三年経って、社会が変わったところ
カリカリ、カシャカシャ、カリカリ、カシャカシャという音が事務所内に響いている。
カリカリという音は、ペンで書類の下書きをしている音。
カシャカシャという音は、ビーン工房から売り出されたタイプライターで書類の清書をしている音である。
国から開発費の提供があったタイプライターは、驚くべきスピードで開発され、発売すると同時に世界中の王城や商会から大量の発注を受けた。
最早これなしに事務仕事はできないとまで言われており、タイプライターに規格を合わせた紙や、タイプライター用のインクリボン等の消耗品は、製造ラインがフル稼働している状態である。
消耗品などの金属加工以外の製品は、トムおじさんのところのハーグ商会にお願いしており、その販売益で相当な売り上げが出ているとトムおじさん本人から感謝の言葉を貰っている。
そんな、今や世界中の事務所で定番となった音を聞きながら出動前の事務所で話をしていた。
「トニーのとこもそろそろだっけ?」
俺がそう訊ねると、トニーは少し表情をデレっとさせた。
「うん。予定では来月だねえ。トールとユリウスのところもそろそろだし、これは子供たちも同級生になる可能性が高いかな?」
そう、トニーもリリアさんと結婚しもうすぐ子供が産まれる。
リリアさんは、経法学院を卒業後財務局の官僚試験に合格し、財務官僚になった。
卒業して割と早めに結婚はしたんだけど、子供はすぐには作らず、昨年懐妊した。
現在、アールスハイドは女性の社会進出を推奨しているそうで、アルティメット・マジシャンズで採用されている産休・育休制度を導入し始めている。
まだ実例が少ないらしく、リリアさんはそのモデルケースになっているとのこと。
なので、リリアさんは産後、育休が明ければ職場復帰する予定である。
そうなると、国家規模で保育園や幼稚園の整備が必要になるようで、俺はその相談も受けている。
オーグとの世間話の中で、前世は共働きが多かったことや保育園・幼稚園の話をしたことがあって、それをアールスハイドでも是非導入したいという話になり、相談役に任命されてしまったのだ。
アールスハイドや各国の各家庭に普通に設置されている固定通信機の運用相談役にも就いているし、いつまで経っても暇になる気配がない。
一応、アルティメット・マジシャンズの代表が本業のはずなんだけど、そっちの現場に出ることも少なくなったし、一体どれが本業になるんだろう?
「シンとマークのところもそろそろだよねえ? 今はシシリーさんやオリビアさんはどうしてるんだい?」
「ああ、オリビアは今日は体調が悪いらしくて家で寝てるッスよ」
オリビアは、一人目であるマックスの妊娠中、ビーン工房の音と、実家のレストランの匂いがきになって仕方がなく、別の部屋に避難していた。
今回は二人目ということで、その面に関しては気にならなくなったということでマークの家にいるのだが、とはいえ妊婦だ、体調の悪い日もあるだろう。
「そういえば、ウォルフォード君、今日はマックスを預かってくれて助かったッス」
マークが申し訳なさそうな顔でそう言った。
今朝、出勤前にマークが家に来て、マックスを預けていったのだ。
実家にいるのだから両親がいるのだが、生憎今日は商工会の寄り合いがあるらしく家にいられない。
そんなわけで家に来たのだが、マークみたいに預けられる家があるのならいいけど、そうでない家も沢山ある。
そういった家庭のためにも、一時預かりの保育園の整備は早急に進めないとな。
……なんで俺は、社会インフラのことまで考えているんだろう?
そんな疑問を抱きつつ、申し訳なさそうな顔のマークに気にしないように声をかけた。
「ああ、全然いいよ。シャルも遊び相手がいて楽しそうだし、今日はシルバーが学院から帰ってきたら一緒に王城に遊びに行くって話してたからな」
「オクタヴィア王女の遊び相手かい? 凄いねえ、将来は王女殿下の御学友かな?」
シャル、ヴィアちゃん、マックスは誕生日も近い同い年。
赤ちゃんのころからずっと一緒に遊んでいたので、れっきとした幼馴染だ。
シャルとマックスは平民だけど、シャルはシルバーの妹なのでシルバーと同様に護衛対象。
マックスも、今やアールスハイド一……いや世界一と言っていい巨大工房の御曹司。
恐らく護衛対象になるだろう。
そんな二人なので、将来はオーグたちやメイちゃん、それに今シルバーも通っている王立アールスハイド初等学院に入学する予定である。
学院に国名が入っているだけあって、学院としては国内最高峰の名門校である。
ここに通っている生徒は、王族や貴族、裕福な平民の子供たちなのでセキュリティがかなりしっかりしている。
ここに出入りできるのは学院からの許可を得た人間だけで、その管理には俺が開発した市民証認証システムが採用されている。
今まで、個人情報の閲覧と銀行口座へのアクセスにしか使えなかった市民証の個人認証だったが、他の装置でも認証できるようになったことでセキュリティシステムにも使えるようになった。
事前に認証された市民証をかざすことで前世の駅のホームに設置されているようなゲートが開き、入校できるシステムになっている。
このシステムは王城にも採用されており、毎朝の城門での混雑が緩和されたと言っていた。
ちなみに、俺たちは王族からの要請があった場合、王城内に直接ゲートで出入りしていいことになっている。
王族からの要請ということは緊急時ということであり、そんなときにいちいち入場ゲートを通っていたら間に合わないという理由なのだが……。
その理由はあくまで建前であって、今のところ王族からの要請はエリーから遊びに来て欲しいという要請しか来ていない。
今日も、エリーからの要請で遊びに行くのだ。
「まあ、オーグもエリーもシャルとマックスは赤ちゃんのころから知ってるからね。俺たちが変な教育をしてないことも知ってるし、安心できるんだろ」
アールスハイドの貴族は、数代に渡って王家が貴族の意識改革をしたことで、ほとんどの貴族は市民優先の政策を実施し、自分の立場を弁えている。
だが、以前エリーを排除しようとした令嬢がいるように、偏った教育をしてしまっている貴族も中にはいる。
全てが理想通りには中々ならない。
安心できる遊び相手ってのも中々いないんだろうな。
「トールとユリウスみたいな相手はいなかったのかなあ?」
そういえば、トールとユリウスは五歳のお披露目会の前から護衛兼側付きとして一緒にいたと言っていた。
ヴィアちゃんにはそういった相手はいないんだろうか?
「王女と王子じゃ違うとか?」
「どうなんスかね?」
「僕たち平民には分からない世界だねえ」
そうえいば、現在アルティメット・マジシャンズに常駐している男子メンバーは全員平民だ。
平民同士で話していても分からないものは分からないよな。
「まあ、その辺はまた今度オーグにでも聞いてみるとして、そろそろ依頼に行くか」
「そうッスね」
「そういえば、今日は珍しくシンも出るのかい?」
「ああ、今日はちょっと人里離れた場所からの依頼があってな。浮遊魔法を使って行けるのが俺しかいないから久々に出動だよ」
「そうなんスね。じゃあ、自分先に行くッス」
「僕も行くねえ」
「ああ、じゃあ俺も行きますか」
こうして俺は、久々の現場に出るのであった。