パワハラ、ダメ、ゼッタイ
スイランさんと魔石の仲介について話をしたその日の夜、出された夕飯は宮殿で出されたものと遜色なく素晴らしいものだった。
皇帝が鎮座しているような堅苦しい食事ではないため、皆その豪華な料理を思う存分に堪能していた。
その宴の席にはスイランさんも同席しており、皆と同じようなものは食べられないものの、一緒のテーブルでご飯を食べた。
今までは、自室のベッドでの食事だったので、食堂に姿を見せたことで使用人さんの中には涙を流して喜んでいる人までいた。
よほど慕われてるみたいだね、スイランさん。
楽しい夕食の席ではお酒も振る舞われ、俺たちも頂いた。
西側諸国でよく飲まれているエールやワインなんかとは違い、なんか薬っぽい味がするな。
「それはもち米から作ったお酒です。クワンロンでは一般的に飲まれているものですよ」
皆一口呑んで微妙な顔をしていたからか、シャオリンさんがそう説明してくれた。
もち米か。
紹興酒みたいなもんかな?
やっぱり、この国は中国の文化に近いみたいだ。
位置的にも、アールスハイドのある西側から大分東だし、独自の文化が育ったって感じだ。
ということは、そのさらに東には日本みたいな島国とかもあるんだろうか?
なんか地形的に、西側諸国とクワンロンがある大陸ってユーラシア大陸っぽい感じするし、もしかしたら南側にはまた新たな大陸とかあるんだろうか?
俺たちはいつものペンダントを着けたままお酒を呑んでいたのでほろ酔い程度だったのだが、ナバルさんたちはそのペンダントを着けていると酔えないことに気付き、早々に外してしまっていた。
その結果、今、へべれけになっている。
……招待された家でへべれけになるって、どうなのよ?
さっきのやり取りで、よっぽど心を許しちゃったのかね。
商人仲間として。
スイランさんも、へべれけになっているナバルさんたちに対して、この場で商売上の話などは一切しなかった。
こんだけ酔ってたら、自分に有利な話にどうとでも持っていけるんだけどね。
さすがに、それは人道に反していると分かっているんだろう。
それに、スイランさんも生粋の商人っぽいし、対等な条件で交渉とかしたいんだろうな。
こうして、この日の夕食は楽しく進んでいった。
ただ、気になるのは、このミン家の周辺を取り囲んでいる勢力がいることだ。
それは俺たちだけでなく、護衛の人たちも気付いており、その人たちは一切お酒を呑んでいない。
俺たちも、それが分かっているからペンダントは外さなかった。
酔っぱらって管を巻いているナバルさんたちを見て笑い、時折周囲に索敵魔法を展開して潜んでいる者たちの動向を探り、そしてまた食事に戻る。
そういうサイクルをこなしているうちに食事の時間は終了した。
そして、俺たちも各々の部屋に戻る前に、シャオリンさんから呼び止められた。
「なにやら、時折意識が他に向いていたように見えたのですが……なにかありましたか?」
索敵魔法が使えないシャオリンさんが、そう言ってきた。
「いえ、昼間と同じ輩……かどうかは分かりませんが、この家、囲まれてますよ」
俺がそう言うと、シャオリンさんは驚いて固まってしまった。
スイランさんに催促されるように通訳をすると、スイランさんも固まった。
そして、深い溜め息を吐いた。
『ここまでするなんて……この国は、本当に腐っていますね』
「……この国の方を前にしてこう言うのはなんですが、自分もそう思います」
『まあ、腐っているのはハオなどの一部の高官だけなんですけど……抑えられない時点で皆同罪です』
辛辣だな。
でもまあ、スイランさんもその国からの理不尽を受けている被害者だからな。
自分の国であろうと嫌いになるのも無理はない。
でもまあ、第三者から言われるのは、また違うんだろうけどな。
『ウチの私兵に警戒するように通達しておきます。本当に腹立たしい!』
スイランさんは、本気で怒っていた。
その姿は、今日あったばかりの俺から見てもちょっと怖い。
これが体調万全だったら、どれくらい恐ろしいのだろうか?
スイランさんが、若くして女性の身で組織のトップに立てたのもなんとなく分かるような気がした。
とりあえず、酔い潰れたナバルさんたち使節団の面々を部屋に放り込んだあと、悠皇殿でも使った侵入防止の魔道具を、今度は家全体を覆うように展開した。
とりあえず、これで家に襲撃をされることはなくなる。
それでも一応ミン家の私兵の方には見回りをしておいてもらう。
もし、襲撃を仕掛けてきた際、捕えて犯罪の証拠とするためだ。
まったく、これもハオさ……もうハオでいいや。
ハオの仕業なのかねえ。
ここまでするって、ちょっと狂気を感じるんだけど。
今回のこと、よっぽど焦ってるのかな?
結構なエリートっぽい人だったし、挫折は許せないタイプなのかも。
まあ、そんなこと俺たちには関係ない話だけど。
もし本当に襲撃してきたら、益々こちらに有利な条件になっていくし。
むしろ襲ってきてくれないかな?
そんなことをオーグに言ったら、メッチャ怒られた。
自覚が足りんってさ。
冗談じゃん。
◆
『工作員どもはなにをしていたのだ!』
昨日と同じく、深夜の執務室で、ハオが大声で補佐官を怒鳴りつけていた。
怒鳴りつけられた補佐官は、恐怖で縮こまっている。
『あれだけ多人数で取り囲んでおきながら、誰にも手を出せなかっただと!?』
『はっ! そ、それが……襲撃をかける前にこちらの動きを察知されたらしく……迂闊に手を出せなかったと……』
『はあ!? 奴らはこの国でもトップの裏工作員だろうが! バレるはずがないだろう!!』
『わ、私もそう思うのですが! しかし、現場に出ていた工作員全員の話によると……当てずっぽうではなく、確実にこちらを捕捉していたと……』
『ぐぬぬっ! 役立たずどもめ! お前らがグズグズしているから、ミン家の竜の革を差し押さえることもできなかったではないか!!』
『も、申し訳ございません!』
『こうなったら仕方がない……』
ハオはそう言うと、狂気に顔を歪ませた。
『ミン家には申し訳ないが、家族全員、強盗に遭って死んで頂こう。その際、不幸にも他国の使者が巻き込まれるかもしれんがな』
ハオのその言葉を聞いた補佐官は、すぐに工作員に指令を出した。
ミン家を襲撃し、皆殺しにしろと。
その際、竜の革を持ち出すことを忘れるなとの指示も忘れなかった。
そして指令を出してから数時間後。
補佐官は、またしても顔面蒼白になっていた。
今からこの報告をしなければいけない。
そう思うだけで胃に穴が開きそうだった。
だが、報告しないわけにはいかない。
そう思い、意を決して執務室のドアをノックした。
『入れ』
『し、失礼します』
補佐官が執務室に入るなり、ハオはニヤニヤしながら補佐官の報告を待った。
このとき、ハオの頭にはミン家が皆殺しになり竜の革も全て回収したという報告だけを待っていた。
だが、実際に報告されたのは全く違う内容だった。
『ほ、報告します……ミン家の襲撃は失敗。なんらかの結界が張ってあり、屋敷に侵入することも適わなかったと……』
その報告を聞いた瞬間、ハオは机を思いっきり叩いた。
『私はそんな報告は望んでいない! なぜそんな報告をするのだお前は!!』
『で、ですが事実です! し、しかも……』
『なんだ!? まだなにかあるのか!!』
次に補佐官がした報告は、ハオに途轍もない衝撃を与えた。
『襲撃した工作員の数名が捕獲され……ミン家に連行されたと……』
補佐官がそう言ったとたん、ハオは机の上にあった文鎮を補佐官に思い切り投げつけた。
その文鎮は、ハオがそんな行動を取るとは予想もしていなかった補佐官の頭に思い切り当たり、出血するほどの傷をつけた。
だがハオは、そんな補佐官の様子など一切気遣う様子もなくがなり立てた。
『捕らえられた!? 捕らえられただと!? お前、それがどういう意味か分かっているのか!!』
『……』
補佐官はそう言われたが、頭を押さえて一切なにも口を開かなかった。
ハオはそれを、痛みに耐えているだけだと思っていた。
なので続けて罵声を浴びせた。
『捕らえられた工作員が口を割るかもしれないではないか! 分かっているのか!? 奴らが口を割れば面倒なことになるんだぞ!!』
例え工作員が口を割ったとしても、知らぬ存ぜぬを貫き通せばその辺りは誤魔化せる。
ただ、それと面倒ごとは別だ。
その面倒ごとを回避したいハオは、補佐官に向かって叫んだのだが……。
『……』
ハオの叫びを聞いても、補佐官はなにも言わなかった。
いつまでも痛そうに蹲っている補佐官の様子を見たハオは苛立ち、さらに言い放った。
『もういい! いいか? 明日までにミン家に行って、その工作員どもを引き取ってこい! 犯罪の証人だと言って警吏の人間に必ず引き渡させろ! いいな!! 行け!』
ハオはそう言って、補佐官を執務室から追い出した。
補佐官は執務室を出る際に、小さく頭を下げたが、一切言葉は発しなかった。
そして、痛む頭を抑えながら廊下を歩く。
その表情には、先程までの怯えた様子はなく、怒りが満ち溢れていた。
◆
ミン家滞在二日目。
翌朝起きてからマジで驚いた。
夜中に襲撃があったらしい。
侵入防止の魔道具が効いて敷地内には一切入れなかったそうで、結界の前で右往左往している襲撃者をミン家の私兵たちが捕らえたらしい。
自害されたら困るので、裸にひん剥いてぐるぐる巻きに縛り、猿轡をして留置しているそうだ。
「マジで……狂気を感じるな……」
「ここまで来るとな……シン、悪いが前に使ったアレ、貸してくれないか?」
「アレ?」
「例の……三国会談のときに、イースの暴徒に使ったアレだ」
「ああ、アレね」
三国会談の際、シシリーを奪いに来たイースの暴徒に、自白強要の魔道具を使ったことがある。
あの時は怒りで一杯で、精神を支配する魔道具だと言うのに、躊躇なく使った記憶がある。
そのお陰でフラーの悪行が明らかになり、シシリーを守ることができたのだが、やはり精神を支配する魔法や魔道具は怖い。
なのであの魔道具は封印していたのだが、今回はさすがにそんなこと言っていられない。
俺たちだけでなく、ミン家の人たちも巻き込んだのだ。
なので俺は、オーグに自白強要の魔道具を貸し出した。
それを持ったオーグは、怖い顔をしながら襲撃者たちの留置されている場所へと向かって行った。
俺たちには着いてくるなと言い、護衛の人たちだけを伴って。
ちなみにナバルさんたちは、二日酔いでダウンしていた。
ナバルさん……。
暫くして、オーグが護衛を伴って応接室に姿を現した。
そのころにはシシリーの治癒魔法の効果もあり、ナバルさんたちも復活していた。
そして俺たちに、尋問の結果を教えてくれた。
「この魔道具はさすがだな、簡単に口を割ったぞ」
「まあ……無理矢理それを強要するものだからな……」
「は? 魔王さん、そんなもん持っとったんですか?」
「緊急用ですよ。こんなケースでない限り使いません」
「そうでっか……」
本当のことをペラペラ話す魔道具だからな、ナバルさんとしては気になるところだろうな。
商売上、相手の本音が分からないのが普通なので、それが分かったらいくらでも有利に商談を進められるだろうし。
でも、この魔道具はそういうことには絶対に貸し出さない。
あくまでこういう犯罪の尋問に使うだけだ。
それも、拷問をしてまで情報を吐き出させたい場合に限る。
それを考えると、拷問しない分これを使った方がいいのかもしれないな。
「結果を報告するぞ。アイツらの正体はクワンロンの工作員。命令の内容はミン家、及び我々使節団を皆殺しにすること、加えてミン家に所蔵されている竜の革を根こそぎ奪うことだそうだ」
その報告を聞いて、同席していたシャオリンさん、スイランさんたちミン家一同は顔を青ざめさせた。
そして、オーグの次の言葉で、その顔色を青から赤に変えた。
「首謀者は、ハオ、だそうだ」
その言葉を聞いた瞬間、昨日まで病気で臥せっていたはずのスイランさんが、俺たちには分からない言葉で怒りをぶちまけた。
さすがにシャオリンさんも、その言葉を通訳してくれはしなかった。
よっぽど口汚く罵ったんだろう。
言葉は分からなくても、その内容はなんとなく察しが付いた。
「それで、これからどうする? アイツらを証人として突き出すか?」
『いえ、そうしたところでハオは絶対に認めないでしょう。それどころか、その工作員を始末しにくるかもしれません』
今までの所業を考えると、ハオならそれくらいやりそうだな。
とするとどうしよう。
ハオが俺たちやミン家を狙っているのが確定となったことはいいけど、ハオは絶対に認めないだろうから普通に強盗未遂犯として警察に突き出すか?
そう提案したのだが、それはスイランさんに却下された。
『ハオは警吏にも影響力があります。引き渡しても留置場内で殺されて終わりですよ』
本当に悪党だな、アイツ。
そしたらどうしようか?
『ひとまず自死しないように管理しましょう。そして、ここぞのタイミングでハオに突き付けてやりましょう。例え認めなくても、奴が不利になるような状況でね……』
そう言って笑うスイランさんは、メッチャ怖かった。
病気で痩せているから、尚更怖さ倍増だった。
この人は、敵に回さないようにしないと……。
結局その日は、襲撃してきた工作員を奪い返しにくるかもしれないと、昨日にも増して警戒をしていたのだけど、結局この日は誰も来なかった。
それどころか、昨日までウザいくらいにミン家を取り囲んでいた気配も、すっかりなくなっていた。
「どういうことだ?」
昨日一日で、計三回もちょっかいを出してきたのに、自分の不利になるかもしれない証人がいるにも関わらず、今日の襲撃はゼロ。
監視もゼロ。
昨日とのあまりの落差に逆に不審に思った。
それはオーグも同じようで、困惑した様子だった。
「さっぱり分からんな。てっきりスイラン殿の言う通り襲撃をしかけてくると踏んでいたのだが……」
結局この日だけでなく、次の日も襲撃はなかった。
お陰でその日の間に、魔石の取引に関する様々な取り決めを行うことができた。
もちろん、決めたのはスイランさんと、オーグ、ナバルさんたちだけどね。
スイランさんからすれば、今まで薄利多売でやってきた商品が、急に高級品に化けたのだから、商談の最中は常にニコニコしていた。
機嫌がいいので体調もいいらしく、スイランさんはどんどん回復していった。
シシリーはスイランさんに付きっ切りで治癒魔法をかけ続けている。
ずっと一緒にいるので随分と仲良くなったようで、シルバーのご機嫌伺いの際にはミン家まで連れてきて、スイランさんに見せていた。
一度子供が流れてしまったスイランさんは、シルバーの可愛さにやられ、ユンハさんにもう一度子供が欲しいとねだり、ユンハさんを赤くさせる場面などもあった。
こうして俺たちは、予想外に穏やかな日々を過ごしていた。
◆
『おい! アイツは! 補佐官はどうした!?』
すっかり煤けたハオが補佐官を呼ぶが、姿を現さない。
先日、理不尽な怒りを受けた補佐官は、ハオの命令を無視。
仕事をサボタージュして一切の命令を遂行しなかった。
報告も、一切しなかった。
その結果、ハオにはなんの情報も入らなくなった。
『おのれ……この私を虚仮にしおって……どのような報いがあるか、覚えていろ!』
ハオは、本人以外誰もいない執務室で、補佐官に対してどのような報復をするか、それだけを考えていた。
執務室の外では、それどころではない事態が発生していたのに。
それすら、ハオは知る由もなかった。
◆
前回の交渉から三日目。
結局、工作員を始末しにくる動きは全くなし。
完全な肩透かしを食らった形だが、面倒がないならそれに越したことはない。
そう思うことにして、いよいよ二回目の交易交渉に挑むことになった。
今日はミン家が馬車を用意してくれたので、それに乗り悠皇殿へ出向く。
歩きだと、それなりに遠いしな。
そんな、交渉に出かける準備をしていたときだった。
血相を変えた使用人さんが、俺たちの集まっていた応接室に飛び込んできた。
「ど、どうしたんですか!?」
俺がそう聞くと、使用人さんは、とんでもないことを口にした。
『りゅ、竜が! 竜が大量発生して、付近の村を襲い始めたそうです! な、中には、魔物化した竜の姿を見たとの報告も!!』
それは、俺たちがずっと懸念していたことだった。