(ゴールド)騎士(ナイト)だ。武器も防具も物が違う。」

 セフカは左手を引っ掻いて血を出し、

「だがそれだけだ。」

 その手を地面にめり込ませた。

 血の棘の術により騎士の立っている場所から、赤色の棘が無数に生えてきた。結晶状で鋭利なそれは、赤光煌く草原を地面に作った。

 騎士は、後ろに飛んで避けた。

「まだまだ行くぞ。」

「チィッ!」

 血の棘は追い詰めるように、次々と地面から生えてきた。

 騎士は避けるだけの防戦一方だった。

「クッ…! 異端の神の奉じる術で、この私が倒せると思うか!」

 タリスマンを目の前に掲げ、意識を集中させた。騎士の左手に祝福が集まっていた。

「アア。」

 血の槍を持ったナナが騎士の背後に現れて、思いっきり振り下ろした。

「何ッ!」

 騎士は、ナナの槍を長剣でなんとか逸らしたが、彼女は苛烈に槍を繰り出してきた。

「マダマダマダァッ!」

 ナナの速く重い連撃を、騎士は腕一本でなんとか凌いでいた。左手には未だ祝福が集まっており、奇跡の一片を引き出そうとしていた。

「コレデ……終イダ!」

 騎士の防御が甘くなったところで、ナナは渾身の突きを放った。

 その瞬間、接近したナナの顔の前にタリスマンが掲げられた。

「甘いぞ!」

「グゥッ!」

 タリスマンから出た小さな光の筋は、ナナの顔に直撃して白く炸裂した。彼女は爆発により数メートル吹き飛ばされたが、直ぐに態勢を立て直した。

「馬鹿な……。聖衝は直撃したはずだ。何故生きていられるんだ…。」

 騎士はナナの方を向いた。

「!?」

 ナナの顔の右半分は、抉られたよう無くなっていた。しかし、傷口から血は出ておらず、代わりに何本もの赤黒い触手が蠢いていた。まるでその触手の集合体が彼女であるように密接し、密着し、連動していた。

「……今ノハ効イタゾ人間。」

 ナナの傷は、触手が傷口を埋め合わせることで治癒していた。

「セメテモノ礼ダ…。貴様ノ全テヲ食ライ尽クシテカラ殺シテヤロウ。」

 ナナの目から瞳が消えた。

 目は黒一色となり、血の涙が頬を伝った。口や耳、頭からも血が伝い、真っ白な彼女の肌を赤くしていった。

 彼女の人核に内包されている呪いが、外に出ようとしていた。

 かつて限りない飽食を尽くした貪食の化身が、真っ黒な目で嗤っていた。

「やめろナナ。」

 騎士の後ろにセフカが、赤い霧となって現れた。彼は出血している左手で、騎士の首を掴んで持ち上げた。

「グフッ。」

 金色の角付き兜が、音を立てて落ちた。

「お前は、お前に思いを託したフィーバの魂も食らうつもりか。一時の怒りに身を任せ、ここにある全てを食らい尽くすつもりか。」

 セフカは騎士を持ち上げたまま、ナナの方を見た。暗く冷たい色の目をしていた。

 ナナの目は薄い赤に戻っており、肌も真っ白になり、血の涙も流していなかった。

「ウッ……! ゴ、ゴメンナサイ。ツイカットナッチマッテ…。」

 ナナは叱られて、子猫のように大人しくなった。肩を落として俯く彼女は、その幼い姿に相応しく可愛げがあった。

「よしいい娘だ。」

 セフカは騎士の方に目を向けた。

 騎士の素顔は、短い金髪に碧眼の、育ちの良さそうな若い男だった。幼さが残る顔立ちで、親離れ出来ているかどうか怪しかった。

「おや。中々綺麗な顔じゃないか。」

 騎士は首を絞めている腕を掴み、必死の形相でセフカを睨んでいた。

 手から出た血はベッタリと染みつき、赤色のシミが首からドンドン広がっていった。

「ううッ! 何だこれは! 何をしているんだ!」

「お前は今から、俺たちに関する情報を全て忘れるんだ。お前は俺たちに会っていないし、戦ってもいない。燃えている教会は呪われし者の仕業ということにしよう。」

 セフカは不敵に笑って見せた。

「血の効果は一日ぐらいで消えるだろう。それでも消えなきゃ聖水でも飲むんだな。」

「何を‥…言って…。」

 騎士の目は虚ろで焦点が定まっていなかった。

 血のシミは広がり続け、顎や頬にまで達していた。

「では、さようならだ。(ゴールド)騎士(ナイト)。」

「……‥。」

 シミが顔全体を覆い尽くしたところで、騎士は気を失った。セフカを掴んでいた腕も力無く垂れ下がった。

 セフカは首から手を放し、騎士の体を放った。

「…‥何故奴ヲ殺サナインダ?」

「記憶の中で見ただろう? あいつはあの中に居なかった。それに俺を逮捕するときも比較的礼儀正しかったしな。見込みがあるということだ。」

「見込ミ? 何ノ?」

 セフカは左手の傷を塞ぎながら言った。

「俺達を殺せるかもしれないということだ。それよりも…。

 セフカはナナの目の前に立ち、彼女の頭に拳骨を見舞った。

「イッッッッッッッテェェェエェェェェェェェエェェェ!」

 ナナはその場で倒れこみ悶絶した。ごちんという重い音が彼女の体に響いた。

「アァァ〜…。頭ガ割レル〜…‥。何スンダヨセフカァ!」

「当たり前だ。こんな場所で帰化してみろ。お前はここある人間だけで満足するのか? お前一人が満ち足りるために、ここの全てを犠牲にするわけにはいかないんだよ。」

 ナナは涙目になって、自分の頭を擦っていた。

「ダカラ悪カッタッテサッキモ言ッタジャンカヨォ…。ウゥ…。」

「……でもまぁ、今日のところはこれで勘弁してやろう。丁度お客さんも来たみたいだしな。」

「エ?」

 セフカの隣からフィーバが恥ずかしそうしながら出てきた。廃墟でみたフィーバとは違い、衣装タンスの中に入っていたドレスを着ていた。

「フィーバ!」

 ナナはフィーバの顔を見た瞬間、駆け出して抱き着いた。実際には実体がないので、ナナは地面に転げ落ちた。

「ウギャアッ!」

「まぁナナ!」

 派手に転んだナナの下に、フィーバがパタパタと駆け寄った。

「エヘヘッ。今度ハサッキト逆ダナ。」

「ふふっ。そうね。」

 二人は軽く微笑み合い、ナナは土を払いながら立ち上がった。

「これ…。全部貴女がやってくれたの?」

 フィーバは燃える協会と、騎士の死体を見ながら尋ねた。

「アアソウダ。迷惑ダッタカ?」

「とんでもないわ! お礼に言いに来たの。さっきお母さんとお父さんも会ってきたわ。二人もナナにとても感謝してた。ありがとうって。」

 フィーバは早口で嬉しそうに報告した。

「ソウカ…。良カッタ。本当ニ良カッタ。」

 ナナは柔らかい表情で、彼女に報告を聞いていた。

「……‥もう行かないと。お母さんが夕飯用意して待ってるから。久しぶりにお腹がペコペコで、もうワクワクしちゃうわ!」

 フィーバの実体のない体が、霧散して消えようとしていた。

「アア。イッパイ食ベテ、イッパイ寝テ、沢山大キクナルンダゾ。」

「ええ。貴女なんて直ぐに追い越しちゃうんだから。」

 ナナは笑った。フィーバの体の半分は既に消えていた。

「…‥私達、また会えるかしら?」

「アア。キット直グニ、直グニマタ会エル。」

 フィーバの首から下が消えてなくなった。

「……‥じゃあ、また後で。」

「ウン。マタ後デ。」

 それがフィーバの最後の言葉だった。

 辺りには、寒々しく痛々しい現実達だけが残った。

「ナァセフカ。」

「何だ?」

「……フィーバハ何デ死ンダンダロウナ。」

 ナナは弱々しい声で尋ねた。尋ねたというよりは呟いただけのようだった。

「そりゃ人間のせいさ。なんならあの女に人間の起源を聞いてみるといい。何度でも丁寧に説明してくるはずさ。」

「……‥。」

 ナナは何も言えなかった。フィーバが消えた後を、呆然と眺めていた。

「人間の性質は闇だ。闇から生まれた人間は混沌を生み、穢れを生み、呪いを生み出す。あの女がそう作ったんだ。変えることはできない。」

 セフカが淡々と答えた。

「だからこそ我々がいる。その人間の理を超えた俺やお前がな。」

「……‥分カッテル。分カッテルサ。」

 ナナは振り返ってセフカを見た。その目には強く鋭い光が宿っていた。

 二人の化物は、炎と呪いで溢れかえる村を後にした。

 何処からか人の悲鳴が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご購読ありがとうございました。後編へ続きます。

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