人それぞれに恋愛事情はある
「ただいま」
「あ、シン君。お帰りなさい」
「ぱぱ! おかーり!」
ゲートで家に帰ると、編み物をしていたシシリーが顔をあげて出迎えてくれた。
そしてシルバーは、元気に挨拶をすると真っすぐに俺に向かって走ってきた。
「おっと! ただいまシルバー。いい子にしてたか?」
「あい!」
走ってきたシルバーを抱き上げ、シルバーにもただいまと言うと、シルバーはニパッと笑って答えてくれた。
はぁ、癒される。
「お帰りなさいませ、シンさん」
「お帰りなさい、ウォルフォード君」
「お帰りなさいシン。お邪魔していますよ」
続けて声をかけられたので声のした方を見てみると、そこにはエリー、オリビア、そしてクリスねーちゃんがいた。
「あれ? クリスねーちゃんがいるなんて珍しいね」
俺がそう言うと、クリスねーちゃんは「うっ」という顔をした。
なにその表情と首を傾げていると、シシリーがクスクス笑いながら教えてくれた。
「クリスお姉さま、ジークお兄様と喧嘩しちゃったそうなんです。それで、顔を合わせづらいからって家を出て来ちゃったんですよ」
「クリスねーちゃん……」
ジークにーちゃんと結婚して子供まで作ったのに、まだそんな関係が続いてんのかよ。
「し、仕方ないでしょう!? 私がこの子を産んだら職場に復帰したいって言ったら『いいから家で大人しくしとけ』なんて偉そうに言うんですから!」
あー、女性が子供を産んだあとに仕事を続けるかどうかっていうのはデリケートな問題だよなあ。
言葉を選んで慎重に話し合わないといけないのに、ジークにーちゃんはいつもの調子で話したんだろう。
そりゃ喧嘩になるわ。
「正直、私としてはクリスさんほどの騎士には結婚、出産後も仕事を続けて頂きたいところなのです。女性の護衛でないと入れない場所もありますので。ただ……こういうことは家庭の問題ですので、無理強いもできないのですわ」
エリーが難しい問題だと悩まし気に溜息を吐いた。
「私は、出産したらマークの実家に戻るので、すぐに復帰するつもりですけど」
そう言うのはオリビアだ。
シシリーは……。
「私は、安定期に入って魔法が使えるようになったら復帰します」
俺は、本人の意思尊重派なのでシシリーの言う通りにさせてあげたい。
けど……。
「やっぱり、そんなに急がなくてもいいんじゃない? オリビアみたいに出産してからでも……」
「私は、オリビアさんのように現地に赴いたりせず治療院で待機ですから、出産前から復帰できます。それに、出産前後はまた少しお休みを頂くのですから、少しでも早く復帰したいんです」
俺としては、オリビアのように出産後の復帰でもいいんじゃないかと思うんだけど、シシリーの意思は固いらしく、魔法が使えない今はしょうがないとしても、魔法が使えるなら少しでも早く復帰したいらしい。
「はあ、もう散々話し合ったからこれ以上は言わないけど、気を付けてね」
「はい。分かってます」
シシリーがそう言って微笑む姿をクリスねーちゃんはじっと見ている。
「羨ましいですね、シンがそうやって理解を示してくれて」
「そういえば、ジークにーちゃんとクリスねーちゃんの実家って王都?」
「そうです。なので、子供はどちらかの両親に預ければいいと言っているのに、あの男は……」
また怒りがぶり返してきたらしい。
はあ……よその家庭のことだから下手に口出しできないし、二人で折り合いを付けてもらうしかないよな。
そう思ってそれ以上その話には深入りせず、シルバーを抱きかかえたままシシリーの隣に座る。
そのとき、対面に座っているエリーの膝の上に本が置かれているのが見えた。
「お、エリーも本読んでるのか」
「ええ。というか『も』?」
「ああ、さっき事務所で本の話になってさ」
俺は、さっきの事務所での話をした。
するとエリーは、ちょっと驚いたような顔をした。
「凄い偶然ですわね。私が読んでいたのもアマーリエの新刊ですわ」
「へえ、それって、王子様が庶民の女の子と恋に落ちるってやつ?」
「ええ」
「エリーは、そう言うの気にならないのか? カタリナさんは、オーグが気を悪くするんじゃないかって心配してたけど」
「別に。架空の国の架空のお話ですもの。現実と混同なんてしませんわ。むしろ、現実から離れているから楽しんで読めるのです」
「へえ、そんなもんか」
「そんなもんですわ」
オーグと同じこと言ってるな。
王子と婚約者という役柄は一緒でも、制度が違うと全くのフィクションに見えるんだろうな。
あ、そういえば。
「その手の小説って、俺も何冊か読んだことあるけど婚約者が他の令嬢からいびられるって話もあったよな。エリーはそういうのなかったのか?」
ちょっとした好奇心でそう尋ねてみると、エリーはゲンナリした表情で深い溜息を吐いた。
「これでも公爵令嬢ですから、いびられたりはしなかったのですけれど……」
そこまで言ってエリーは視線を彷徨わせ、言い淀んだ。
そんな言いづらそうなエリーの代わりに、シシリーが答えてくれた。
「そういえば、殿下とエリーさんがご婚約を結ばれたときに、エリーさんに突っかかっていた方がいましたねえ」
そういえば、オーグとエリーは高等学院に入る前に婚約を結んでたんだよな。
ということは、シシリーもそのときの様子を知ってるってことか。
「ちなみに、二人が婚約したのっていつ?」
「中等学院一年のときですね」
「さすが王族。早いなあ……」
「五歳のお披露目でお知り合いになったって言ってましたから、いわば幼馴染同士での婚約ですね!」
横で聞いていたオリビアも、幼馴染同士で結婚したから親近感が湧いたみたいだ。
「その婚約を発表したときに『貴女なんかより私の方が相応しい!』だの『さっさと婚約を辞退しろ!』だの言ってきたお馬鹿さんがいたのですわ」
エリーは、思い出すだけでも疲れるといった表情でその令嬢のことを話してくれた。
「オーグとエリーって恋愛結婚だよな? しかもオーグから告白、プロポーズしたって聞いたけど」
「その方にはそうは見えなかったらしくて『殿下の弱みを握って脅したんだろう』って言われましたわ」
「オーグの弱みを握って脅す……」
あまりにもありえない状況に、俺もシシリーもオリビアもクリスねーちゃんも揃って首を傾げてしまった。
「その方、ご自分がオーグと結婚すると信じて疑っていなかったそうですの。周りにも近々オーグからプロポーズされると吹聴していたらしいですわ」
「なんでそんな勘違いしたんだろう?」
オーグからプロポーズされるかもっていうことは、それらしい予兆があったってことだよな?
そんな思わせ振りな態度をオーグが取るか?
「学院で常にオーグの周りをウロチョロしてらしたのですが、ある日落としたハンカチをオーグが拾って手渡したんだそうです。それ以降、自分はオーグと付き合ってると思い込んでいたらしいですわ」
「お、おぉう……」
それって思い込みが激しいとかの次元じゃなくて妄想癖とかあるんじゃ……。
本当にそんな人がいたのかとシシリーの顔を見ると、苦笑を浮かべていた。
「そんな人でしたねえ」
「本当にいたのか……」
貴族の通う学院にそんなのがいたのか……。
ああ、いや、だからこそか。
恐らく、幼い頃から好きなものは全て手に入れられ、行動や存在を全肯定されて生きてきたんだろう。
なので、自分が好きなものは必ず手に入れられると思い込んだのかも。
アールスハイドの貴族は、貴族は民衆のために存在しているっていうのを幼い頃から叩き込まれるって聞いたことあるけど、そんなこともあるのか。
一人娘で甘やかしすぎたんだろうか?
「それはもう、毎日毎日私のところに押しかけてきまして『私は殿下と愛し合っている』だの『私と殿下の関係に割り込んでくるな』だの喚き散らしてましたわね」
「そんなに騒いでたんなら、オーグの耳にも入るんじゃ……」
「当然、入りましたわ。オーグは、その方が私に喚いている現場に来まして、その方に向かって『貴様は誰だ?』と言い放ったのですわ」
「うわ、きっつ……」
自分が付き合っていると思い込んでいる相手から『お前誰?』と言われる。
認識すらされていなかったと知ったら……。
「呆然とされているその方を尻目に、集まっている群衆に向かってオーグが『今、こいつが言ったことは全て虚偽だ。それを少しでも信じたり、もしくは口にしたりする者がいたら私はその者を信用しない』と、そう言い放ったものですから、変な噂が広まることはなかったですわね」
おー、さすがオーグ、男前なことするねえ。
エリーもその時のことを思い出しているのかちょっと誇らしそうだ。
しかし、そんなエリーを見つめるシシリーはクスクス笑っていた。
「どうしたの?」
「ふふ、いえ。エリーさんがある場面を端折ったので、それがおかしくて」
「端折った?」
「ちょっ! シシリーさん!」
エリーが慌ててシシリーを止めようとするが、エリーの隣に座っているオリビアにガードされた。
「確かに、殿下はそう仰ったんですけど、そのときエリーさんの肩を抱き寄せながら仰ったんですよ」
「ほぉ」
本当はそんな状況だったのか、と思いながらエリーを見ると……。
真っ赤な顔をしながら、両手で顔を覆っていた。
「わあっ! さすが殿下、まるで恋物語の一節みたいです!」
オリビアは、恥ずかしがっているエリーに止めを刺しにいっている。
そんな二人を見て、クリスねーちゃんが小さい溜息を吐いた。
「羨ましいですね。私にはそんなロマンティックな思い出などありませんよ」
「っていうか、クリスねーちゃんはどうなのさ? 正直、あの二人の状況から今に至る経緯が全く想像つかないんだけど?」
「え?」
俺の言葉に、クリスねーちゃんは話が自分に向くとは思っていなかったのか、ちょっとギョッとした顔をした。
「あ、それ気になります。クリスお姉さまとジークお兄様がどうやってご結婚されたのか教えて下さい」
「私も知りたいです!」
「そうですわ! 私だけ恥ずかしい思いをするのは不公平ですわ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! というか、妃殿下の台詞はおかしいです!」
「おかしくありませんわ! さあ! キリキリ吐きなさい!」
「くっ……」
お、これは、国に仕える騎士としては王太子妃の命令には逆らえないか?
ようやくクリスねーちゃんとジークにーちゃんの話が聞けるかも。
そう思ったときだった。
「あ! 着信! 着信ですから!」
クリスねーちゃんの無線通信機から着信のベルが鳴った。
舌打ちする王太子妃をよそに、クリスねーちゃんは通信機に出る。
「はい! ……ああ。今ですか? シンの家です。は? 帰ってこい? なにを偉そうに。え? はぁ……そうですか。……わかりました、じゃあ今から帰ります」
話の内容からしてジークにーちゃんだな。
家出した嫁さんに帰ってこいって連絡を入れたらしい。
「すみません妃殿下。私は帰りますので、この話はなかったことに」
「ちょっ! ズルイですわよ!」
「シン、ゲート、お願いしますね」
「あ、でも……」
シシリーも話を聞きたそうにしていたので、クリスねーちゃんの要望をすぐに承知しなかったのだが……。
「シン」
「はい! 分かりました!」
クリスねーちゃんの声が怖すぎて、すぐにクリスねーちゃんの家にゲートを繋いだ。
「それでは、失礼いたします妃殿下。シンたちもまたね」
クリスねーちゃんはエリーに丁寧なあいさつをしたあと、俺たちに手を振ってゲートを潜って帰って行った。
「ああ、折角クリスティーナ様とジークフリード様の話が聞けると思ったのに」
オリビアがそう不満げに言っていると、通信機が鳴った。
「あれ? 私?」
オリビアがそう言いながら通信機に出る。
「あ! ゴメン! ウォルフォード君が帰ってるならマークも帰ってるよね。うん、そうウォルフォード君の家。うん、じゃあ待ってるね」
通信の相手はマークだったようで、妊娠初期で魔法の使えないオリビアを迎えに来るらしい。
その後すぐにマークが迎えに来てオリビアが帰り、それと入れ違うようにオーグもエリーを迎えに来た。
「すまないなウォルフォード夫人、世話になった。じゃあシン、また明日」
「おう。また明日」
さっきの話を思い出してニヤニヤしないよう必死になりながら二人を見送った。
その後、ずっと空気だったミランダとナターシャさんは歩いて帰るとのことで玄関から帰って行った。
急に人がいなくなって静かになったリビングで、俺はちょっと気になったことをシシリーに尋ねた。
「そういえば、エリーに突っかかってたって令嬢はその後どうしたの?」
そんな騒ぎを起こしたんだから、その令嬢がどうなったのか気になっていたのだ。
「え? ええと、確かそのあとすぐに王都の学院を辞められて自領の学院に転入したそうです。そのあとは分かりません」
「へえ、さすがに恥ずかしくて学院にはいられなかったのかな?」
「そうだと思いますけど、詳しいことはなんとも」
シシリーがそんな令嬢と交流があったとは思えないし、詳しく知らなくてもしょうがないだろうな。
それにしても、オーグとエリーのとこはずっと順調だと思っていたけど、過去にそんなことがあったんだなあ。
今度、マークとオリビアにも聞いてみよう。
俺らは、告白から全部知られているんだ。
俺には知る権利がある!
と、思う。




