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 魔人との戦いを終えたあと、ミナトまで戻っていると夕方になっていた。

 もう現世では日が昇り始めてるからということで、俺は真奈さんの屋敷で護符を握り、現世へと帰った。

 目が覚めると、机の上にある掛け時計が午前五時を示していた。

 夢世界側では午後五時だった。

 綺麗に昼夜が逆転している。

 ベッドから下りて、カーテンを引き開ける。

 空が薄らと白み始めていた。

 家の前の道をランニングしている男性や犬の散歩させているお年寄りが歩いている。

 向こうでずっと意識があったためか、肉体的疲労は皆無なのだが、徹夜をしているような嫌な気分だった。

 それから日が昇るまでベッドに横になり、念のため掛けていた目覚まし時計を音が鳴ると同時に叩いて止め、俺はベッドを抜け出した。

 雫が目を覚まさなくなって以来、不思議と簡単に目が覚めるようになった。

 理由は、雫がいなくなった今、なんとなくわかっている。

 俺たちはもう身寄りのない孤独な、二人っきりの家族だ。

 だから、お互いに甘えたかったのだ。きっと。

 お互いに手間のかからない関係であれば、一緒に住んでいてもそこには一緒に住んでいるという以上の意味は生まれない。

 でも俺は、俺たちはそんな関係が嫌だったんだ。

 ただ単純に怖かった。

 どちらかが欠けてしまえば、俺たちはもう天涯孤独の身になってしまう。

 だから俺は面倒くさがりにかまかけて、寝坊するということを繰り返し、雫は俺を叩き起こす。

 俺が手間のかかることをして、雫がそれをどうにかする。

 そんな関係の積み重ねで、俺たちの関係は作られていたんだと思う。

 雫がいなくなって、改めて実感する。

 これまでどれくらい雫に迷惑をかけていたのかを。

 雫にはかなり手間だったろうが、お互いの関係を維持するために、やめるということをしなかった。

 全くどこまでも、嫌な兄だった。

 だらだらと制服に着替え、トースターで焼いたパンをかじる。

 ぱさぱさになったパンを牛乳で流し込みながら、歯を磨いて家を出る。

 すると門の横に一人の少女が立っていた。

「おはよう。蓮司君」

「咲乃か。おはよう」

 制服姿で立っていた咲乃と挨拶を交わす。

「あれから帰ってよく眠れた?」

「いや、寝ずに起きてた」

 正直に話すと、咲乃は呆れたように頭に手をやった。

「ダメだよそんなんじゃ。ちょっとでも寝とかないと、いざというときに体調を崩すよ? 身体的じゃなくて、精神的にくるんだから」

「ああ、それはなんとなくありえそうだから気をつけとく」

 咲乃はわざわざ俺の家の方まで遠回りをしてくれていたようで、高校までの道を並んで歩いて行く。

 咲乃はあれから少しの間夢世界に残っていたらしく、あの後どうなったかを教えてくれた。

 魔人はある程度の治療がほどかされたあと、尋問をされているらしい。

 これまで、生きた状態で魔人を確保できたことはほとんどないことらしく、捕獲できたにしてもすぐに自決をするやつがほとんどだったらしい。

 元々普通の異能者とは並外れた戦闘力を保有している個体が多いらしく、捕獲できたことなど片手の指で足りるほどのこと。

 今のところ俺たちが捕まえた魔人は自決をする素振りを見せてはいないらしく、わりとおとなしくしているらしい。

 その尋問をして聞き出す内容は、主に二つ。

 ただ単純に、魔人の目的についてだ。

 これに関しては、世界外から侵略してきていることがわかっている程度、他については明確なことはあまりわかっていない。 

 そしてもう一つが、魔人が夢世界のどこに陣地を張っているかといいうこと。

 これが俺にとっては一番知りたい部分だ。

 なぜなら、雫をさらっていったのも、魔人だからだ。

「雫ちゃんが戻れなくなったのは、魔人によってさらわれたからなんだ。そして、加護の範囲外まで連れて行かれてしまった。私たち旅人は、夢世界のどこで傷を負っても、死亡したとしてもどんな状態からでも回帰する。魔人にとって、それは脅威だったんだろうね。確かに、夢世界にも私たちと同等の力を持つ人はいるよ。でも、それも限られるほどだし、ミナトにおいても戦闘に長けている異能者ってなると限られてくる。相手さんからしたら、私たちは不死身の戦士だからね」

 自嘲気味な笑みを浮かべながら、咲乃は路上に落ちていた石を蹴って脇に寄せた。

「結果的にそれが、私たち旅人を無力化する上で最も確実な方法だったっていうこと。雫ちゃんが逃げてこられないことからもわかるけど、私たちを封じることは不可能じゃない。私だって風は操れるけどたとえば空気がほとんどない水の中に沈められでもすれば、死にはしないけど脱出することもできないからね」

 恐ろしい想像に背筋に嫌なものが走った。

 俺なんてもっと簡単だろう。ただ結晶を創り出すことしか今のところできないのだ。

 ある程度の戦闘力はあるだろうが、それでも一度捕まってしまえば抜け出せる気がしない。

 そして、魔人に捕まり加護外に連れて行かれた結果、現世に帰れなくなり元の体が死亡した際に何が起こるかはわからない。

 ただ、よくないことが起きるということだけはわかる。

 雫のこっちの体が死亡したからといって、あっち側の雫の体が本当の体になるということはないのだ。

 こっちの雫の体が死ぬまでに雫を助けなければいけない。

 それがタイムリミットだ。

「今日は何時くらいにあっち側に行けそう?」

 俺たちの通学路が別れる道が近づいてくると、咲乃が聞いてきた。

「そうだな。とりあえず午前の授業まで受けて、午後は早退して雫のところに行く予定だから、早ければ七時くらいには」

「わかった。それなら私もその時間には向こうに行くようにしてるね」

 不意に、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえたかと思うと、背中に衝撃が走った。

 背骨にいい具合に一撃が入り、一瞬息が止まった。

「蓮司ぃぃ! 朝からこんなところで女の子と何の約束だこらぁあ! 俺は君をそんな子に生んだ覚えはありませんよ!」

「……お前みたいな童貞を父親に持った覚えもねぇよ」

 軽く咳き込みながら、俺は突撃してきたバカを見る。

「朝っぱらから何のつもりだ琢巳……」

 やってきたのは小学校時代からの悪友、木下琢巳。

 モデルのような細身で長身のスタイル抜群であり、顔もイケメンときている。

 琢巳は憤慨しながら咲乃を指さした。

「それはこっちのセリフだ! どこからこんな美少女盗んできた! しかも高峰女子とか! 人生勝ち組かこんちくしょう!」

 お前のようにイケメンに言われたくない。

 琢巳はけろっと表情を変えると、営業スマイルを作って咲乃に向き直った。

「大丈夫でしたかお嬢さん。顔がひきつっておいでですよ。あのゲスが何かしましたでしょうか」

「お前のせいだよボケ。あと誰がゲスだこら」

「何を言う! お前のようなやつがこんな美少女に……ん、んん?」

 巧みの言葉が途中で切れ、咲乃をしげしげとのぞき込んだ。

「え、えっと……」

 咲乃が戸惑ったように後ずさる。

 イケメンでなければ通報されそうな場面、いや俺が通報してやるか。

 しかし、琢巳の視線は咲乃ではなく、咲乃が首から下げていたヘッドホンに向けられていた。

「こ、これはまさか! ライジンの限定モデル!? な、なぜこんな稀少品がこんなところに!」

「……え? 何だって?」

 口にしている人語が理解できずに眉間を押さえる。

 聞いたが最後、琢巳は饒舌に話し出した。

「ライジンは五年前に起業した音響メーカーでありながら一年にしてトップメーカーと同等の売り上げを叩きだした新進気鋭のメーカーだ! 中でもヘッドホンは売上ランキング一位に輝いた。値段が手頃な割に磨き抜かれたデザインと圧倒的な音質。コスパ最強のライジンは今や音楽をやっている人間なら誰しもが持つヘッドホンだ! 知らんのか馬鹿者!」

「……知らねぇよ」

 出たよこいつの悪い癖。

 こいつは無駄に情報を持っており、聞いてもいないのに聞きたくない情報をひたすら並べ立てるという面倒な性格をしているのだ。

 この性格のせいで、彼女ができても電光石火で別れるという繰り返しを何度もしている。 

 本人は全く気にしていないのだが。

「しかもこれは数量限定の特別版! 世界中からファンがよってたかって買いに来たせいで日本人は僅か数百しか出回らなかったという伝説の! うっそまじ初めて見た! うっわーーーー」

「――うるせえ!」

 人目もはばからずわめき散らすバカを蹴り倒す。

「ぐぇっ!」

 カエルがつぶれたような音を立てて倒れる琢巳を足で押さえつける。

「咲乃、このバカは放っておけばいいから。また夜に」

「よ、夜に!? お前一体どんな付き合いをふぎゃ!」

 琢巳の顔を踏み潰した。

「あ、あの蓮司君、さすがにやりすぎじゃ……」

「安心しろ。こいつは生粋のエムだ。この程度じゃ喜びを感じられなくて痛がってるけど、こっから天国を見せてやる。素人には刺激が強いから咲乃は見ない方がいい」

「そ、そうなの?」

「そうなのだ」

「誰がエムだごらぁ!」

 琢巳が俺の足を押しのけて勢いよく立ち上がった。

「俺はドエムだ! 勘違いすんな!」

 うぜぇ……。

 俺は頭を抱えて首を振った。

「で、まじめな話この彼女誰?」

 急にシリアスモードに入って琢巳が言った。

 テンションの切り替わりが早いところはこいつの欠点であり長所であると思う。

「雫の友達だ。ちょっと前に知り合ったんだ。今日、一緒に見舞いに行く約束してんだよ」

「ああ、雫ちゃんの」

 途端にばつが悪そうに琢巳が言いよどんだ。

 琢巳も雫とは俺と同じくらいの長い付き合いがある。

 当然、雫が現在意識不明で入院していることも知っている。

「そりゃあ悪いことをした。すまんな」

「気にするな。別に怒ってない。後でしばくけどな」

「……それは怒ってないのか?」

 俺たちのやりとりを見ていた咲乃が吹き出した。

「あはははは! 二人とも仲いいんだね」

「ただの悪友だよ」

「ルビはシンユウかな」

「ないな」

 即座に否定する。

 咲乃はまた楽しそうな笑い声を上げた。

 ひとしきり笑ったあと、咲乃は目尻にたまった涙を指先でぬぐいながら、以前にも別れた道へと足を向けた。

「それじゃあ、私は行くね。琢巳君、さようなら。蓮司君も、また後で」

「おう」

「またお話ししてねー」

 軽いキャラに戻りつつ琢巳が大手を振る。

 咲乃と別れ、俺と琢巳は常澤高校へと向かっていく。

「それで、雫ちゃんの体調は実際どうよ?」

 二人だけになり、琢巳がまたシリアスモードになる。

「なんとも言えないらしい。原因がわからないからな」

 既に理由も解決方法もわかってはいるが、これをここで口にしても仕方がない。

 琢巳が目を細めて通学路の先に視線を向けた。

「雫ちゃんがいないだけで、ずいぶんこの通学路も味気なくなるな」

 琢巳とは通学路が途中から重なる関係で、よく雫と一緒になって登校することも多くあった。

 雫は俺を叩き起こしてから高校に行っていたため、大抵は一緒に登校し、そして同じく寝坊がデフォルトの琢巳とこうして通っていたのだ。

 琢巳は急に笑顔を作って俺の背中をバシンと叩いた。

「ま、お前の妹だもんな。寝坊しない方がおかしい。これまでずっと気を張ってた分、寝過ぎてんだろうな。だから、そのうち目を覚ますよ」

「……ああ、すまんな」

 今度は、俺が謝った。


「もうお兄ちゃん! いい加減寝坊するの止めてよ! 私入学したてなのにもう目をつけられてるんだけど!」

「俺なんて放っておいて先に行けばいいだろうが……」

 寝ぼけた顔を冷水で洗い流しながら呻く。

 雫は洗濯物を取り出しながら叫ぶ。

「私まで白い目で見られるの本当に嫌なの! 勘弁して!」

「さーせん」

 俺は雫の手から洗濯物をかっ攫った。

「ちょっとこっちはいいから早く学校に行く準備して――」

 俺は雫の側頭部をぺちんと叩いた。

「頭、跳ねてんぞ」

「ええ!?」

 雫は驚いて先ほどまで俺が顔を洗ってた洗面台をのぞき込んだ。

 そこには見事に跳ね返った栗色の髪がある。

「今週は雨降らないから外に干しとくぞ」

「ああ、ありがとう。というかお兄ちゃんも天辺跳ねてるけどそれはいいの?」

「このアホ毛は俺のチャームポイントだ」

「……意味わかんない」

 雫は呆れながらブラシを取り出して髪をとかし始めた。

 洗濯物を手早く干してしまうと同時に、雫が準備を全て終えて玄関にやってきた。

 俺は既に玄関に投げていた鞄を担ぎ上げ、外に出る。

 雫が玄関の鍵をかけて、足早に歩き始めた。

「ああ、今日もぎりぎりだよぉ」

 泣き出しそうになりながら雫が前を進んでいく。

 再び出そうになったあくびを噛み殺しながら、小さく息を吐く。

「あ、琢巳さんだ」

 雫の視線の先で、高校のブレザーを着崩した琢巳がなにやらうろうろと同じ場所を行ったり来たりしている。

「おい不審者。警察に通報される前にさっさと高校行けよ。でなきゃ俺が通報する」

 いつも通り携帯電話を取り出して110を押して画面に表示する。

「いつも言ってるけどマジ止めろ!」

「そう言うならお前が止めろ。今日はどうしたんだよ」

 琢巳は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。

「実はさぁ!」

 琢巳がまたどうでもいいことを嬉々として話し始めた。

 どうやらテレビで見たニュースのことが気になって右往左往と考えていたらしい。

 それで遅刻しかけているのだから本当のバカである。

「よし、雫、遅刻するからさっさと行くか」

「お兄ちゃんにそれ言われるのはあれだけど、そうだね」

「ええ!? ちょっと待てよ蓮司! 雫ちゃんも! 俺の話を聞いてくれ!」

「ああ、はいはい。聞いてる聞いてる。続けて」

 琢巳が喚く意味不明なことを聞きながら、俺たちは三人そろって高校まで歩いていった。

 そんな日々が、少し前まで確かにあった。


「いってぇ!」

 頭に衝撃が走り、鈍痛が突き抜けた。

 驚いて頭を上げると、右手に教科書を丸めた数学教師が立っていた。

「篠崎、私の授業はそんなに眠いか?」

「いいえ。先生の授業が眠いんじゃありません。俺が単純に眠たいんです」

 反射的に思っていたことを口にしてしまった。

 初老の男性教諭の額に血管が浮き出る。

「そんなに眠たくなるまで毎日勉強をしているのか。だったら問3を解いてみろ」

「……問3ってどれ?」

 後ろの友達に聞くと、恐る恐る現在進んでいるページを教えてくれた。

 進められていた問題集に目を落とし、黒板に目を向けるとその問題が書かれていた。

 大あくびをしながら席を立ち、半分ほどの長さになったチョークを使って黒板に白線を描き出す。

「これで、いいでしょうか」

 チョークを置きながら、数学教諭に尋ねる。

「……正解だ」

 ラッキー。たまたま予習していてよかったぜ。

「すいません。もう寝ません」

「……そのセリフを既に何度聞いたかわからないんだが。はぁ、もういい。座れ」

「どうも」

 自分の席に戻り、窓の外に視線を向けた。

 俺たちの高校は二年生が二階の教室になっている。

 窓の外に広がる空はどこまでも青く澄み渡っており、どこか嘘っぽかった。

 変な夢を見た。

 ちょっと前に実際にあったことだ。

 雫がいないだけで、俺の日常はずいぶん静かになってしまった。

 あいつは今頃、夢世界でどうしているだろうか。

 俺と同じように、空を見ているだろうか。

 あっちは夜のはずだ。

 夜空に広がっているのは、どんな空だろうか。


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