シルバーの魔法実習
マジカルコントロールカー、略してマジコンカーと子供用ドライヤーが発売されて数日が経過したころ、アールスハイド初等学院では学年を問わずその二つの新商品の話題で持ち切りだった。
「昨日、予約してたマジコンカーが届いたんだ!」
「ええ!? いいなあ!? 僕んちはまだ先なんだよー」
「あら? 髪が乱れてるわ。私がドライヤーで直してあげましょうか?」
「大丈夫よ。私も持ってるから」
校舎のあちらこちらからこのような会話が聞こえてくる。
それを聞きながらシルベスタとアレンは廊下を歩いていた。
「はぁ、皆もう持ってるのか。発売後あっという間に大人気商品じゃねえか」
「そうみたいだね」
「やっぱシン様は凄いな、こんな大人気商品を作ってしまわれるなんて」
「ね、凄いよね」
父を褒められて、シルベスタは嬉しそうに微笑む。
そんなシルベスタを見て、アレンは微笑ましい気持ちになった。
これだけ生徒を騒がせているマジコンカーと子供用ドライヤーは、シルベスタの父が経営するウォルフォード商会が新たに売り出した商品である。
現在品薄で、予約しても数日から数週間待たないと手に入らない大人気商品となっている。
シルベスタはウォルフォード商会会長の息子なので、そういった商品を優先的に手に入れられる立場にいる。
だがシルベスタはそのことを自慢するわけでもなく、その大人気商品を開発した父のことを嬉しそうに語るだけ。
優越感に浸りたい気持ちはなく、ただただ父のことが誇らしいのだろう。
自分がシルベスタの立場だったら、皆に自慢して回っていただろうなと、アレンはシルベスタの心根の真っすぐさを羨ましく思った。
そんな会話をしながら教室に入ると、数人の男子生徒が二人のもとへとやってきた。
「アレン様、いよいよですね!」
「ん? なにがだ?」
生徒が心待ちにするような行事があっただろうかと、アレンは本気で首を傾げた。
その様子に、まさかという表情をして顔を見合わせた男子生徒たちは、アレンに必死に訴えた。
「なにって、魔法実習ですよ!」
それを聞いたアレンは、ようやく「ああ」と納得した。
「そういえばそうだったな。すっかり忘れていた」
その言葉に、男子生徒二人は驚きでポカンと口を開けてしまった。
「忘れていたって……」
「アレン様は、魔法実習が楽しみではない、のでしょうか?」
いよいよ始まる魔法実習が男子生徒二人には楽しみで仕方がないのだが、どうもアレンは冷めた様子。
今どきの子供にとって、魔法とは最大の関心事。
それを忘れることなどあるのだろうか?
そう思ってしまい、胡乱げな顔をした男子生徒二人にアレンは慌てて取り繕った。
「ああ、いや。楽しみに決まっているだろ。ただ最近はちょっと、他のことで忙しくてな。忘れていたのだ」
「魔法実習を忘れるようなことって……」
「お前たち、マジコンカーは持っているか?」
アレンから、今一番ホットな話題が提供され、男子生徒二人は興奮して話し出した。
「もちろんですよ! 僕は昨日届きました!」
「僕は一昨日です! アレン様もお持ちなのでしょう?」
「ああ。まあな」
アレンはそう言うと、ちらりとシルベスタを見た。
その視線に気付いた男子生徒二人は、少し嫉妬の籠った目でシルベスタを見た。
「ウォルフォードはいいよな。あれ、魔王様がお作りになったんだろ?」
「そりゃ絶対持ってるよな」
「はは、まあね」
マジコンカーはウォルフォード商会会長シン=ウォルフォードが作った新商品。
その子供であるシルベスタは持っていて当然。
話題の新商品を誰よりも早く手に入れられる環境が羨ましくて仕方がない二人だった。
そこに、アレンか追加情報を投げ込んだ。
「そのマジコンカーな、俺たちも開発に参加したんだ」
「「!!」」
アレンの発言に目を見開く男子生徒二人。
周りにいた生徒も同じ表情をしていた。
「ど、どど、どういうことですか!? アレン様!」
「あ、あの商品の開発に携わるって……」
「ああ、なんかシン様から手伝ってくれって言われてな」
「シ、シン様から!?」
シンから直接依頼されたことに驚いている二人。
なんかちょっと優越感に浸っているアレン。
そんな三人を見て苦笑しながらシルベスタも事情を話した。
「なんか、子供向けの商品だから子供の意見が欲しいっていわれてね。お父さんが作ってくる試作品にあれこれ言ってただけだよ」
実際にシルベスタやアレンがしていたことは、試作品の外装に意見を言っていただけ。
実際の駆動部分や操縦機部分にはなにも関わっていない。
しかし、アレンとしては今大人気になっている商品の開発に一部でも関わっているということが自慢でしょうがないのだ。
もっとチヤホヤしてもらいたいアレンは、なんてことのないように言ったシルベスタに不満顔を作った。
「なんだよー、もっと自慢しろよシルバー。意見を言った次の試作品にはちゃんと俺らの意見が反映されてたじゃんかよー」
「はは、そうだったね」
「まあ、そういうわけでな。俺たちはマジコンカーの開発を手伝っていたから、魔法実習のことをすっかり忘れていたのだ」
「そ、そうだったんですね」
アレンの言葉に、男子生徒二人はすっかり納得した。
あの商品の開発に携わっていれば、自分だって魔法実習のことを忘れるかもしれない。
と、それくらいの説得力があった。
しかし。
実はアレンが魔法実習のことをすっかり忘れていたのはそれだけが原因ではない。
その証拠に、アレンは二人からもうすぐ魔法実習が始まると聞かされてもあまり嬉しそうにはしていない。
ああ、そういえばそうだったな。くらいの感想しかなかった。
そのことに二人は気付いていなかった。
魔法実習当日。
魔法に適性があり、実習を受ける生徒たちは朝からずっとソワソワしていた。
魔法師団員の監修のもとで行われた魔法適性検査で、適正のあった子は初めて自分で魔力を集めた。
その時、自分に魔法の適正があったことと、自分で魔力を集めているという事実に誰もが興奮した。
しかし、検査に来ていた魔法師団員に、しつこいほど「勝手に魔法を使ってはならない」と言われていたため、もう一度あの感じを体験したい生徒たちは魔法実習が始まる日を心待ちにしていたのだ。
そんな中で、落ち着き払っている生徒もいた。
「みんなソワソワしてるね」
「まあなあ。本当だったら俺もそうだったかもしれないけど」
「私たちはね……」
シルベスタはいたって冷静に周囲を観察し、アレンはちょっと優越感を感じ、クレスタはなんか申し訳なさそうな顔をして待機していた。
一部例外もいるが、皆ソワソワしながらアールスハイド初等学院に新たに増設された魔法実習棟で教師の到着を待っていた生徒たちだったが、実習棟の扉が開き、学院の教師と見慣れぬ男が入ってきた。
入ってきた男は魔法師団の制服を着ている。
魔法の講師だ。
それを理解した瞬間、生徒たちから歓声があがった。
「はは。毎度のことながら、初めての授業のときは歓迎されるねえ」
魔法の講師は学院の教師に笑いながらそう言った。
「整列!」
学院の教師の号令で、生徒たちは整列する。
その前に立った魔法の講師が一つ咳払いをしてから口を開いた。
「えー、皆、もう分かっていると思うが、俺はアールスハイド魔法師団所属の魔法使いで、名前をバーニー=アッシュと言う。君たちの魔法実習の講師を務めることになった。よろしくな」
魔法講師の自己紹介に、生徒たちはザワついた。
名門アールスハイド初等学院の講師に、魔法師団とはいえ平民の、しかもこんな粗野な言葉遣いの男が講師としてやってくるとは。
生徒たちは、先ほどまで期待に胸を膨らませていた反動か、不服そうな顔をする者が多かった。
それを見た魔法講師……アッシュは、予想通りの反応だとニヤッと笑った。
「ほう、俺みたいなのが講師なのが不服と見える。なるほど、なるほど」
ニヤニヤしながらそう言ったアッシュは、次の瞬間、非常に厳しい顔付きになった。
「俺の講義が受けられないというのなら、出て行ってもらって結構。引き留めはしない」
そう言われた生徒たちは、今まで言われたことのないほどの厳しい言葉に、先ほどまでの不服そうな顔から唖然とした顔に変わった。
そんな生徒たちを見渡し、アッシュは更に言葉を続けた。
「魔法は、その使い方次第では皆の助けにもなるが、害にもなる。君たちには、正しい魔法の使い方を教えなければならない。もし君たちが間違った魔法の使い方をしようとするならば、俺は全力で君たちを止める。そんなとき、お上品に止めることなどしない。なので、俺はこの態度を改めることはしない。それが不服ならば魔法を教えることはできないし、今後他で習うことも許さない。分かったか?」
アッシュの粗野な態度と、あえてそうしている理由を聞かされ、ただ単純に魔法を教えてもらえると思っていた生徒たちは自分の考えの浅はかさを恥じることになった。
生徒たちが魔法に憧れていたのは、シンたちの物語を読んだから。
その物語では、魔法使いは正義の味方であり、格好いい憧れの存在として描かれている。
そんな格好いい存在に自分もなれるかもしれない。
生徒たちのほとんどはそう思っていた。
なのでアッシュは、最初の授業でその甘い考えを矯正すべくこのような態度で接したのだ。
ちなみに、これは初等学院生に魔法を教える際のマニュアルになっているので、どの学院でも講師は全てこのような態度を最初に取る。
嫌われ、恐れられることで魔法とは危険なものだと最初に理解させる。
マニュアル通りに生徒たちを委縮させたアッシュは、改めて訊ねた。
「さて、俺の講義を受けたくないものはいるか?」
その問いに、誰も不服そうな態度を取ることなく、真っすぐにアッシュを見つめた。
その生徒たちの態度に満足したアッシュは、もう一度問うた。
「魔法を習う覚悟ができたということか?」
『はい!!』
アッシュの問いに、生徒たちは揃ってそう返事をした。
その返事に満足したのか、アッシュはニヤッと笑った。
「よし。ならば、俺は君たちに全力で魔法を教えよう。しかし、さっきも言ったように魔法はとても危険なものだ。それは攻撃魔法だけでなく、魔力の制御に失敗すると暴走するからという意味でもある。俺の指示に従い、勝手な行動は絶対にしないように。もし守れなかった場合、もう実習は受けさせないのでそのつもりでいろ」
『分かりました!』
「よし」
生徒たちの返事に頷いたアッシュは、早速魔法実習に移った。
「さて、魔法を使うに当たって一番大事なのは魔力の制御だ。これは魔法使いの王であらせられるシン=ウォルフォード様が推奨している方法であり、全ての基本となるものだ。なので、まずはこの魔力制御の練習からになる。皆、広がれ」
アッシュの命令により周りと距離を空ける生徒たち。
「よし、それでは魔法適性検査のことを思い出せ。胸の前で手を向かい合わせ、その間に魔力を集めろ。ただし少しずつだ。制御に失敗して暴走すれば命に関わることもあるからな!」
そう脅されてしまった生徒たちは、おっかなびっくりといった感じで、魔力に意識を向ける。
魔法適性検査のときは、基礎魔力が大気中の魔素に干渉できるかどうか調べただけなので本格的な魔力制御は皆これが初めて。
いきなりやれと言われてもできるはずもなく、皆「うーん!」「むむむ!」「くぅ!」といった感じで四苦八苦している。
いつもの光景だなと思いながら生徒たちを見ていたアッシュだったが、ある一角を見た瞬間に固まった。
この初回の授業で、すでに魔力制御ができている生徒がいたのだ。
ということは、魔法実習が始まる前に魔法の練習をしたということ。
そのとんでもなく危険な行為に、アッシュは頭に血が上ってしまった。
「おい! そこの三人!!」
「え?」
「ん?」
「は、はい!」
返事をしたのは、シルベスタ、アレン、クレスタの三人である。
「お前たち! 実習前に魔法の練習をしたな!? 危険だから勝手に練習はするなとあれほど釘を刺したのに!! 親はなにをしているんだ!!」
物凄い剣幕でシルベスタたちに近付いてくるアッシュに、面食らったシルベスタだが、親はなにをしていたのかと問われたので、それに答えた。
「えっと、お父さんに教わりました」
「俺も、シルバーのお父さんに」
「私も……」
子供が勝手に魔法の練習をしたのだと思っていたら、その親が教えていたとは。
子供の安全を脅かす行為に、アッシュはさらに激高した。
「父親が率先して教えたのか!? どこの家だ!? 厳重に抗議する!!」
アッシュは怒りのあまり真っ赤になっているが、生徒たちは「ああ」と納得顔である。
それもそのはず……。
「えっと……ウォルフォードです」
「……ん? なんだと?」
「家の名前ですよね? 僕はシルベスタ=ウォルフォードなので、家はウォルフォードです」
「……」
シルベスタのその言葉に、アッシュは背中に冷たい物が流れるのを感じた。
まさか、と思いつつも念のために訊ねた。
「ちなみに……お父上のお名前は……」
「シン=ウォルフォードです」
「!!??」
シルベスタの返事に、アッシュは驚愕のあまり開いた口が塞がらなくなった。
「え? ということは……シン様のご子息様?」
「まあ、そうですけど、ご子息様なんてそんな大層なものじゃないので……」
「すみませんでした!!」
あまりにも遜ったアッシュの言葉に、偉いのは父で自分ではないと言おうとしたシルベスタだったが、それを遮るようにアッシュは直角に腰を曲げて頭を下げた。
「シン様のご子息様とは露知らず、生意気なことを言って申し訳ありません!!」
「あ、いや、あの! こ、困ります! 頭を上げてください!」
「いえ! シン様がご子息様に魔法を教えているということならば、私から指導することなどなにも御座いません! どうか、ご自由になさってください!」
「困ります!! お父さんからも、監督者なしで練習しちゃ駄目って言われてるので!」
「あ……そ、そうですね」
「あの……本当に敬語やめてください……」
「しかし……」
「偉いのはお父さんであって、僕ではないので。本当にお願いします」
シルベスタはそう言って頭を下げた。
その姿を見たアッシュは、ようやく冷静になり生徒たちの視線が冷たいことに気が付いた。
「! ゴホン! えー、スマン。少々取り乱した」
少々か? と疑問に思った生徒たちだったが、どうにか冷静さを取り戻したようなので冷たい目で見ることは止めた。
しかし、疑問に思うことがあった。
「先生、どうしてシン様から指導を受けていたら先生の指導は受けなくていいんですか?」
生徒の一人がその疑問について訊ねると、アッシュはなぜ分からないのか? という顔になった。
「どうしてって、俺が君たちに教えることは、シン様から教わったことだからだよ」
「あ、先生の先生ってことですか?」
「そういうことだ。いや、それにしても監督者なしで自由にしていいなどと、とんでもないことを言ってしまったな。すまないがその言葉は忘れてくれ」
「分かってます。お父さんからも絶対にしちゃ駄目って言われてますから」
シルベスタの言葉に、アッシュは感動したようにしみじみと呟いた。
「さすがはシン様だ。ご自分の子供であっても特別扱いはしないのだな」
魔法実習前に魔法を教えるのは特別扱いじゃないの? と思いつつも、実際には魔法が使える親から魔法を教わっているだけ。
ただ、その親が世界最高の魔法使いであるだけである。
……うん、十分特別扱いだな、と生徒たちはシルベスタに改めて羨望の眼差しを送った。
「ということは、君たちもシン様のご指導を?」
「あ、はい。シルバーとは友達なので」
「私もです」
「そうか。そうか……」
アレンとクレスタの返事を聞いたアッシュは、目を瞑って眉間に皺を寄せた。
親以外に教わるのは駄目だったのだろうか?
そんな不安が胸をよぎるが、その不安はすぐに解消された。
「……羨ましい」
自分たちに魔法を教えてくれるはずの講師が、心底羨ましそうにしている。
気持ちは分かる! とシルベスタたち以外の生徒の心が一つになったのだった。