空を飛んでみました
シシリーとお付き合いをする事になったその日の夜は、結局そのまま各々の部屋へと戻った。
初キスはお預けだ。
「おはようございます、シン君」
「おはよう、シシリー」
翌朝、食堂でシシリーと会うと、今までとちょっと違う笑みを浮かべながら挨拶してくれた。
何かそれだけで暖かい気持ちが溢れてくる。
「おい、いつまで見詰め合ってるつもりだ。早くしないと朝食が冷めるぞ?」
オーグからの突っ込みが入るまでシシリーと見詰め合ってた。
おっと、イカン、ここには魔法技術向上の為に来てるんだ。色恋沙汰で浮かれてる訳にはいかない。
「よし、行こうか、シシリー」
「はい、シン君」
食事中、セシルさんとアイリーンさんにいつ報告に行くのかという話になり、朝食後すぐに行くべきだという事になった。
セシルさんに伝える前に出勤されてしまうと、帰りに用事が入ってしまう可能性があったからだ。
という訳で、俺はいつもの空き部屋にゲートを開き、シシリーと一緒に王都のクロード家の屋敷に行く。
内側から逆ノックをすると、クロード家の使用人さんが扉を開けてくれた。
「あら? ウォルフォードさん? シシリーお嬢様も。一体どうされたんですか?」
「いや、ちょっと……」
「お父様とお母様にお話があるの。お父様、まだいらっしゃる?」
「ええ、もうすぐ出勤されると思いますけど」
「ありがとう」
そう言ってシシリーは部屋を出てダイニングに向かって歩いて行った。
かくいう俺は、元々知っている人達とはいえ、お付き合いの報告に行くのだ。緊張が半端じゃない事になっていた。
「シン君、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。何か緊張しちゃって……」
そう言うとシシリーは俺の横に来て手を繋いでくれた。
「大丈夫ですよ。お父様もお母様もシン君の事大好きですから。きっと喜んでくれますよ」
「そうだといいけど……」
友達と恋人じゃ違うからなあ……シシリーは末っ子で超可愛いがられてる感じがするし……。
そうこうしてる間にダイニングに着いた。俺達は繋いでいた手を離し、ダイニングに入って行った。
「おはようございます、お父様、お母様」
「お、おはようございます! セシルさん、アイリーンさん」
緊張して声が上擦ってしまった……。
「おや? おはよう二人とも。合宿じゃなかったのかい?」
「あら、おはようシシリー、シン君。どうしたの?」
二人が不思議そうな顔をしてこちらを向いた。
ええい! 緊張しててもしょうがない! 殴られる覚悟で行け!
「じ、実は、お二人にお話がありまして」
「話?」
「あら、なにかしら?」
未だに不思議そうな顔のセシルさんに何かに感付いた様子のアイリーンさん。
その二人に、俺は深呼吸をしてからシシリーとの事を告げた。
「シシリーさんとお付き合いをさせて頂く事になりました。今日はそのご報告と、承認を頂きたく参上致しました」
それを聞いたセシルさんは固まり、察していた様子のアイリーンさんは笑みを浮かべていた。
セシルさんが固まったままなので、誰も声を発する事が出来ず、時計の針の音が聞こえる程の静寂に包まれた。
「シン君……」
ようやく動き出したセシルさんが俺の名を呼びながら立ち上がる。
「は、はい……」
近付いてくるセシルさん、これは殴られるかなと覚悟をした時……。
「シン君!!」
ガバッと抱き付かれた。
「ありがとう! ありがとうシン君! シシリーを選んでくれて本当にありがとう!」
殴られるどころか、抱き付かれてお礼を言われた。
「あらまあ、アナタったら。それより、おめでとうシシリー、念願が叶ったわね?」
「あ、ありがとう、お母様……それと、そんな事シン君の前で言わないで!」
アイリーンさんも祝福してくれた。使用人さん達も拍手をしてくれて、皆が祝福してくれてるのが凄く嬉しかった。セシルさんは抱き付いたままだったが。
「ああ、今日は何て素晴らしい日なんだ! 朝からこんなに素晴らしい報告を聞けるなんて!」
セシルさんがようやく離れてくれた。
「これはアレだね! 仕事なんて行ってる場合じゃないよね!?」
と思ったらそんな事を言い出した。
「アナタ……?」
アイリーンさんの声が怖い。
「い、いや……こんな目出度い日は、お祝いの準備をしないと……」
「それはこっちでやっておきます。アナタはさっさとお仕事に行きなさい」
「いや……でも……」
「行きなさい!」
「ハイ!」
アイリーンさんが超怖い。
そのアイリーンさんの視線がそのままこちらを向いた。
「シン君?」
「ハ、ハイ!」
俺もつい背筋を伸ばしてしまった。
するとアイリーンさんは怖かった顔を綻ばせて話し掛けてくれた。
「あら、ご免なさいね? ウチの人が馬鹿な事を言うもんだから、つい」
「い、いえ! 大丈夫です!」
「そう? それより、シン君に聞いておかないといけない事があるのだけれど、いいかしら?」
「はい、なんでしょう?」
アイリーンさんは真剣な顔をして話し始めた。
「ウチは子爵位の貴族です、三女とはいえ、シシリーとお付き合いをするという事は、その先の事も視野に入れて貰うという事になります」
「その先というと……」
「結婚です」
「け! けけけ結婚!」
「今すぐという訳では無いわ。でも、シシリーは貴族家の娘。婚約せずにお付き合いをさせる訳にはいかないの」
シシリーが慌ててるけど、その事については予期していた。
この国は王族、貴族を含めて一夫一婦制だ。
なので血を絶やさない為にその一族に連なる者はなるべく早く、そして多くの子供を産む必要がある。
この国の貴族は割りと自由恋愛が認められており、結婚相手を親が決めるという事はあまり無いのだが、平民のように付き合って別れてを繰り返す事はない。
なので貴族の、それも女子と付き合うという事は結婚を覚悟しないと付き合えない。
という事を、昨日あの後オーグから『貴族の娘と付き合うとはそういう事だ』と聞かされていたから覚悟は出来ていた。
オーグもたまには役に立つな。
「……どうやら覚悟は出来ていたみたいね?」
「はい」
「シン君……」
「その事も含めての報告です。俺は平民だから……ひょっとして認められないんじゃないかと……」
そう、その事が気掛かりだった。
貴族の自由恋愛が認められているとは言っても、やはりそれは貴族同士が多いらしく、相手が平民だと付き合いを反対される事も多いらしい。
前世の日本でも、貴族でも無いのに、家柄がどうのこうの言う奴は多かったしな。貴族制度があるこの世界では尚更だ。
そんな懸念を口にしたところ……なぜかアイリーンさんやセシルさん、使用人さん達まで笑い出した。
「シン君、それ本気で言ってるのかい?」
「え?」
「どうも本気みたいよ、アナタ」
「そうか、自分の事になると分かり難いのかな? いいかいシン君、君の祖父母はこの国の伝説的な英雄だ」
「そうらしいですね」
「国中……いや、世界中の人間から尊敬を集める人物を祖父母に持ち、自身はその英雄である二人から自分達を越えると言わしめ、既に叙勲を受ける程の活躍をした新しい英雄だよ?」
「はあ……」
「叙勲式での陛下の御言葉が無ければ、貴族どころか各国の王族からも縁談が殺到したかもしれない子なんだよ? 君は」
「へえ……」
王族って……面倒臭い事になるところだったんだな……ディスおじさんには感謝しないと。
「……あんまり分かって無いみたいだけど……本当なら君は、こちらから頭を下げてでも縁談を申込みたい人物なんだ、そんな子からウチの子を恋人にしたいと言われて……反対する理由なんて何処にあるんだい?」
周りの人達も一斉に頷いた。
「それを除いても、シン君はシシリーだけじゃなく、私達の身まで案じてくれる優しい子だからね。僕はシシリーの相手が君になってくれる事を期待していたんだよ」
「そうそう、よく二人でその話をしてたのよ?」
「そういう訳でね、私達は君達の事を祝福するよ」
「そうと決まればお祝いの準備をしないといけないわね!」
「あ、その事があったんで朝に来たんです」
「どういう事だい?」
「実は、クロードの街の屋敷で既にお祝いの準備を始めているんです。今日の訓練が終わった後にお祝いしてくれるって言うので。それで、セシルさんが出勤する前に報告しとこうと思って……」
「そうだったのか、気を使わせて申し訳ないね」
「いえ、大丈夫です。それでお仕事が終わったら迎えに来ますので、予定を入れないで下さいね?」
「もちろんだよ! もし陛下からの御用を承ってもキャンセルして帰って来るよ!」
「アナタ……それは行きなさいな」
「え? でも……」
「ア・ナ・タ?」
「……はい」
セシルさんがションボリしちゃった。
「大丈夫ですよ、その時はディスおじさんにも来て貰えば良いんだから」
「そ、そうかい!?」
「ディスおじさんって……」
「シン君、陛下とは叔父と甥みたいな付き合いをしてるんです。私もシン君の家で見たときはビックリしました。あんな陛下見た事無いです」
「アウグスト殿下とも遠慮の無い付き合いをしてるし……本当に何を心配してたのかしら?」
「いや、それとこれとは話が別っていうか……」
「ま、良いわ、それよりシン君、ウチの使用人達も領地の方の屋敷に送ってくれるかしら?」
「はい、良いですよ」
「それよりアナタ、お仕事は?」
……。
「ああ!」
時計を見て固まったセシルさんが声を上げる。
「た、大変だ! もう間に合わない!」
「セシルさん、仕事場って王城ですか?」
「あ、ああ、そうだけど……」
「なら、俺が送って行きますよ」
「本当かい! 助かるよ!」
ゲートをいつもの警備兵詰所に繋ぎ、鈴を投げ入れる。予定外の訪問だけどこれで大丈夫だろう。
そして二人でゲートを潜った。
「……本当に便利だね、この魔法……」
「あれ? ウォルフォード君? こんな時間にどうしたんだい?」
ここ何日か毎日通っているので、顔見知りになった警備兵の人から声を掛けられた。
「あ、おはようございます。いや、か、彼女のお父さんを送りに来たんです」
「彼女のお父さん?」
「やあ、おはよう」
「これはクロード卿! おはようございます!」
「すまないねえ、ちょっと遅れそうだったから彼に送ってもらったんだよ」
「そうでしたか。それで……彼女のお父さんという事は……」
「いやあ、はっは、ウチの娘が彼とお付き合いをする事になってねえ」
「何と! おめでとうございます!」
「いや、ありがとう。じゃあシン君、また夜に」
「あ、夕食前に定期報告に来ますから、ここに来てもらって良いですか?」
「分かったよ、じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
セシルさんを見送り、戻ろうとした時、警備兵さんがポツリと漏らした。
「あれは……自慢しまくるな……」
そんなに広めて大丈夫だろうか? またアイリーンさんに怒られないか?
そんな心配をしながらクロード邸に戻ると、使用人さん達が既に準備万端で待っていた。
「それじゃあシン君、お願いね」
「分かりました」
今度はクロードの街の屋敷にゲートを繋ぐ。
そしてアイリーンさんと使用人さん達はおっかなびっくりしながらゲートを潜った。
「本当にクロードの街の屋敷だわ……」
「奥様!?」
クロードの街の屋敷の使用人さんが声を上げる。
来るのは夜だと思っていたから驚いたのだろう。
「久しぶりね、今日はシン君とシシリーのお祝いをするって言うから、ウチの使用人も連れて来たわよ」
「ありがとうございます! 助かります!」
「多分だけど……ウチの人が仕事場で自慢しまくってると思うのよ。もし陛下の御耳に入れば、陛下もいらっしゃると思うの。そのつもりで準備してね」
「こ、国王陛下がですか!?」
「シン君とは相当親密な関係らしいからね、多分来るわよ」
「わ、分かりました。気合いを入れて準備します!」
「頼んだわよ」
『ハイ!』
凄いなアイリーンさん。セシルさんの行動を完全に把握してるわ。
……セシルさん大丈夫だろうか?
「戻ったか、シン」
声のした方を見ると、皆が揃っていた。
「あ、ごめん、ちょっと待ってて、すぐに準備してくるわ。行こうシシリー」
「はい」
訓練の準備をして皆の下へ戻り、今度は荒野にゲートを開く。
今日はゲート大活躍だな。
エリーとメイちゃんも見学したいと一緒に来ていた。
午前中は昨日と同じく爺さんによる魔力制御の訓練だったのだが、ここで意外な事実が判明した。
メイちゃんに魔法使いの素養があったのだ。
エリーは既に素養がない事を知っていたとの事で、大人しく見学していたのだが、皆が訓練しているのを見たメイちゃんが見よう見まねで魔力を制御し始めたのだ。
「わ、わ、凄いです!」
「おお、こりゃ凄いのう。メイちゃんにも魔法使いの素養があったようじゃな」
「メイ、お前邪魔するなとあれ程言ったのに」
「まあ良いじゃないかね、メイちゃんはアタシが見てあげるからアンタ達はマーリンの訓練を受けときな」
結局、爺さんの魔力制御の訓練中は手が空いていたばあちゃんがメイちゃんの面倒を見る事になった。
「今からこの訓練を始めるとなると……凄い魔法使いになりそうね」
「負けてられない、頑張る」
「リンさん! それは集め過ぎじゃ! 暴走するぞい!」
「あれ? 失敗した」
高等学院に入ってからこの訓練をするようになった皆が、十歳から訓練を始めたメイちゃんに、追い抜かれるかもしれないと危機感を覚え、より一層訓練に力を入れるようになった。
うん。予定外の事だったけど、これは良い傾向だな。
昼食を挟んで午後は実践訓練だ。
初めて俺達の魔法を見たエリーとメイちゃんが、驚いて呆然と見ていた。
「……信じられませんわ……なんですの? この魔法は……」
「はわわ! 皆さん凄いです!」
メイちゃんに誉められて自尊心が回復したのか、皆上機嫌で訓練していた。
……十歳の子に張り合うなよ……。
そして、実践訓練が終わった後は、本日の俺の魔法実験だ。
既に皆はいつでも魔力障壁を展開出来るように身構えている。
……相変わらず皆の評価が気になるところだな……。
「あのさ……今回のはそんなに危なく無いから……」
「……本当か?」
「……攻撃魔法じゃないから」
「そうか、なら大丈夫か」
あれ? 攻撃魔法じゃないと分かった途端に皆の緊張が溶けた。
「いやあ、今回はどんな危険が待ってるのかとドキドキしちゃったよ!」
「本当ですね。この合宿でこの時間が一番緊張します」
……本当にどんな評価されてるんだ……。
皆の非道い反応に今回も凹みながら魔法の準備を始める。
今回試してみたい魔法は、最初から最後まで俺の知識にある物理法則を完全に無視したものだ。
ヒントになったのは、シュトロームが使った魔法だ。
まず、足元にある石を拾い、これに魔法を掛けて試してみる。
試す魔法は『浮遊魔法』だ。
恐らくシュトロームは物理法則とか関係なく、イメージの力だけで浮遊魔法を使っていたと思われる。
今まで浮遊魔法が使われていなかったのは、単純に魔力が足りなかったんじゃないかな。
魔人と化し、溢れる魔力を使えるようになったから、浮遊のイメージが発動したんだろう。
なら、今の俺の魔力制御量なら浮遊魔法もイメージ次第で使えるのではないかと思ったのだ。
まず魔力を集める。今までの魔法を使う時より多く集める。
「おいおい……本当に大丈夫なのか?」
「集まってる魔力の量が尋常じゃないですね……何をするつもりなんでしょうか?」
「ほ、本当に危なく無いんでしょうか!?」
大丈夫だって、攻撃魔法じゃないから。
次にイメージをしていくのだが、思い付いたのが『反重力』だ。
原理は全く分からないが、重力に反発する力をイメージして物を浮かせるイメージをした。結果は……。
「お、やった! 成功した」
浮遊魔法を込めた石は宙に浮いていた。
今は重力と同じくらいの力をイメージしているが、重力より強い力をイメージすると、石は上昇しだした。
左右の動きは風の魔法で代用するとして、さあ次は自分に掛けてみよう。
さっきの実験で必要な魔力の量は把握出来たので、必要な魔力を集め反重力をイメージする。
「おい……なんだこれは……」
「シン君が……宙に浮いてます……」
「え? あれって……シュトロームが使ってたやつよね?」
「あの時のシン殿の口振りでは、浮遊魔法は使えなかった筈ですが……」
「もう開発しちゃったのかい……」
「相変わらず、魔法の常識知らずで御座るな」
下の方で皆が何か言ってるようだが、声が届かないので何を言ってるのか分からないが、どうせまた非道い事でも言ってるんだろう。
そんな皆をよそに、移動する為に風の魔法も起動させる。
反重力によって、空を飛んでいるから風の魔法でスイスイ動く事が出来た。
こりゃあ楽しいわ!
それに、空を移動するシュトロームに対抗する為の戦力にもなる。
これは有意義な実験だったな。そう思いながら皆のところへ着陸する。
「シンお前……またとんでもない魔法を創ったな……」
「そう? シュトロームも使ってたじゃん。あれに対抗する為に考えたんだけど」
「シン君……凄い……」
「凄いです! シンお兄ちゃん凄いです!」
「本当に……ここはとんでもないところですわね……」
シシリーは目を潤ませながら褒めてくれて、メイちゃんは無邪気に喜んでくれた。
皆もこの純粋さを見習いたまえ!
「バカップルの片割れと一緒にしないでよ」
「バカップル言うな!」
「バカップルですね」
「当事者はそう思ってないものだ」
「確かに、そうかもねえ」
おのれ……そうなのか?
「カップル……」
シシリーは真っ赤な顔でクネクネしてる。
一方のメイちゃんは不思議そうな顔で皆を見ていた。
「なんで皆さんそんな顔してるですか?」
「メイはこの魔法がどんなものか分かってるのか?」
「分かってるです! 凄いです! 空を自由に飛べるです!」
「確かにそうなんだが……」
「シンお兄ちゃん、私も空を飛びたいです!」
「だ、駄目ですよメイ姫様!」
「なんでですか?」
空を飛びたいというメイちゃんの要望を、マリアが必死な形相で止めてきた。
「だって、今飛んだら……」
「飛んだら?」
「パンツ丸見えになっちゃうじゃないですか!」
……確かに女性陣は皆スカートだな。
良かった! さっきシシリーとメイちゃんを浮遊魔法に誘わなくて!
「あう! 忘れてました!」
頭を抱えるメイちゃんにホッコリした。