調印と帰路
そして二日後。
悠皇殿の一際豪華な部屋にて調印式が行われた。
クワンロンからは皇帝が、エルスからはアーロン大統領が、アールスハイドからはディスおじさんが参加した。
今朝、ゲートで迎えに行った。
クワンロンからは外交担当の官僚が出てくると思っていたら、なんと皇帝自ら調印するとのこと。
それに慌てた俺たちは、急遽アーロンさんとディスおじさんを迎えに行ったのだ。
予定になかったことを無理矢理ねじ込んだので、調印が終わったらすぐ帰ることになっている。
慌ただしくてごめんよ。
合意文書自体はアーロンさんもディスおじさんもすでに目を通していたので、本当にお互いの文書にサインして握手して終わった。
「観光する暇もないやんか」
調印式が終わって、すぐにゲートを開いた俺にアーロンさんが文句を言ってきた。
「時間が空いたら案内しますから。それより早く帰らないと執務が滞りますよ!」
「いや、無理矢理連れてきたん、シン君やんか……」
「しょうがないだろうアーロン。クワンロン側は皇帝が出席するのに、我々が名代では後々余計な禍根を生むことになるかもしれんのだ」
「そら分かっとりますけど……結構姑息なことすんねんな」
「それも外交だろう。ともかく、これでクワンロンに弱みを見せることなく調印できたのだ」
「それもそうやな。ホナ兄さん、お先に失礼しますわ」
「ああ。お疲れ」
アーロンさんはディスおじさんに言葉をかけると、そのままゲートをくぐって行った。
「……おい」
と思ったら、すぐにゲートから顔を出した。
「ナバル」
「はい?」
「お前、なんで付いてけえへんの?」
「なんでって、そら帰りは飛行艇に乗って帰りますよって」
「なんで?」
「なんでって、帰りは交易品とか積んで帰るんでっせ? 荷物の管理せなあかんでしょ」
「いや、そんなんシン君か誰かの異空間収納使わせてもらったらええやんか」
「そういうわけにはいきませんわ。これから、交易は私らでせなあきませんねんで? ちなみに、私らの中で異空間収納が使える人間はおりません。エルスで異空間収納が使える言うたら魔法兵団にはおりますやろうけど、こんな荷物持ちに使わせてくれなんかよう言いません。つまり、今後も荷物積んで空飛ばなあきませんのですよ?」
アーロンさんに説明を求められたナバルさんが、つらつらと説明をする。
それを聞いたアーロンさんは「ふーん」と口を尖らせた。
「それもそうやな。ほな、気ぃ付けて帰って来いよ」
そう言うと、今度こそゲートの向こうへ消え、俺はゲートを閉じた。
その後、ディスおじさんもアールスハイドに送り届けると、ナバルさんたちエルス使節団の皆さんが「ふぅ」と息を吐いた。
「いや、一緒に帰ってこいって言われたときはどうしようかと思いましたわ」
ホッと安堵したようにナバルさんがそう言う。
「どうしようって、荷物の管理があるから無理なんでしょ?」
「そんなん建前ですやん。荷物の管理とか積んだらどうなるのかの実験なんか帰ってからでもできますわ」
「え? それならなんで……」
なんで一緒に帰らなかったんだ?
そう思っていると、ナバルさんたちは一旦お互い顔を見合わせてから言った。
『そんなん、今日これから宴会があるからに決まってますやん!』
……。
俺は、おもむろに異空間収納から無線通信機を取り出した。
「……アーロンさんに報告を」
「それだけはっ! それだけはご勘弁を!!」
「苦労しましてん! 少しでも有利に条約を結べるように苦労しましてん!!」
「せやからご褒美もろたってエエやないですか!!」
大の大人が……。
それも、国を代表する使節団なので孫までいそうな年代のいいおっさんが、涙ながらに俺に縋り付いてくる。
その悲しすぎる光景に、俺は無線通信機を異空間収納にしまった。
「はあ、分かりましたよ。実際頑張ってくれていたのは事実ですし、アーロンさんには黙っておきます」
俺がそう言うと、おっさんたちは目を輝かせた。
「おおきに! シン君おおきに!!」
「これからウォルフォード君のところは最優先で取引させてもらいますわ!」
「うちもや!」
……宴会に参加するのを見逃しただけでこんなに感謝されるのか……。
エルスの官僚って、そんなにストレスがたまるのだろうか?
こうして俺たちは、悠皇殿をあとにした。
もう、よっぽどのことがない限り、ここには来ないんだろうな。
まあ、ナバルさんたちは今後も来たりするかもしれないけど。
悠皇殿を出た俺たちは、ミン家までの道のりを歩いて向かっている。
シャオリンさんから、帰りはゆっくり帰ってほしいとお願いされていたからだ。
なんでも、今ミン家では送別会の準備を大急ぎでしているとのこと。
それもあるので、俺たちは歩いて帰っている。
「そういえば、初日はあちこちに刺客が隠れてたわね」
マリアがクワンロンに来た初日のことを思い出したのか、周りの建物をキョロキョロ見ながらそう言った。
「今日は、そう言った輩はいないようですな」
そう言ったのはリーファンさんだ。
「お、大分索敵魔法を使いこなせるようになりましたね」
リーファンさんに索敵魔法を教えた俺としては、着実に使いこなせるようになっているリーファンさんの努力が嬉しく思う。
そう思ってリーファンさんを褒めると、照れ臭そうに頭を掻いた。
「いや、まだまだです。皆さんのように息をするように展開することはまだできません。今も、会話を始めた途端に集中が切れてしまった」
「ああ、あたしも最初はそうだったよ。すぐ集中切れちゃうんだよねえ」
リーファンさんの近くを歩いていたアリスが、まるで先輩が後輩を気遣うようにそう言った。
実際、索敵魔法の使用については先輩なんだけど……。
なんだろ、アリスの方が年下だし見た目はさらに幼く見えるからどうにも違和感が拭えないな。
「アリスは今も同じ。よく集中を切らす」
「それは集中力であって、索敵魔法は切らさないよ!」
そう思っていると、いつものようにリンとじゃれあい始めた。
うん、こっちの方がしっくりくるわ。
いつもの光景を皆で笑いながら見ていると、隣を歩いているシャオリンさんが改まって声をかけてきた。
「シン殿には本当にお世話になりました。にも関わらず不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
「まだ気にしてるんですか?」
「気にします。多分、ずっと……」
シャオリンさんがそう言うと、反対側の隣を歩いていたシシリーが俺の腕をキュッと掴んだ。
「シン君もこう言ってるんですから、シャオリンさんも気になさらないで大丈夫ですよ。これからしばらく一緒に働くんですから、ずっと気にしていたら疲れちゃいます」
シシリーはそう言って慈愛に溢れた表情をしているが、これは……。
「……牽制してるわねぇ」
「……牽制してますねえ」
ユーリとオリビアがポツリとそう呟いた。
自惚れるつもりはないけど、俺のことをずっと気にするということは、俺のことをずっと考えていると言っているのと同じだ。
シシリーはそれを敏感に感じ取って、牽制してきたのだろう。
けど、シャオリンさんにそんな意図は……。
「シシリー殿……やはりあなたは天女様です。私なんかに、そんな優しい言葉をかけてくれるなんて」
「ふぇっ!? も、もちろんです! 反省されている方をこれ以上責めることなんてできませんから!」
「天女様……」
シャオリンさんは感激に目を潤ませ、シシリーは俯いた。
「は、恥ずかしいです……」
世間から聖女様と呼ばれ、慈愛の象徴とまで言われているシシリーだけど、実際は普通の女の子だ。
実は……というか結構嫉妬深いし。
けど、それもこれも俺のことを思っての行動だと思うと愛おしさがあふれてくるというもの。
なので恥ずかしがっているシシリーの頭を撫でて慰めていると、それを見たシャオリンさんはますます目を輝かせた。
「美しい光景です……天女様とこんなにお似合いだなんて……シン殿が神使様と言われているのも頷けます」
「神使様ってなんですか!?」
「え? シン殿は向こうでそう呼ばれているんですよね? クワンロンでも神が遣わされた人のことを「神使様」と呼ぶのです亅
聖女=天女と同じってことか。
っていうか、ただ省略しただけじゃね?
「ミン家の皆はもうそのように呼んでいますよ? スイラン姉さまの病気を治し、ミン家を縛っていた悪法を退け、竜の被害を未然に防いだのです。そのような偉業を成し遂げられる方を神使様と呼ばずしてなんと呼ぶのですか!」
言いながら興奮してきたのか、最後は俺を問い詰めるような感じになっていた。
いや、俺、そう呼ばれてる当事者ですから!
その当事者にそんなこと言われても、恥ずかしいですとしか言いようがありませんが!?
「その割には、随分とシンのことを疑っていたようだが?」
シャオリンさんの迫力にシシリーと二人してドン引きしていると、オーグの揶揄うような声が聞こえてきた。
そう言われたシャオリンさんは、先ほどまでの興奮とは打って変わってずーんと落ち込んでしまった。
「……だからこそ悩んでいたのです……分かりますか? ミン家を救ってくれた御方を、神使様と呼ぶにふさわしい御方を疑いの目で見てしまう罪悪感が……」
うわぁ……シャオリンさんの周りだけ、なんか黒い幕がかかったようになってしまった。
落ち込みすぎだろ……。
「……すまない。悪気はなかったのだ」
あまりの落ち込みように、流石のオーグも良心が咎めたのか、素直にシャオリンさんに謝罪した。
シャオリンさんって、真面目すぎて冗談が通じにくいんだよなあ。
これから俺たちと一緒に仕事をするなら、その辺も聞き流せるようになってもらわないと。
それをどうやってシャオリンさんに伝えようかと考えていると、突然ガバッとシャオリンさんが復活した。
「しかし! 今はその憂いも全て解消されました! これからは神使様や天女様のため、身を粉にして働く所存です! どうか、何なりとお申し付けください!」
いや……一応、あなた監視員でもあるから。
クワンロンからの使者がこれで本当に大丈夫か?
そう思った俺は、オーグに近付き耳打ちした。
「おいオーグ、クワンロンからの派遣員、シャオリンさんで本当に大丈夫か?」
「仕方ないだろう。事務処理ができて通訳なしで我らと会話ができるのがシャオリン殿しかおらんのだ」
「……なんか、メッチャ不安なんだけど」
「安心しろ。私もだ」
「安心できる要素が一つもねえよ」
とにかく、シャオリンさんの扱いは十分に注意しないと。
俺ら……というか俺とシシリーのことを盲目的に崇拝し、なんでも言うことを聞く人になってしまいそうだ。
そうなったら、この各国から人員を派遣してくる制度自体問題視されるかもしれない。
「まさか、始まる前から問題が見つかるとはな……」
「まあ、俺ららしいっちゃらしいけどな」
そうやって二人でコソコソ話していると、シャオリンさんが声をかけてきた。
「殿下、シン殿、どうかされましたか?」
「いや、なんでもない」
相変わらず、シレっと嘘をつく奴だ。
「そうですか? なにやら深刻そうな話をされているのかと思いましたが……」
まさか、あなたのことを話して深刻そうな顔をしていましたとは言えない。
なので俺も、オーグに乗っかることにした。
「本当になんでもないんだよ。オーグが奥さんを長く放置しちゃったから、どうしようかって相談受けてたんだ」
「!!」
俺のその言葉に、オーグは驚愕に目を見開いた。
え? おい、お前、まさか……。
「……忘れていた」
オーグは、俺に向かって小さく呟いた。
ってマジか!?
「あの、ゲートで時々会いに行ったり、無線通信機で連絡とかは……」
「! そうか……その手があったか……」
こいつ……完全に仕事モードになってたな。
そのせいでエリーのことをすっかり忘れていたと。
「おい、お前が言い出したんだ、ちゃんとエリーの機嫌を取る方法を考えろ!」
「なんで!?」
「ここでなんの対策も講じていないことが分かると、シャオリン殿が不審がるぞ。それでもいいのか?」
「ぐっ……」
俺は、なんて迂闊な言い訳をしてしまったんだ。
先ほどの発言を後悔しながら、俺はオーグとどうやったら怒っているであろうエリーを鎮めることができるか必死に考えた。
そんな俺たちの後ろで、シャオリンさんがクスクスと笑っている声が聞こえてきた。
「殿下とシン殿は仲がいいのですね」
「はい。二人は親友同士ですからね。殿下の奥様であるエリーさんなんか、お二人の仲の良さに嫉妬してしまうくらいです」
「殿下の奥様というと、王太子妃様ですか? そんな御方が嫉妬?」
「エリーさんは民衆に寄り添う御妃様ですから。なので、すごく人気があるんですよ」
「へえ、そうなんですね」
いや、民衆に寄り添うっていうか、俺らの……主にアリスとリンのせいで世俗に染まってしまったというか……。
それが理由なのかどうなのかは分からないけど、とにかくエリーは喜怒哀楽の表現が結構激しい。
貴族のお嬢様って、感情をあまり表に出さないって聞いたことあるんだけどなあ……。
そんなエリーなので、オーグが連絡も寄越さず放置しているとなると、相当お冠になっていると予想される。
……また変な妄想を暴走させてないといいんだけど……。
「もう、こうなったらデロデロに甘やかすしかないんじゃないか?」
「甘やかす?」
「ああ。帰ったら、エリーが文句を言う前に抱きしめる」
「ふむ」
「そんで、耳元で「会いたかった」って囁く」
「ふむ」
「そんでもう、部屋に連れ込んじまえよ」
「……それでいいのか?」
「……それしかないと思う」
エリーに攻撃の隙を与えてはいけない!
先制攻撃からの追撃で最後まで詰めてしまえ!
と、メッチャ強引な策をオーグに与えた。
まあ、エリーってオーグ相手には結構チョロいから、それでなんとかなると思う。
「それにしても、奥さんの存在を忘れるか?」
「仕方がないだろう。それどころではない案件が立て続けに発生したのだから」
「だからって、無線通信機で連絡くらい入れてれば良かったのに」
「その使い方の発想がなかった」
ああ、そういえば無線通信機は主に業務連絡に使ってるからなあ。
私的に連絡を取り合うっていう文化がまだないのか。
「あ、じゃあ、それをキャッチコピーにすれば?」
「固定通信機のか?」
「そう。元々軍で使われてたのは知れ渡ってるわけだろ? だから最初に固定通信機を購入するのは業務連絡が多い商会とかだと思うんだ。けど、通信機の利点は遠く離れた相手とすぐに繋がれることだ。まだ結婚してない恋人とか、離れて暮らす家族とすぐに連絡が取れるとなると、結構すぐ普及すると思うんだけど、どうかな?」
「ふむ……それはいい案かもしれんな」
「だろ? あ、そうなるとポスターも作りたいな」
「ぽすたー?」
「写真はあるわけじゃん。それを大きく引き伸ばしてさ、キャッチコピーを入れて宣伝するんだよ」
「なるほど……写真にそのような使い道が……」
この世界にも写真はある。
けど、その使い道は家族写真を撮るか、新聞に使われるくらいしか使われていない。
ここでポスターという画期的な宣伝媒体を作れば、広告効果は絶大だと思う。
「なるほど、それも前世の知識か?」
「そういうことになるのかな。前世では当たり前のことだったから」
そんな話をしていると、また後ろから話し声が聞こえてきた。
「いつの間にか仕事の話になっていますが……」
「あれもいつものことです。本当にもう」
シシリーが呆れながら俺たちに近寄ってきた。
「シン君も殿下も、エリーさんのことをないがしろにし過ぎです。私がエリーさんに報告しますよ?」
シシリーがそう言うと、オーグがシシリーに向かって頭を下げた。
「頼む、ウォルフォード夫人。それだけは勘弁してくれ」
おい。
大国の王太子がそんなことで頭を下げていいのか?
「……分かりました。ちゃんとエリーさんのことを考えてあげてくださいね」
「ああ、約束する」
「それじゃあ、送別会の前に、無線通信機でエリーさんに連絡をしてあげてくださいね」
「なっ!?」
「約束ですよ?」
シシリーはそう言ってニッコリ微笑むと、シャオリンさんのもとへと戻って行った。
これで、先制攻撃からの追撃は無理か……。
「……シン、どうすればいい?」
「謝るしかないんじゃね?」
シシリーを……というか、女性陣を敵に回さないためにはそうするしかないだろ。
ちゃんと連絡して怒られて来い。
俺がそう言うと、オーグは諦めたように溜息を吐いた。
「仕方がない、怒られてくるか」
そう言ったオーグは、ミン家に戻り次第一人で部屋に籠った。
扉の前で聞き耳を立てていたアリスとリンの報告によると、扉の外にまで無線通信機から零れるエリーの声が聞こえていたらしい。
ようやくオーグが部屋から出てきたとき、オーグはいつになくグッタリしていた。
自業自得だわ。




