三国会談が始まりました
豪華な馬車が複数、アールスハイド王国からスイード王国へと繋がる街道を進んでいる。
馬車の周囲には物々しい程の護衛がおり、その中に一際豪華な馬車がある。
アールスハイド王国王太子、アウグスト=フォン=アールスハイドの乗る馬車だ。
この度行われるアールスハイド王国、エルス自由商業連合国、イース神聖国との三国会談に臨む為、大勢の護衛を連れての移動の途中である。
三国からは代表者がそれぞれ参加し、アールスハイドからは王太子であるアウグストが、エルスからは外交を担当する役人が、イースからは大司教という役職の人間が参加する。
三国会談の目的は、魔人が世界に浸出すれば世界中の脅威となる為、一致団結してこの世界の危機に立ち向かおう、というもの。
他にも、アルティメット・マジシャンズはアールスハイド王国の軍事的戦力ではなく、世界中の危機を救う為の集団であるとの意思表示も兼ねている。
その為、三国会談開催国であるスイード王国へはアルティメット・マジシャンズの面々も向かっている。
複数の馬車があるのはその為である。
その馬車の中では……。
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「最近さあ、魔人が襲撃してきてないじゃん。おかげで『魔人はアルティメット・マジシャンズを恐れて襲撃を諦めた』っていう声まで聞こえるんだけど……大丈夫なのか?」
「だから、他の国との交渉は私の領域だと言っているだろう。お前が心配する必要はない」
「でもなあ……」
こうなってくると、本当にエルスとイースからの協力を得られないんじゃないか? って気がしてくる。
そんなに余裕なら我々の力は必要ない……とか言って……。
は! まさか!?
「まさか……戦後の疲弊した瞬間を狙ってるって事は……」
「考え過ぎだ。大体、エルスは商業国家だぞ? 商人には信用が第一なのに、目に見えて批判を浴びるそんな行動に出るとは思えん。イースも同じだな。善行を積み、創造神の御下へ導かれようという思想の宗教の宗主国が、そんな行動に出ると思うか?」
「それもそうか」
「まあ……表立っては……な」
「……裏では分からない……って事か?」
「国家の運営は綺麗事だけでは出来ないという事だな」
「……会談中は要注意……だな」
「お前のくれたこの魔道具が身を護ってくれる。心配ないさ」
そう言いながら、オーグは胸元のネックレスを指で弾いた。
交渉が思い通りにならないからと言って直接攻撃してくるとは思わないけど……どんな搦め手を使って来るかは分からないからな。
エルスとイースの担当者がいい人である事を祈ろう。
前回は空を飛んで行った為、数時間で着いたスイード王国だが、今回は正式な訪問である為、馬車で移動している。
ゲートなら一瞬で行けるけど……馬車で国境まで二日、国境からさらにスイード王国王都まで二日掛かって、ようやく到着した。
遠いな……空の移動手段、本気で考えようかな?
色んな所に根回しとか、交渉とかして事業に噛んでもらえば、そんなに社会的な影響はないと思うし……。
「おい、シン。お前、何か企んでないか?」
「……ニヤっとしてた?」
「はい……」
「してたわね」
「お前は本当に……いつになったら自重を覚えるんだ?」
「失礼な。自重して、すぐに行動起こさないようにしてるじゃん」
「その思想を自重しろと言ってるんだ」
先日も怒られたけど、便利になるのは良い事だと思うんだけどなあ……。
そんな話をしていると、スイード王国王都の城壁が見えてきた。
「おおー! 久し振りだあ! 大分復旧してるね!」
「そうですね。魔人討伐への決起の場所としては、これ以上の国はないですね」
まだちょっと遠目に見える城壁を見て、皆がそれぞれの馬車から顔を出している。
俺は、つい先日通信機のテストの為に来たばっかりだけどね。
「ようこそいらっしゃいました、アールスハイド王国の皆様! お久し振りで御座います!」
俺達が王都に到着すると……凄い数の人が出迎えてくれた。
「キャアー! アウグスト様ー!」
「魔王様ー! ステキー!」
「うおおお! シシリー様ー!」
「聖女様ー! 俺を癒してくれー!」
先日の魔人討伐に感謝してくれているらしい皆の歓声が凄い。
それより、もうここまで魔王の二つ名は届いてしまっているのか……。
「フム。歓迎されているようだな」
「当然で御座いますな。魔人に襲撃されたのはつい先日で御座います。魔人を討伐された後、功績を触れ回られる事もなく帰られてしまったので、ろくに感謝も出来なかったと残念がる国民が多う御座いました。その為、今回大勢集まったのでしょう」
オーグは戦闘開始時と終結時に王都中に宣言していたし、シシリーは怪我の治癒の為、国民と直接触れあっている。人気があるのも当然だな。
「この度は、迎賓館を御用意しております。どうぞ会談に向けて英気を養って下さいませ」
「気を使わせて済まないな」
「いえ! 私共の感謝の気持ちだと受け取って下さいませ」
そうして俺達はスイード王国に歓迎された。
残る二国とも、今日の夕方に到着する予定との事。
明日から早速会談が始まる。
これがまとまればいよいよ、旧帝国領に向けての攻勢に出られる。
どうかまとまりますように。
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スイード王国にある有名なレストラン。その二階に食事を取りながら会議が出来る部屋がある。
今回、スイード王国側が用意した会談の会場は、その部屋であった。
時折食事を挟みながら和やかに会談が進むようにとのスイード王国の配慮である。
その会場となる部屋の近くの個室に、アウグストが他の二国の代表に先んじて到着していた。
同席しているのは、護衛であるトールとユリウスである。
若干緊張気味の護衛の二人に対して、アウグストの方は実にリラックスをしている。
その事を不思議に思ったトールがアウグストに問い掛けた。
「殿下、随分と落ち着いていらっしゃいますが……シン殿の仰っている懸念は気にならないのですか?」
「確かに、シンが心配している事は分かる」
「では、なぜ?」
そう言うトールに、アウグストはニヤリと笑い、答えた。
「主導権は最初から私が握っている。そういう事さ」
そう言うアウグストに対し、『殿下には何か勝算があるのだろう』と判断し、それ以上は聞かなかった。
「アウグスト殿下、エルスとイースの代表の方が揃われました」
部屋の外を護衛している者から、二国の代表が揃ったという報告が入る。
「さて、では行くか」
そう軽い感じでアウグストは三国会談の会場に向かった。
会談場所である部屋に入ると、エルスとイースの代表者が椅子に座らずに待っていた。
「お初にお目に掛かりますアウグスト殿下。エルス自由商業連合で外交を担当させてもろてます、ウサマ=ナバルと申します。どうぞ、よろしゅう」
独特のエルス訛りで話すエルス代表の男。
その顔は嫌らしくニヤケており、この会談で自国に有利な条件を引き出したいという思惑が透けて見える。
(もう少し自分の欲を隠せないものかね)
「アウグスト=フォン=アールスハイドだ。こちらこそ宜しく頼む」
内心では、この歴史的とも言える会談に、自分の欲を隠せない男を代表として送り込んできたエルスに失望を禁じ得ないでいたが、そこはさすがの王族である。一切そのような態度は出さずに対応した。
「始めましてアウグスト殿下、私はアメン=フラー。創神教総本山において、大司教の地位についておる」
創神教の大司教であるというこの男に対しても、アウグストは内心で溜め息を吐いた。
なぜなら、創神教の聖職者は清貧を美徳とし、自らを厳しく律する事で有名なのだが、そこにいたのは肥え太り、脂ぎった中年男だったからである。
(大司教の地位であるを良い事に、私腹を肥やす生臭坊主か……しかも……)
「アウグスト=フォン=アールスハイドだ。宜しく頼む」
「ウム、宜しく」
王族であるアウグストに対抗しようとしているのか、尊大に振る舞おうとしている。
どちらの代表も、この会談を自らの出世の為に利用しようとしているのが見て取れる。
この代表の立場を手に入れる為に、あの手この手を駆使したのだろう事も予想出来た。
世界の危機に対する会談であるはずなのだが……と、旧帝国から離れた立地の為、魔人の脅威に直接晒されていない二国の危機感の無さを内心で嘆いた。
「早速会談に入りたい……ところだが、お二方共、まずは食事をしながら話をしないか?」
「え? ええ、それはよろしいですな」
「そうですな。朝早くからの会談ですからな。朝食は簡素な物しか口にしておらんのですよ」
「では、すまないが朝食を持って来てくれ」
早速会談に入り、自らの主張を訴えようとしていたエルスの代表であるナバルが、肩透かしをくらったような顔をし、それに対しフラーは余裕の対応を見せる。
もっとも、単に食事に興味があっただけなのかもしれないが……。
運ばれてきた朝食に手を付けながら、アウグストが話し掛けた。
「魔人が出現してから、各街道にも魔物が多く現れるようになったが、エルスは大変ではないか? 流通に影響するだろう」
「そうですなあ、どないしても護衛の数を増やさなあきませんよって、コストが増えたのが痛いですなあ」
「イースではどうだ? 信者達が不安がって、教会に救いを求めて来ているんじゃないか?」
「フム、確かに信者達は不安がっておりますなあ」
普通に対応したナバルに対し、なぜかニヤっとしながら返答したフラー。
そのフラーの表情を見て、アウグストの中である確信があった。
そのような他愛もない話をしながら朝食を進め、ようやく会談がスタートする。
「さて、それでは、我がアールスハイドからエルス自由商業連合とイース神聖国に声を掛けた訳だが、単刀直入に用件を言う」
その言葉に、二人は身構える。
「旧帝国領を支配し、周辺国にまで進出してきた魔人達からの各国の防衛、ならびに旧帝国領へと侵攻する為に、同盟を結びたい」
その言葉に、二人は考える素振りをし、ナバルがニヤついた表情を浮かべ、言葉を発した。
「それは……タダという訳にはいきまへんなあ」
「何?」
アウグストの言葉に、ニヤニヤしながら話をするナバル。
「エルスは商業国家でっせ? そんな損しか産まん、利が無い事に参加する理由がおまへんなあ」
「利が無い……か」
「そうでっしゃろ? よしんば魔人を討伐出来たとして、それに掛かった軍事費用は誰が負担してくれますの? 魔人に賠償請求でもせえ、仰るんですか?」
「確かに、賠償金を請求する先は無いな」
「それとも、アールスハイド王国が負担してくれますのん?」
「一国の軍事費用をか? まさか、そんな事出来る筈も無い」
「そうですか? そもそもこの話はアールスハイドから持ち掛けて来た話ですやろ? それに……聞きましたで? ホンマやったらアールスハイドだけでも事の収拾は図れるって」
市井に流れる噂を持ち出してきたナバルに、少しアウグストの表情が歪む。
その表情を見たナバルは、益々ニヤついてきた。
「アールスハイドだけで事に当たるには負担が大きいから、ウチやイースに声を掛けたんですやろ? そしたら、ウチが損をせんような話を持って来てくれんとねえ……話になりませんわ」
「フム……エルスは何が望みなのだ?」
アウグストの言葉に、来た! という表情をするナバル。
「確か……今アールスハイドとその周辺国の間では、遠距離通信が出来る魔道具があるとか。その無償提供でどないです? もちろん、こちらの希望する数、揃えてもらいますよって」
商業国家にとって情報をあっという間にやり取りする通信機は、喉から手が出る程欲しい物だろう。
遠慮なく自らの要求を伝えてくるナバルに、アウグストは溜め息を吐いた。
「イースは? まさかそちらも、この世界の危機に何か要求があるのか?」
世界の危機に自らの要求を出したエルスを暗に批判したアウグストにナバルの顔が歪む。
「はっはっは、私共は創神教の聖職者ですよ? エルスのような強欲な要求などある筈も無い」
「な、なんやと!?」
「世界の危機に自らの利を優先するとは、考えられませんな」
ナバルがフラーを親の仇のように睨んでいるが、フラーは涼しい顔でそれを無視している。
「という事は、イースはこの同盟に参加してくれると?」
「そうですなあ……参加するのは吝かではありませんが……」
エルスを批判しながらも、やはりイースも何か要求があるようだ。
「何が望みなのだ?」
「いえ、先程も伝えましたでしょう? 信者に不安が広がっていると。この状況を何とかしたいのですよ」
「……具体的には?」
その言葉に、フラーはこう要求した。
「聖女」
「何?」
「そちらの国には聖女と讃えられている少女がいるとか。噂によると、治癒魔法に優れた大変な美少女だそうで。その聖女をこちらに引き渡して頂きたい。イース神聖国にて民の不安を取り除く象徴となってもらいたいのですよ」
何を言い出すかと思えば、今や聖女としての名声が高まっているシシリーを差し出せと言う。
アウグストは内心で、やはりなと思う。
信者に不安が広がっていると言った時に、それに付随する何かを要求してくると思っていた。
まさか聖女を引き渡せと言ってくるとは予想しなかったが……。
そう要求したフラーの目には、明らかな欲望が見て取れる。
聖女として名高い噂の美少女を自分のモノにしたいのだろう。
もし、そんな事になった時のシンの反応を予想したアウグストは……背筋が凍った。
エルスとイース。両国が要求してきた事は、図らずも両方シンに関係しており、特にイースの要求はとても呑めたものではない。
ナバルとフラーは、期待を込めた目でアウグストを見ている。
(国家間の交渉で、よくもここまで自分の欲を出せるものだな)
ナバルはあからさまに、フラーも隠そうとはしているが、欲に濁った目が隠し切れていない。
「エルスとイース、双方の要求なのだがな……」
ナバルとフラーが前のめりになる。
そしてアウグストが発した言葉は……。
「両方とも飲む事は出来ない」
その言葉に、二人は一瞬口を開けて呆け、そして失望を露にした。
「何を仰ってるんですか? という事はなんですか? ウチらに無償で戦争に参加しろと、こう仰るんですか?」
「民の不安を取り除く為の提案であるというのに……ハッキリ言って失望しましたな」
「やっぱり、お若い殿下では、こういう高度な交渉は出来ませんか……」
「まったくだな」
ナバルとフラーは、自分の要求を却下された事で、アウグストに対し批判を浴びせる。
嘲りの言葉を浴びせられたアウグストは……。
「何も分かっていないのはお前らの方だろう」
若干の怒気を込めて言葉を返した。
「エルスに利が無い? その程度の認識で、よくもまあ代表としてこの場に来れたものだな?」
「な、なんやて!?」
「そしてフラー大司教、なぜ聖女を引き渡さなければならない?」
「それは今言っただろう。民の不安を取り除く為に……」
「聖女と呼ばれているとはいえ、聖職者になる為の修行を行った訳ではない者をか? それに、アルティメット・マジシャンズの聖女と言えば、戦場に出て魔人を倒す力を持ち、尚且つ傷付いた民を無償で治すという評判だった筈だ。その為に民衆の人気は高く、皆の希望になっている。それがなぜイースに引き渡さなければ民衆の不安を解消出来ない?」
「そ、それは……」
「聖女を戦線から離脱させる事は、逆に民衆の不安を煽る事になると、そうは思わないのか?」
アウグストの追及に言葉を失うフラー。
「それとも……何か他の目的でもあるのか?」
「そ! そんな事は!」
「おやあ? 大司教様ともあろう御方が……御自身の欲の為の要求ですかいな?」
「黙れ! この守銭奴が!」
「なんやと!? この生臭坊主!」
「なんだと!?」
「なんや!?」
「いい加減にしろ!」
アウグストを置いて口論を始めた二人をアウグストが止めた。
エルスの代表としてこの場にいる筈のナバルが、なぜ他国の代表であるフラーを挑発するような言葉を浴びせたのか?
それは、エルスとイースは仲が悪く元々あまり良い感情を持っていなかったからだ。。
エルスは、資本至上主義に何かと文句を付けてくるイースを疎ましく思っているし、イースはエルスを守銭奴の集団と見ている。
その関係がこの場で見られた。
もっとも、仲が悪いとはいえ商業国と宗教国である。戦争に掛かる費用と宗教国が戦争をするという世界に与える印象を考え、お互いに戦争をするつもりなどは無いのだが。
「エルスもイースも一体何を考えている。この会談は世界の危機を乗り越える為の会談だぞ」
「そうは仰いますけどね。ホンマやったらアールスハイドだけで対処出来る訳ですやろ? なんでウチを巻き込むんですか?」
「まったくその通りですな」
「それすら分からんのか……」
「な、なんですのん?」
「我らを馬鹿にしているのか?」
ここまで言ってもこの会談の真の意味に気付かない二人に、アウグストは溜め息を吐きながら、教えてやる。
「確かに、アールスハイドだけで対処は出来るがな、我が国だけで事態を収拾した場合、お前達はどう思う?」
「どないて……エライもんやなあとは思いますけど……」
「なら、周辺国は?」
「そら、アールスハイドに感謝……」
そこまで言ってようやく気が付いたようだ。
アールスハイドだけで事態を収拾した場合、アールスハイドの功績が大きい、いや大き過ぎる事に。
世界を救ったアールスハイドの立場と、参加しなかった大国との立場を考えれば……。
「周辺国はアールスハイドに多大な感謝をしてくれるだろうな。そして、この世界の……人類の危機に何もしなかった二つの大国には……一体どんな評価が下るのだろうな?」
確実にそうなるとは決まった訳では無いのだが、あたかもそうなる事が必然とも言える物言いをするアウグストに、ナバルとフラーの顔色が変わった。
商業と宗教。ジャンルは違うが、民衆の評判というものに大きく左右される事は共通している。
このまま、アールスハイドが功績を立てれば……アールスハイドが世界の盟主になり大きな発言権を持ち、何もしなかった二つの大国はその信用を失ってしまうと、二人は考えた。
「今回のこの会談はな、エルスとイースに『お願い』をしている訳では無い。アールスハイドだけで独占する事が出来る功績を二国にも分けましょうという『利益共有の提案』だ。それを……こうまで欲に濁った思考をしてくるとはな」
この会談の目的は、魔人の脅威に対抗する為だけではない、世界のパワーバランスを調整する為のものでもあったのだ。
その事を読めず、自分の要求を伝えた二人は顔を臥せた。
一人は、その事を読めなかった自分を恥じて。
もう一人は、恥を掻かされた事に怒りを感じて。
「そもそも通信機は個人が発明し、各国ともきちんと購入し、毎月通信料も支払っているのだ。それをエルスだけ無料で、しかも大量に提供してみろ。どうなる?」
追い討ちを掛けるように通信機を無料で寄越せと言ってきたナバルに、そうした場合の後の事を訊ねてきた。
「それは……反感を買うと……」
「要求が飲めない一番の理由だな」
自分の要求を通した後の事まで考えられなかったナバルは益々項垂れた。
「そして、聖女なのだが……彼女には婚約者がいるのは知っているか?」
「そ、それは……」
フラーはもちろん知っていた。
知っていたが、大司教という立場で創神教という組織にいると、大抵の無理は通ってしまう。
その為、婚約者がいようが、自分が言えば要求は通ると思っていたのだ。
「知っているようだな。ではその相手は?」
「……」
「『魔王』シン=ウォルフォード……でっしゃろ?」
「その通り、よく知っているな」
「そらもう、アルティメット・マジシャンズの魔王と聖女は婚約しとって、そらあ仲睦まじいと有名ですからな」
そんな事も知らんの? といった顔でフラーの顔を見るナバル。
ナバルにそんな顔で見られ、益々怒りが頭を支配していく。
フラーはもちろん知っていたが、高々魔法使いが世界最大の宗教の大司教である自分に逆らうとは思わなかったのだ。
「それを知った上での要求か……正直、フラー大司教の勇気に感服するな」
「なんだと?」
「魔法使いの王とまで言われ、魔人を……それこそ集団で襲って来ても苦もなく返り討ちにしてしまうような奴の婚約者に……よくもまあそんな要求が出来たものだな……」
「ただの婚約者やのうて、非常に仲睦まじいって言われとるのに……そんな事したら魔王さん、怒り狂いませんか?」
「……そんな事になってみろ……世界が……本当に滅びるぞ……」
「何を大袈裟な……」
フラーにはまったく信じられなかったが、アウグストはシンの非常識をよく理解しているので、その光景が思い浮かばれた。
「とにかく、聖女に手を出すのは止めろ。どうなっても知らんぞ」
「ぐっ! ぐぐぐ!」
もうフラーは怒りでまともな思考が残っていない。顔を真っ赤にし、アウグストと自分を馬鹿にしているナバルを交互に睨み付けている。
「こんな状態では、これ以上の会談は無理だな。明日また改めよう。ナバル外交官、フラー大司教。私は何も無償で協力しろとは言っていない。この騒動が収まった後、どんな利があるのか考えてみるんだな」
そう言い残し、アウグストは部屋を出た。
ナバルもその後に続き、フラー大司教だけが部屋に残っていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「あれ? オーグ? もう帰って来たのか?」
「ああ、今日の会談はここまでだな」
「って事は明日もあるのか?」
「残念ながら、エルスもイースも自分達の要求を飲ませようとしてきたからな。一旦落ち着いて、明日また改めようという事になった」
「やっぱり、例の噂が……?」
「それはあんまり関係ないな。別に気にしなくていい」
「そ、そうか……」
例の噂のせいで交渉が難航したのかと思った。
あんまり……って事は多少影響があったみたいだけど、そんなに問題にはならなかったのか。
その事にホッとしていると、オーグから声を掛けられた。
「シン、クロード、ちょっといいか?」
「ん? 何?」
「どうしたんですか? 殿下」
俺とシシリーの二人を呼び、皆からちょっと離れた。
「いいかシン……怒らずに聞けよ?」
「なんだよ?」
「イースの代表者なんだがな……」
「ああ」
イースの代表がどうした?
「今回、同盟に参加する条件として……聖女を差し出せと言ってきた」
「はあ!? 何言ってんだ!?」
「だから怒るなと言っただろう。心配しなくても、その要求は突っ跳ねた」
「当たり前だ!」
同盟に参加する代わりにシシリーを差し出せ? なんだそれ!? 創神教ってそんな事する奴らなのか?
「誤解の無いように言っておくがな、創神教の聖職者は、基本的に清貧を重んじ、欲に対して自分を厳しく律する事で有名だ。そいつは、聖職者としてあり得ないくらい肥え太っていたからな。世渡りが上手いんだろう」
「生臭坊主かよ……」
どこの世界にもいるな。そういう奴。
「エルスの代表の方はある程度納得したらしいが、イースの代表の方は要求が通らなかった事が相当頭に来たらしくてな、その上エルスの代表が煽ったもんだから……」
「エルスの代表が?」
どういう事だ?
「エルスとイースは仲が悪いんです……」
「金と清貧か……」
「そういう事だ。特にイースの代表は創神教内でも相当な地位にいるらしい。自分の思い通りにいかない事が許せないんだろう。怒りで真っ赤な顔をしていた」
「……って事は……」
「強行手段に出る可能性がある」
「マジかよ?」
なんだそいつ。絶対聖職者じゃねえよ。
「だからシン、クロードから目を離すなよ」
「ああ……分かった」
ふざけやがって! 絶対シシリーに手は出させないぞ!
「シ、シン君?」
「ん? あ、ゴメン」
気が付いたらシシリーの肩を抱いて引き寄せてた。
気が付いたけど、離す気にならなかった。
絶対に、絶対に……
「絶対、護ってやるからな」
「シン君……」
この娘を、俺は……。
「ちょっとお! そういうのは部屋でやってくんない!?」
マリアからいつもの突っ込みが入るけど……。
「あ、あの……シン君?」
「もう少し、このまま……」
「あう……皆見てます……」
「いいよ」
「いいって、そんな……」
これは絶対にシシリーを護るという決意表明だ。
上等だ! どっからでも掛かってこいや!
「……イチャイチャがレベルアップしたわね……」
「まあ、今回は大目に見てやれ」
「どういう事ですか?」
皆の視線を感じながら決意表明をした後、俺達は普通に過ごし、夕食も入浴も終わって各々の部屋に入った。
そして……。
「本当に来やがった……」
襲撃があるなら夜だろうと予想し、皆にも事情を話し普段通りに過ごしてもらい、俺達は無警戒だと思わせた。
そしたら……予想通りに、夜襲撃に来た。
索敵魔法に複数の反応がある。
そいつらは一つ一つ窓を確認し、シシリーの部屋の窓で止まった。
……覗きかよ!
もう、そんな事でもイラっとするな。
ちなみに皆にはベッドに入り、寝たふりをするように言ってある。
そして、しばらく窓の前で動かなかった魔力が動き出した。
何かやったな?
そして、窓を開け、侵入してきた……。
俺は、怒りでどうにかなりそうなのを押さえて複数の魔力が部屋に入りきるのを待つ。
そして、全員入りきったところで……。
「こんな夜更けに女の子の部屋に侵入するなんて、どこの不埒者だ?」
ゲートを使ってシシリーの部屋に行き、侵入者に声を掛けた。
「な……!」
侵入者はマスクをしている複数の男。
男が集団でシシリーの部屋に押し入ったというだけで怒りが込み上げて来る。
「シシリー、もういいよ」
そうシシリーに声を掛けた。
「馬鹿め、この睡眠香のお陰でグッスリ眠っておられるわ!」
「シン君!」
「な! 馬鹿な!?」
コイツら……睡眠薬……薬じゃないから、睡眠ガスか? そんな物まで使ってたとは!
窓の前でしばらく動かなかったのは、窓の隙間から睡眠香とかいうもので、睡眠ガスを部屋に送ってたのか!
本当に、例の魔道具を創っておいて良かった。
それに『毒物』じゃなくて『異物』にしといて良かった。睡眠ガスなら毒物と判定されないかもしれないしな。
そうなってたら俺達まで眠らされて、寝てる間に連れ去られてるじゃねえか!
その事に、更に怒りが込み上げる。
ベッドから飛び起き、俺に飛び付いて来たシシリーを抱き止めながら、コイツらをどうしてやろうかと考えていると……。
「侵入者を捕らえろ!」
オーグの号令によって、窓と扉から、護衛の人達が雪崩込んできた。
男達は窓から逃げようとしていたが、窓の外には既に護衛団が待機しており、男達は残らず捕らえられ、縛り上げられた。
「さあて……コイツら……どうしてやろうか?」
「待て、シン。コイツらの口を割らせれば、交渉が有利に進められる。まずは尋問からだ」
侵入者達を縛り上げ、部屋に充満した睡眠ガスを窓から出した後、コイツらをどうしてやろうかと考えていると、オーグに尋問が先だと止められた。
確かに、コイツらが本当にイース神聖国の人間なら国際問題になり、交渉が有利どころか、こっちの言いなりに出来る。
怒りで頭が回ってなかった。
「さて、なぜお前達はクロードを狙った?」
「……」
「お前達はどこの者だ?」
「……」
「自分の意思でやったのか? それとも依頼されてきたのか?」
「……」
「ダンマリか……」
コイツら、生意気にも黙秘をしてきやがった。
これは、コイツの出番かな?
「オーグ」
「っと、なんだ? またネックレス?」
「そんな上等なもんじゃねえよ。そいつには『自白』って付与がされてる」
「……なるほどな、これを付ければ……」
「お、おい! 止めろ! 止めろキサマ!」
「嘘も、ダンマリも出来ないという事か」
ちなみに魔石も使ってるから常時発動だ。
「さて、もう一度聞くぞ? お前達はどこの者だ?」
「お、俺達は……」
「おい! 止めろ! 喋るな!」
「俺達は……イース神聖国の者だ……」
「やはりな、で? お前達は自分の意思でここに来たのか? それとも命令されて来たのか?」
「……め、命令されて……来た」
「誰に命令された?」
「おい! 止めろ!」
「誰かコイツらの口を塞げ」
「は!」
さっきから喚いていた男達に猿轡がされた。
やっと静かになったな。
「で? 誰に命令された?」
「……フ、フラー大司教」
「フラー大司教?」
「今回のイース神聖国の代表者だ」
「本当に……何考えてんだ?」
これで、国際問題決定だ。
こちらからどんな要求をしても逆らえない程の問題を起こしやがったぞ?
「なぜこんな事をしでかした? 国際問題になるのは分かっていただろう?」
そりゃそうだ。会談相手国の人間を誘拐するなんて、明らかに国際問題になる命令を、なぜ実行した?
実行犯はそんな命令にも逆らえないのか?
「せ、聖女様が……悪の魔王に捕らえられ……辱しめられていると……それをお助けするのが、我らの使命だと……そう言われた」
プチっと……頭の中の何かがキレた。
かつてない位の怒りに、周りから魔力が集まり渦巻いている。
本当に……コイツら……どうしてやろう……。
そう思っていると……。
パーン! と、侵入者の頬をシシリーが思いっきりひっぱたいた。
「何を勝手な事を言ってるんですか!? シン君が悪!? ふざけないで下さい! シン君程周りの皆の幸せを! 安全を! この世界の平穏を願っている人はいないのに! そんなシン君を悪と決め付け、私から遠ざけようとする、あなた達の方が私にとってはよっぽどの悪です!」
フーッ、フーッと肩で息をし、大粒の涙を流しながらシシリーが叫んだ。
そのシシリーの姿を見て、俺は怒りが収まり、シシリーへの感謝と、愛しい気持ちでいっぱいになった。
「シシリー……」
「ふう! ふうぅぅぅ! うぅぅ!」
俺は肩で息をしているシシリーを後ろから抱き締めた。
「ありがとうシシリー。シシリーの言葉……嬉しかった」
「だってシン君が、シン君があ!」
クルリと回転し、俺の胸で嗚咽を溢す。
俺の事、悪の魔王とか言われて悔しかったのかな?
ずっとしゃくりあげているシシリーの背中を擦りながら、事の次第を見守った。
「お前達、この光景を見てもクロードがシンに捕らえられていると言うのか? シンの為に怒り、涙を流す姿を見てもそう思うのか?」
「……そうは思わない。我々は騙されたのか?」
「そういう事だ。そのフラー大司教にな」
「……」
侵入者達は非常に憤ってる顔をしている。
それはそうだろう。世間一般に聖女と言われている人間を、騙されて傷物にするところだったのだから。
「騙されていたとはいえ、不法侵入と誘拐未遂の現行犯だからな。釈放する訳にはいかない。その事も含めて、明日、会談前にイースの使節団に会う必要があるな」
結局、侵入者達は迎賓館の一室に見張りを立てて留置し、翌朝イース使節団に抗議と、代表者の変更を要求する事になった。
そしてシシリーはと言うと……。
「スン……ヒック……うう……」
まだ泣き止んでいなかった。
「シシリー、もう大丈夫、大丈夫だから」
「ううー、しんくーん」
激昂し、大泣きした事で、ちょっと幼児退行してるな……。
今までと違う甘え方だ。
「ホラ、もう寝ないと。ね?」
「うう、いっちゃやあ」
「やだって……」
「いっしょにいてください……」
泣き腫らした目で言われたら……断れないじゃないか!
「わ、分かったから、ホラ、もう寝よう?」
そう言ってシシリーをベッドに誘導し、寝かしつける。
「ううん、しんくん……」
頭を撫でてやっていると、やがて泣き疲れたのかシシリーが眠りに付いた。
その事にホッとして部屋を出ようとするが、シシリーが俺の服の裾を掴んでいる事に気付いた。
どうしよう? ガッチリ掴んでるから放してくれそうにない。
どうしようかと悩んでいると、シシリーが寝言を呟いた。
「しんくん……だいすきです……」
シシリーのその寝言で、俺はシシリーの手を放すのを止めた。
今日、シシリーは俺の為に怒ってくれた。泣いてくれた。
その事に改めて感謝と、愛しい気持ちが込み上げて来た。
「今日はありがとう。大好きだよ、シシリー」
そう言って、額にキスをした。
「にゅふふふ……」
幸せそうに笑うシシリーの横で、俺も横になった。
明日……朝から大騒ぎだろうなあ……。