三年目の日常
毎年新規入団試験を行うようになって三年。
さらに数人の新団員も入団し、ヴァン君とミネアさんも下部組織を卒業し本団員として日々の業務をこなせるようになっていた。
本格的に人員不足になってきたので喜ばしいことである。
人員不足になってきた原因は、まずトールとユリウスがそろそろ爵位を継ぐことになりそうなので、常勤から非常勤になった。
オーグも、まだ王位は継承していないけど王太子としての仕事が多いそうでこちらも非常勤に。
アリスがロイスさんと結婚し、さらに今年子供が産まれたので産休中。
さらにアリスは次期子爵夫人なので、貴族同士の社交とか色々あってこちらも産休から復帰しても非常勤になる予定。
さらに、ユーリとマリアも結婚した。
ユーリはかねてよりお付き合いしていたモーガンさんと、マリアは皆の予想通りカルタスさんと結婚した。
ただ、マリアとカルタスさんはかなり紆余曲折があったので、結婚したのはつい最近。
まだ現役で団員を務めてくれている。
だけど、ユーリは二年前に結婚してこちらも今年子供を産んだので現在産休中。
シシリーとオリビアがまた妊娠し、もう臨月でそろそろ産まれそうなので産休を取っている。
というわけで、男性が三人実家の事情から非常勤に、女性は四人が結婚、妊娠、出産による産休、または活動休止となっている。
実際にすぐ動ける人員が俺、トニー、マーク、マリア、リンの五人。
正直、よく活動が維持できているなと思う。
シシリー、オリビア、ユーリは、産休が明ければ復帰するが現状はいない。
ヴァン君とミネアさんがゲートの魔法を覚えたときは、皆で大絶賛したものだ。
さて、そんな状況なのだが、意外と業務自体は滞っていない。
その要因として、毎年アルティメット・マジシャンズの入団試験を行うようになって各国の高等魔法学院のレベルが上がったこと。
それに伴い、試験に落ちたとしても優秀な魔法使いが増えたことでアルティメット・マジシャンズまで依頼が回ってくることが減ったことがある。
とはいえ、事務所待機がなくなったくらいで、新人さんの教育もあるしフル稼働していることに変わりはない。
そんな忙しい毎日を送っているが、それでもちゃんと休日は取っている。
今日も、休日で家にいる俺のもとにオーグが来ている。
とはいえ、遊びに来てるわけじゃないんだけどな。
「……これは、大分キナ臭いな」
俺は、オーグから手渡された資料を読みながらそう呟いた。
「ああ。この三年でさらに国内が荒れている。正直、国家を維持できているのかも怪しいレベルだ」
オーグは、俺の言葉に苦々しい顔をしながらそう教えてくれた。
話の内容は、ダームのことだ。
オーグが持ってきた資料は、ダームの内偵調査結果。
その結果が資料として俺の手元にあるのだが……。
正直、これで国として大丈夫なのかという懸念が真っ先に思い立つ。
資料には、選出議員たちの不正が書かれているんだけど……。
贈収賄、業者との癒着に横領、犯罪の揉み消し等々。
まさに汚職政治家の見本市である。
市民からの選出で市民の不平等をなくすというお題目だったはずだが、現状一部の権力者たちだけが美味い汁を吸えている状態。
市民たちに課せられている税も重いらしく、市民たちの不満が募りに募って最早暴動一歩手前らしい。
そんな状況で国家元首であるダーム首相であるヒイロさんはなにをしているのかというと……。
なにやら色々と手を尽くそうとしているが、議員たちが言うことを聞かないので実質なにもしていない状況になっているらしい。
あまりにも非道い国内の状況にストレスが相当溜まっているのか、頻繁に体調を崩すそうで政務を休むことも多い。
そうなると、首相はこの現状を見て見ぬふりをして何も手を打っていないと思われているそうで、支持率は下がる一方。
最早ゼロに等しいらしい。
こりゃあ非道いな……。
俺は、ダームが貴族制を撤廃し完全な民主化に踏み切ると聞いたとき、不安を感じていた。
元々王制に不満があり、政治の民主化を市民が熱望していたのならそれもありだろう。
けど、以前のダームを見る限り、市民はダーム王家に不満を持っている者などほとんどいなかった。
それなのに、ダームの新国王の暴挙を皮切りに王制の廃止から民主化まで短期間で済ませてしまった。
王制を糾弾するタイミングとしては良かったのかもしれないけど、民主化は急ぎ過ぎたという感想しかない。
それまで政治に携わっていた貴族たちを一斉に排除し、政治など全く関わってこなかった市民を政治家に据える。
歪みが出るに決まっている。
それでもなんとか国としての体制を維持できているのは、政治家の下で働いている官僚たちがいるからに他ならない。
資料を見ると、どうも官僚たちに無理難題を押し付けているようで、反発する官僚には脅迫まで行っているという。
……腐ってんな。
「ダームの議員を調べたが……裏社会と繋がっている、もしくは裏社会の人間そのものが多い。そんな者に国政を委ねるなど狂気の沙汰としか思えんな」
「いや、本当に……このヒイロ首相は、なにがしたかったんだろうな?」
「魔人騒動があったときは皆から慕われていたらしいぞ? 魔法も剣も使えるダーム最強の騎士で、あの暴走して魔人に殺された長官の後釜に座ったらしい」
「戦争の英雄か……戦場では眩しく見えるだろうけど……」
「政務は全く別だからな。それでも国民からは人気があったので首相にはなれた。ただ、その方法がな……」
「杜撰すぎ。そりゃ、こんな事態にもなるよ」
俺は、暴動待ったなしのダームの状況を見て、深い溜息を吐いた。
オーグがなぜダームを調べているかというと、きっかけはエリー襲撃事件だった。
エリー襲撃の黒幕がダームにいると踏んで調査を始めた。
結局黒幕までは辿り着かなかったのだが、その調査の過程でダーム国内の状況を知ることになった。
あまりにも非道い状況に、いつか国際社会の憂いになるかもしれないとエリー襲撃事件とは別にダーム国内の調査を始めた。
その結果が、俺の手元にある資料だ。
それにしても、ダームがまだまともだったころに行ったときは、創神教の歴史的建造物などが立ち並ぶ綺麗な国だったのになあ。
わずか数年でこうも荒れるとは思いもしなかった。
資料を手に、オーグと沈痛な表情で向かい合っていると、背後から誰かが走ってくる気配を感じた。
そしてその気配は、そのまま俺に襲撃をかけてきた。
「ぐふっ!?」
ソファーに座っている俺の背中は背もたれに隠れている。
その背もたれを飛び越して後頭部に襲撃をかけてきたのだ。
思わぬ衝撃に、俺は思わず変な声を漏らしてしまった。
だが、その襲撃を避けるわけにはいかなかった。
なぜなら……。
「ぱぱー!」
襲撃をかけてきたのが、愛娘であるシャルロットだったからだ。
三歳になったシャルは、ソファーの背もたれくらい簡単に飛び越してしまうほどお転婆になった。
俺が避けるとシャルは顔面からローテーブルにダイブしてしまう。
なので甘んじて襲撃を受け止めたのだ!
「おや、こんにちはシャル」
「おーぐおじちゃん、こんにちは!」
俺の対面に座っていたので、背後から駆け寄ってくるシャルの姿も、飛び込んでくる姿も見ていたオーグは、クスクス笑いながらシャルに挨拶した。
それに元気よく返事したシャルは、キョロキョロと周りを見回し首を傾げた。
「おじちゃん、びあちゃんは?」
シャルとヴィアちゃんは、赤ちゃんのときからずっと一緒だったこともあり非常に仲がいい。
オーグが来ているなら、娘であるヴィアちゃんも来ていると思ったんだろう。
それでヴィアちゃんを探していたのか。
「すまんな。今日はシャルのパパに用事があって来たからな。ヴィアは連れてきていない」
「そっかー……」
オーグの返事にしょんぼりしてしまったシャル。
その様子が可哀想だったので、慰めるように抱っこしてあげていると背後からまた足音が聞こえてきた。
「シャル! おとうさんたちの邪魔しちゃだめだよ!」
そう言って駆け寄ってきたのは、六歳になったシルバーだ。
成長したシルバーは、サラサラの銀髪と端正な顔立ち、六歳にしてはシュッとした体形の美少年に成長した。
今年から入学した王立初等学院では、大層女の子たちからモテているらしい。
それをシシリーから聞いたとき、なんとも誇らしい気持ちになったもんだ。
「こんにちはシルバー、元気そうだな」
「あ、オーグおじさん、こんにちは」
オーグに話しかけられたシルバーは、礼儀正しく頭を下げて挨拶した。
礼儀正しいその姿も素晴らしいぞシルバー!
「ほらシャル、あっち行こ」
「ええー? ぱぱたちおしゃべりしてなかったもん!」
「そうなの? おとうさん」
シルバーは、初等学院に入学したころから『パパ』ではなく『おとうさん』と呼ぶようになった。
まあ、男の子だし、そろそろパパと呼ぶのが恥ずかしい時期なのは分かるけど……寂しいなあ……。
「まあ、丁度話が一区切りついたところだったかな。ほら、シルバーもおいで」
「あ、うん」
「まま! ままもこっちきて!」
俺の腕から飛び降りたシャルは、シルバーの後ろから追いかけてきていたシシリーに声をかけた。
「はいはい。今行きますよ」
シシリーは、騒ぐシャルに苦笑を浮かべながら大きいお腹を抱えて歩いてきた。
そんなシシリーをエスコートすべく、立ち上がって側に駆け寄る。
「大丈夫かシシリー?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」
そう言ってふんわりと微笑むシシリーは、年齢を重ねて益々美しくなった。
そんなシシリーに、俺はいつまで経っても見惚れてしまう。
「ぱぱとままはなかよしだね!」
「そうだね」
シシリーをエスコートしていると、シャルとシルバーがこっちを見てそんなことを言っていた。
「そうだよ。パパとママは仲良しなんだ」
「しゃるもなかよくしたい!」
シャルはそう叫ぶと、ソファーをバンバンと叩き出した。
「まま、ここ! ここすわって!」
「はいはい」
シシリーはそう言うと、シャルの示した場所に座った。
「おにーちゃんはここ!」
「ここ?」
「うん! で、しゃるがここ!」
シャルはそう言うと、シシリーとシルバーの間に座った。
……あれ?
「パパは?」
「ぱぱはさっきなかよくしたからいい」
「……」
……まじか。
俺は、愛娘からのあまりの仕打ちに、ガックリと肩を落としてしまった。
「ククッ」
「ふふふ」
そんな俺の様子を見て、オーグだけでなくシシリーまで笑っている。
「シシリー……」
「ふふ、シャルはさっきパパと仲良くしたから、今度はママとお兄ちゃんと仲良くしたいのよね?」
「うん!」
シャルはそう言うと、シシリーに抱きついた。
「あ、シャル。おかあさんはお腹に赤ちゃんがいるんだから、あんまり抱きついちゃだめだよ」
シルバーがそう言ってシシリーからシャルを引きはがそうとするけど、シャルは必死に抵抗している。
「やだ! このこともなかよくするの!」
「ふふ、ありがとうシルバー。でも大丈夫だから、シャルの好きにさせてあげて」
「おかあさんがそう言うなら、べつにいいけど」
シシリーに褒められて照れ臭いのか、頬を赤く染めつつも、少し素っ気ない素振りでシャルから手を離した。
シルバーも男の子だからなあ、ママから褒められると恥ずかしいんだろう。
「あ、うごいた!」
男の子として順調に成長しているシルバーを見て目を細めていると、シシリーのお腹を撫でていたシャルが大きな声を出した。
「お姉ちゃんがいい子いい子してくれたから喜んだのね」
シシリーはそう言いながら、シャルの頭を撫でた。
「おねえちゃん……」
シャルはそう言うと「にひひ」と嬉しそうに笑った。
「そういうところは、シルバーそっくりだな」
「僕と?」
「ああ。シルバーも、シャルがまだお腹にいたとき『ぼくはおにいちゃんになるんだ』と言って張り切っていたな」
「そうだったなあ」
「ええ、覚えてないよ……」
オーグと二人で当時のシルバーを懐かしんでいると、シルバーは困惑した顔でそう言った。
「まあ、シルバーも小さかったから当然だよ」
そう言ってシルバーの頭を撫でると、シシリーもシルバーの頭を撫でた。
「でも、シルバーが覚えていなくても、シルバーはちゃんとシャルのお兄ちゃんとしてシャルを守ってくれたわ。そんなシルバーのことがママはとっても誇らしいの。ね? シャルはお兄ちゃん好き?」
「だいすき!!」
「わっ!」
シャルに思いきり抱きつかれたシルバーは、俺の方に倒れてきた。
「おっと」
「あ、おとうさん、ありがと」
「どういたしまして」
俺はそう言うと、シルバーにくっついているシャル共々抱き上げてシシリーの横に座り直した。
「ぱぱすごーい!」
「お、おとうさん、恥ずかしいよ……」
「うふふ」
無邪気に喜ぶシャルと、初等学院性になって父親に抱っこされることに羞恥を覚えるシルバー。
そんな俺たちを微笑ましく見ているシシリー。
ああ、幸せだ。
そのとき、シシリーと同じように微笑ましい顔で見ていたオーグが、なにかに気付いた。
「ん? シン、シルバーの首にかかっているペンダントはなんだ?」
「え? ああ、防御の魔道具だよ。昔、エリーにあげたのと同じ奴」
「ああ、あれか。そういえば、エリーがまた妊娠したので今もあれを持たせている」
そういえば、エリーが二人目を懐妊した。
今はまだ半年くらいなので、徐々にお腹が目立ち始めたころだ。
「そうだったな。魔石の魔力はまだ大丈夫か?」
「一応調べた。問題はなかったが、万が一のために魔石の交換は済ませてある」
クワンロンとの交易が始まってから、魔石が大量に輸入されるようになった。
その結果、魔石の値段は大幅に下がり、街の工房でも取り扱うことができるようになっている。
「あれに少し改良を加えてな。自分で魔力を流せば随時展開できるようにしてある」
俺がそう言うと、オーグが眉を顰めた。
「なぜ、そんなものを持たせている?」
「そりゃあ、魔力制御の訓練のためだよ」
俺がそう言うと、オーグはソファーから勢いよく立ち上がった。
「お前!」
そう言って怒鳴ろうとしたオーグだったが、シャルとシルバーが驚いて目を丸くしたのを見て怒鳴るのを止め、俺の首に腕を回してソファーの端に移動させられた。
その際、シャルとシルバーはソファーに座り直させている。
「それがどれだけ危険なことか分かっているのか?」
「子供は魔力暴走させやすいってやつだろ? 大丈夫、魔力制御までは教えてない」
「しかし、今、魔力制御の訓練のためだと……」
「その前提条件である魔力の感覚に慣れさせるためだよ。魔道具は魔法使いの素質がなくても使える。つまり、少しの魔力にも反応する。今から、その魔力に慣れさせてるんだ」
「……暴走させないためか」
「そういうこと。いつまでもシルバーに疑惑の目を向けられているのも、分かっているとはいえいい気分じゃないしな」
この世界の常識とは違うけれども、初等学院の中学年くらいになったらシルバーに魔法使いの素質があるかどうか調べるのと、素質があれば魔力制御を教えようと思っている。
シルバーは、魔人同士である両親から産まれた子だ。
今のところ魔人化する兆候などは見受けられないが、魔力に目覚めたときどうなるかはまだ未知数だ。
もし、万が一、俺と同じように見様見真似で魔力に目覚めてしまったら?
なにも知らないせいで制御できずに、暴走させてしまったら?
自分自身を傷付けることはもちろん、なにが起こるか分からない。
そんな不確定な要素を、少しでもなくそうと思っているのだ。
「それに、初等学院は安全だと思うけど、登下校でなにが起こるか分からない。万が一の備えはしておくべきだろ」
「それはそうだが……」
シルバーは、ウォルフォード家の長男だ。
今の俺の肩書は、アルティメット・マジシャンズ代表、ウォルフォード商会会長、アールスハイド通信公社相談役、自動車メーカー・ウォルビーの会長だ。
自動車の開発に成功したので、新たに会社を立ち上げたのだが、ビーン工房に一任するという案は親父さんに却下され、俺とビーン工房の共同事業ということになった。
それで、お互いの名前をとって『ウォルビー』と名付けたのである。
あ、あと、マジカルバレー協会会長ってのもあるな。
正直、自分が今アールスハイドの重要人物である自覚はある。
そんな家の長男だ。
常に誘拐の危機に晒されている。
実際、何度か襲撃を受けたことがある。
そのときは、訓練の一環としてシルバーの護衛をしてくれていたアルティメット・マジシャンズの下部組織の人たちが排除してくれたが、毎回うまくいくとも限らない。
そのための備えはしておくべきだ。
「シルバーには、俺が教えるまで魔法を使おうとしちゃいけないって言い聞かせてある。シルバーは賢い子だ。子供が勝手に魔法を使おうとして暴走事故を起こすこともあるって知ってる。心配は無用だよ」
「そうか……だが、万が一のときの覚悟はできているのか?」
万が一のときの覚悟。
それは、もしシルバーの魔力が暴走し、魔人化してしまったとき、俺の手でそれを止めること。
それはすなわち……。
「……ああ。けど、そうはさせないさ」
俺は決意の籠った目でオーグを見た。
その俺の目を見たオーグは、しばらくジッと俺の目を見たあと、フッと笑った。
「そこまで覚悟が決まっているのならいい。しっかり頼むぞ」
オーグはポンと俺の肩を叩いて元の席に戻った。
そんな俺たちを見ていたシャルは、キョトンと首を傾げていた。
「ぱぱとおじちゃんもなかよし?」
「「……」」
ちょっと待て。
シャルの言う仲良しって、友達として仲が良いってことだよな?
エリーの冗談みたいに、変な仲を想像してないよな?
「おとうさんとおじさんは昔から仲良しだよシャル」
「ぱぱとままといっしょ?」
「「違う!!」」
やべえ!
シャルがこの歳で変な誤解をしている!?
これは早急に間違いを正さねば!
それから俺とオーグで必死にシャルを説得し、最終的にシャルとヴィアちゃんが仲が良いのと同じ仲良しだということで理解してくれた。
ふう……危うく芽吹きそうだった腐の芽を摘むことができた。
そうやって安堵する俺たちを見て、シシリーはずっと笑っていた。
ああ、こんな穏やかな日々がずっと続けばいいなと、そう思った。