慶事
ここにいる人間は、シシリーの身になにが起きているのか、ほぼ全ての人が分かっていた。
患者さんの奥さんもだ。
唯一眠っている患者さんだけ、なにも知らないという状況。
やがて、診察室からシシリーが出てきた。
服装を直しつつ、俯き恥ずかしそうな顔で。
「シシリー」
「シン君!」
俺が呼びかけると、シシリーは目に涙を浮かべ、満面の笑みで俺に抱き着いてきた。
「シン君、私! 私!」
「駄目ですよ聖女様! 今が大事な時期なんですから、そんなに激しく動いちゃ!」
「あ、す、すみません」
シシリーを診てくれた女性治癒魔法師さんが、シシリーを窘め、シシリーもそれに直に応じた。
やっぱり、これは……。
「あの……」
俺は女性治癒魔法師さんに声をかけた。
すると、返ってきたのは満面の笑みと、そして……。
「おめでとうございます」
という言葉だった。
少し前に替えたペンダント。
最近思わしくなかった体調。
急に使えなくなった魔法。
そして、女性治癒魔法師さんのおめでとうございますという言葉。
それらが示すものは、一つしかない。
「聖女様は妊娠しておられます。おそらく、二か月かと」
その言葉を受けて。俺はシシリーを見た。
恥ずかしそうで、それでいて嬉しそうで、とても幸せそうな笑顔を見せていた。
「シシリー!!」
「きゃっ!」
俺は思わず、シシリーを抱き締めてしまった
「ありがとう! ありがとうシシリー!!」
「シン君……」
俺の子を身籠ってくれたシシリーに、感謝の言葉しか出てこない。
そんな俺を、シシリーは優しく抱き締め返してくれた。
「御使い様!! 妊婦をそんなに強く抱き締めてはいけません!!」
「はい!!」
女性治癒魔法師さんの一喝に、慌ててシシリーから身を放した。
怖え……なんで女性の医療従事者ってこんなに怖いの?
思わず飛び退いちゃったよ。
「いいですか? 妊娠初期は非常に不安定です。安定期に入るまでは安静にしておいてくださいね」
「はい、分かりました」
「ところで、聖女様の周りにお母さまか、出産経験のある方はいらっしゃいますか?」
「あ、メリダお婆様がいらっしゃいます」
「……そこで出てくる名前が導師様というのが凄いですね。そういえば、導師様もご出産の経験があるのでしたね。経験者がいらっしゃるのはいいことです。導師様の言うことを良く聞いて、無茶はしてはいけませんからね」
「はい、ありがとうございました」
シシリーはそう言って女性治癒魔法師さんに深々と頭を下げた。
「いえいえ、まさか聖女様の受胎告知をすることになるとは、創神教徒としてこれ以上ない誉れで御座います」
女性治癒魔法師さんはそう言うと、処置室を出て行った。
そして、シシリーは患者さんの奥さんに向かって頭を下げた。
「なんの役にも立てず、申し訳ありませんでした」
そう言われた奥さんは、しばらく呆然としていたが、ハッと我に返ると両手を大きく振り出した。
「いえいえいえ! 妊娠初期は魔法が使えなくなると聞きますから、お気になさらないでください!」
「でも……それに気付かずに現場に赴いたのは私の落ち度です。申し訳ありません」
「本当にもう大丈夫です! 主人も助かりましたし、なにより、聖女様の受胎告知の場に居合わせられたなんて、一生の思い出になりますから!」
「そ、そうですか……」
見ず知らずの他人に、自分の受胎告知を聞かれて恥ずかしくなってしまったのだろう、真っ赤になって俯いてしまった。
「御使い様、本当にありがとうございました。お陰で主人も助かりました。これ以上望むことはありません」
「いえ、助けられてよかったです。それと、お礼はこちらの治癒魔法師さんにもしてあげてください。旦那さんが命を繋ぎ止められたのは、こちらの治癒魔法師さんが魔法を使い続けてくれたおかげですよ」
「もちろんです。ありがとうございました!」
「いえ、お大事になさってください」
「はい。失礼します」
奥さんはそう言うと、職員に連れ出される旦那さんに付き添って処置室を出て行った。
「ふぅ……ナターシャさんから連絡をもらったときは何事かと思ったよ」
俺はこの場の雰囲気を変えようと、軽い感じでナターシャさんに話を振った。
だが、彼女は悲痛な顔をして落ち込んでいた。
「え? なんで?」
ナターシャさんは、シシリーに異変があってすぐに俺に連絡を入れてくれた。
そのお陰で、患者さんは助かった。
どこに落ち込む要素が?
「私の……私のせいです!!」
「なにが!?」
突然叫んだナターシャさんに驚き、思わず聞き返した。
「聖女様の体調不良に気付かずあちこち連れ回して……聖女様と御子様の身になにかあれば私の……私の命をもってしても償いきれません!!」
ナターシャさんはそう言うと、ワッと泣き出してしまった。
っていうか……。
「すぐに命を投げ出そうとしないでください!」
なんでこう、敬虔な創神教徒ってのは極端なんだ!
「それに、シシリーの体調不良に気付かなかったとしたら、夫である俺が一番責められるべきなんだ。ずっと一緒にいるんだからね」
「御使い様……」
「俺だって、シシリーの体調が思わしくないことは気付いていたけど、大したことないって決めつけてしまった。だから、その点ではお互い様だよ」
「でもぉ……」
これは相当気に病んでるなあ。
仕方がない。
「そこまで気にしているなら、ナターシャさんにお願いを聞いてもらっていいですか?」
「お願い……ですか?」
「ええ。シシリーはこれからしばらく魔法が使えなくなります。そうなるとシシリーはか弱い女性に過ぎない。その間、シシリーを守ってもらえますか?」
俺がそう言うと、ナターシャさんはハッとした顔をしたあと、決意に燃える目をした。
あ、復活したな。
「お任せください!! この命に代えても聖女様と御子様を守り通して御覧に入れます!!」
……もう突っ込まないぞ。
命云々は彼女の口癖なんだろう。
うん、きっとそうだ。
「もう、シン君。ナターシャさんに無茶言って」
「無茶じゃないさ。シシリーが魔法を使えないのは事実だろ? もしシシリーと子供になにかあったらと思うと……」
考えただけでどす黒い感情が湧き上がってくる。
「わ、分かりました! 分かりましたから落ち着いてください!」
シシリーの言葉でようやく落ち着いた。
「さて、とりあえず戻って報告だな。あと、治療院のローテーションも考えなくちゃ」
「そうですね。ところで」
「ん?」
「シン君の方の依頼は大丈夫なんですか?」
……。
やべ、忘れてた。
活動報告にお知らせがあります。