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10

 鉄格子がはめられた隙間から見える空は、きらきらと大量の星が光る満点の星空だった。

 大きな石造りの洋館に、太い鎖で手足を繋がれて体を拘束されている。

 私が夢世界から帰れなくなって、かれこれ半月たっている。

 旅人の加護は、ここからは見ることができないほど離れていた。

 手首に結ばれた赤いミサンガ。

 私をこの世界に導いてくれた護符は、ここからは現世に連れて帰ってはくれない。

「ああ、お腹が減らないのはよかったと言えばよかったのかなぁ……」

 一人になっていると、ついつい独り言が増えてしまう。

 私の体は鉄の塊に鎖で繋がれ、満足に歩き回ることもできない。せいぜい少し手足を動かせられる程度だ。

 私の異能力は魔物程度ならいくらでも切り刻めるが、こういった金属類をこのように固定された状態で外すことはまずできない。

 魔人との戦闘中、大型の魔物に隙を突かれて丸呑みにされ、一度私は死んでいる。

 目が覚めたとき、体がここに拘束されていた。

 ぼろぼろになったコートで体を包みながら、膝を抱えて金属の塊に背中を預ける。

 私が閉じ込められた部屋は、大昔に使わなくなった洋館のようだった。

 そして、広い部屋には至る所に灰が積み上げられている。

 最初私を捕まえた魔人は、私を拷問に掛けていろんな情報を聞き出そうとしてた。

 だが、動きを封じられたからと言って、異能力を封じられたわけではない。

 私は寄ってくる魔物や魔人を片っ端から斬り刻んだ。

 私の能力はある程度の範囲に入ってしまえば、敵なしの力だ。

 魔人は私を限られたスペースに入れて隔離したつもりだったろうが、この部屋は私の能力でぎりぎりカバーできる部屋だ。

 そして、近づけば魔物にしろ魔人にしろ異能力が自動で攻撃をするようになっている。

 魔人は大量の魔物を送り込んできたが、全て返り討ちにしてやった。

 ここにある灰は全てその残骸だ。

 数日いたちごっこを続けたところで、魔人は一切干渉してこなくなった。

 私から情報を引き出すことより、自分たちに出る被害を天秤に掛けた結果だろう。

 途中で数えていることを止めたが、数十人単位で魔人を殺しているし、魔物に至ってはは最初から数えてなどいない。

「お兄ちゃん、何してるかな……今頃……」

 いつもいつも寝坊ばかりしている兄の姿が頭をよぎる。

 もう、咲乃先輩がお兄ちゃんに真実を伝えているだろう。

 そうでなくとも、お兄ちゃんは私がこっちの世界にいるということは感づいているはずだ。

 咲乃先輩にペンダントを預けているが、それがお兄ちゃんの手に戻っているのかそうでないのか。

 それすらわからない。

 手足にはめられた重い鉄輪をならしながら、鉄塊に背中を預けてうずくまり、膝に顔を埋める。

「無事だと、いいけどな……」

 私は何度目かになるこの世界での眠りに、身を任せた。


    Θ    Θ    Θ


 体中の骨が砕かれている。

 砕けた骨が肉に刺さり、裂け、俺は自身が流した血液の海に鈍い痛みともに沈んでいた。

 霞んだ意識が徐々に戻り始めている。

 視界の端に背の高い木々があり、真上には青空に白い雲がゆったりと流れていた。

 俺は先ほど流した血が、逆に体に戻り始めている。

 もうそろそろ十分ほどたつだろうか。

 体組織が徐々に再生しているのが感じられる。

「はははっ。これで死ぬのは何回目かな」

「覚えてねぇよ……」

 言葉を口にするたびに口の中に鉄の味が広がる。

 ここはミナトの外れにある森だ。

 周囲を大きな木に囲まれた開けた場所で、昔何かの薬品を撒いてしまったとかである範囲だけ草木がほとんど生えてない。

 その広場で、俺は夕樹に何度も殺されていた。

 ありとあらゆる方法で、夕樹に滅多打ちにされている。

 事の発端は今から数時間前だ。 


 三度目となる夢世界への旅。

 俺は柔らかいベッドの上で目を覚ました。

 体を起こすと、ベッド以外にはクローゼットや空っぽの書棚が置かれているだけの簡素な室内が目に映る。

 俺が昨日帰る際に使用した部屋だ。

 基本的に俺たち旅人は夢世界から現世に帰る際に、眠って帰った場所が次回に旅をする場所なる。

 昨日この場で横になって眠り、今日こうして同じ場所に戻ってきたのだ。

 ここは姫神さんの屋敷の一室であり、ここは俺に割り当てられている。

 他の面々もそれぞれ使われていない部屋をもらっており、旅をするためだけに使用している。

 この屋敷を現在使用しているのは姫神さんだけらしく、部屋は有り余っているらしいのだ。

 体を起こして床に足をつける。

 掃除が行き届いていない床から歩くたびに埃が舞い上がり、腕で口元を庇って外に出た。

 時間のあるときにでも掃除しないと体壊しそうだ。

 そして、俺は上に待っているであろう皆の元に向かって、階段を上った。

「じゃ、殺し合いをしよっか」

 夢世界で待っていた旅人仲間、二野宮夕樹は開口一番俺に言った。

 姫神さんの屋敷の一番上の部屋、旅人のたまり場となっている一室で、俺と夕樹は向き合って座っていた。

「えっと、ちょっと待ってくれ……。俺はまだ旅人初心者で、堅気の人間なんだ。そういう隠語は通じない」

 痛みの走った頭を押さえて首を振る。

 夕樹はにこにことした表情で自分の腕を叩いた。

「いや、別に隠語でも何でもないよ。単純に殺し合いをしよって言ってるんだ」

 言ってるんだよじゃねぇよ。

「蓮司はまだ戦闘になれてないでしょ? だから、ちょっとでも戦って、経験値を上げようってこと」

「それがどうして殺し合いに繋がるんだ……」

「せっかく、死なない体なんだよ? だったらお互い殺し合うつもりよりも、本気で殺し合った方が色々と身につくんだよ」

 本当に、この世界でしか使えない無茶苦茶なやり方だなおい。

 呆れて何も言えなかった。

 夕樹は立ち上がりながら俺を外へと促した。

「街の外れにほとんど人がこないと場所があるんだ。そこに行って、お互い殺し合おう」

 満面の笑みを浮かべながら嬉しそうな夕樹。

 頬を引きつらせていると、ソファでぬいぐるみを抱いて横になっていた音夢が言った。

「夕樹は、生粋の戦闘狂、だから」

 ……ただ殺し合いがしたいだけじゃねぇか。

 

 そして、今に至る。

 体が完全に再生したのを確認して、俺は体を起こす。

 あれだけ徹底的にやられたにも関わらず、既に体は違和感一つなく完治している。

「それでも蓮司は中々やるね。なんだかんだで軽く傷をつけられてるよ」

「お前相手にかすり傷は、あってないようなもんだろ」

「ま、それが僕の異能だからね」

 夕樹は自慢げに笑いながら、どこか恥ずかしそうに頬を掻いた。

 俺の体の再生に三十分かかったとすると、夕樹は数分で元の状態まで再生する。

 俺よりも圧倒的に回復速度が速い。

 夕樹は自らの両腕にはめられた腕輪をぶつけて音を立てた。

「でも、僕は異能のいいところはその再生能力と、あとは――」

「隙あり!」

 右手に生み出した結晶の刀を夕樹に向かって振り抜いた。

「おっと」

 夕樹はほとんど驚くことなく体を反らして刀を回避する。

 そして、小さな背丈にあった俺よりも小さな拳を、振り下ろした。

 すかさずバックステップで拳を躱す。

 夕樹の拳は空を切り、地面を打つ。

 次の瞬間、地面が轟音を立てながら陥没した。

 衝撃に地面の土が吹き飛び、激しく巻き上がる。

 飛来した小石の一つが額をかすめた。

 痛みに顔をしかめ、気づいたときには夕樹が目の前に立っていた。

「隙あり」

 ニヤリと笑い、両腕で組まれた夕樹の腕が、真っ直ぐ俺の頭に振り下ろされる。

 そして、再び意識が飛んだ。

 もう何度目かになるかもわからない死を経験し、体が元に戻ると、咲乃が上から俺を見下ろしていた。

「起きた?」

「まだ体が痛い……」

 意識は戻ったとは言え、体の節々までは再生が終わっていない。

 夕樹は少し離れたところで地面に座り込んでおり、笑いながらこちらを見ていた。

「蓮司も中々やるけど、まだまだ甘いね」

「仕方ないだろ。お前の動きについて行ける気がしないんだよ」

 実際、夕樹の体は人間離れも甚だしい。

 動きが同じ人間とは思えないほど素早い上に、圧倒的な力を持っている。

「ま、それが僕の力、肉体強化だからね」

 夕樹は笑いながら自分の服の袖をまくり上げた。

 その下には、黒いパワーリストが二つ付けられていた。

 夕樹の一対で一つの護符だ。

 そして夕樹の異能は単純明快なもの、自身の肉体の強化だ。

 身体能力、視力、聴力、嗅覚、体の機能のあらゆる能力を向上させることができる。

 さらに、夕樹の能力で最も優れているものは、身体機能の向上から得られる超再生能力だ。

 俺たち旅人は、ある程度のダメージを負ってもすぐに回復する。

 しかし、夕樹の場合はそれすら凌駕するほどの速度で体が修復される。

 ただ一度死亡するまでの状態にまで追い込まれてしまえば、回復する速度は俺たちと同レベルになるそうだが、それでも肉体がそもそも強化されている夕樹を死亡させるのは至難の業だ。

 そんな相手に、俺が挑んでも勝ち目などほとんどない。

 深々とため息を落として、かぶりを振る。

「おつかれ」

 のんびりとした口調と共に、遠くで見ていた音夢がペットボトルを渡してくれた。

「サンキュ」

 受け取ったペットボトルを開け、一気に飲み干した。

 からからになった体に水が染み渡っていく。

 夕樹は立ち上がってその場で体を伸ばした。

「蓮司はもう少しこの体の使い方を覚えた方がいいんじゃないかな」

「……この体?」

 俺は眉をひそめて聞き返した。

「そう言えば、音夢も前にこの体は借り物とかって言ったってな。それってどういうことだったんだ?」

 今度は逆に夕樹がきょとんとした。

「……ちょっと咲乃ちゃん、もしかして蓮司の僕たちの体のことを伝えていないのかい?」

「うん。まだ伝えてないよ。先に少し普通に体の動きを覚えた方が、いいと思ったからね」

「それは確かにあるかもしれないけど、もうそろそろいいじゃない? 次の戦いがあったときに間に合わないようになっちゃうよ?」

「だね。それなりに力の扱いも慣れてきたみたいだしね」

 二人が何を言っているのかがわからなかった。

 俺は立ち上がって二人の顔を交互に見る。

「なんの、こと?」

 話している内容が全く理解できなかった。

 咲乃は俺の側に歩いていてくると、ぬいぐるみを抱えたままぼけっとしていた音夢を手招いた。

「音夢ちゃん、ちょっとちょっと」

 咲乃に手招かれて、音夢が首を傾げながらもこちらにやってくる。

「これ少し貸してね」

 咲乃は持っていたぬいぐるみを音夢から受け取る。

 当の音夢はますます眉をひそめている。

「蓮司君」

 咲乃は俺の手を持ち上げた。

 そして、何を思ったのか――

 俺の手を女性特有のふくらみ、胸へと押し当てた。

 ……音夢の。

「「――ッ!」」

 俺と音夢の動きが同時に止まる。

 音夢の柔らかくも大きいふくらみから暖かい体温が伝わってきた。

 体がかぁーっと熱くなる。

「い、いやああああああ!」

 音夢の渾身のストレートが頬に突き刺さった。

「ぐぼぉっ!」

 いつも緩慢な動きをしている音夢からは考えられないほどの力で吹っ飛ばされた。

「な、何するのこの変態!」

 音夢が地面に倒れた俺に怒りをぶつける。

「俺に言うな俺に……」

 じんじんと痛む頬を抑えながら呻く。

 俺の前に、咲乃が笑いながらしゃがみ込んだ。

「ごめんね蓮司君。それで、どうだった?」

「……柔らかかった」

 俺の顔にライオンのぬいぐるみが投げつけられた。

 咲乃は込み上げてきた笑いを噛み殺すと、自分の胸を指で叩いた。

「そうじゃなくて、これは感じられたかって聞いてるの」

 感じられたというのがあっち方向の話かとも思ったが、そうでないことはすぐにわかった。

 最初は何を言っているのかはわからなかったが、俺の指は自然と自分の胸へといく。

 青地のシャツの下は自分でもはっきりとわかるほど熱くなっているのを感じた。

 さらに、あまりの緊張に胸が早鐘のように……

 そして、気付いた。

「え……」

 手首にも手を当て、首にも手を当てる。

 だが、いつか待っても、場所を変えても、全く何も感じられない。

 先ほど、音夢の胸を触らせられたときにも思った。

 体温は感じたが、他は何も感じなかった。

「わかった?」

 咲乃が問うてきた。

 体温はある。血も流れている。体も動き、呼吸もしている。

 ただ、一つ自分の体に明らかにおかしな点がある。

「心臓が、動いていない……?」

 咲乃が真剣な表情で小さく頷いた。

 心臓の鼓動どころか、脈拍さえ感じられない。

 全く動いていなかった。

「これは、どういうことなんだ?」

 戸惑いを隠すことができずに、俺は咲乃に聞き返した。

 咲乃は俺から離れながらくるりと体を回転させ、自分の胸に手を当てた。

「私たち、旅人は、この世界では生きている人間じゃないの。私たちの体は、音夢ちゃんの言う通り、借り物の体だから」

「借り物って、一体何から借りてるって言うんだよ……」

「もちろん、この体の持ち主たちからだよ」

 こともなげに言って、咲乃は寂しげな笑みを浮かべた。


「旅人の体は、元々はこの世界の私たちの体。そして、この世界から消滅してしまった、もう一人の自分の体なの」


「死人の体、ということか」

「簡単に言ってしまえば、そういうことだね」

 俺たちの体は、元々この世界に住んでいた、この世界の自分の体ということだ。


 以前、この世界は俺たちの現世のパラレルワールドということを咲乃から聞いていた。 その際に、少し気になっていたのだが、パラレルワールドということならばこの世界に俺自身がいるはずだった。いや、むしろいない方がおかしいというべきか。

 十年ほど前までは、まったく同じ形だったというのだから、俺たちは既に生まれてこの世界にいたはずだ。

 だが、この世界の事情が事情なだけに、俺たちの存在が既に消えている、または死亡していてもそれはおかしくもないことだと思っていた。


「前に言ったけど、私たちの世界のキャパシティは、魔族の侵略によって激減した。この世界には数十億という人間が消滅してしまったけど、魔人たちは数十億もやってきたわけじゃないんだ。人類の大部分が消えてしまった原因はキャパシティが激減してしまったことにある。でも、そこにさらに魔族が侵略してくるとどうなるか」

「キャパシティから、弾かれた人間が出てくる」

 そして消えてしまったのが、俺や咲乃たちが旅人として使っている体の元の持ち主というわけだ。

「その通り。私たちの体の持ち主は、少し前まで確かに存在していた。しかし、その存在たちはただ消えるだけではなく、助けを求めた。それが、平行世界にいる私たち。蓮司君はないかな。初めて護符を手にしたとき、会わなかった?」

 俺が初めて護符が俺の手に来たとき、夢を見た。

 その夢の中で、俺は確かにもう一人の自分に会っている。

「この世界で消えてしまった人間が、皆そんなことをできるわけじゃない。でも、確かな願いや思いを持った人間が世界を超えて、助けを求めた。そして力と、世界を超える護符を与えられた」

 咲乃が自身の護符であるヘッドホンに触れる。

 俺の手も、無意識に翡翠のペンダントへと伸びていた。

「これは、ただのヘッドホンでも、それはただのペンダントでもない。夢世界に元々いた、もう一人の私たちの消える直前に身につけていたもの、遺品なんだ」

 護符が、どういった基準で選定されるのかは疑問にも思っていた。

 どんなものでもいいのか、何かでないといけないのか。

 俺たちの護符は全て種類が別物だ。

 ペンダント、ヘッドホン、ぬいぐるみ、パワーリスト。その種類には一貫性がない。

 だが、それが元々誰かが所持していたものというなら至極当然のことだ。

「私たちの体は、生きた人間のものじゃない。元はこの世界で生きて、消滅した人間のものなんだ」

 だからこそ、この体は借り物なんだ。

 この世界の、もう一人の自分の体。

 だから、体は人間と一見同じものであるが、生きた人間の体ではない代償として、心臓が停止した入れ物の体となっている。

「だから、僕たちの体は異能を使わなくても生身の人間より遙かに凌駕している」

 夕樹はそう言って、腕からパワーリストを外してポケットに押し込むと、素手で離れた場所にあった木に拳を殴りつけた。

 異能を使っていない一撃にも関わらず、拳は木の中程までをいとも容易く砕き、木は大きな音を立てて倒れてしまった。

「蓮司だって、それなりに人間離れした動きをしていたと思っていたけど、覚えがない?」

 思い返せば、おかしな部分はあった。

 俺の異能は結晶の武具を創り出すこと。

 だが、俺は魔人が空中から振り下ろされた剣を受け止め、刀で斬り付けて吹き飛ばしもした。

 今考えれば、特に体を鍛えてもいない俺があんな動きができるはずがないのだ。

 他にも気になることはある。

 この世界では、旅人はある程度喉は渇くしお腹もすく。

 トイレに行きたくもなるし、それなりに睡魔もある。

 だが、どれも絶対に必要というわけではないようなのだ。

 おそらく飲食を一切しなくとも死にはしないだろう。

 それが全て、この体が生きている人間のものではないからと考えれば、全て納得がいく。

「自然破壊は、止めるように」

 音夢がジトッとした目で、夕樹をたしなめる。

「いや、ごめん。もうしないから。どうどう」

 夕樹がいそいそと木から離れながら手を振って音夢に頭を下げる。

 咲乃はその光景に苦笑しながらも、倒れている俺に手を差し出した。

 俺がその手を掴むと、少女とは思えない力で引き上げられた。

「私たちは、助けを求められたんだ。行った先の、もう一人の自分にね」

 咲乃はまた寂しそうな笑みを浮かべた。

 その表情が何を思ってのことなのか、俺にはわからなかった。

 ただ、違和感を覚えた。

「私たちが与えられたのは、異能ともう一つ。人間本来の体を凌駕した肉体なんだ」

 それは俺もできることだと、咲乃は言う。

「別段難しいことじゃないよ。ただ、自分の体が普通の人間の体じゃないことを認識して体を動かすことだけ。何も考えなければ、普通自分が動かせる範囲の力しか使えない。でも、それ以上のことができるって認識するだけで、可動範囲はずっと違うよ」

 咲乃から離れ、俺は手を開いたり閉じたりしてみる。

 今のこの体が元々現世の体とそこまで違いがあるように感じられない。

 だが、体が普通の人間と違うと意識すると、確かに何かが変わってきた。

「さて」

 再び腕にパワーリストをはめながら、こちらに向かってきた。

「蓮司、それを意識した上でもう一度やってみようか。僕は確かに肉体強化をするから僕と同等ってわけにはいかないけど、これまでよりは明らかに変わると思うよ」

「……了解。やってみるよ」


 咲乃たちの監視の下、数日間特訓は続いた。

 俺が最低限戦えるようにと、日がな一日夕樹と戦う。

 ミナトの近隣に魔物が出ることもあったが、その際はミナトの異能者が対処したり、咲乃や音夢が出張ったりで、俺は出させてもらえなかった。

 魔人の取り調べは依然続いている。

 中々に口を割らずに手こずっているようだ。

 雫を早く助けたいと思うのだが、実際この世界は現世と同じ広大な面積があるのだ。

 手掛かりがない以上、手掛かりを探すにしてももう少し力を付けてからという咲乃の判断だ。

 現代技術のおかげで、雫が現世ですぐに死亡するという可能性はきわめて低い。

 雫の体は心肺などには何ら問題ないので、生命維持装置でひとまずは大丈夫と、担当医からも言われている。

 当たり前だが、原因がわからないのでいつ目を覚ますかもう二度と冷まさないのかさえわからないとのことだが。

 そして、転機が訪れた。

 その日も夕樹と夢世界に来ると同時にひたすら戦い続けていた。

 夕方も近くなってきたとき、木に背を預けて音夢とおしゃべりをしていた咲乃のポケットが音を立てた。

 ひたすら組み手をしていた俺と夕樹は動きを止める。

 取り出されたのは旧式の携帯電話だった。

「わかりました。すぐに行きます」

 咲乃はポケットに携帯電話をしまいながらスカートから土を払いながら立ち上がった。

「ちょっと二人ともー、今日はちょっと早めに上がるよ。真奈さんからの呼び出し」

「この間の、魔人の件?」

 咲乃と話ながらもうとうととしていた音夢が目をこすっている。

「うん。そうみたい。ちょっと私たちも立ち会ってくれってさ」

 呼び出されて向かった先は、ミナトの中心に位置する建物だった。

 ほとんどの街が退廃しているこの世界で、ミナトの中心は元の状態を保っている。 

 俺たちの世界の都会の一部を切り取ったような、高層ビルが建ち並ぶ町中。

 その中で、市役所としてミナトを管理している場所がある。

 そこに、俺たちは呼び出された。

 高層ビルの最上階を訪れる。

 咲乃が扉をノックすると、中からどうぞと返事が返ってきた。

 扉の横には大会議室と書かれている。

「失礼します」

 咲乃が断りながら部屋に入る。

 左右には窓があり、正面にはホワイトボードとスクリーンがある。長机と椅子が所狭しと並んでおり、相当な人数が収容できるようになっていた。

「やあ、よく来たね」

 スライドの前で話をしていた二人がこちらを振り返った。

 一人は、カーディガンにジーンズという姿の姫神さんだ。

 もう一方は、二十歳後半ほどのスーツ姿の男性だった。

 短く切りそろえられた黒髪に、黒縁眼鏡を掛けたまじめそうな男性だ。

 二人の前まで行くと、男性は俺を見て笑顔を浮かべた。

「おお、そっちの彼が新たな旅人かな?」

「はい。そうです。ついでに言うとこの間の魔人を捕まえるのに協力してくれた人でもあります」

「そうかそうか。いや大したものだ」

 男性は感心したように言いながらこちらに手を差し出した。

「私はここの市長をやらされている、烏丸斗真だ」

「……篠崎蓮司です」

 俺は烏丸さんの手を握り返した。

 聞き間違いでなければ、今この人やらされているって言わなかったか?

 俺の心中をまるで察しずに、烏丸さんは悲しげに眉を落とした。

「ああ、そういえば、雫さんのお兄さんだったんだね。雫さんをさらわれてしまって、

申し訳ない限りだよ」

「いえ、気にしないでください。あいつが勝手にやって勝手にさらわれただけです。それに、どちらにしても助けるので心配しないでください」

 はっきりと告げると、烏丸さんは少し驚いたように目を見開いたあと、穏やかに微笑んだ。

「そうだね。私たちも、協力するよ」

 烏丸さんは手元にあったパソコンを操作すると、部屋の窓に全てブラインドがかかり、スクリーンにパソコンの画面が表示される。

「とりあえず適当に座ってくれ」

 俺たちはスクリーンの正面に腰を下ろした。

 夕樹はぼけっとしながらスクリーンを眺め、音夢に至ってはぬいぐるみを抱えたまま既にうとうととし始めている。

 大丈夫かこいつら……。

 スクリーンに一番近いところに座った俺と咲乃は、映し出された画面に目を向ける。

 映し出された画面が切り替えられ、鎖に繋がれた魔人が映し出された。

 相当暴れたようで、鎖が繋がれている手足は血だらけになり、周囲の石造の壁や床が傷だらけになっている。

「これは、蓮司君が先日捕まえてくれて魔人だよ。尋問する際にも大人しくしないものだから苦労したよ」

「異能によって逃げられるってことはないんですか? あいつ、炎を生み操る異能を持ってみたいですけど」

「大丈夫だよ。この魔人を繋いでいるのは私の力によって作られた鎖だ。私の異能は【封印】。対照の異能を使えなくするというものだ。こういう形で繋ぎ止めておかねば効果を発揮しないから、万能ではないけどね」

 つまり戦闘中などには効果を発揮できないということか。鎖に繋ぐ前に相手の異能に殺されるのが落ちだろう。

「烏丸さんが鎖をはめるだけでも一苦労だったわ。何人か怪我人が出るほどにね」

 しかし、それほどの被害が出ても尋問することは必要なことなのだろう。

「聞き出せた情報は僅かだが、有用な情報は確かにあったよ。それで君たちにも聞いてもらいたいと思ってきてもらったんだ」

 まず彼らが聞き出したことは、魔族がどういった経緯でこの世界に侵略をしてきたかということ。

 これは、魔族がこの世界に現れるようになってから十年以上経つ現在でも解明されていないそうだ。

 烏丸さんは魔族が現れるようになってから十年以上ずっとそのことについて調べているそうだ。

「私は元々学者でね。今年で二十九だが、学生の間に世界がこんなことになってから、自分なりに調べてきたんだ。物理学で平行世界のことを手段として大学で勉強していたこともあって、興味は尽きなかったからね」

「私がこれまで話してきた異世界の話も異能のことも、旅人のことも、全部烏丸さんが考えてくれたんだ」

「まあ全て推論の域は出ないけどね」

 烏丸さんは少し照れたように笑って言った。

「それで色々研究をしている内に、いつの間にか市長に祭り上げられてしまってね」

 烏丸さんは机に手を突いてがっくりと項垂れる。

「もっと研究に没頭したいのに、皆が私に市長になれと囃し立てるんだ。そんなの他の人間がやればいいのに……」

 誰かを呪い殺しそうなどす黒いオーラを纏って烏丸さんがぶつぶつと呟く。

「仕方ないじゃない。あなたが様々な推論を立てて指示を出したおかげで、ミナトの人間は生き残ったのよ。当然よ」

「指示なんて出してないやい。ただ適当に口にしてたのを他の人間が聞いていただけじゃないか」

 子どものような口調で言い連ねる姿はとても市長には思えなかった。

 学者として優秀だった烏丸さんは、自らの大学が機能しなくなるまで人が消失し、起きた現象に対して推論を立て始めた。

 魔族の出現、さらに異能を使える人間の出現。

 それらに対して烏丸さんは的確な推論と対処方法を打ち出した。

 それにより、幾度となくミナトは救われてきた。

 カリスマ性と言ってしまえばそれまでだが、烏丸さんには人を引きつける魅力があったのだろう。

 知らず知らずのうちに前に進んでいった結果、いつの間に市長になっていたということだ。

 なんとも言えない悲壮感が漂った。

「ま、その代わりにある程度の研究施設なんかを準備してもらっているがね」

 それは餌をつるされているだけではなかろうか。

 口にはしないが。

 咳払いを一つ落として、烏丸さんはスクリーンに目を向けた。

「話を戻すが、結果として魔族がなぜこの世界にやってきたのか。その辺りのことは結局何も話さなかった。いや、あの様子なら、話さなかったというよりも知らないという可能性もあったな。ただの駒ということも考えられる」

 あれで、末端のいう可能性があるのか。

 まだ力の使い方さえほとんど知らなかったとはいえ、一対一で初めから相手が本気だったら間違いなく敗れていた。

「だが、一つ情報を掴んだ」

 手元のパソコンを操作すると、スクリーンの画面が切り替わった。

 表示されたのは地図だった。

 衛生などは生きているものがあるのか、GPSで現在情報が記されている場所があった。

 地図がさらに拡大されると、ミナトの全体が表示され、さらに広範囲のものへと切り替えられる。

 ミナトの南方五十キロほどの場所に、赤い丸がつけられた。

「魔人から得られた情報によると、ここの辺り一帯は魔人が現在砦としている場所の一つらしい」

 元々は廃都市とのことだ。

 人は一切住んでいない街で、そこを魔人が基点としているらしい。

「その情報、確かなんですか?」

 一応話を聞いていたらしい夕樹が話に入ってきた。

「この世界にやってきた情報と、現在拠点としている情報。どっちが魔族にとって重要なのかはわからないですけど、とても仲間を売る情報とは思えないですね」

 確かに、軽々しく口にする情報とも思えない。

 しかしそれは烏丸さんも重々承知しているようだった。

「そうだね。確かに、情報の重要度からすると漏らしていいものとは思えない。ただ、この魔人の考えを察すると、こっちの人間が乗り込んでくれて壊滅してくれというようなニュアンスがあった。自分たちが負けるわけがないと、絶対的な自信を持っているようだ」 魔人が使役する魔物。

 俺たち異能者でどうにか倒せる生粋の化け物。

 そんな砦に攻め込むことは、確かに相当な危険を伴うだろう。

 異能者もその能力は様々だと聞いている。

 俺たちのように戦闘に特化しているものばかりではない。

 姫神さんの復元や、烏丸さんの封印のように、戦闘には向かない能力もある。

 このミナトの戦える人間を全てかき集めたとしても、攻め落とせるかどうかはわからない。

 烏丸さんは眼鏡のブリッジを指で押して口を開いた。

「そして、以前捕らえられた不死の少女もここにいると証言した」

 俺は驚いて立ち上がった。

 椅子が勢いよく後ろに激突し、半分眠っていた音夢がビックリしている。

「雫が、妹がそこにいるんですか?」

 拳を握りしめ、今にも部屋を飛び出していきたい衝動に駆られた。

 前に立つ烏丸さんは目を細めてこちらを見ている。

 再度口を開こうとしたところで、服の袖を引かれた。

「蓮司君、落ち着いて。とりあえず座りなよ」

 あくまで冷静な咲乃にたしなめられ、力が抜けて椅子に腰を下ろす。

 後ろから何度も拳がぶつけられてくるがスルーした。

「そうだよ蓮司君。ひとまずは落ち着くことだ。焦っても何にもならない」

 烏丸さんは微笑を浮かべながらそう言い、スクリーンの丸で囲まれた部分を叩いた。

「不死の少女、そんな存在は世界がこんな形に変革されても、旅人以外ではありえない。ここに捕らえられているのは、篠崎雫さん以外で間違いない」

 異能によって不死になる可能性がないわけではないらしいが、世界中でもそんな大それた能力は確認されていない。

「我々の持つ異能とは、世界の存在そのものが揺らいでしまったが故に得られた副産物だ。そして、一度死亡するということは存在が消えること。つまりはあらゆる能力を持っていても消滅してしまってはどんな異能を持っていても機能しない。君たち旅人を除いてね」

 俺たち旅人は、本来この世界から消滅してしまったもう一人の存在を借り受けた形で現界している。

 そして、その体の基点は現世と夢世界の間に不安定な形として存在している。

 俺たち旅人はこちら側の世界に来る際に意識だけが現世の体から分離し、世界を渡る際に一度失われたもう一人の自分の体を受肉する形で、夢世界へと現界する。

 そのため、この体の基点は常に現世と夢世界の間にあり、夢世界で体が欠損したとしても大本の体が壊れていないため何度でも修復される。

 それが烏丸さんが現在立てている推論だ。

「魔人にとって、不死の存在、旅人の力が相当厄介なものになり始めたのが、旅人をさらうことになった発端らしい。この世界の我々に比べて、君たち旅人の戦闘力は明らかに高い。異能面からも肉体面でもね。相手にしてみれば、ただでさえ強敵なのに倒すことさえできないのであれば、それは恐怖だろうからね」

 だから旅人を捕獲するという考えは、今考えれば至極当然なものだったと烏丸さんは言う。

 魔人はこれまで、魔物を使役して人類をいとも簡単に追い込んでいた。

 しかし、そこで出現したのが旅人という存在だ。

 それにより、魔人がミナトに侵攻する速度は明らかに低下したということだ。

 倒せないなら、捕まえて行動を封じてしまえばいいだけの話だ。

「君たちが見えるという加護。その範囲外に出ていた雫さんが捕らえられたのは偶然だろうが、加護の範囲外に出てしまった雫さんは、元の世界に戻ることができずに不死の体のまま、ここにいるんだ」

 もう数週間の間ね、と烏丸さんは目を伏せて言った。

「だからこそ、雫さんは絶対に助けなければいけない。そのためには、君たちの協力が必要――」

 烏丸さんの言葉を遮るように、会議室の扉が激しく叩かれた。

「市長、失礼します!」

 返事を聞くのももどかしかったのか、部屋を叩いていた主は会議室に飛び込んできた。「なんだ譲原君か。どうしかしたかね? そんなに慌てて」

 部屋の飛び込んできたのはこの市役所の役員だったようだ。

 譲原と呼ばれた人物は、二十歳そこそこの若い男性だった。やや長めな茶髪を持ったスーツ姿の職員だった。

「お話中失礼します! ご報告があって参りました!」

 現れた譲原さんはひどく取り乱しており、額には大量の汗を浮かべていた。

「先日捕らえられた魔人が脱走しました!」

 途端に、烏丸さんと姫神さんの目の色が変わる。

「どういうことかね。どうやったら脱走できるんだ?」

「わ、わかりません。封印の鎖が外れており、気が付いたときには既に檻の外に……」

「詳しい話は後で聞く。それより、逃げた魔人はどこに?」

「ミナトの南方へと逃亡中です!」

 南方というと、魔人たちの砦があるという方向か。

 素直に砦に逃げ帰ろうという訳か。

 その情報を聞くと同時に、咲乃は弾かれたように窓に向かっていった。

 ひもを引いて窓を閉め切っていたブラインドを力任せに上げる。

 俺たちも窓に駆け寄る。

 街は所々煙が上がっており、その煙は南の方向に向かって走って行った。

「追いかけます! 真奈さん、この窓直しておいてください! 蓮司君!」

「了解!」

 素早く右手に刀を生み出す。刃を極限まで薄くした刀だ。

 刀を何度も振り抜き、窓が綺麗に切断される。

 咲乃の風の力によって、窓が手前に落ちた。

 突風が部屋の中に入ってくるが、すぐに咲乃の力によって押さえつけれた。

「皆はここに残ってて!」

 全身に風を纏い、咲乃は超高層ビルを飛び出していった。

「俺も!」

「え!? ちょっと蓮司――」

 音夢の制止を後ろに聞きながら、自らが斬り裂いた窓の切れ間から勢いよく飛び出して外に飛び出す。

 二百メートルにもなる高層ビルからのダイブ。

 一瞬見えた視線の先では、咲乃が風を纏い空を飛んで行っていた。

 風を使って空を飛べるなんて、相変わらずとんでもない能力だと思う。

 今の俺にはあんな真似はできないが、咄嗟に飛び出してきたものの、これくらいならどうにかなると内心では思っている。

「せっかくの雫の手がかりを、そう簡単に逃がしてたまるか!」

 右手に持っていた刀の先を、鈎状に変化させる。

 刀を振りかぶり、振り抜く。

 刀身を形成した結晶が延々と伸びていく。

 それは市役所から離れたビルにあった屋上に引っかかった。

 体はビルはさながらターザンのように弧を描きながら落下していく。

 俺の異能は、結晶によって様々なものを生み出すことにあるが、それは刀に用いているように硬質なものである必要はない。

 結晶は、逆に伸縮性を持った軟度のものも生成することができるのだ。

 それは縄のようにもすることができる。

 ある程度高度が下がり鈎を引っかけていたビルに近づいたところで、さらに左手に生み出した鈎をさらに他のビルに引っかける。

 何度か引っかけることには失敗したが、自分が失敗しても死なない体を持っていると考えるとそれなりに冷静にやり直すことができた。

 そのまま建物を使いながら相当な距離を稼いだところで、勢いよく人がいない場所に着地した。

 遠くにいた人が何事かと視線を向けてくるが、構わず走り出した。

 咲乃は既にずっと先まで進んでおり、既に見えなくなっている。

 先ほど、俺の体は既に亡くなったもう一人の自分のものであるということを、咲乃から聞いた。

 それを意識するだけで、自分がどれほど身体能力を押さえて使用していたかを知った。

 地面を蹴れば体が前に車より速い速度で飛び出し、ジャンプをすれば二階建ての家をいとも簡単に飛び越える。

 人間離れした身体能力は呆ける人たちの間を駆け抜け、一気に街の外までやってきた。

 進行方向で大きな爆発が起こった。炎を伴った爆発は、真っ黒な煙を伴って爆発している。

 あれは魔人の能力によって作られたものだ。

 ここまで来れば近辺にあるのは田畑や農園がある程度だ。

 近くに誰かいたとしても、これなら既に退避しているだろう。

 俺はさらにスピードを上げて畑に囲まれた道を駆けていく。

 再び爆炎が上がる。

 その煙を突き破るようにして、以前俺を捕まえた魔人が飛び出してきた。

 俺は手に十メートルにもなる刀を生み出し、それを空中にいる魔人に振り抜いた。

「なっ――」

 魔人が驚いて体に炎を纏って防御する。

 構わずその上から刀を叩きつけた。

 こんな十メートルもの長さの刀を打ち付けたところ、普通はダメージにはならない。

 だが、相手が空中にいて踏ん張りがきかず、さらに体感的に理解し始めたばかりのこの体の力を使えば――

「せいっ」

 空中にいた魔人が勢いよく弾き飛ばされる。

 爆炎を突き破り、魔人が地面に体を打ち付けた。

「蓮司君!?」

 少し違和感のある音が耳に届く。

 炎から体を防ぐように周囲に風を巡らせた咲乃が反対側にいた。

「追いかけてきたの!?」

「おお、せっかくの情報源を逃がすわけにはいかないからな」

 俺の声を拾って咲乃が頷く。

「まだ話していないこともあるだろうから、洗いざらい話してもらわないとな」

 地面から倒れていた魔人が体を震わせながら起き上がる。

「つ、ついてねぇ……。やっと逃げ出されせたのによ……!」

 魔人は口の端に流れ出た血を拭い、歯を食いしばって唸った。

「お前にはまだ聞きたいことがあるんだ。大人しく牢屋に戻れ。これ以上、痛い目を見たくなければな」

 短くした刀の切っ先を魔人に向けながら忠告する。

「けっ、手を抜いてやっていれば偉そうに。もう手を抜く必要はねぇ。消し炭にしてやる!」

 周囲の景色を歪めるほどの熱量とともに紅蓮の炎が魔人から溢れ出す。

 俺たちの周りにある田畑の食物、道ばたの草などが一気に蒸発する。

 頬を焦がすほどの熱気が頬を焼く。

 咲乃は周囲に風を張り巡らせて熱気自体を防御していた。

 この世界で一番熱を通さないもの、それは空気だ。魔法瓶なんかがいい例である。

 咲乃は周囲に大気の膜を幾重にも張り巡らせることによって炎と熱を遮断している。

 かくいう俺は、結晶を創り出す力のみ。

 だが俺の力は、様々なことに変化させることができる

「くたばれ!」

 どす黒い殺意とともに、魔人の手に生み出された灼熱の炎が放たれる。

 俺はその炎に真っ直ぐ手を向けた。

 空中に、厚さ数ミリほどの薄い結晶が創り出される。

 向こう側が透けるほどの、素手で叩けば割れそうなほどの結晶だ。

 その結晶に、炎が激突する。

 一見、結晶はいとも簡単に砕けそうに見えた。

 だが実際の結果は、大きく異なった。

 魔人が放った炎が、まるで水をかけられたかのように消える。

「――は?」

 それに一番驚いたのは、炎を放った魔人自身だったろう。

 呆けような声を出し、目を大きく見開いた。

 その一瞬に、俺は姿勢を低くして走り出した。

 今も大地を焼いている熱気の中を駆け抜け、先ほど作りだした結晶を突き破り魔人に接近する。

 魔人は我に返り再び火球を放って迎撃する。

 空中に飛来する火の玉に合わせて先ほどと同様の結晶をいくつも生み出し、ぶつけるように打ち出した。

 相手は触れただけで炸裂し周囲に甚大な被害をもたらす炎でありながら、こちらは一見ただの石つぶて。

 しかし、それらの石つぶては全て相手の火球とぶつかると、一瞬で相手の炎を打ち消した。

 その隙にさらに距離を詰め、右手に刃渡り一メートルほどの歯引きした切れない刀を創り出す。

 至近距離から放たれた炎をかいくぐり、がら空きになった腹に刀を振り抜く。

「がっ――」

 限界まで強化された腕力が力任せに魔人の腹を打つ。

 吹き飛ばされた魔人は空中で体勢を立て直し、地面に着地する。

 だが――

「おつかれさん」

 魔人が着地した場所は、不自然な影が下りていた。

 影に覆われた魔人が視線を上に上げると同時に、頭上から落ちた巨大な岩が魔人を押し潰した。

 周囲に漂っていた熱気が急激に冷めていく。

 一度戦った相手だ。

 捕まえているとは言え、一度は負けかけた相手。

 それなりに対策もする。

 ある程度炎と熱にどう対処すればいいかもイメージが掴めていたので、思いの外簡単にケリがついた。

 燃えていた炎は収まり、熱い空気を咲乃の風が洗い流した。

 刀を消し、俺は頬やシャツについた煤を払った。

「やるようになったね」

 咲乃が笑いながら俺の肩を叩いた。

「先生たちがいいんでな」

 実際、たった数日という期間でここまで戦えるようになったのは驚きだがそれは咲乃たちに教えてもらっている部分が大きい。

 昔から少し運動神経に自信がある程度だったが、体が強化できるとわかって飛躍的に強くなった。

 そして、戦い方がペンダントを通して流れ込んでくるのだ。

 それはきっと、元々このペンダントを持っていた、この世界にいたもう一人の俺の、記憶、知識、経験。

 力を扱うたび、溢れてくる。

 右手を振って刀を消すと、魔人を押し潰していた結晶も消えた。

 地面には深い溝が刻まれており、その下から動かなくなった魔人が出てきた。

「死んでないの?」

「大丈夫。そんなに無茶はしていない」

 俺の言葉に反応するように、魔人が呻いた。

 体中に相当なダメージを負っており、すぐに動けるような状態ではない。

 もうすぐすれば他の追っ手も来るだろうし、

 穴が空いた地面から這い出るように、震えながら曲がった腕が覗く。

 既に立って歩くこともできないほどの重傷を負っているにも関わらず、魔人は立ち上がろうとしている。

 収まることを知らない殺気を孕んだ双眸が、俺と咲乃に向けられる。

 普通の人間なら、先の一撃だけで全身がぐちゃぐちゃになり死亡しているだろう。

 こいつらがどういう種類の生物なのかはわからないが、体色や肉体的な面を覗けば、形だけ見れば人間だ。

 人語を理解してることから見ても、生物学的に高位に位置する生物だろう。

 だが、明らかにこいつらは俺たちは全く異なる生物には違いない。

「ぶ、ぶっ殺してやる……!」

「大人しくしとけよ。下手に動くと死ぬぞ?」

 体中の骨や内蔵はぼろぼろになっている。

 そんな状態で無闇に動けば、十分命に関わる。

 俺の言葉に聞く耳を持たず、魔人は穴から這いずり出ると、ふらふらとした足と取りで立ち上がった。

「だ、黙れ……! 俺を、な、めやがっ――」

 魔人の言葉が、最後まで続くことはなかった。

 突然、魔人のぼろぼろの服の隙間から、黒い液体が溢れ出してきた。

 どろどろとした黒い液体は、瞬く間に魔人の体中に広がっていく。

「う、うあっ、やめっ――」

 必死にもがき黒い液体を振り払おうとするが、魔人の抵抗を一切受け付けずにぼろぼろになった体を侵食していく。

 俺と咲乃は理解ができない光景に身動き一つとれずにいた。

「あああああああああっ――――」

 魔人の頭部まではすっぽりと覆い尽くし、体表どころか全身がどす黒いヘドロのようなものに魔人の体は包まれてしまった。

 それと同時に、魔人の体は一メートルほどの球体に変化する。

「ッッ! ダメッ! 離れて!」

 俺は咲乃に胸を突き飛ばされるようにして、球体から無理矢理引きはがされた。

 直後、俺たちの後方で球体が弾けた。

 容積が元の比ではないほど大きなものへと変化し、そこらの建物を優に超すサイズまで膨れ上がる。

 咲乃が引き離してくれなければあの巨大化に巻き込まれてしまっていたかもしれない。

 そして、一瞬の制止のあと、途方もなく大きくなった黒い液体は、一つの形を形成した。

 漆黒の巨人。

 全身を黒い体表に覆われた、三十メートルを超す巨体を持った生物だ。

 大木のように太い足と丸太のような両腕、毛髪などはない禿頭には無機質な表情な顔が張り付いていた。

 さらに、体の所々から赤い炎が吹き出しており、自身の黒い体を浮き彫りにしていた

「――――――」

 巨人が、空に向かって咆哮した。

 空気を振るわせるほどの雄叫びが轟き、俺は両耳を腕で塞いだ。

 咲乃もヘッドホンを押さえながら不快そうに顔をしかめている。

 だが、はっとしたように目を見開くと、咲乃は慌てたように俺の手を掴んだ。

 同時に、周囲から音が遮断され、周囲に幾重にも空気の膜のようなものが張り巡らされた。

 巨人が太く黒い両腕を組み合わせ、大きく振りかぶり、それを足下の地面に叩きつけた。

 叩きつけられた場所が爆弾が炸裂したように爆ぜる。

 とてつもない量の炎が巨人の足下から広がり、それは津波のように一気に周囲へと広がっていく。

 数十メートル離れていた俺たちの場所にまで炎が押し寄せてきて、俺たちを覆い尽くした。

 咲乃が遮断してくれていたにも関わらず、大気の障壁を通り抜けて熱や衝撃が伝わってくる。

 炎が徐々に収束を初め、景色が晴れる。

 俺たちの周囲は、先ほどまで戦闘によって荒れていたとは言え、野菜や木などもあった緑が多い場所だった。

 しかし、辺りは僅かな時間で焦土と化していた。

 草木は灰になり、地面の水分は蒸発し、焼け焦げた大地が広がっている。

 咲乃が素早く手を振ると、大気の障壁が崩れると同時に突風を起こして周囲に残っていた熱を吹き飛ばした。

「咲乃……」

「うん、わかってるよ」

 俺は心臓が動いていないにも関わらず焦りで胸が苦しくなっていたが、咲乃は努めて冷静な視線を巨人へと向けていた。

 見た目は人の形をしている。大きくなったとは言え、それは変わらない。

 元々その存在は、魔人であったはずだ。

 先ほどまで俺が戦っていた存在、炎使いの魔人であったはずだ。

 しかし、今俺たちの目の前にある存在は明らかに別の存在へと変化していた。

 それは、この世界の人々が、魔物と呼ぶ生物に違いなかった。

 再び巨人が吠える。

 それを合図に、巨人は俺たちに向かって一直線に走り出した。

 地響きを鳴らし地面を抉りながら進んでくる。

 俺は両手に刀を生み出して咲乃の前に立ちふさがる。

 だが、俺が何かするより早く、後方からも大きな足音が聞こえてきたかと思うと、黄金色の体毛を持つ生物が巨人に突進した。

 現れたのは巨大なライオンだ。

 胴体に直撃したライオンの体当たりを受けて、巨人がよろめいた。

 巨人はすぐに体勢を立て直し、ライオンに掴みかかる。

 だがそれより早くライオンの頭から小さな影が飛び出した。

「大物だーーーーー!」

 嬉々とした叫び声を上げながら小さな影、夕樹が引いた拳を巨人の額に叩き込んだ。

 先ほどライオンの体当たりを受けてもよろめいただけのライオンが、まるで頭をバットで殴られたかのように大きく仰け反った。

 夕樹の体は殴った衝撃で少し後ろに下がったが、ライオンの鼻っ面を足場に再び飛び上がる。

「もう――一丁!」

 夕樹は空中で体を回転させながら、先ほど拳を叩き込んだ場所に踵落としを打ち下ろした。

 息も吐かぬ連撃に巨人の体は焼けた大地に叩きつけられた。

「下がって!」

 咲乃が叫び声を上げると同時に、倒れたばかりの巨人が腕を伸ばし、空中にいる夕樹を掴み取った。

「ちっ……」

 小さな夕樹の体はいとも簡単に巨人の手のひらに収まり、そのまま、握り潰された。

 真っ赤な血液が握りしめられた指先から吹き出す。

 直後、俺たちは巨人から大きく距離を取った。

「真奈さん! 魔人が大型の魔物に姿を変えました! こっちには来ないでください!」

 声を張り上げて咲乃が離れているところにいるであろう姫神さんに伝える。

「周囲の人間を避難させてください!」

 咲乃は焦げた地面を踏みしめて駆ける。

 傍らに立っていたライオンが粒子となって消え、背中に乗っていた音夢が降り立った。

「蓮司、戦える?」

「当たり前だろ。それより夕樹は?」

「大丈夫、ほっとけば治る」

 巨人が握り潰した肉塊を投げた。

 べちゃりという音をたてて夕樹だったもの、夕樹に戻るであろうものが地面に落ちた。

 視界の端ですでに動き始めている。

 これが普通なら絶望に怒りを露わにするところだろうが、俺たちは死なない体を持っている。

 特に俺と夕樹はここ何日かだけでも相当な死を経験している。

 夕樹の体という体を斬り刻み、俺は完膚なきまで叩きつぶされることを、数えるのも面倒になるほどやり合っている。

 いかなる傷も治るということは、体を動かして疲労を感じたとしてもすぐに疲れが感じなくなるのだ。

 ある程度までは疲労が蓄積するが、すぐに楽になるのだ。

 そんな体質をいいことに、ほとんど動き続けて体に戦い方を感覚で体に覚え込ませた。

「来る」

 音夢が短く言い放つと同時に、巨人が人一人を簡単に飲み込むほど大きな口を開けた。

 同時に、紅蓮の炎が吐き出される。

 それを止めたのは、先行して走り出していた咲乃だ。

 俺たちのいる場所に向かって吐き出された炎に割って入ると、拳を巨人目がけて突きだした。

 風の衝撃波が炎より早く飛び、炎を弾き返して逆に巨人の顔を焼いた。

 だが巨人もそれは自らが使っている炎。大してダメージにもなっていないようで、空中にいる咲乃に右腕を振り下ろした。

 だが、その拳は咲乃に触れることはなく、腕だけが空を切って唸りを上げる。

 俺と咲乃の傍らの地面に、先ほど巨人の体に付いていた拳が音を立てて沈み込む。

 巨人の視線が、のろのろと右腕へと向けた。

 その視線の先では、腕の中程から先がごっそり斬り落とされていた。

 巨人が悲痛な叫びを上げる。

 俺たちの側に落ちた腕は焼けた大地に転がっており、それはすぐに炭化して消滅した。

 俺は巨人の腕を切断した獲物を、真っ直ぐ巨人に向ける。

 俺の身長の倍はある巨大な刀だ。刃から峰までは三十センチほどもあり、刀を支える柄も通常の数倍はある。

 両手で掴んでいる刀の重量は、並の人間に支えられるほどの重さではないが、並の人間の身体能力を軽く凌駕してしまっている俺たちの体なら、こんな無茶も実行するのことが可能だ。

 だがこの刀の最も特出した特徴は、限りなく薄いその刃にある。

 刃は本来緑を持つ結晶でありながら、今は色はおろか巨人の血が変わった灰を被っていなければ姿を視認することさえ困難なほど透明な刃となっている。

 俺がイメージできる可能な限り薄い刃だ。イメージを研ぎに研ぎ、研鑽を重ねた刀。

 ここまでの形を考えずに作り出すのは、結構な苦労を要した。

「魔人が魔物になった。こんなこと、今まであるのか?」

「……私が知る限り、そんな情報はないかな」

 咲乃が少し戸惑ったような声を出していた。

 かと思うと、ふっと笑いを漏らした。

「蓮司君って、本当に物怖じしないよね。そうところ、雫ちゃんにそっくりだよ」

 戦いのさなかでありながら、咲乃は楽しそうに笑っていた。

「そりゃあ、たった一人の家族だからな」

 だが、困ったことになった。

「こいつが、元に戻る可能性はあると思うか?」

「たぶんだけど、ないと思う。巨大化する前、明らかにあの魔人の意思にそぐわない形だったから」

 確かに俺にもそう見えた。

 事態を理解できていないのが、はっきりとわかったのだ。

「なら、とりあえずは倒してみるしかないか」

「そうだね。元に戻るにしても、どうにか倒してみないとわからないよ。それに、もしこの場から逃げられでもしたらとんでもない被害になる」

 咲乃の言うとおり、ここは人が住んでいるところに近すぎるのだ。

 本来加護内の深いところに入ってこない魔物だが、元々内部にいた魔人が魔物化したためか、少し進めば街に行けるくらい近くにいる。

 下手に加減するなどして周囲に被害を及ぼされるなんて許されるなんてことはない。

 俺たちは死なない体の持ち主だが、旅人以外の人間はそうではないのだ。

「とりあえずは倒してみるしか選択肢はないな」

「うん。でも気をつけてね」

「大丈夫だ。こいつの炎は、既に対策済みだ」

 俺たちはそれぞれ巨人に向かって走り出した。

 ここで魔人という情報源を失うというのは非常におしい。

 雫を助けるためにも、もっと情報が欲しかったのだ。

 しかし、この巨人の様子を見る限り、これ以上の情報は、手に入りそうもない。

 未だになくなった腕の先を庇うようにして呻いている巨人を追撃にかかる。

 こちらの行動に気づいた巨人が無事な方の腕を掲げると、頭上にいくつもの火球が現れた。

 そして、それらが一斉に地面に向かって打ち出される。

 地面を打った火球は炎を上げて爆発していく。

 俺は巨人に習うように空中に数え切れないほどの石を作りだした。

「行け」

 俺の言葉に反応するように、生み出された野球ボール大の石は一斉に降り注ぐ火球に向かって飛んでいく。

 衝突すると火球は爆発するどころかほとんど音すら上げずに掻き消える。

 魔人の姿であったときと同じように、巨人は驚いた様にたじろいだ。

 その隙に地面を滑るように駆けながら、巨人の懐に飛び込む。

 切断されているにも関わらず、巨人は右腕を俺に向かって突き出す。

 地面を蹴り飛ばして跳躍する。

 そして、下に構えた刀で突き出された腕をさらに縦に斬り裂いた。

 傷口をさらに抉られる形になり、さしもの巨人もひるんで腕を下げる。

 巨人の体まではまだ数メートルあるが、この刀なら十分間合いだ。

 刀を振り上げた勢いを利用して空中で体を回転させ、巨人の胴体を斜めに斬り裂いた。

 おびただしい鮮血が巨人の体から吹き出した。

 物理的に考えて、これほどの大きな刀を極限まで薄い刃で形成すれば、普通は何かを斬ろうとした段階で刃が折れるのが普通だ。

 しかし、俺の持つ刀は折れるどころか欠ける様子すら一切なく巨人の腕を、体を斬り裂く。

 それは、俺がそういう風にイメージをして作った刀だからだ。

 どれほど薄かろうが細かろうが、絶対に折れも砕けもしない結晶刀。

 それが俺がイメージして作りだしたこの刀の性質だ。

 俺の力は、ただイメージをした形の結晶を作り出すというものではない。もちろん想像通りの結晶を作り出すというものも十分に使える能力であることに変わりはない。

 だが力の本質は、全く別にあった。

 俺の力は、俺がイメージできる限りの性質を持った結晶を作り出すことができる能力。

 この刀は、絶対に折れないことをイメージしており、相応の強度と硬度を持っている。 だから普通なら子どもが殴りつけても割れる程度の脆い刃が、どんなものでも容易く斬り裂くほどの切れ味を持った刀へと昇華している。

 そして――

 巨人が体に負った傷を庇いながらも空中の俺に向かって炎を吐き出した。

 正面に再びある性質を宿した結晶の盾を生み出す。

 炎が結晶に触れると、炎は一瞬にして消え失せた。

 この結晶には、触れるだけで対象の熱を奪うという性質を持たせている。

 本来、火が起こる条件には三つのものが必要になる。

 実際に燃える可燃物、酸素を供給する支燃物、それから火をつける点火源。この三つがそろって初めて火というもの燃える。

 姿を変える前の魔人も、魔物と化した巨人が扱う能力だが、実際に他のものを巻き込んで燃えている以上、そこにあるメカニズムに目をつけた。

 そして、その一つを消し去るという方法で、巨人が使う炎を封じている。

 実際に炎を起こしているとは言え、それが異能である以上、現実では考えられない現象として火をおこしている。

 そうなれば、いくらでも代わりがきく可燃物と支燃物は対処のしようがない。

 しかし、点火源は別だ。

 それがなんであれ、熱を奪いさえすればそれは点火源としての意味をなさない。

 だから俺が炎の能力に対抗するために考え出した答えが、結晶に触れる炎の熱を奪い取り、燃焼を停止させるという方法だ。

 巨人は炎を吐き続けるが、全て俺の熱を奪う神石が燃焼そのものを停止させていく。

 触れるだけでそれ以上炎を上げることもなく消えていく。

 このミナト周辺の地域には大昔から神の石と呼ばれる物質が存在していた。それ一つでありとあらゆる効果や性質を持つことができるという、伝説上の物質だ。

 俺の能力を説明したとき、烏丸さんは真っ先にそれを思い浮かべたらしい。

 そして、それにちなんで俺の能力に名前を付けてくれた。

 生み出した結晶に特定の性質を宿らせる、【神石創造】だ。

 地面に降り立つと同時に、素早く巨人の側面に回り込んだ。

 反対側から咲乃が巨人に攻撃を仕掛ける。

 それは風を利用して作った風の刃。

 放たれた三日月状の白い風が、巨人の残っている左腕の脇を切りつけた。

 咲乃の異能は、風などと銘打っているがその力は明らかに風などという生やさしいものではない。

 生み出した衝撃波はありとあらゆる質量を吹き飛ばすほどの威力を持ち、作りだした風の刃は巨人の肉体すら容易く斬り裂く。

 脇を中程まで切断され、巨人の腕がだらりと落ちる。

 深々と刻まれた傷に、巨人がよろめいて後退する。

 しかしそれは予想していた場所だ。

 俺が足を地面に叩きつけると、地面の中から結晶の刃が幾本も突き出して巨人の体中に傷を刻む。

 黒い体表が血液で彩られる。

 こんな姿になっても、相手が生き物であるということを示している。

 そして俺が今やっている行動は、生き物を傷つけ、殺す行動に他ならない。

 だが、まるで体はその行動になれているように、当たり前のように行動を実行に移す。

 それは俺そのものの本質なのか、それとも、このペンダントを身につけた戦っていたもう一人の俺の感情なのかは、わからなかった。

 でも、それをしなければいけないということだけは、はっきりわかった。

 刃に体中を貫かれ身動きができない巨人目がけて、咲乃が最大出力の衝撃波を撃ち出す。

 それは刃を打ち砕き、巨人の体を刃共々吹き飛ばした。

 俺の性質を宿らせるという神石創造は万能ではない。

 作る対象を増やせば増やすほど効力は失われるし、作り出す量が多くなればなるほどそれは疲労や倦怠感となって体にフィードバックする。

 初めて異能を使用したとき疲れを感じたのはそのためだ。

 巨人は血をまき散らしながら地面を転がっていった。

 俺たちからかなり離れたところでようやく静止すると、体中から血を吹き出しながらもふらふらと立ち上がった。

 そして、俺たちに背を向けてのろのろとではあるが走り出した。

 知能がないかと思いきや、勝てないと悟ると逃げるという選択肢を採るくらいの知能は持ち合わせていたようだ。

 だが走り出してすぐに、巨人の側部からすさまじいスピードで接近する白い影があった。

 それは巨人の喉元に食らいつき、そのまま地面に押し倒した。

 影の正体は、巨大なホワイトタイガーだ。

 その背中には音夢が乗っている。

 万が一にでも巨人に逃げられないようにと、音夢には周囲を張ってもらっていたのだ。

 喉元に巨大な牙を突き立てられ、巨人が体を震わせながらもがいている。

 しかし音夢にもホワイトタイガーにも慈悲はなく、容赦なく喉元を食いちぎった。

 鮮血が吹き出し、周囲に雨となって降り注いだ。

 そして、その血液全てが灰となり、風に流されて宙を舞った。

 巨人の体も砕けてその体全てが炭化し、塵と化した。

 先程まで巨人がいた跡には、もうなにも残っていない。

 肉片も血の一滴も残さず、魔人であった魔物は消滅してしまった。

「よっと……」

 ホワイトタイガーが粒子なって消え、背に乗っていた音夢が緩やかに地面に降り立った。

 咲乃は少し離れたところでヘッドホンに手を当てて姫神さんや烏丸さんたちに連絡を取っているようだった。

「どうして、あの魔人は魔物へと変わったんだ?」

「それは、私に聞かれても。こんなことは初めて」

 音夢も困惑を隠せないように眉を寄せていた。

 魔族と一括りにすることはあっても、魔人と魔物は本来別物であったはずだ。

 魔物は魔人に使役される存在出あり、魔物は化け物。俺の認識はその程度だった。

 しかし、俺の前に広がっている現実はそんな認識をいとも簡単に打ち砕いた。

「えーあの巨人倒しちゃったのー!」

 のんきな声とともに肌色の塊がこちらに歩いてくる。やってきたのは体の修復が追いついた夕樹だ。

 さっと音夢が俺の背後に隠れる。

「へ、変態……!」

 音夢が顔を赤くして呟く。

 音夢のこんなしおらしい姿も珍しいが、それは仕方のないことだろう。

「僕だってもっと戦いたかったのにー!」

 夕樹が両手を挙げて憤慨する。

 戦闘狂の夕樹からすれば、あんな巨人とは戦ってみたかったのはわかるのだが、さっさとやられてしまったのはそちらだから文句を言わないでもらいたい。

 だが、他にもっと言ってやりたいことがある。

「服を着ろやお前」

 俺は上に着ていたやや煤の被ったシャツを夕樹の顔に投げつけた。

 夕樹の服は巨人に潰されてしまった際かは知らないが、夕樹は一糸まとわぬ全裸だった。

 体はいくらでも回復するが、服まで元通りになるわけではないのだ。

「誰もお前のサービスシーンなんて求めてねぇよ」

「え? それは私や咲乃のを求めてるってこと?」

 後ろに隠れている音夢がどん引きしていた。

「そういうわけじゃない」

 夕樹、そんなことどうでもいいとばかりにシャツに袖を通す。

「そんなことより誰が倒したの! どんな感じだった!?」

「そんなことじゃなぇよ。上に羽織らずに前を隠せ前を!」

 まったく、緊張感のかけらもない奴らだった。

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