プロローグ
妹が、眠ったまま目を覚まさなくなった。
機械に体を繋がれてベッドに横たわる妹は、身体的にはどこにも異常がない。
心拍、呼吸、血圧、体温、脳波ともに以上は見られない。
それでも妹は、外的刺激にまったく反応することなく眠り続けている。
まるで、妹の魂だけがこの世界から抜け落ちてしまったかのように、空っぽの体だけが活動を続けている。
植物状態に似た状態であるらしいが、それとは別物であるらしい。
この数日で何人もの医師たちが妹の状態について調べたが、解決方法はおろか、原因すらわかっていない。
ただ、俺には一つだけわかっていることがある。
妹が目を覚まさないのは、あの世界のことが関係していることだけは間違いない。
俺たちが住むこの世界ではない、別世界。
妹は、あの世界に行って、帰ってこられなかったのだ。
それは、夢から繋がる異世界。
夢。
人が眠りに就いている間に見る、一種の幻覚。
古来から超常の存在からのお告げである言った考えや、これから起きることを知らせる余地のようなものであるという考えが広く信じられていた。
現代においても、その考えを信じている人は少なくはない。
睡眠中に見るとか、レム睡眠中に見るとか、起きている間に体験した記憶の整理だとか、まだ夢がどういったものであるかは現代でもわかっていない。
誰もが眠りに就き、そして夢を見る。
でも、あの世界は夢であったとしても、幻覚でもなければお告げでもない。
紛れもない、一つの世界だった。
俺が止めておけば、こんなことにはならなかったんだ。
バイタルを計る機器の電子音を耳で受けながら、妹の温かい手を握る。
微かに脈動が伝わってくる手は、もう数日の間、一切動きを見せることない。
背後で、病室の扉が開いた。
看護師がやってきたのかと思ったが、扉を開けた張本人は病室に入ってくるなり足を止めている。
後ろを見やると、そこには一人の少女が立っていた。
黒い艶髪を背中まで流した綺麗な少女だ。
首には赤と黒を基調としたヘッドホンを掛けており、学生もののブレザーを着ている。
少女はこちらに歩いてくると、俺の少し前で立ち止まった。
「雫ちゃんを、助けたい?」
少女は鈴のような声を響かせて尋ねてきた。
あらゆるものを見通しそうな瞳が、鋭い光を放つ。
戸惑い声を発せない俺に、少女は重ねて言った。
「もし、助けたいのなら……」
少女がその細い腕を差し出した。
「――私と一緒に、あの世界へ行って」
それが、全ての始まりだった。