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まだ座り込んだままのみゆの傍へ行って、洸もしゃがみこんで手でさすっている右足をそっと触る。
「いたっ」
……ひねったのかな?
「ごめん、みゆ。かなり痛い?」
「大丈夫……我慢できないほどの痛みではないんだけど……」
「どうする?少し休んでから歩き始めるか、もしくはお姫様抱っこしてあげるけど」
「お、お姫様っ……?!」
こんな状況で、思わず出た言葉に真っ赤に染まるみゆの頬を見て、ふっと笑顔になる洸。
なんて、可愛いんだろう。
触りたい。もっと、もっと。
みゆを、感じたい。
無意識のうちに、柔らかい髪を愛おしげに撫でていて。
……柔らけぇ。
「ぁ、ぁ、あのぅ、コウくん??」
いつもは白いその肌を赤く染めて、潤んだ瞳で洸を見上げてくるみゆ。
……ダメだ。この手を離すの、無理。
ふわふわの髪を撫でている手はそのままに、みゆをそっと覗き込む。
「嫌だったら拒絶して。みゆの嫌がることはしないから。でも……お前に触れていたい」
甘い声色で、低く、耳元に囁く。
抱きしめてしまえる距離に愛しい女がいて、何もしないなんて……無理。もちろん押し倒したりするつもりはないけど。
……今のところは。
洸の言葉に返事ができずに俯くみゆ。その小さな身体は少し震えていて。
「怖い?」
そっと聞くと、俯いたままで頭を左右に振った。
「よかった……」
そうっと、壊れ物を扱うようにみゆのその華奢な身体を抱きしめた。その、甘い香りに酔ってしまいそうになりながら。
遠くから、楽しそうに話しているような声がかすかに聞こえる。
風で、草木が揺れる音が聞こえる。
そして、妙に大きく聞こえる二人の呼吸音。
と、ふと違和感を覚えた洸は髪を撫でていた手をそっと頬に移してみゆの顔を持ち上げる。
「みゆ?なんで泣いてるの?」
やっぱり嫌だったのか、とぎゅうっと胸が痛くなる。
みゆは、洸の揺れる瞳をじっと見て、ポロポロと溢れる涙を流したまま小さく呟く。
「どうして……私なの?コウくん、すごくモテるのに。もっと可愛い子たくさんいるのに」
その言葉を聞いて、不安の色を揺らしていた洸の瞳が眩しいものを見るように変わり、優しく微笑む。
「みゆ、そんなことを気にしてたのか?理由なんてわかんないけど……オレはみゆがいい。みゆしかいらないって、心も身体も、オレの全てが言ってるんだ。自分でも怖いくらいに、どんどんお前に惚れていってる」
「でも……」
もう、そんなみゆを否定する言葉なんて、聞きたくない。
オレが好きなのは、間違いなくここにいる澤田みゆで。
だから……もう言わなくてもわかってほしくて。
まだ何かを言おうとしていたその柔らかな唇に、そっと唇を重ねた。
……甘い。
みゆの、その唇を何度も何度も味わう。
優しく。
優しく。
最初は強張っていたみゆの腕の力がだんだん抜けていくのを感じて、少しずつ深くなるキス。
……麻薬みたいだ。
一度味わってしまったら、もう元へは戻れない。
もっと。もっと。
と、トントン、と胸を叩かれていることに気づいた洸がようやく唇を離す。
「く……るしいよ」
真っ赤な顔で、潤んだ瞳でふくれたように睨むみゆが、愛しくてたまらない。
ぎゅっと抱きしめて、耳元に囁く。
「ごめん……みゆが好きだ。おかしくなりそうなくらい、好きなんだ」
だから、オレを好きになって?
オレがみゆを求めるように、みゆにもオレを求めて欲しい。そんな欲が溢れ出す。
「あのね……」
少し間を開けてみゆが口を開いた。
「うん?」
「私、好きな人がいたんだけどね、その人に彼女がいるのを最近知って……。ショックじゃないって言ったら嘘になるけど、まぁ、仕方ないって思って。私、告白とかもできなかったし。だから、告白してくれたコウくんのこと、改めてすごいなって……ちゃんと考えないといけないって思ったんだけど。コウくんのこと嫌いじゃないんだけど、そんなすぐに気持ちがついていかないっていうか」
「……うん。それで?」
優しい声色で、続きを促す。
「まだ『彼女』になるっていう気持ちまで追いついてなくて。自信もないし。だけど……自分勝手なお願いなんだけど、もう少し待っててほしいの」
……可愛い。
洸はくすっと笑って、みゆを見る。
「全然構わない。ずっと待ってるから。みゆが、オレを求めるまで」
「うん……」
「でも、これは許してくれる?……我慢できない」
そして、そっとくちづける。
「……んっ、……コウくん……」
「コウって呼んで」
キスの合間に、お願いしてみた。
「でも……なんか、こんなにキスするのおかしいかな?」
「うーん……いいんじゃね?気にしなければ平気だよ」
だって、したいもん。
そんな言葉がみゆにも伝わったようで、二人で目を合わせてぷっと笑った。
「ま、こんな関係もあるってことで。な、みゆ」
「うん」
「んー、じゃあそろそろ戻るか!」
そう言ってまだ足が痛そうなみゆをひょいっと抱き上げる。もちろん、お姫様抱っこで。
「あわわ、コウく……コウ、これはちょっと恥ずかしいってば」
「軽すぎ、みゆ。もうだいぶ遅くなっちゃったし、この方が早いよ」
爽やかな王子様スマイルが眩しい。
……それにまだ、みゆを感じていたいしね。
それは口には出さず、結局みゆの抵抗はスルーされてそのままみんなの元へと戻っていった。
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『ヨシ先生、私、先輩が彼女とキスしてるの見ちゃった。でも、そんなにショックじゃなくて……それよりも、最近私に優しくしてくれる同級生が気になっちゃって。
彼、凄くモテるのになんで私なんだろうって……。このまま彼を好きになったら、もう戻れなくなりそうで怖いの。好きになってから他の女の子が出てきたら、って考えるだけで、胸が苦しくて……』
『恋愛で、不安のない奴なんていないと思うけど?相手がお前に向けてくれてる気持ちに、正直に応えてみたらいいんじゃねぇの?
不安なのはお前だけじゃねぇよ。まずは、一歩踏み出さないことには、始まるものも始まらないけどな』
『……うん。ありがと、ヨシ先生。私、真剣に考えてみるね』
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キャンプファイヤーの場所へと戻るとすぐに由貴が駆けつけてきた。
「怪我は大丈夫か……ってお姫様だっことはね。いいねぇ」
「ユキちゃん……ちょっとオヤジくさい発言だけど」
イケメンがニヤニヤといやらしく笑っている。そんなことを思いつつ洸も笑う。
「ま、それより澤田を降ろして。足、診てみるから」
由貴の言葉に、そっとみゆを降ろす。
ぬくもりが離れて、寂しい。
そんなことをこっそり思っている間にさくっと診察をする由貴。
「変に捻ってるわけでもなし、冷やしておいてしばらく無理しなければ自然に治るよ」
よかった、とほっとする洸を見て、またニヤつく由貴。
「だから、お前はわかりやすすぎ」
コツン、とおでこを指で弾かれる。
「ごめんね、コウ。付き合させちゃって。もう大丈夫だから、コウは踊ってきて」
「いいんだよ、オレが踊りたい相手はみゆだけだから。みゆがいないなら意味ない」
そんな洸の言葉にまた真っ赤になるみゆ。
「……おい、聞いてるこっちの方が恥ずかしいぞ青少年」
「あれ?まだいたの、ユキちゃん」
「ほう……俺にそうな風に言うのか。もうこれからは保健室に来たって無視してやるからな」
な、なんてガキっぽいイケメン保険医!!
「やだ、ごめんなさいユキちゃん!お兄様!だからオレを見捨てないでっ」
「ふ、そこまで言うなら仕方ねぇな」
漫才か。
「ぷっ!!なんか……二人ってそんなに仲良しなんだね」
洸と由貴の会話に思わず吹き出すみゆ。その笑顔を見て、自然とみんなが笑顔になって。
「残念だけど、今日は二人で見学しとけな」
色っぽい笑顔で洸にデコピンしながら由貴が言い、輪の中へ歩いて行った。
みゆと踊ることができなくて残念だったが、石の上に座ったみゆと洸の手はみんなから見えないようにこっそり繋がっていた。
そして、楽しい臨海教室は終わったのだった。