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「何か飲むか?」

 すっかり日が沈んだ公園にある自動販売機を前に、俺はポケットから財布を取り出した。

 病院も面会時間が終わり、病院を追い出された俺と咲乃は病院から少し離れた場所に合った公園へと移動した。

「蓮司君、思ったより元気そうで安心したわ」

 ベンチに座る咲乃がちょっと意外そうに言った。

「……へこみもしたけどな」

 何もできない自分に。

 いなくなって、俺がどれほど雫に助けられていたかがわかった。

 毎日毎日、両親のいない俺たち二人が生きるのに、雫はずっと俺の世話を焼いてきたのだ。

「別に、蓮司君は何も悪くないわよ。悪いとすれば、むしろ……」

 咲乃は俯いて膝の上で組んだ手に視線を落とした。

 おそらく咲乃に責任はないのだと、俺は感じた。

 しかし、それを断言できるほど、俺は情報を持ち合わせていないのだ。

「とりあえず、何がほしい?」

「……えっと、じゃあカフェオレで」

「了解」

 もう五月に入っているとは言え、今夜は冷え込んでいた。

 俺はホットのカフェオレを押した。

 自分の分は微糖コーヒーを買って、カフェオレを咲乃に向かって差し出した。

「ありがとう。いくらだった?」

「お金はいいから」

 俺はベンチの前にあった木に背中を預けて、缶コーヒーのプルトップを押し上げた。

 傾けて熱いコーヒーを口にすると、微かな苦みが口に広がっていった。

 今日は朝食を食べたきり何も口にしておらず、空きっ腹にコーヒーの暖かみが広がっていった。

「お前も飲めよ。暖まるぞ」

「……いただきます」

 一言言ってから、咲乃は受け取ったカフェオレに口をつけた。


「雫を助ける方法、それを教えてくれるか?」

「……ええ」

 咲乃は受け取ったカフェオレのプルトップを押し上げて口に運んだ。

 薄いピンク色からほっと息を吐き出し、咲乃は話し出した。

「どこから話していいのか、わからないのだけれど……」

 言葉を白布用に視線を中に彷徨わせながら、咲乃は手の中でカフェオレを転がす。

「あの、退廃した世界が関係している。それは間違いないんじゃないか?」

「そうね。その通り。私たちは、【夢世界】と呼んでいる」

「夢世界……」

 俺は初めて聞いた単語を口に出してみる。

「あそこは、夢なのか?」

「いいえ、私たちが呼んでいるだけで、別に夢であるわけではないわ。私たちが眠っている間にいける世界だから、私たちが勝手に呼んでいるだけよ。普通、自分の世界に名前をつけたりしないから」

 それはそうだ。

 仮にこの世界に別世界から来た人がいたとして、この世界の名前を尋ねられてもなんと答えていいかわからないだろう。

「逆に、私たちが元々いるこの世界のことは、現世って呼ぶの」

 俺たちが住む現世と、俺たちの世界ならざる異世界、夢世界。

 一ヶ月ほど前なら何をバカなと笑い飛ばしていたところだろうが、あの世界に実際に行ってあとでは、信じないわけにはいかない。

「雫が目を覚まさないのは、あの異世界、夢世界から帰ってこれなかったから。違うか?」

「その通りよ。夢世界に私たちの意識が行っている間は、現世にある体は全く反応できなくなるのよ。夢世界から帰還しない限り、意識が戻ることはないし、指一本動かすことはできない」

「なら、雫が死んだっていうことはないんだな?」

「ええ、それは大丈夫」

 咲乃のその言葉に、俺は胸をなで下ろした。

 俺の描いていた最悪の結末は、雫があちら側の世界、夢世界で死亡してしまったがために戻れなくなってしまったのではないかということだ。

 どうやらそれは杞憂に終わったようだ。あくまで今はということだが。

「私たちのように、現世から夢世界に渡る人間のことは、【旅人】と呼ばれているわ」

「旅人……。そういえば、夢世界で会った姫神さんが、俺のことをそういう風に呼んでいたな」

「そうよ。あなたが初めて訪れたあの辺りは、魔物が出る危険な区域。何も知らない人間が立ち入れる場所ではない。それと、あなたが状況を全然把握してないと知って、真奈さんはあなたが旅人だとわかったらしいわ」

「姫神さんも旅人なのか?」

「いいえ、真奈さんは元々夢世界の住人よ。何度も言うけれど、別にあの世界は夢ではないわ。あの世界はあの世界で人が住んで生活をしているのよ」

 咲乃は俺が初めて行った場所を危険な場所と言った。

 つまり、あそこ以外には安全な場所があって、そこでは普通に人が生活しているのだろう。

「そもそも、どうやったら夢世界に行けるんだ?」

 根本的な問題として、俺が気になっていた点。

 俺はあの世界に自分がどうやって行ったかすら知らない。

 一度行ったきりの世界で、あんな危険な世界。何もなければ行きたいなんて思わない。

 面倒にもほどがある。

「旅人は、ある方法を使って夢世界に渡る。その方法とは、これ」

 咲乃はカフェオレをベンチに置くと、首に掛けていたヘッドホンを首から外した。

 初夏の風を受けて咲乃の黒髪が綺麗に広がった。

「このヘッドホンが、私の【護符】。夢世界に渡るために必要な鍵よ」

「護符……?」

 俺は聞き返しながら木から背中を離して咲乃に近づき、咲乃の持つヘッドホンを見やった。

 赤と黒を基調に作られたヘッドホンは、新品のように綺麗だ。

 しかし見た目はどこにでもあるヘッドホンだし、何か特別なものにはとても見えない。

「どこからどう見てもただのヘッドホンにしか見えないけど」

「まあね」

 咲乃は苦笑しながらまた首にヘッドホンを戻した。

「このヘッドホンは、別に作りが特殊な訳でも、高価なものでもないわ。ただ、これは元々この世界のものではないの」

「それは……夢世界の方のもの、ってことか?」

「正解」

 咲乃は微笑みながら頷いた。

「このヘッドホンは、本当は夢世界にあったもの。そういった、元々は違う世界にあった道具やものが夢世界に導いてくれる鍵。護符なのよ」

 自信の首に掛かっている夢世界の道具に触れながら、咲乃は続ける。

「私たち旅人は、夢世界に元々あったこれらの道具に触れ、夢世界のことを意識しながら眠りに就くことで夢世界に渡ることができる。帰り方は、その逆。夢世界で現世のことを意識しながら護符に触れ、眠ることで帰ってくることができる」

 夢世界に渡るための護符。

 渡るために護符が必要だとするなら、それは……。

 嫌な考えが浮かび、俺は頭を抱えた。

「……つまり、俺も夢世界に行くのに護符を使ったってことだよな」

「そうよ。それ以外の方法で夢世界に渡ることはできない」

「……まずったかも」

 咲乃が首を傾げながらこちらを見上げた。

「俺、護符なくした……」

「護符に心当たりがあるの?」

「ああ、緑色の鉱石がついたペンダント。俺も護符を使ったすれば間違いなくあれだ。行きは特に気にしてなかったからわからないけど、帰りはそれを雫に握らされた。でも、こっちに帰ってきたときにはなくなってた。向こうに落としてきたかもしれない」

 自室をいくら探しても、あのペンダントは出てこなかった。

 元々が拾いものであったため、なくすわけにはいかないと必至に探したのだが結局見つからなかった。

「それなら大丈夫よ。気にしないで」

 咲乃はベンチから取り上げたカフェオレに口をつけながら、こともなげに言った。

「え? どこが大丈夫なんだ?」

「護符っていうのは、その本人しか扱えないものなの。このヘッドホンも、確かに夢世界から来たものだけど、それは何でもいいってわけではない。このヘッドホンは私だけの護符だし、そのペンダントは蓮司君だけのものよ」

「でも、事実なくしてるんだぞ?」

「それは、私がどうにかしてあげられるから」

 そう言って咲乃はカフェオレを飲み干すと、ベンチから腰を上げて自動販売機の横にあったゴミ箱に缶を落とした。

「ごちそうさま」

 俺も手の中のすっかりぬるくなってしまったコーヒーを飲み干し、ゴミ箱に投げ込んだ。

「蓮司君、あなたにはこれから一つ、決めてもらわないといけないことがあるわ」

 暗闇にそのまま消えてしまいそうな儚い少女が、悲しげな笑みを浮かべる。

「雫ちゃんを助けるには、あの世界に行かなければいけない。でもそれは、雫ちゃんと同じようにこちらの世界に戻ってくれなくなる可能性がある。それは、ただ戻ってこれなくなるだけじゃない。戻れないことが続けば、こちらの体は最悪死ぬことになる。わかってるわよね?」

「ああ……」

 現在、雫はもう二週間近く自ら食べものを口にできない状態にある。体中に管を通してなんとか生きることができているのだ。

 また、何らかの理由により雫が入院する病院の機能が停止してしまった場合も、雫は生きることができない。

 そんな状態が、いつまでも続くわけがない。

 雫はいつ死んでもおかしくない状態にある。

 帰ってこれないということはそれだけで命に関わることになるのだ。

 雫を助けに夢世界に行くということは、俺自身も雫と同じ状態になる可能性があるということだ。

 選択次第で、自分が死ぬ可能性がある。

 咲乃は、その上でどうするかを問うているのだ。

 だからこそ、不意に笑みがもれた。

「そんな話を聞いて、はいわかりました行きませんなんて、ありえないだろ。逆に面倒だよ」

 咲乃はきょとんとしていた。

「雫が死ぬってときに、兄の俺がのんきにあいつが帰ってくるのを待つわけにはいかないだろ。面倒だけど、兄ってのは妹の帰りを待つのものじゃない。それは両親の役目だからな。兄の役目は、帰ってこない妹を迎えに行くことだ」

 両親がいない今、俺たちは二人で生きていくしかない。

「あいつには俺が必要で、俺にはあいつが必要だ。今回の件、あいつが帰ってこれなかったのは、一人で行ったからだ。だから、俺も夢世界に行ってやらないとダメなんだ」

 俺が帰ってこられないかもしれないとか、死んでしまうかもしれないかとかは後回しだ。

 兄が妹が死ぬかもしれないってときに、のんきに家で待っているなんて、あり得ないだろう。

 目の前の俺を導いてくれる少女に、俺ははっきりと告げる。


「咲乃。俺は、夢世界に行く。あいつを、雫を助けに行く。そのために、俺に力を貸してくれ。頼む」

 

 その瞬間、俺の眼前が光を放ち始めた。

 暗闇を照らす明るい光は、淡い緑色となって揺らめいている。

 その光の向こうで、咲乃が笑う。

「夢世界へと導いてくれる護符は、ただのものなんかじゃない。護符は、私たちの体の一部なの」

 咲乃は自らのポケットに手を入れた。

 そこから、光を放つアクセサリーを取り出した。

 それは、俺の護符たる緑鉱石のペンダントだった。

「これは、蓮司君が夢世界に置き忘れたんじゃない。あなたがこっちに帰ってばかりのときに、雫ちゃんがあなたから離しておいたのよ。間違って夢世界に行かないよう」

 ……そういうことか。

 こちらに帰ってきたばかりの時に、雫が俺を殴りにきた。

 そのときに雫が俺からペンダントを取り上げていたんだ。

 どこを探しても見つからないはずだ。

「このペンダントは、蓮司君の体の一部。蓮司君自身なのよ。たとえなくしたとしても、あなたが求め欲すれば、必ずあなたの元に戻ってくる」

 言われて思い出す。

 このペンダントを手にしたとき、俺は夢の中で、俺とまったく同じ姿のしたやつを見た。

 そいつから、託されたのだ。

 咲乃の手の中にあったペンダントが消える。

「あなたがあの世界に、夢世界に行きたいと望めば、必ず護符は、あなたの手に戻る」

 俺の眼前で光っていた光が、翡翠のペンダントに変化する。

「俺を、試したな?」

 咲乃はただ微笑んでいた。

 目の前に浮かぶペンダントは、俺が望んで欲したもの。

 俺がこのペンダントを取り返せなければ、それは夢世界にいく覚悟がないということだ。

 だから咲乃は確認したのだ。

 俺に、命の危険を冒してでも、雫を助けに行く決意と意思があるのかと。

「ははっ」

 俺も笑いが零れた。


「そこまでやったんだ。ちゃんと、協力してくれよ。咲乃」

「ええ、もちろんよ。私も命をかけて、雫ちゃんを助ける。だから、よろしくね。蓮司君」


 俺は、帰ってきたペンダントを、掴み取った。

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