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「え? 忘れ物? ああ、ハンカチか」

 夢世界であった咲乃はすぐに思い当たっていた。

「あのとき落としてたんだ。全然気づかなかった」

「お前こそ疲れてるんじゃないだろうな? 俺に散々言っていたくせに実は自分が疲れてましたとか言ったら俺は怒るよ。マジ怒るよ。激おこだよ」

「わ、わかったよ蓮司君。大丈夫。私はきちんと休んでいるから大丈夫」

 といわれても、俺の記憶を疑うまでもなく俺が夢世界に来た際に咲乃がいなかったということはない。

 どう考えても休んでいるようには思えないのだが……

「じゃあ、次に会ったときに返してくれるかな」

「……ああ、了解」

 はぐらかされたように話を打ち切られ、机に肘を突いてため息を吐いた。

 今いるのは姫神さんが所有する屋敷の最上階。俺たち旅人のたまり場だ。

 今は午前八時。俺たちの世界では午後八時だ。

 さすがに普通はまだ眠る時間ではない。

 俺たちみたいな変わった生活でもしていない限り、現役の高校生は遊んでいてもおかしくない時間だ。

 勉強するにも友達と遊びにも一人で部屋にいるにも、まだまだ八時というのは絶賛活動時間だ。

 にもかかわらず、こっちの世界に喜んでやってくるのが、旅人という人種なのだと思う。

「ちわっー!」

 元気いっぱいの挨拶をして部屋に殴り込んできたのは、いつも子どものような笑顔を振りまく夕樹だ。

「んーっと、今日はあとは音夢ちゃんだけか。またあれが出ちゃってるかな」

 定位置である俺の前の席に腰を下ろしながら夕樹は言った。

「あれ、お前って音夢の体質のこと知ってるのか?」

「うん。ちょっと前に聞いたんだ。不意に現世での話になってね。僕はちょっと皆より家が遠いから、その辺に疎くってさ」

 夕樹は快活に笑いながら机の上にあったクッキーを一つかじった。

「ま、病気だから仕方ないよね。僕も経験あるし」

「……」

 触れていい話題なのかはかりかねて、俺は黙ってしまった。

 その視線に気づいた夕樹が首を傾げた。

「ああ、蓮司には言ってなかったっけ。僕もちょっと変わった体質持ってるんだよ」

 夕樹は袖から覗いている手のひらを、もう一方の手でひねり上げた。しばらくして手を離すと、夕樹がひねた部分は赤くなっていた。

「こっちの世界ではこんなのでも普通に痛いって感じるんだけどね。まあ、痛みに制限はあるけど。でも、現世での僕は、ほとんど痛みを感じないんだ。そういう体質なんだよね」

 痛みを感じない。

 その病気は聞いたことがある。

「それは、無痛性ってことか?」

「ああ、それだよそれ。よく知ってるね」

 夕樹は自分のことなのに笑いながら言って、さらにクッキーを口に運んだ。

「後天性なんだけどね。子どもの時はそんなことなかったのに、高校に上がった頃からいつの間に痛みに鈍くなっていて、今ではほとんどわからなくなっちゃった」

 先天性の無痛性では、赤ちゃんの内に目をかきむしったり指を咬みちぎったりと、色々問題が起きるらしい。

 痛みを感じないため、赤ちゃんは気にせず自傷行動を行うからだ。

 夕樹の場合はそういうことはなかったらしいが、痛みを感じないというのは俺の思っている以上に大変なものらしい。

「だって自分で熱いもの触ってても気づかないし、怪我しててもわからないんだもん。体育の後に膝が血だらけになってて、足を切っているってことに気づいたってこともあったよ」

 慣れっこなのか元々気にしない質なのかはわからないが、夕樹はこともなげに言う。

「でも、こっちの世界だと、まあ全てって訳じゃないけど痛みがあるからね。僕はこっちの世界にいる方が生きてるって気がするんだよ」

 体の痛みがないという感覚が、俺にはわからない。

 しかし、夕樹の話を聞いていると相当大変な生活をしているということがすぐにわかる。

 音夢と同じで、夕樹も現世での生活に苦労をしているのだ。

 そしてこの世界では、夕樹も音夢もその症状がないという。

「偶然かどうかはわからないんだけどね。私旅人に選ばれる人間は、何かしら問題を抱えているのかもしれないね」

 咲乃は紅茶を飲みながら言う。

「どんな選び方をされるのかはわからないけど、私たちはランダムに選ばれているわけじゃないのかも」

「選考基準があるってことか?」

「それはわからないけど、何かか抱えているっていう共通点はあるんじゃないかな」

 暗に、俺にもあると言われていた。

「お前にはあるのか、そういうの」

 自分のことに触れられる前に、俺は咲乃に尋ねた。

 咲乃は、微かに頬を緩めて小さく笑った。

「さあ、どうかな」

 一瞬揺らいだその瞳に、悲しさのような寂しさのようなものが映ったのを、俺は見逃さなかった。

「ま、人の悩みをむやみに詮索するものじゃないよ。蓮司」

「……だな。悪い」

「僕は別にいいんだよ? そういうことは気にしないし、この世界で何不自由なく暴れられるからね」

 そういう夕樹は、とても楽しげに笑っていた。

 夕樹が戦闘狂であるのは、無痛性と関係があるのではないかと、このとき思った。

 現世では痛みを感じられないから、痛みを感じられるこの世界で戦い、その戦いの中で痛みを覚える。

 それは、自虐主義などでは当然なくて、夕樹が生きていることを実感するために、必要不可欠なことであるのだと、俺は思う。

 だとするなら―― 

 俺は席を立ち上がり、空気を入れ換えるように装いながら窓を開けた。

 皆にあるという、それぞれが抱えている何か。

 俺は別に気にしているつもりはないのだが、それでも抱えていることなのだろう。

 そして、あいつにも……


     Θ    Θ    Θ


 私は私の世界が嫌いだった。

 おじいちゃんもおばあちゃんも、お父さんもお母さんも、私から簡単に奪い去った。

 音夢先輩も夕樹先輩も、現世で生活に困っている。

 だから夢世界への護符を渡されたのではにかと、咲乃先輩は言っていた。

 魔人も魔物も寄せ付けないひとりぼっちの部屋で、私は一つある石窓の外に目を向ける。

 窓のすぐ外で小鳥が羽ばたいた。

 私の生活を容赦なく壊していく世界。

 私と、残されたお兄ちゃんもきっと思っていたはずだ。

 こんな世界、壊れてしまえばいいと。

 おばあちゃんがいなくなって、お父さんとお母さんがいなくなって、おじいちゃんもいなくなった。

 私やお兄ちゃんがだけ不幸なわけではない。

 そんなことはわかっているつもりだ。

 でもそんなことを理由に、お父さんたちの死を納得することなんてできない。

 だから、私は心の中で、きっと願っていた。

 この世界の外に行ってみたいと。

 自分の力で生きていける、そんな世界に行きたいと。

 そんな矢先、夢の中で私はもう一人の私に出会った。

 短い間、本当に短い間だったけど、私は彼女から言葉をかけられた。

 彼女は言った。

 私たちの世界を、助けてほしいと。

 あなたの世界と同じで、痛みと悲しみ、私の世界も理不尽に溢れている。

 それでも私は私の世界を救いたい。

 私はあの世界が大嫌いだけど、それ以上にあの世界が大好きだから。

 あなたと、同じように。

 そして、私は私の護符であるミサンガを渡された。

 世界を旅するための、私にとって唯一無二の護符。

 その護符を手にした日から、何度も私は夢世界と行った。

 理由は簡単だ。

 私は知りたかったのだ。

 もう一人の私が言った、大嫌いだけどそれ以上に好きという言葉が。

 そして、私もそうだという言葉も。

 初めは一人で手探りで旅の仕方を確認しながら何度も何度も世界を渡った。

 自分には夢世界の人たちが持つ異能があり、その力も少しずつ使えるようになっていった。

 二週間ほど経った頃、現世で咲乃先輩と会った。

 咲乃先輩の存在は知っていた。現世側ではなく、夢世界でその姿を見ていたのだ。

 ミナトの中でもトップクラスの戦闘力を誇り、街に近づく魔物を片っ端から倒していた。

 その姿を初めて見たとき、綺麗だと思った。

 私とほとんど年齢が違わないはずなのに、戦い続けるその人を。

 まさか、現世で会うとは思ってなかったけれど。

 向こうから私を呼び止められ、その場で私は初めて夢世界や旅人についての説明を受けた。

 音夢先輩や夕樹先輩とも、その後に会った。

 音夢先輩は以前から何度も話したことがあったけど、まさか夢世界で会うことになるとは思わなかった。

 凝り固まって痛くなった体を、動かせる範囲で動かしてほぐす。

 最近、外が以前より慌ただしくなっている。

 魔人たちも私たちと同じで知性を持っている生物だ。

 その慌ただしくなっている理由に、お兄ちゃんたちが関わっていないと、いい。

 お兄ちゃんが、旅人に選ばれたと知ったとき、なぜだろうと思った。

 私は自分の世界が嫌いだ。お兄ちゃんもきっとそうだとも思っていた。

 でも、お兄ちゃんが選ばれたと知ったとき、なんでと頭の中に疑問がよぎったのだ。

 それで、私は悟ってしまった。

 私は自分がそうだからと、お兄ちゃんにも自分の都合を押しつけようとしていただけなのだ。

 自分が正しいと証明するために、お兄ちゃんもそうだと思い込んでいただけなのだ。

 逆に、私のことについてはわかったことがある。

 私はやっぱり私の世界が大嫌いだ。

 壊れてしまえばいい。消えてしまえばいい。

 そんなことを何度も何度も思った。

 でも、帰れなくなって思ってしまったのだ。


 ――帰りたいと。


 結局は彼女の言う通りだったのだ。

 左手に結ばれた鮮やかな糸を使って作られてミサンガに触れる。

 大嫌いなことに変わりはない。

 それはきっとこれからもずっとそうだ。

 でも、いつの間にかそんな世界を、好きになってしまっていたんだ。

 否定することなどできないほど、どうしようもなく。

 それはきっと――


     Θ    Θ    Θ


 私が旅人に選ばれた理由。

 そんなことは最初からわかっている。

 私は皆とは違う。

 決定的なまでの違いを持っている。

 いずれ知られることになるだろうけど、結局その事実を私はひたすら隠し通してきた。

 知っている人は、本当にごく一部だけ。

 それすら、いつまで保つかわからない。

 でも、知られたくないのだ。

 その事実は、皆の認識を簡単に破壊してしまうほど強すぎるもの。

 知られたくない。

 その重いだけで、私は旅を続けている。

 あのヘッドホンを、もう一人の私から受け取ってから、私は知った。

 おそらくは、私は最初の旅人だったんじゃないかと思う。

 私が旅人して世界を渡り始めたのは今から二年前。

 私の知る限り、それ以前から旅人だった人間はいない。

 自分の持つ力が、戦う力であったとしても、私はこの旅人の力を使って、今も役目を果たしている。

 それが、私にできるたった一つのことだから。

 毎日毎日、戦ってばかりだ。

 それでも私は、嘘に塗り固められた仮面を被り、私は今日も旅をする。

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