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あの日も、俺は十時前まで眠ってしまい、高校に遅刻しているという時間になって目を覚ました。
準備をして高校に行こうとしたときに、いつもなら机の上に用意されている朝食がどこにも用意されておらず、不審に思って玄関を確認するとまだ雫のローファーが玄関に残されていた。
雫が寝坊をしたことなど、今まで一度もなかったことだ。
これはおかしいという、焦りのようなものを感じて雫の部屋に向かった。
扉を叩いても呼びかけても返事がない。
部屋には鍵が掛けられていた。雫が自室にいることは間違いなかった。
しかし、出てくるどころか返事すら来なかった。
そのとき、部屋の中から着信音のようなものが聞こえてきたのだ。
廊下まで着信音が響いていたが、いつまで経っても音が鳴り止むことはなかった。
明らかに異常なことだった。
不安に駆られた俺は、怒られることを承知で、雫の部屋の扉を蹴破った。
着信音が一層大きくなって聞こえてくる。
久しぶりに見た雫の部屋。
カーテンが閉められ明かりの消えた薄暗い部屋で、机の上に投げられたスマホがちかちか点滅し振動しながら着信音を立てていた。
手に取ろうとすると、着信が止まった。着信画面が消えて待ち受け画面に変わる。
七回の着信があったことが示されていた。
ベッドには、雫が布団を被ってまだ眠っていた。
小さな寝息が着信音が消えた部屋に響く。
穏やかな表情をして、雫が眠っている。
わずかに安堵を零した。
だが、すぐに気づくことになる。
それが、どれほど異常なことだったか。
雫はいくら呼びかけても、顔を叩いてみても目を覚まさなかった。
パニックに陥りかけたとき、再び雫のスマホが音を立てた。
わらにもすがる思いでスマホを手に取ると、着信画面に表示されていたのは、先日知り合ったばかりの女子高校生のものだった。
「もしもし雫ちゃん!? よかったやっと繋がった!」
電話の向こうで少女の嬉しそうな声が響く。
「……咲乃か?」
着信画面に表示されていた名前を呼ぶ。
「れ、蓮司君?」
咲乃の戸惑った声が聞こえてきた。
「雫ちゃんは!?」
「わからない。全然目を覚まさないんだ……」
「……」
咲乃は押し黙った。
それは、何かを知っているように思えた。
「咲乃、お前……」
「待って、蓮司君。先に雫ちゃんをどうにかしないと」
咲乃は、事態を把握しているようだった。
「私の言う通りにして」
それから咲乃に言われた指示に従った。
数日の間、雫は搬送された病院で様々な検査を行ったが、まったく目を覚ます気配がなかった。
体中に管が繋がれ、雫の命は機械の力によって繋ぎ止められている。
この数日で、何度後悔を繰り返したかわからない。
雫が目を覚まさない原因は、未だ判明していない。
しかし、直感的にわかった。
雫が目を覚まさない理由は、間違いなくあの世界が関係している。
半月ほど前に一度だけ行った世界。
雫はおそらく、あの世界に行ったまま、戻ってくられなくなったのだと。
今はそう考えている。
でも俺にはあの世界に行く方法さえ知らない。
唯一あの世界で会った、海藤咲乃はあれから連絡が取れていない。雫のスマホにあった電話番号をいくら呼び出しても、むなしくコール音が続くだけでいくら待っても繋がらなかった。
咲乃が通う高峰女子まで行ってみたのだが見つけられずにいた。あんな目立つ容姿をしていたのだから校門近くで待っていれば会えるかと思ったのだが、何日掛けても会うことはできなかった。
そして、雫の手を握り、悲観に暮れているところ、海藤咲乃は現れたのだ。
「雫ちゃんを、助けたい?」
突然現れた咲乃は、ただ問うてきた。
差し出される白雪のように細い手。
「もし、助けたいのなら、私と一緒に、あの世界へ行って」
あまりに唐突だったため、なんと答えていいのかわからなかった。
しかし、唯一の手がかりだった。
咲乃の言葉は、どこまでも真摯だった。
だからこそ信じることができた。
俺は、咲乃の手を取った。