ウォルフォード家は保育園
シャルロットが初等学院に入学し、シルベスタも魔法を習うようになってしばらく経ったころ。
ウォルフォード家は、今日も保育園になっていた。
「ショーン、ノヴァ君、スコール君、ミーナちゃん、アネットちゃん、アンナちゃん、おやつですよ」
「「「「「「はーい!」」」」」」
シシリーの呼びかけに、ウォルフォード家に集まっていた幼児たちが一斉に返事をして駆け寄ってきた。
「まま! きょうのおやつなに!?」
「ふふ、今日のおやつはプリンですよ」
「わあ!」
「やった!」
「ぷりんだいすき!」
シシリーが今日のおやつを発表すると、幼児たちは一斉に歓声を上げた。
そんな子供たちを、シシリーは微笑みを浮かべて見つめていた。
元々聖女と呼ばれていたシシリーが、母になりこんな表情を浮かべているのを創神教の信者たちが見たら、今度は聖母と呼ばれてしまうのではないかと思うほど慈愛に満ちた微笑みだった。
「さあ、おててを洗いましょうね」
「「「「「「はーい」」」」」」
そう言って子供たちを洗面所に誘導していく。
ちなみに、ショーンがシンとシシリーの次男。
ノヴァは本名ノヴァクで、アウグストとエリーの長男。
スコールは、アリスとロイスの長男。
ミーナは、マークとオリビアの長女。
アネットは、ユーリとモーガンの長女。
アンナは、トニーとリリアの長女。
全員同い年の三歳である。
他にも、トールとユリウスにも同い年の子供がいるが、領地にて子育てをしているためここにはいない。
ここウォルフォード家は、王都で子育てをしている母親たちが息抜きをするための憩いの場所になっているのだ。
「はぁ、ここに来るとホッとするよー」
スコールの母であり、クロード子爵家夫人のアリスがソファーにグッタリと座り、足を投げ出している。
その様はとてもはしたなく、子供がいる貴族家夫人とはとても思えない所業だった。
「ちょっとアリスさん、はしたなくてよ」
「いいじゃんエリー、ここに来ないとこんなにダラけたりできないんだからさあ。ウォルフォード家は、あたしにとっての安息地なんだよう」
「また「あたし」になってますわよ? もう、こんなに気を抜いていると、いざというときに本性が出ますわよ?」
「むしろ意識してるから大丈夫だって」
「それに……」
「ん?」
「スコールに見られたら幻滅されますわよ」
エリーがそう言うや否やアリスはバッと姿勢を正した。
「え? 見られてないよね?」
「さあ? どうでしょうか?」
アリスの息子スコールがさっきまで遊びに夢中でこちらを見ていなかったことは確認しているが、反省を促すため、わざと曖昧な言い方にしたのだ。
「うう、幻滅されたどうしよ……」
「なら、気を付けることね」
そんなやり取りを見ていたユーリとオリビアは、クスクスと笑っている。
「本当にアリスさんは貴族のご婦人になっても変わらないですね」
「まぁ、堅苦しそうなのは分かるけどぉ、それって自分で選んだんでしょぉ? なら頑張らないとぉ」
「分かってるよぉ」
二人に言われ、唇を尖らせるアリス。
その姿を見て、さらにクスクス笑うオリビアとユーリ。
「相変わらず、凄い集まりですね……」
そんな四人を見ながら、トニーの妻であるリリアがしみじみと呟いた。
「王太子妃殿下にアルティメット・マジシャンズ。それに比べて……私は平の事務官ですから……」
そう言うリリアに、アリスが近寄り耳元で囁いた。
「旦那がアルティメット・マジシャンズの時点で、リリアも特殊枠だから」
「ですよね~」
アリスの言葉に、苦笑と共に同意するしかないリリア。
リリア本人は、経法学院を卒業したあと官僚試験を受けて合格。
王城勤務の事務員として勤めに出ている。
経歴だけ見れば、そんなに珍しいものではない。
しかし、結婚式には王族がこぞって出席し、王太子が進める政策に身近な人物ということでリリアが産休と育休のモデルケースに選ばれたり、そもそも旦那がアルティメット・マジシャンズだったり。
環境が特殊すぎて、いまだに実感が湧かないのだった。
そもそも経法学院に進学する人間は安定志向を目指している者がほとんど。
それなのに、なぜ自分が今の状況にいるのか頭では理解していても心が追い付かないことが多い。
彼らと出会ってもう九年になるので、さすがに緊張でガチガチになることはもうないが、時折自分の境遇を顧みては遠い目をすることがあるのだ。
「なんだか、遠いところに来てしまった気がします……」
「ここは、リリアの家から歩いても十五分くらいのとこだよ?」
「気持ちの問題です」
理解してくれないアリスに、唇を尖らせるリリア。
そんなことをしているうちに、子供たちが洗面所からリビングに戻ってきた。
「かーさま!」
そう言ってアリスに抱き着いたのはスコールだ。
「あら、元気いっぱいね。ちゃんと手を洗った?」
「はい!」
「ふふ、そう」
そう言ったアリスは微笑みながらスコールの頭を撫でた。
……アリス以外の母たちは、あまりの変わり身の早さに絶句した。
え? 中身違う人物じゃね? と思うほどの変わり身だった。
その様を目撃した四人は、下を向いてプルプルと震えている
「あら? 皆さん、どうされましたの? さあ、子供たちもお待ちかねですから、いただきましょうか」
そんな四人に、額に血管を浮き上がらせながらもにこやかに対応し、決して貴族夫人としての仮面は脱がないアリス。
スコールに幻滅されるわけにはいかないのだ。
アリスの言葉に、子供たちは『わーい!』とプリンに群がる。
それを確認したアリスは小声で(あとで覚えてろ)と呟く。
それを聞いた四人は堪らず吹き出し、子供たちから不思議そうに見られるのだった。
アリスの額の血管の数が増えたのは言うまでもない。
「あらあら、ふふ、もうお義姉さまったら」
「まあシシリーさん、どうなさったの?」
さらにはシシリーまで悪乗りしだした。
アリスは内心で(お義姉様じゃねえよ! 皆して揶揄いやがって!)と思いつつも、変わらずにこやかに対応する。
なんで自分だけこんな辱しめを? と腑に落ちない感情を抱きつつも、最愛の息子であるスコールの前ではいいお母さんを演じ続けるアリスだった。
『いただきまーす!』
「はい、どうぞ。召し上がれ」
そんな母たちのやり取りなど微塵も解さない子供たちは、目の前にあるプリンに釘付けで、皆揃った時点で早速食べ始める。
「おいしーねー」
「ねー」
甘く蕩けるプリンに、自分たちの顔も蕩けさせながらもきゅもきゅと頬張る子供たちに、母たちは自分の顔も蕩けているのを自覚した。
「ふふ、可愛いですねえ」
「そうですわね。このくらいの子供が一番可愛いですわ。最近のヴィアときたらおすましが上手になってしまって、こういう顔は滅多に見せてくれないんですのよ?」
「それは……ヴィアちゃんは王女様なので仕方がないのでは?」
エリザベートのオクタヴィアに対する不満に、シシリーは思わず苦笑してしまう。
王女であるオクタヴィアは、既に王族としてのマナーの勉強を始めている。
その結果、同年代の他の子供よりも子供らしさがなくなってきている。
王族として、元公爵令嬢としても理解はできるのだが、同年代の平民の子、特に一番の親友であるシャルロットの自由奔放な振舞いを見ていると、もう少し子供のままでいて欲しかったという思いもある。
王太子妃殿下は複雑なのだ。
今、ここにいる子供たちは皆三歳。
王子であるノヴァクも、まだマナーの勉強は始めていない。
王族の子供が子供らしくいられる僅かな時間を、エリザベートは見逃さないようにと自分も子育てに参加しているのだ。
そんな会話をしながら子供たちのおやつの時間を見守っていると、ショーンがシシリーに話しかけた。
「まま、おにーちゃんとおねーちゃん、もうかえってくる?」
兄シルベスタと姉シャルロットに大切にされているショーンは、二人のことが大好きだった。
だから、二人が学院に行っているこの時間があまり好きではなく、すぐにでも帰ってきて欲しい。
だが、今はお昼を少し過ぎた時間。
「そうねえ、ショーンがちゃんとお昼寝をしていたら帰ってくるわ」
シシリーはショーンの頭を撫でながら、このままお昼寝をするように促した。
ショーンたちは、その言葉に乗り、早速お昼寝の準備を始める。
「ねえ、まま」
「なに?」
「ぼくも、がくいん、いきたい……」
リビングの絨毯の上にマットを敷き、その上に子供たち全員で寝転がりタオルケットを被る。
その体制で母から頭を撫でられると、途端に瞼が重くなり、たどたどしい言葉がさらに怪しくなる。
その状態で、自分も学院に行きたいと言い出したショーンに、シシリーは優しく微笑んだ。
「そうね。ショーンももうすぐ学院に行くわ。そのためには、しっかりお昼寝して、もっと大きくならなくちゃね」
「うん……ぼく……おおきく……」
そこまで言って、ショーンは眠りに落ちた。
周りを見ると、他の子供たちも皆寝息を立てている。
その様子を見て、母たちはようやく一息ついた。
「はあ、ようやく落ち着けるよ」
そう言って息を吐くアリスを見て、全員が噴き出した。
「なにを笑っているのかな?」
先ほどのこともあり、額に血管を浮き上がらせながらアリスが皆に詰め寄って行く。
しかし、そうすればするほど、先ほどとのギャップが浮き彫りになってますます可笑しい。
「ちょ、アリスさん、勘弁してくださいまし!」
「うふ、あはは! アリスさん、いつの間に二重人格になったんですか?」
「さっきのは凄かったわねぇ」
「に、にじゅ……」
「うふふ」
「あ、あんたら……」
ますます笑い転げるエリザベートたちに文句を言ってやろうと思っていると、その機先を制された。
「あらアリスさん。騒ぐと子供たちが起きてしまいますわ」
「うぐっ!」
いくら可愛い盛りだとはいえ、元気いっぱいの三歳児の相手をするのは大変だ。
折角お昼寝をして大人しくなっているのだがら、それを起こすのは得策ではない。
止む無く、アリスはその怒りの矛先を治めた。
「まったく、皆非道いよ。あたしはスコールに幻滅されないよう必死なだけなのに」
「だから、普段から先ほどのようにしていれば問題ないのですわよ」
「そうは言ってもさあ……」
アリスはそう言うと、目を瞑り息を整えた。
「今更皆さんの前でこういう態度を取ると、皆さんお笑いになるでしょう?」
『ぶふっ!』
「ほらあ!」
普段からお淑やかにしろと言う割には、そうしたらしたで笑われる。
どうすりゃいいんだよ! と頭を抱えるアリスなのであった。
そうして母たちで歓談していると、シシリーはふと先ほどのショーンの言葉を思い出した。
「そういえば、さっきショーンが、自分も早く学院に行きたいと言い出しまして」
「学院に?」
「ええ。シルバーやシャルが学院に行ってしまうのがつまらないらしくて。それに、二人とも学院で楽しそうにしているので、自分もそこに行きたいと思っているみたいなんです」
「へえ、そうなんだ。そういえばさ、シルバー君たちって学院でどんななの?」
アリスのその言葉に、シシリーは顔に手を当てて首を傾げる。
「そうですねえ……あの子たちから聞いているだけですから、毎日楽しそうにしてますけど、そういえばどんな様子なのか詳しくは知りませんね」
「そんなもん?」
「シルバーは何度か先生と保護者面談をしたのである程度は分かっているのですが、シャルの面談はまだですから」
「ふーん。どうなんだろうね?」
「そうですねえ、あの子はとにかくお転婆ですから……」
シシリーはそう言うと、ちょっと不安そうな顔になった。
「……ちょっと心配になってきました」
シシリーは、シルバーのときとはまた違う不安に駆られるのであった。