オーグの怒り 2
ウィラーから捜査報告書を受け取ったアウグストは、その内容を見て思わず目を見開いたあと顔を顰めた。
「まさか……まだ諦めていなかったのか……」
報告書に記載されている主犯者の名前を見たとき、アウグストは人間の執念深さを見誤っていたことを悔やんだ。
つい先日、シンとの会話にこの話題が上ったとき、自分はなんと答えたか?
『どうということはないさ』
そんなことを言っていた。
自信満々にそう言っておいてこの有様である。
報告書を机に置いたアウグストは、情けなさのあまり額に手を当て、深い溜息を吐いた。
そこに、ウィラーが声をかけた。
「殿下。すでに証拠も揃っており、裏付け捜査も完了しています。捜査員の手配は整っておりますのですぐにでも捕縛に向かえます」
ウィラーの言葉を受けて、アウグストは顔を上げた。
「今ここで自分の不甲斐なさを嘆いていても仕方がない。すぐに行くぞ」
「はっ!」
ウィラーにそう命じると、捜査員はすぐにアウグストの執務室に集まった。
「ここから、主犯のいる街までゲートで向かう。捜査員はすぐに犯人の元へ行き身柄を押さえろ。決して自害させるな!」
『はっ!』
捜査員たちの返事を受けたアウグストは、すぐにゲートを開いた。
向かう先は『ドーヴィル伯爵領』である。
アルティメット・マジシャンズとして活動しているアウグストは、アールスハイド王国内にある主だった街にはゲートで行けるようにしてあり、ドーヴィル伯爵領の人間からも依頼を受けているのですぐに行くことができたのだった。
大勢の捜査員が街中を疾走し、一路領主館を目指す。
皆、警備局の制服を着ており、尚且つ捕縛に向いた体格の良い捜査員ばかりを選んでいるため、ドーヴィルの街の住民はその迫力に驚き進んで道を空けた。
その結果、領主館までは非常にスムーズに辿り着くことができた。
領主館まで辿り着くと、大勢の体格の良い捜査員たちを目にした門番は驚きを隠せなかった。
「なっ、警備局の捜査員が大勢で、何用ですか!?」
今まで想定もしたことがなかった自体に、門番は狼狽えつつも訪問の理由を訊ねる。
すると、ウィラーが書類を手に一歩前に踏み出した。
「私は警備局局長デニス=ウィラーである。この館の主ドーヴィル伯爵に逮捕令状が出ている。至急通されよ!」
「た、逮捕令状!?」
警備局局長が直々に逮捕令状を持って現れる。
そのあまりに信じ難い事態に、これは相当な事態だと思った門番だったが、門番は貴族の私兵。
雇い主は国ではなくここの伯爵なので、門番は一応の抵抗を試みた。
「い、いくら逮捕令状があるとはいえ、ここは伯爵様のお屋敷です。いきなり来てすぐ通すわけには……」
門番がそう言うと、捜査員たちの気配が剣呑なものになった。
今にも飛び掛かってきそうである。
一体なんなんだと思いつつも、門番が捜査員たちと睨み合っていると、その中から一人警備局の制服を着ていない人物が歩み出た。
「私はアールスハイド王国王太子、アウグスト=フォン=アールスハイドだ。二度は言わん、すぐに門を開けろ」
「お、王太子殿下!?」
警備局局長の次は王太子の登場である。
なにがなにやら分からないが、王太子と名乗った人物には見覚えがある。
王太子アウグストで間違いない。
「ど、どうぞ……」
そう判断した門番は、先程の言を覆し門を解放した。
「行くぞ!」
それを見たウィラーが号令をかけると、捜査員たちは一斉にドーヴィル伯爵邸の敷地内になだれ込んだ。
そして、屋敷の扉を乱暴に開け放つとドカドカと邸内に侵入していく。
それに驚いたのは使用人たちだ。
「な、なんですかあなたたちは!? ここをドーヴィル伯爵様のお屋敷と知っての狼藉ですか!?」
使用人たちが騒然とする中で、年嵩の執事がウィラーたちの前に立ちはだかった。
「私は警備局局長デニス=ウィラーである。ドーヴィル伯爵に逮捕状が出ている。これは裁判所、及びディセウム国王陛下の承認がなされたものである。即刻ドーヴィル伯爵のもとに案内されよ!」
「こ、国王陛下の!?」
ウィラーが提示した逮捕状を見た執事は、そこに国王の承認印が押されていることを確認して大きく動揺した。
それもそのはずで、通常逮捕状や家宅捜索令状などは裁判所から発行されるが、それに国王の承認印など押されることはない。
今回は、王太子妃殺害未遂事件であることと、犯人が伯爵という貴族でも地位のある爵位の持ち主であったため、操作の妨害ができないよう国王権限を発令するためにディセウム自ら捜査の承認をしたのである。
しかし、今まで前例のない事態に執事は到底信じることができなかった。
「こ、こんな逮捕状ごときに国王陛下の承認印など……いかに警備局長といえど、陛下の承認印の偽造は大罪ですぞ!」
そう逮捕状と国王の承認印の偽造を主張するが、その意見はすぐさま抑えられた。
「偽造などではない。私が直々に依頼したことだからな」
アウグストがウィラーに並び立つと、執事は大きく目を見開いた。
「お、王太子殿下……」
「これでこの逮捕状が偽造でないことが分かったか? 分かったならすぐさまドーヴィル伯爵のもとに案内しろ」
アウグストの言葉は静かだったが、捜査の邪魔をされたことに対する怒りが漏れており、執事はその恐怖に震えおとなしく執務室へと案内した。
執務室に辿り着いた一行だったが、すぐには室内に入らなかった。
中から声が漏れてきていたためである。
『どういうことですのお父様!! あの女狐はまだ王太子妃の座に居座っているそうではありませんか!!』
『むぅ、あの役立たずめ、失敗しおったか……』
『これでは、益々あの女狐エリザベートの周辺警護が厳しくなるではないですか!! お父様、もうこうなっては別の人間を自爆させるしかありませんわ!!』
『そうだな……次の人選を進めるか……』
そこまで聞いたところで、ウィラーによって行動を止められていた執事が執務室の扉をノックした。
『なんだ?』
「旦那様、お客様が参っております」
『客? 今日は来客の予定などなかったはずだが……ああ、あの商人か。いいぞ、通せ』
ドーヴィル伯爵の了承を受けて、執事は執務室の扉を開いた。
扉が開いたことを確認したドーヴィル伯爵は、入ってくるであろう人物に向けて言葉を放つ。
「貴様、よくもあのような役立たずを宛がって……」
そこまで言って視線を上げたドーヴィル伯爵は、入ってきた人物が件の商人でないことにようやく気が付いた。
「だ、誰だ!?」
「警備局局長デニス=ウィラーと申します」
警備局と聞いた瞬間、ドーヴィル伯爵の心臓は飛び跳ねた。
なぜ警備局の、しかも局長がこんなところにいる?
まさか、この件が露見したのか?
いや、しかし、実行犯の家族を人質に取っていると聞いているし、そもそも魔法による犯罪は証拠が残らない。
決定的な目撃情報が残らないように細心の注意を払っているとも聞いているし、バレる恐れはないはずだ。
そこまで考えたドーヴィル伯爵は、恐らく別件で来ているのだろうと判断し、内心の焦りを表に出さないように努めつつウィラーに対応した。
「それはそれは、警備局の局長がわざわざ出向くとは、一体どのような大事件が起こったのでしょうか?」
白々しくそういうドーヴィル伯爵に、ウィラーは内心の怒りを抑えつつ切り返す。
「おや? このような一国を揺るがす大事件を伯爵はご存じないと?」
「はて? 私に事情を聴きに来るような大事件などありましたかな?」
あくまで白を切り通すつもりの伯爵だったが、ウィラーの次の言葉で凍り付いた。
「王太子妃エリザベート殿下の暗殺未遂事件ですよ」
「なっ!?」
そう断言したウィラーの顔を見て、自分がこの件に関与していることを確信していると判断した伯爵は、どう言い逃れをするか必死に考えた。
だが……。
「まあっ! アウグスト殿下では御座いませんか! ああ、やはり私を迎えに来て下さったのですね!」
娘のナタリーが、ウィラーの後ろにいたアウグストに気付き話しかけてしまったのだ。
「ナタリー!!」
慌てて娘の名を呼ぶドーヴィル伯爵だったが、ナタリーはアウグストに会えた高揚感で父の焦りなど全く気付いていない。
「なんですかお父様!? ようやくアウグスト殿下があのめぎ……エリザベート様から私に乗り換えて下さろうとしているのですよ! 邪魔をしないで下さいまし!!」
ナタリーのあまりの剣幕に、ドーヴィル伯爵は一瞬怯んでしまった。
それが、ドーヴィル伯爵の決定的な失敗だった。
「ほう。どうして私がお前を迎えにきたと思ったのだ?」
そのアウグストの質問に、ナタリーは一瞬キョトンとしたあと、コロコロと笑いながら答えた。
「だって、エリザベート様が襲撃されてすぐに私のところに来たということは、エリザベート様はご無事でもお腹の子は流れてしまったのでしょう? そうなれば次の王太子妃は私以外に考えられないではないですか」
ナタリーは満面の笑みでそう告げるが、アウグストの反応は冷ややかなものだった。
「お前が王太子妃? 冗談も大概にしろ」
「で、殿下?」
驚くナタリーだったが、アウグストが自分を見る目が、あまりにも冷たいことにようやく気が付いた。
「な、なぜ……」
「なぜ、だと? お前はなにか勘違いをしているようだな」
「勘違い?」
「ああ、エリーは健在でお腹の子も無事だ。なぜそのような勘違いをしたのかな?」
冷酷な表情でそう言われたナタリーは、大きく動揺し、しどろもどろになりがら説明した。
「それは、め……エリザベート様は賊の襲撃を受けて、お亡くなりにならなくても大怪我を負っているだろうと……なら、お腹の子も無事では済まないだろうって……」
「ほう? なぜそんな勘違いをしたのだ? エリーは無傷でお腹の子も大事無い」
アウグストがそう言うと、ナタリーは思わず、といった感じで叫んでしまった。
「そんな! 嘘です!! あの商人は間違いなく深手を負わせたと……」
「ナタリー!!」
ドーヴィル伯爵が慌ててナタリーの言を遮ろうとするが、時すでに遅し。
「ウィラー! ドーヴィル伯爵令嬢が自白したぞ!!」
「はっ!」
アウグストの発言を受けて、ウィラーはドーヴィル伯爵に逮捕状を見せた。
「ドーヴィル伯爵! 並びにドーヴィル伯爵令嬢ナタリー! 王太子妃エリザベート様暗殺未遂の容疑で逮捕する!!」
ウィラーの号令を受けて、待機していた捜査員たちが一斉にドーヴィル伯爵とナタリーを取り押さえる。
この世界では、女性の容疑者を捕まえるのに女性捜査員でないとセクハラになるというような概念はない。
伯爵令嬢として権力はあっても体力的には非力なナタリーは、あっという間に捜査員たちに取り押さえられた。
「きゃあっ!!」
「ぐあっ! は、離せ!! これはなにかの間違いだ!!」
それは成人男性であるドーヴィル伯爵とて同じことだった。
普段執務室に籠り切りで執務をしている伯爵と、日々犯罪者と向かい合うため身体を鍛えている警備局の捜査員では勝負にならない。
伯爵親子は、揃って捜査員に取り押さえられた。
「いやっ! 離しなさい!! 私を誰だと思っていますの!? お父様!! 助けてくださいお父様!!」
「ナタリー! くそっ! 離せ!! 一体なにを根拠にこんな横暴をされるのですか!?」
捜査員に取り押さえられながら、ドーヴィル伯爵は必死にそう叫んだ。
「何を根拠に? たった今、ドーヴィル伯爵令嬢が自白したではないか」
そういうアウグストに、ドーヴィル伯爵は「しめた!」と思った。
「お言葉ですが殿下、娘はそのようなことは申しておりません」
そう言い放つドーヴィル伯爵に、アウグストは冷徹な目を向けた。
「ほう? では、先ほどの言はなんだったのだ? 深手を負わせたと聞いたと聞こえたのだが?」
「恐らく、商人からエリザベート妃殿下の容体の推測を聞かされたのでしょう。深手を負ったのでは? と聞き間違えたのではありませんか?」
ドーヴィル伯爵は、勝ったと思った。
今のナタリーの失言は、あくまでも言葉。
書面とは違って言葉は聞き間違えることもある。
そんなことは言っていない。聞き間違えだと主張すれば、それを覆すのは難しい。
今まで散々、言った言わないの議論を貴族社会や商人相手にしてきたのだ。
これでいけるはず。
そう確信していた。
だが……。
「……くくっ」
「で、殿下?」
突如嚙み殺すように笑い出したアウグストを、ドーヴィル伯爵は怪訝そうな顔で見る。
そして、背筋が凍り付いた。
その顔は、後にウィラーが「一国の王太子がしていい表情ではなかった」という言わしめるほど邪悪な顔をしていたからである。
これには、ドーヴィル伯爵だけでなくアウグストを慕っていたはずのナタリーまで戦慄した。
「聞き間違い……聞き間違いねえ」
そんな表情をしながら、アウグストはそう呟いた。
「え、ええ。左様です。ですから……」
「なあ、ドーヴィル伯爵」
「え、は」
「これが、なんだか分かるか?」
アウグストはそう言いながら、ドーヴィル伯爵の目の前に、ある魔道具を差し出した。
「……なんで御座いましょうか? 全く分かりませんが……」
「これはな、シンが作った魔道具なのだが……」
そのアウグストの言葉に、ドーヴィル伯爵もナタリーもドキリとした。
魔王。
神の御使い。
およそ同じ人類とは思えないほど強大な魔法を行使し、今まで誰も思い付かず、また思い付いても作れなかった魔道具を作る、現状ですでに伝説になりつつある英雄。
そんな人物が作った魔道具が目の前にある。
今まで見たこともないこの魔道具がどのような効果のあるものなのか。
分からないからこそ、余計に二人の不安を煽った。
そんな二人をよそに、アウグストはその魔道具を見ながら話し始めた。
「シンがこれを作った当初は、また規格外なものをと呆れたものだが……まさかこのような事態で役に立つとはな」
そう言いながら、アウグストは魔道具に付いているスイッチを押した。
『そんな! 嘘です!! あの商人は間違いなく深手を負わせたと……』
『ナタリー!!』
「なっ!?」
突如聞こえてきたその声に、ドーヴィル伯爵は唖然とした。
アウグストが持っている魔道具から聞こえてきたのは、間違いなく先ほどナタリーが発言した内容そのものだった。
まさか……まさかこの魔道具は『音』を記録する魔道具なのか?
そうなると話は根本的に違ってくる。
今まで『発言』は形に残らないので言い逃れができると思っていた。
ところがアウグストが提示した証拠は、その『発言』そのもの。
ドーヴィル伯爵がどう言い逃れようかと必死に頭を巡らせている間にも、アウグストは何度もその発言を再生させる。
その都度聞こえてくるのは、間違いなくナタリーの声で『商人から深手を負わせたと聞いた』としか聞きようのない発言だった。
もう、ここまでか……。
ドーヴィル伯爵がそう思ったときだった。
「殿下、嘘を吐かないでください! 私の声はこんな声ではありませんわ!」
ナタリーがそう叫んだ瞬間、ドーヴィル伯爵の脳裏に打開策が思い付いた。
「そ、そうです殿下! いくらなんでも証拠の捏造は看過できません!!」
そう、これは捏造された証拠だ。
そういうことにしてしまえば、まだ言い逃れができる。
そう思ったのだが……。
「ふむ。やはり自分の声に違和感を感じるか」
「「え?」」
ドーヴィル伯爵親子は二人揃って首を傾げた。
「では、もう一つ。こちらも聞いてもらえるか?」
アウグストはそう言うと、もう一つの録音機をウィラーから受け取り再生した。
『どういうことですのお父様!! あの女狐はまだ王太子妃の座に居座ってそうではありませんか!!』
『むぅ、あの役立たずめ、失敗しおったらしい』
『これでは、益々あの女狐エリザベートの周辺警護が厳しくなるではないですか!! お父様、もうこうなっては別の人間を自爆させるしかありませんわ!!』
『そうだな……次の人選を進めるか……』
「え? お父様の声と、誰?」
「え? 私?」
「え?」
ポツリと呟いたナタリーの声に、ドーヴィル伯爵は思わず聞き返し否定の声をあげた。
「わ、私はこんな声ではない!」
「なにを言っているのお父様? お父様の声じゃない。それより、お父様と話をしている女は誰?」
「お前じゃないか!」
「嘘よ! 私はこんな声ではありませんわ!」
「これで分かったか?」
言い合う二人を見ていたアウグストは、理解したか? と二人に問い質した。
「ど、どういうことでしょうか?」
「これはシンが言っていたのだがな。自分が聞いている自分の声と、他人が聞いている自分の声は違うように聞こえるのだそうだ」
「え? は?」
「えっと?」
「私も最初、録音された自分の声を聞いたときは驚いたぞ。まるで別人の声なのに、周りは皆私の声だという。そして、それは私だけではない。そのとき実験した全員が同じことを言ったのだ。もう、どういうことか分かるな?」
「つ、つまり……これは紛れもなく私の声だと……」
「そ、そんな……」
「まあ、お前たち二人だけの会話でも十分な証拠にはなるのだが、言い逃れをする可能性もあったからな。だが、これでもう言い逃れはできまい」
アウグストの言葉に、ドーヴィル伯爵はガックリと項垂れ、ナタリーはオロオロと拘束されたまま周囲を見渡した。
「え? え? で、では、私はアウグスト様の妻には……」
この期に及んでまだそんなことを言うナタリーに、アウグストは呆れた顔をした。
「王太子妃殺害未遂の首謀者がそんな地位に就けるわけがないだろう。もっとも、エリーに万が一のことがあろうと貴様を選ぶことだけはないと断言しておく」
アウグストはそう言うと、ウィラーに「連れて行け」と命じて執務室から出て行った。
無慈悲な一言を受けたナタリーは、出て行くアウグストに縋るように叫んだ。
「いやあっ!! アウグスト様! なぜ!? なぜ私を選んでくださらないのですか!? アウグスト様ぁっ!!」
執務室から出て行っても聞こえてくるナタリーの叫び声を聞いて、アウグストは深い溜息を吐いた。
「お前のような女に、誰が惚れるというのだ……」
アウグストの横でその呟きを聞いた捜査員は、同意するように深く頷いていた。