うちは避難所か、保養所か?
王太子妃であるエリーが懐妊した。
その報はシシリーのときと同じように王国中を駆け巡った。
シシリーのときと違うのは、エリーが王太子妃であるということ。
つまり、王国の次代を身籠ったということである。
聖女様と慕われているとはいえ、俺に嫁いできたシシリーの立場は平民。
皆も祝福してくれたがエリーの場合は規模が違った。
エリー懐妊の報が伝えられた翌日、国が休日になった。
あちこちで祭りが催され、老若男女問わずオーグとエリーに祝杯をあげた。
祝いの品だけだった俺たちとは違い、各国の大使が王城に祝いの言葉を述べに来た。
何もかもが俺たちと規模が違う。
「エリーって偉い人だったんだな」
「え? 今更ですか?」
さっき王都中が騒いでいるのを見てきた俺がそう呟くと、シシリーが驚いた顔をした。
「元公爵家のご令嬢で、現王太子妃で、将来の王妃様ですよ? 世界に何人もいない立場の御方ですよ?」
「いやあ、普段のエリーを見てるとなあ……」
「まあ……確かに私たちと一緒にいるエリーさんは気兼ねなく接してくれていますけど、夜会やお茶会などの社交の場では、おいそれと近付けないくらい気高い雰囲気なんですよ?」
気高い雰囲気のエリー……。
「っんふ」
堪え切れずに漏れた笑いにシシリーが苦笑した。
「シン君が何を想像したのか想像がつきますけど……それってシン君も同じですからね?」
「え? 俺?」
ちょっと待て。
俺は気高く近寄りがたい雰囲気など出したことはない。
俺が首を傾げていると、シシリーが教えてくれた。
「友情に篤く、民を想い、慈愛に満ち、勇敢にも世界を救った英雄。それがシン君の世間一般での印象ですよ」
「やめてくださいおねがいします」
うおお……背中がムズムズする!
アールスハイド王家主導で発行された本の影響で、俺に対するイメージがとんでもないことになっている。
シュトロームとの対決まで書かれた第二巻を読んだとき、どこの聖人だ? と思ったくらい美化されていた。
発売前の見本誌を皆で読んだとき、一巻のとき以上に大爆笑された。
アリスとリンに至っては、笑い過ぎて痙攣していた。
それくらい、実際の俺と世間一般が抱くイメージが乖離してしまっていた。
「まあ、エリーさんは実際人前ではそういう風に振る舞いますからね。イメージだけ独り歩きしてしまっているシン君とは違うかもしれませんけど、本当の自分とは違うというところは同じなんですから、笑っては可哀想です」
「それは、確かにそうだけど……」
シシリーの言いたいことは分かる。
俺とエリーは似たような立場なのだから、笑うのは確かに失礼かもしれない。
しかし、俺は言いたい。
「エリーは俺の本を読んだとき、呼吸困難になるくらい爆笑しやがったからな」
「……そうでしたね」
笑い過ぎて痙攣しているアリスとリンの横で、笑い過ぎて呼吸困難になりシシリーが慌てて治療していた。
俺は、そのことを忘れない。
「俺らの前で貴族令嬢らしい振る舞いなんてしたことないからさ。普通に御令嬢として振る舞ってるエリーが想像つかないんだよな」
「あんな態度は私たちの前だけですよ。というか、シン君と出会った後からですね」
「ああ、あの合宿のとき?」
「ええ。メイ姫様は昔から天真爛漫で有名でしたけど、エリーさんは貴族令嬢の見本とまで言われていた方ですから」
「マジで?」
シシリーの言葉を聞いて、普段のエリーの姿を思い出す。
「令嬢しているエリーを見たら噴き出すかもしれない」
「笑っちゃ駄目ですよ。まあ、今の私たちの立場は平民ですからね。王太子妃としてのエリーさんを見る機会はあんまりないと思いますけど」
「その代わり、素のエリーは見れるわけか」
「不思議な立場ですよねえ」
シシリーはそう言いながらクスクス笑っていた。
そのとき、俺たちのいるリビングにゲートが開きオーグとエリーが出てきた。
どっかで俺らのこと見てたんじゃねえの? ってくらいピッタリなタイミングだな。
「どうしたんですか? 殿下、エリーさん」
シシリーがそう訊ねると、エリーはソファーに座り深い溜息を吐いた。
「すみませんが、すこし休ませてくださいな」
「それはいいけど、わざわざウチに来なくても王城で休んだ方が至れり尽くせりなんじゃないの?」
俺がそう訊ねると、オーグが苦笑交じりに答えた。
「王城だと、王太子妃としての顔を崩すわけにはいかないからな。ここなら気が抜けるんだろう」
「そういうことですわ」
オーグの言葉を肯定したエリーは「んー」と思い切り背伸びをした。
「はぁ……王城の侍女たちがいる前ではこんなことすらできませんもの。本当の意味で羽を伸ばせるのはここだけですわ」
エリーはそう言うと、グッタリとソファーにもたれかかった。
「すまんなシン。少しの間休ませてやってくれ。それではエリー、後で迎えにくる」
「分かりましたわあ」
オーグはそう言うと、開いたままのゲートをもう一度通って帰って行った。
返事をするエリーは、完全にオフモードだ。
……これが完璧な令嬢……?
ますますさっきのシシリーの言葉が結びつかない。
それが表情に出ていたのだろう、エリーが深く身体を預けていたソファーから身を起こし睨んできた。
「ちょっとシンさん、またなにか失礼なことを考えているでしょう?」
「なんで分かった!?」
「かれこれ三年も友人付き合いをしていますのよ、シンさんの奇妙奇天烈な思考くらい分かりますわよ!」
「奇妙奇天烈って……」
いつの時代の言葉だよ。
「それで? 一体どんな失礼なことを考えていたのです?」
「え? ああ、エリーが完璧な令嬢だなんて信じられないなって」
「本当に失礼ですわ!!」
うおう、エリーがメッチャキレてる。
「まあまあ、落ち着いてくださいエリーさん。興奮するとお腹の子に障りますよ?」
「ふぅ~! ふぅ……そうですわね。ありがとうシシリーさん」
「いえ、どういたしまして」
「それで? なんでそんなこと考えたんですの?」
「いやあ、シシリーからエリーが淑女の見本だって聞かされてさ。俺の知ってるエリーって、今みたいにソファーにだらしなくもたれかかったり、大声でキレたりしてるところしか見てないから信じられなくて」
俺がそう言うと、エリーはちょっとバツが悪そうな顔をした。
「しょ、しょうがないじゃありませんか。私は幼いころから公爵令嬢として、オーグの婚約者として周囲に見られていたのです。オーグの妻の座を諦めていない令嬢やその家族に隙を見せるわけにはいかなかったのです。そんな私が素を見せても侮られず問題のない居場所。それが皆さんの側なのですわ」
「そうなの?」
「そうなのですわ」
そうなのか。
王太子の嫁は大変だな。
「そもそも、ここへは陛下もよく通っているではありませんか。ウォルフォード家は、いわばアールスハイド王族の安息の地なのですわ」
「うちを勝手に安息の地にするんじゃないよ、まったく」
「え? あ! メ、メリダ様!? も、申し訳ございません!」
うわ、出た、ゴッド婆ちゃん。
「ああ!?」
「なんも言ってねえ!」
また顔に出てたのか?
そもそも、そんなの顔色見ただけで分かるもんなの!?
「まったくこの子は……ああ、冗談だからそう恐縮しないでいいさね。座って安静にしておいで」
「は、はい。失礼します」
エリーはそう言うと、綺麗な所作でソファーに座りなおした。
「へえ……」
こういうのを見ると、シシリーの話もあながち嘘じゃないのかも。
「……今、なにか変なこと考えましたわね?」
「だから、なんで……」
「シンさんの考えそうなことくらい分かりますわよ」
「ふふ、あはは」
俺とエリーのやり取りを見ていたシシリーが、クスクスと笑っている。
「笑いごとではありませんわシシリーさん。旦那さんが友人の妻を変な目で見ているのですよ? 少しは窘めなさいな」
「ふふ、すみません。でも、シン君の変な目って、文字通りの変な目ですよね?」
「だから、それを止めさせなさいって言ってるのですわよ!」
「まあまあ落ち着いて。お腹の子に障りますよ」
「本当にもう! この夫婦は……う……」
「大丈夫ですか!? エリーさん!」
エリーは少し気分が悪そうにすると、うちのメイドさんが用意したオレンジジュースを一口飲んだ。
「ふぅ、大丈夫。落ち着きましたわ」
「……っほ。エリーさん、大分悪阻が重そうですね」
「ええ、まあ。ただ、少しでも気分が悪そうにすると周りが大騒ぎしますので、余計に心が休まらないのですわ」
「王太子妃は大変ですね」
「まったくですわ」
そりゃあ、エリーのお腹にいるのはアールスハイド王家の次代だからな。
大騒ぎもするか。
「そういえば、もう一人の妊婦はどうしたんだい?」
シシリーとエリーのやり取りを見ていた婆ちゃんが、ここにいないもう一人について聞いてきた。
「そういえば、オリビアは大変みたいだよ」
オリビアの様子については、ちょっと前にマークから聞いていた。
「大変って、どういうことですの?」
「なんでも、マークの家にいたら工場の音が気になって仕方がないし、かといって実家に帰ったら食堂だろ? 匂いで吐いちゃうんだってさ」
「ええ? 本当に大変じゃないですか!」
「だから、静かなところに部屋を借りたらしい。マークとオリビアのお母さんが交代で世話をしに来てるんだってさ」
子供が生まれたらマークの家に帰るらしいけど、それまで二人暮らしするってさ。
「あれまあ、それは気の毒に」
婆ちゃんはオリビアに同情してそんなことを言うけど、実はそうでもないらしい。
「マークが言うには、マークの家もオリビアの家も、職人さんやら店員さんやらが大勢いて騒がしいらしくて、今の生活は静かでいいって言ってたよ」
騒がしい家にいたら、新婚なのにイチャイチャできないらしい。
「なんだい。心配して損したよ」
さっきは気の毒そうな顔をしていたのに、実はそうでもなかったと知った婆ちゃんが呆れた顔をしていた。
「ふふ、その点うちはいいですね。使用人さんたちも必要以上に騒ぎ立てたりしませんし、なにより子育ての先輩であるお婆様がいますから」
「まあ、うちには大騒ぎするような人間はいないし、静かで落ち着いたもん……」
シシリーの賛辞に照れ臭そうな顔をした婆ちゃんがそう言っている最中に、俺の無線通信機の着信音が鳴った。
これは……。
「……はいシンです。ああ、はい。え? またですか? はあ、分かりましたよ」
そう言って通信を切った俺は、すぐにゲートを開いた。
「えっと……もしかして?」
「……その通りだよ」
苦笑しているシシリーに答えると、迎えに行っていないのに向こうからさっきの通信の相手がゲートを潜ってやってきた。
「はあ、疲れたあ。あ、お茶貰えるかしら?」
ゲートから出てくるなり側に控えていたマリーカさんにお茶を依頼した人物。
それは……。
「かしこまりました。教皇猊下」
エカテリーナさんだ。
「あら、エリザベート妃殿下もいたのね。体調はどう?」
「は、はい! お陰様でなんの問題もなく!」
「あら、そうなのね。シシリーちゃんは?」
「問題ありませんよ」
「そう。ふふ、順調そうでよかったわ」
エカテリーナさんはそう言って微笑むと、優雅にソファーに座り……。
「なあにが順調そうで良かっただい。アンタ、昨日も来てたじゃないか」
婆ちゃんのお小言を貰っていた。
「ええ? いいじゃないですかあ。ここが一番落ち着くんですよお」
「はあ……アンタといいディセウムといい、どうしてこうウチを避難所に使うのかねえ」
「あ……申し訳ありません」
「ああ、エリーはいいさ。妊婦だからねえ。落ち着ける場所は必要さね」
「ええ? 依怙贔屓ですよ師匠!」
「いい歳した大人が依怙贔屓とか言ってるんじゃないよ!」
「ぶう!」
「はは……」
エカテリーナさんって、うちに来ると幼児化するよな。
まあ、それくらい婆ちゃんに心を許してるってことなんだろうけど。
「それにしても、さっきまで落ち着いたいい雰囲気だったのに、アンタが来た途端騒がしくなったねえ」
「ちょっ、どういう意味ですかそれ!?」
「そのまんまの意味だよ!」
世にも珍しい、導師と創神教教皇の漫才が見れる家。
……これ、心休まるのか?
「きょ、教皇猊下がいらっしゃるなんて……落ち着きませんわ……」
だろうねえ。




