14
「どういうことですか烏丸さん! 事情を説明してください!」
市役所最上階の会議室で、咲乃が声を荒げた。
巨人の魔物は全て殲滅を終えている。
下は今、被害の収集で慌ただしい。
烏丸さんは会議室の一番奥の机に腰を下ろしており、咲乃は机に手を突いて烏丸さんに食ってかかる。
音夢と夕樹はなぜ咲乃が怒こっているのかを理解できていないようで、お互いに首を傾げて顔を見合わせている。
俺は皆の後ろで会議室の椅子を一つ引いて腰を下ろしていた。
両腕で顔を覆い俯き、火照る体を押さえようと必至になっていた。
不意に、目の前にコトリと何かが置かれた。
「……」
視線を上げると、目の前には冷たいコーヒーが置かれていた。
俺の脇で、姫神さんが瞳を揺らしながらこちらを見ていた。
「悪かったわね。大丈夫?」
「……はい、すいません。ありがとうございます」
お礼を言いながら、アイスコーヒーを手にとって口に運ぶ。
甘いコーヒーが喉を滑り落ちていく心地よい感覚に身を任せた。
「俺は、大丈夫ですよ」
笑みを繕って言ったが、それが作り笑いであることは一目でわかっただろう。
姫神さんは小さく微笑んで頷くと、他の皆にもコーヒーを配りに行った。
その後ろ姿は、とても疲れて見えた。
「咲乃、とりあえず少し落ち着きなさい。それじゃあまともに話もできないわよ」
「これがおちついていられるわけないよ! 今日この街に出た巨人の魔物、全てこの街の人たちなんでしょ!?」
咲乃の言葉に夕樹と音夢が目を丸くした。
「ちょ、ちょっとそれどういうこと?」
「……あの巨人が、全てこの町の人?」
さすがの夕樹と音夢も動揺していた。
烏丸さんは無言で手元のパソコンを操作すると、前のスクリーンに映像が映し出された。
ハンディカメラか何かで撮影されたものなのか、ぶれぶれの映像ではあったがそれが何であるかは十分に把握することができた。
全身を黒い物体に覆い尽くされてしまった人が、巨人の魔物へ姿を変えるまでの映像が映し出されていた。
夕樹と音夢はその映像に驚愕していた。
「咲乃君の言うことは事実だよ。あの巨人は全て、この街の住人が魔物化したものだ」
烏丸さんたちは、俺たちに巨人の討伐を指示する際には既にこの事態を把握していた。
しかし、その事実を俺たちに伝えてしまえば、俺たちが躊躇すると思って伝えなかったのだ。
事実、夕樹と音夢が動揺している姿や、怒りを露わにしている咲乃の姿を見る限り、先にその情報を得ていれば満足に戦うことができず、被害はもっと大きく広がっていたはずだ。
そして、烏丸さんは知っていたのだ。
一度魔物化してしまった人は、二度と元の姿に戻ることはないと言うことを。
「もしかして、蓮司君は初めから気づいていたの?」
咲乃が疑惑のこもった視線を離れたところに座る俺に向けてくる。
「……確信はなかったけど、たぶんそうだろうくらいには思ってたよ」
「だったら何で言ってくれなかったの!」
咲乃が怒りを隠さずぶつけてくる。
罪悪感を覚えながらも、俺は答える。
「言ったところで意味はないし、確証はなかった。俺たちが戸惑えば、それだけで被害は広まり、死亡者は増えていく。だから、何も考えずに魔物を倒すことを優先した。一度魔物化した人は戻すことができない。それは咲乃、あの魔人が魔物化したときに、お前も言っていたことじゃないか」
「それは……」
咲乃は俺の反論に口ごもった。
俺が街の住人が魔人化したことを思い当たったのは、現れているのが巨人の魔物であったことだ。
魔物の姿が基礎となった生物から来ているのだとすれば、巨人の元は人間だ。
現に、魔人が魔物化したときの姿も巨人だった。
さらに、どこから現れたにしても、あんな大きな生物が誰にも気づかれずに街中まで侵入することなどあり得ない。
だとするなら、巨人は街中で発生したと考えることができる。
つまり、巨人の元はこの街の住人から生まれた可能性が高かった。
さらに巨人によって殺された人たちの数も疑問を生んだ。
仮に、街中に接近されるまで魔物に気づかなかったにしても、魔物が現れれば人は逃げる。
しかし、住人たちは逃げる間もなく殺されたように大量に死んでいた。
その理由も、人混みの中から突然魔物が現れたというなら納得できる。
「咲乃君、蓮司君を責めるのは止めるんだ。今回の一件、防げる人間など誰もいやしない。責められるべきは私だけだ」
そう言って、烏丸さんは頭を抱えた。
「あの魔人に逃げ去れてから、こういう可能性があると少しは考えればわかっていたことだったんだ」
咲乃が烏丸さんを振り返って尋ねる。
「今回の件は、あの魔人の脱走から始まっているということですか?」
「その可能性が現段階では一番高い」
烏丸さんの推論はこうだ。
あの魔人が逃げ出した際には、すでにあの魔人の体には魔物化する種のような物が仕込まれていていた。
魔人はその種を持ったまま街を掛けづり回っていた。
その最中に種をこの街の人たちに撒いていたのではないかというのか、烏丸さんの考えだ。
それでおそらくは間違いないだろう。
そして、それを時間差によって発動させた。
俺たちが警戒を緩めた隙を突かれた。
俺たちがいたのは運が良かっただろう。
「一度魔物化してしまった生物は、元に戻ることなどあり得ない。最初に巨人の魔物が出た段階で、目撃情報から住人が魔物になっていたと言うことはわかっていたんだ。それを君たちに伝えることはできた。しかし、被害を防ぐには一刻も早く魔人を殲滅することが必要だったんだ。だから、君たちには情報を与えなかった。申し訳ないとは思っているが、間違ったことをしたとは思っていないよ。これは起こるべくして起こった」
市長をやらされているだけと言っていた烏丸さんだが、その一言に全てを納得した。
この人が市長の立場にいるのか、それはきわめて単純なことだ。
誰よりも、この街の人の命を考えている。
一人でも多く、あらゆる可能性を考慮した上で生存率が高い可能性を選んでいる。
目先の利益などに惑わされてなどいない。
確実に前に進む手段を得る。
ありとあらゆることを経験し、それを積み重ねていくことができる。
起きたことを否定せず、それを未来へと生かす。
指導者の資質だ。
烏丸さんの前に手を突いた咲乃が、食いしばった歯の隙間から声を絞り出す。
「こんな、ことをして、絶対に許さない……!」
咲乃の目には、俺の目から見てもはっきりとわかる憎悪と怒りが灯っていた。
その瞳に、音夢も夕樹も気圧されて体を竦ませていた。
「なんとしてでも、この報いは受けさせる……ッ!」
確固たる意志が宿った咲乃は、研ぎ澄まされた一本の刀のように鋭かった。
咲乃の目に灯った炎を見て、烏丸さんが机に手を突きながら立ち上がる。
「もちろんだ。私もこんなことをされて黙っているわけにいかない」
烏丸さんの目にも、同様の物が宿っている。
たとえ指導者をやらされている身だと言っても、やはり烏丸さんはこの街の指導者なのだ。
仲間を殺され、自分の街を蹂躙され、ありとあらゆるものを奪われた。
人類の大部分が失われたこの世界で、人の繋がりは俺たちの以上に強く結ばれている。
だからこそ、咲乃も烏丸さんも、魔族にやられたことが許せない。
咲乃は俺たちよりずっと以前から旅人としてこの世界に来ている。
烏丸さんは世界が変わってしまってからずっと苦楽をともにしてきた仲間を殺された。
この街をまとめる長と旅人のリーダーの意志が完全に固まった。
するとそこへ、会議室の扉がノックされて、譲原さんが入ってきた。
「烏丸市長、報告をまとめました」
譲原さんは持ってきた紙の束を烏丸さんへと差し出した。
「ああ、ありがとう譲原君。……顔色があまりよくないが、大丈夫かい?」
「もちろんです。こんな非常時に休んでなどいられません」
そういう譲原さんの顔色は確かによくない。
ここ最近ずっと魔人の取り調べや脱走直後の事後処理の関係で、寝る間も惜しんで働いていると聞いている。
その上こんな状況になってしまえば疲れも相当なものだろう。
「今回の報告書ですか?」
側に立っていた姫神さんが尋ねると、烏丸さんは首を横に振った。
「違うよ。これは、魔族の砦に関する資料だ」
俺たちが目を丸くしていると、烏丸さんが一緒に手渡されていたメモリーカードを手元のパソコンに挿した。
表示されたのは地図だ。
ミナトがある場所が示され、次に赤い丸が表示された。
「実は、君たちが動いていたこととは別に、砦への密偵を出していたんだ。私が絶対の信頼を寄せる数人にね」
「それはまた無茶なことを……」
姫神さんが呆れたように頭に手を当てる。
烏丸さんが笑みを浮かべながらスクリーンの画像を切り替えた。
「大丈夫。全員無茶はしていない。それに、咲乃君たちが派手に暴れてくれたからかね」
「ああ、なるほど。僕たちは陽動だったわけですね」
納得がいったように夕樹が笑う。
烏丸さんの指示で動いていた俺たちだが、烏丸さんは絶対に砦へ攻め込むなと言っていた。
出されていた指示は、可能な限り砦がある近辺に近づき、やってくる魔物を叩くというものだ。
死なない俺たちが戦場で好き勝手に暴れ回れば、嫌でも目はそちらへ向く。
その間に遊撃隊が俺たちよりもっと踏み込んで調査に当たっていたわけだ。
「すまないね。危険な役目を勝手に押しつけて」
真っ先に言葉に出した夕樹に烏丸さんが謝罪を述べるが、夕樹は楽しそうに笑った。
「まさか、僕は戦えただけで満足ですから」
その言葉はどこまでも夕樹らしい言葉だった。
「私も……別に怒ってない……」
大きなあくびを漏らしながら、音夢も頷く。
「最終的に雫を助けられたって状況があれば、俺も好きに使ってくれて構いませんよ」
頭を使うことに関して、この街で烏丸さんの右に出るものはいないだろう。
烏丸さんは、雫を助けるという手段を必ず用意してくれていた。
そして、ついにそのカードを取り出した。
一通り資料に目を通すと、烏丸さんはため息を一つ落として唸った。
「私は別段、争い事が好きなわけではない。相手がどんな異性物だとしても、殺すことが絶対的に正しいとは思っていない。何か事情があるのかも。そういう考えが常に頭の先にあってね」
それは、なんとなくわかる。
俺たちとて、旅人などと言われてこの世界でもてはやされているが、それは俺たちと烏丸さんたちに対立する理由がないからだ。
この世界では俺たちの衣食住さえ、誰の手助けもなく得ることはできない。
別に俺たちは夢世界に来ないからと言って、困ることなどないのだ。
現段階において俺は雫のためにこの世界に来ているが、それがなくなればどうなるかはわからない。
そして、魔族とて俺たちと同じ異世界から放浪者だ。
俺たちと違う方法、違う人種であることは間違いないが、別世界から来ているという一点で俺たちは一致している。
あいつらがどんな理由があって、この世界へ侵略をしているのかは知らない。
ただ、一つ言えることがある。
今回の件だ。
「魔族がどんな理由でこの世界に攻めてきているかはわからない。だが、あいつらがこの世界で行っていることは、我らに対しての害悪でしかない。そこに同情の余地などないことが、はっきりとわかったよ」
烏丸さんの目には、決意が固まっていた。
この世界で数え切れない人間が死んでしまった出来事は、ある意味事故というとらえ方ができる。
あの事態を、相手側が正確に把握できていたとは考えにくい。
だからそこに責任を求めるのは、納得するのは難しいが仕方ない面も、あっただろう。
しかし、あいつらがこの世界で行ってきたことはこの世界への略取略奪、そして侵略。
おそらく烏丸さんは下しかねていたのだ。
魔族と全面戦争をするかどうかと言う決断を――
烏丸さんの視線が、俺たち四人に行く。
「君たち旅人に、私たちが提供してあげられるものは本当に少ない。本来君たちは、私たちの援助なしに生きて行ける存在だからね。だからこれは、私たちからのお願いだ」
相手はこれまでこの世界の人たちが苦しめられてきた全ての戦力が集中した場所だ。
そこに攻め込む以上、この世界の人たちの異能では太刀打ちできない敵もいるだろう。 その敵に対抗できるのは、相手と同じく異世界から来た異能者だけだ。
「この魔族の砦を、落としてきてもらいたい」