子供は、いつの間にか成長している。
担任教師に連れられて教室に向かうシャルを見送ってしばらく経った。
俺たち保護者は講堂に残り、子供たちが入学式後の初めてのホームルームが終わるのを待っている。
子供たちが出て行ったあとは自由時間みたいなもんで、俺たちはいつもの面々で集まっていた。
しかし、そのいつもの面々にはオーグがいる。
王太子であるオーグのもとには、高位の貴族たちが一言だけでもと挨拶に訪れる。
それはまあ分かるんだけど、ついでとばかりに俺にも挨拶をしてくる。
俺は貴族じゃないから夜会になんて顔は出していないけど、高位の貴族たちは俺の……というかウォルフォード商会の顧客であったり取引相手だったりすることが多い。
王族であるオーグには本当に一言だけ挨拶をして、なぜか俺とは世間話をしていくということを繰り返している。
正直、俺はシャルのことが心配でそれどころではなかったのだが、相手は商売上の顧客や取引相手。
無下にするわけにもいかない。
自分のところは一人目の入学だから自分のときより緊張するとか、俺のところは二人目だから余裕でしょうとか、そんなとりとめもない話をしているうちに随分と時間が経っていたようだ。
「おや、うちの子が戻ってきましたな。それでは会長、また」
「ええ」
商売上付き合いのある人は、俺のことを『会長』と呼ぶ。
ウォルフォード商会の会長だからね。
社長は変わらずアリスのお父さんであるグレンさんだ。
専務はアリスの夫であり、シシリーのお兄さんであるロイスさん。
ロイスさんは、父で現子爵のセシルさんから後継者として既に指名を受けており、セシルさんが引退すると子爵家を継ぐことが決まっている。
そうすると、領主としての仕事もしないといけないのだが、セシルさんも領地経営だけしているわけではなく、王都の財務局で官僚として働いている。
なので、ロイスさんもウォルフォード商会で専務をやりつつ領地経営もする予定なのだ。
グレンさんとロイスさんの手腕もあり、ウォルフォード商会は順調に成長している。
従業員も増えたので社長や専務であるグレンさんとロイスさんの仕事は大分減ったらしい。
このままでいけば、専務としての仕事をしつつ領地経営をすることも問題ないそうだ。
そうそう、従業員が増えたのは扱う商品も増えたので、新しく店舗を建設しそちらに移転したから。
それに伴い、元々ウォルフォード商会の店舗と事務所があった階層は、全てアルティメット・マジシャンズが使うことになり、建物一棟丸ごとアルティメット・マジシャンズが利用することになった。
アルティメット・マジシャンズも実行部隊や事務員の人数が増えたからね。
っと、取引相手の貴族の人を見送っているうちに、シャルたちも来たようだ。
シルバーも一緒なんだけど……あーあー、またあの状態になってる。
シルバーの右腕にはシャルが、左腕にはヴィアちゃんがくっついている。
真ん中にいるシルバーは歩きにくそうだ。
「ちょっとシャル、くっつき過ぎですわ。シルバーおにいさまが歩きにくそうにしているではありませんか」
「おにーちゃんはいもーとを案内するぎむがあるんだからいいの! ヴィアちゃんこそくっつき過ぎだよ!」
「シルバーおにいさまのエスコートはわたくしのものですもの。当然ですわ!」
「……えすこーとってなに?」
「……」
お兄ちゃん大好きなシャルと、明らかにシルバーに恋心を抱いているヴィアちゃんが、シルバーを挟んで睨み合っている。
普段は仲のいい二人なのに、シルバーを取り合うときはああなるんだよなあ。
後ろを付いてきてるマックスも苦笑してるぞ。
……レインはちょっと分かんないけど。
マックスとレインを見て気付いたけど、知らない女の子を一人連れている。
誰だろうと思ったけど、まずはシャルを連れて来てくれたシルバーを労わないとな。
「シルバー、シャルを連れて来てくれてありがとうな。さすがお兄ちゃんだ」
俺がそう言ってシルバーを褒め頭を撫でると、シルバーはちょっと照れ臭そうに身を捩った。
「ううん、大丈夫だよ。ほら、シャル、ヴィアちゃん、もう離して」
「「はーい」」
シルバーがそう言うと、シャルとヴィアちゃんは素直にシルバーの腕から離れた。
「ふふ、シルバー、ヴィアのエスコートありがとうございます」
「ああ、やはりシルバーは頼りになるな。シンとは大違いだ」
「どういう意味だコラ?」
「シン君は世界で一番頼りになりますよ? それより、シャル、その子を紹介してくれないの?」
「うん! いいよ!」
オーグの発言にさりげなくフォローを入れてくれたシシリーだったが、やはりシャルたちと一緒に来た女の子のことは気になっていたらしい。
シャルに問いかけると、シャルはその子の手を引っ張って俺たちの前に連れてきた。
「さっきシャルのおともだちになってくれたアリーシャちゃん!」
「わたくしともお友達になりましたわ」
「おお、早速友達ができたのか。良かったな」
「うん!」
女の子を連れてきたシャルは、さっきできた友達だと紹介してくれた。
ヴィアちゃんとも友達になったようだ。
「アリーシャちゃん、はじめまして。シャルロットのお父さんです」
「お母さんです」
「シャルと友達になってくれてありがとう。仲良くしてやってね」
「フフ、おうちにも遊びに来て下さいね」
「は、はひ……」
俺とシシリーがアリーシャちゃんに声をかけると、アリーシャちゃんは真っ赤になって俯きながら返事をした。
初等学院一年生の子がいきなり同級生の親と会ったら緊張しちゃうと思ったから、なるべく優しく言ったつもりなのに、やはり緊張してしまったようだ。
真っ赤になって俯きながら返事してる。
「オクタヴィアの父だ」
「母です」
「!!」
オーグとエリーが声をかけると、アリーシャちゃんはガバッと顔を上げた。
「お、おはつにおめにかかりましゅ! ワイマールはくさく家が長女、アリーシャともうしましゅ!!」
……。
噛んだ。
めっさ噛んだ。
アリーシャちゃんは、真っ赤になり涙目のまま俯いている。
おいオーグ、噛んじゃったけど立派に挨拶したじゃねえか、笑いをこらえてピクピクしてねえでフォローしてやれよ。
そう思って笑わないように歯を食いしばっている王太子夫妻を睨んだ。
すると、エリーが「コホン」と咳払いをしてアリーシャちゃんに話しかけた。
「ご丁寧な挨拶、ありがとうございます。ヴィアとお友達になってくれたのですね。この子はシャル以外に同性のお友達がいないのです。仲良くして頂けると嬉しいですわ」
そう言ってフワリと微笑んだ。
盛大に噛んで恥ずかしがっていたアリーシャちゃんは、エリーの言葉と表情を見て落ち着きを取り戻したようだ。
「い、いえ! こちらこそよろしくお願い致します! というか、その……」
「どうしました?」
「わ、わたくしなどが、オクタヴィア王女殿下の友人になど……よろしいのでしょうか?」
アリーシャちゃんは随分と自分を卑下しているようだ。
というか、どういう経緯で友達になったんだ?
「ん? なんだヴィア、もしかして友人になれと強制したのか?」
「そんなことしておりませんわ。失礼なことを言わないでくださいまし、おとうさま」
オーグにそう言われたヴィアちゃんは、プイッとそっぽを向いてしまった。
そっぽを向いてしまったヴィアちゃんから事情は聴けなさそうだと判断したオーグは、直接当人に聞くことにしたようだ。
「ワイマール嬢」
「は、はい!」
王太子であるオーグに話しかけられたからか、アリーシャちゃんは直立不動の姿勢になった。
「どういう経緯でこうなったのだ?」
「あ、あの、それは、その……」
オーグの言葉に、アリーシャちゃんは真っ青な顔になってしまい、上手く言葉が出てこなくなってしまった。
コイツ、普段俺らと接してるのと同じ調子で話しかけてやがる。
俺らはもう慣れてるけど、この子にとってオーグは王太子。
雲上人から話しかけられて緊張すんなって方が無理だろ。
ましてや、この子、初等学院一年生だぞ?
あー、今にも泣きそうだ。
フォローしようかと思っていると、思わぬ人物が声をあげた。
「アリーシャはシャルに注意してた。かっこよかったから、シャルの友達になってシャルの暴走を止めてっておれがお願いして友達になってくれた。そしたらヴィアが、シャルの友達なら自分の友達だって言った」
お、おお? 普段マイペースであんまり他人を気にしないレインが、アリーシャちゃんのことをフォローするなんて。
「レイン……あなた、そんな長文を話すなんて……」
レインの母親であるクリスねーちゃんが、なんか変なとこに感動してる。
でも、確かに珍しいな。
アリーシャちゃんも、まさかこんなフォローが来るとは思ってなかったのか、驚いた顔でレインのこと見てる。
「そうなのか。ワイマール嬢はそれで納得しているのか?」
「は、はい!」
「そうか、ならばもう何も言うまい。シャルだけでなく、ヴィアのこともよろしく頼む」
「い、いえ! こちらこそ! よろしくお願い致します!!」
オーグによろしく頼まれたアリーシャちゃんは、膝に顔が付くんじゃないかってくらい深々と頭を下げた。
それにしても、この展開はちょっと意外だったな。
「マックスじゃなくて、レインがフォローするとは意外だったな」
俺がそう言うと、今まで言葉を発しなかったマックスが俺を見てニコッと笑った。
「ちょっと、空気読んだの」
「空気? なんの?」
「ないしょ」
ええ……。
どういうこと?
なんか、初等学院生になったからって、皆急に成長し過ぎじゃない?
シャルは、まあ……あんまり変わらないけど……。
子供たちの成長が嬉しくもあり、寂しくもあるなあと感慨に耽っていたが、ふとあることを思い出した。
「そういえば、アリーシャちゃんのご両親は?」
「あ」
王太子との遭遇という予想外の出来事で、両親のことをすっかり忘れていたアリーシャちゃんが周りをキョロキョロと見て両親を探しだした。
「あ、いまし……」
両親を見つけたようで、その視線の先を見ると、俺より年上の男性と女性が、口をあんぐりと開けてこちらを見ている姿が目に入った。
ワイマール伯爵夫妻だろう。
俺は、娘の友達になってくれたお礼と挨拶をしようとワイマール伯爵夫妻に近付いて行った。
結局、オーグたちも付いてきたのでワイマール伯爵は終始緊張しっぱなしだった。
マックスを見習って空気読めよ。
「どうも、ワイマール伯爵ですか?」
「は、はい! そうです!」
オーグがいて緊張しているからか、ワイマール伯爵は俺にも緊張しているようだ。
「初めまして、シン=ウォルフォードです」
「はい! 存じております!」
「この度は、お嬢さんがウチの娘とお友達になってくれたそうで、ありがとうございます」
「いえ、そんな滅相もない! こちらこそありがとうございます!」
やっぱり相当緊張してるな、めっちゃ声が大きい。
ワイマール伯爵家は緊張すると声が大きくなったり噛んだりするのだろうか?
「ワイマール伯爵、貴殿の娘は私の娘の友にもなってくれたようでな。礼を言う」
「はは! 畏れ多いことでございます殿下。娘にはオクタヴィア王女殿下に失礼のないようによく言い聞かせますので」
「ああ、そんなに肩肘を張る必要はない。できれば対等な友人として接してもらいたいものだ」
「それは……勿体なきお言葉、かたじけなく存じます」
……あれ?
堅苦しい口調ではあるけど、ワイマール伯爵、俺のときよりオーグと話してる時の方が緊張してないよね?
なんでだ? と思ってオーグたちを見ていると、ワイマール伯爵夫人と話していたシシリーとエリーがクスクス笑いながら話しかけてきた。
「ワイマール伯爵は貴族ですから、王城で殿下と面識があるんでしょうね」
「逆に、シンさんは王城の執務関係の場所には来ませんし、貴族にとってはオーグより遭遇しないレアキャラですのよ?」
レアキャラってなんだ、いつの間にそんな言葉覚えた? ……アリスか?
それはともかく、初対面は俺だけだったってことか。
なら緊張してもしょうがないか、と納得しているとエリーがなんか溜め息を吐いた。
「まあ、シンさんが納得しているのならそれでいいですわ」
どう言う意味?
エリーの言葉に首を傾げていると、ワイマール伯爵夫人から声をかけられた。
「あ、あの、シン様」
「あ、はい」
声をかけられたので思わず返事をしたが、初対面の人からは大体『様』付けで呼ばれる。
まあ、一応俺もこの国では結構重要なポストについている自覚はあるけど、俺の立場は平民なんだよなあ。
それなのに、会う人会う人皆が様付けや二つ名で呼んでくるから、そう呼ばれることにも慣れてきてしまった。
あんまりよくない傾向だなと気を引き締めつつ、声をかけてきたワイマール伯爵夫人に向き合った。
「どうかされましたか?」
「あ、ええと、その……」
ワイマール伯爵夫人は頬を染め、モジモジとしだした。
ちょっと、シシリーが側にいるんだから、そういう態度は止めて。
なんか、シシリーの居る方がヒンヤリしてきたから!
そう思っていると、持っていたハンドバッグからあるものを取り出した。
「あの! こちらに、サ、サインを頂けないでしょうか!?」
出してきたのは手帳とペンだ。
なんだ、ただのサインか。
「ええ、いいですよ」
一瞬変な空気になっていたので、そうではない展開になったことにホッとし、俺はあまり深く考えずにワイマール伯爵夫人の差し出した手帳にサインをした。
これが、いけなかった……。
「あ! ズルいぞお前! シン様! 私にもサインを!」
自分の妻が他の男からサインを貰っているというのに、夫であるワイマール伯爵はそれを咎めるどころか、ズルいと自分も手帳とペンを差し出してきた。
「え、ええ、いいですよ」
「わ、私も!」
「わたくしも、お願い致しますわ!」
俺がワイマール伯爵夫妻に気軽にサインをしてしまったから、周囲にいた人たちも、我も我もと俺に群がってきた。
「ちょ、ちょっと待って! 皆さん落ち着いて!」
どうにかしてくれとシシリーに助けを求めると、シシリーは苦笑をしているだけで、オーグは肩を竦めて「やれやれ」という表情をし、エリーは呆れていた。
大人はダメだ!
そう思った俺は子供たちに救いを求めるが……。
「パパ人気者だねえ」
「そうだね」
「さすがシンおじ様ですわ」
「レイン、こんなとこで寝ちゃだめだよ」
「……んむ」
「あわわ……」
シャルとシルバーの兄妹はニコニコして見ているだけだし、ヴィアちゃんからはなぜか尊敬の目でみられているだけだし、マックスは立ったまま寝落ちしそうなレインを支えているし、アリーシャちゃんはあわあわしている。
ここに俺の味方はいない!
結局俺は、この場にいた殆どの人にサインをする羽目になったのだった。
はあ、手、疲れた……。