初フライト
165話を一部修正しています。
浮遊魔法を起動させた飛行艇は、ゆっくりと上昇していった。
やがてその高さは周囲を覆っていた敷居の高さを越え、エルスの首都にいる人たちの目に晒された。
分厚いガラスがはめ込まれた窓から、市民たちの驚愕した顔が見える。
ポカンとしている人、慌てふためいている人、色々だ。
飛行艇はそのまま上昇を続け、やがてそんな人たちもゴマ粒くらいの大きさになったとき、今度は車で言うサイドブレーキの位置にあるレバーに魔力を流した。
すると、翼に取り付けられている魔道具から空気が噴射され、飛行艇は前進し始めた。
「お、おお! こりゃ凄い! 山があんな下に見えるわ!」
アーロンさんは、窓から眼下を見下ろし大興奮している。
エルスのお偉いさん方は驚きのあまり声も出ない様子なのにな。
そして、我らがアルティメット・マジシャンズの面々はというと……。
「へえ、風の抵抗がないのは快適でいいわね」
「そうねぇ。服の付与で軽減されてても、風をずっと浴び続けるのはしんどいもんねぇ」
と、マリアとユーリが生身で飛ぶのとは違い快適であると言うと、他の女性陣も賛同していた。
それを聞いていたマークが反論する。
「いやいや、なに言ってんスかマリアさん、ユーリさん。風を感じるからいいんじゃないッスか」
そのマークの主張に、今度は男性陣が賛同。
なんか、しょうもないことで争いが起きていた。
「ちょっと、後ろで揉めんなよな」
今は操縦に集中しているので、前を見ながらそう言うと、マリアがすぐに噛みついてきた。
「だって! 移動するなら快適な方がいいに決まってるじゃない!」
それはまあそうだろうけど、生身で空を飛ぶのも、飛行艇で空を飛ぶのも、どちらも魅力があるんだから討論する必要なんてないだろうに。
ここにはエルスのお偉いさんもいるというのに、チームの皆さんはしょうもない議論を繰り広げております。
ったく、どうしようかなと思っていると、シルバーを抱いたシシリーが操縦席にきた。
「ぱあぱ」
「ん? どうした?」
シシリーの腕の中から俺に向かってシルバーが手を伸ばすが、今は操縦しているため顔を向けて返事するだけにする。
するとシシリーが困り顔になった。
「皆さんが言い争いを始めたらシルバーが怖がってしまって……パパの側にいれば大丈夫かなって」
そう言われてシルバーを見ると、キョトンとした顔で俺を見ていた。
「あ、やっぱり。パパと一緒にいると落ち着きましたね」
シシリーはそう言うと柔らかく微笑んだ。
あー、なんていうか、いいなこれ。
夫婦って感じがする。
気を良くした俺は、操縦桿と推進用レバーから手を放しシルバーを受け取り俺の膝の上に座らせた。
ちなみに、操縦桿から手を放すと浮遊魔法は切れてしまうが、すでにある程度の推進力が得られているので、急激に落下したりはしない。
俺の膝の上に座ったシルバーは、フロントガラス越しに迫ってくる景色を見ていた。
「おー」
「シルバー、ここちょっと持ってごらん」
「あい!」
俺はシルバーの手を誘導し、操縦桿を握らせた。
「あ、シシリー、そこの席に座ってベルト締めて」
「え? あ、はい」
そして、ニコニコと俺とシルバーのやり取りを見ていたシシリーに、空いている席に座らせ一応備え付けてあるシートベルトを締めさせた。
そして……。
「シルバー、これ、グインってまわしてみな」
「う? ぐいん!」
俺とシルバーは、操縦桿を右に思いっきり回した。
すると飛行艇は、右に九十度倒れた。
『おわああっ!!』
後ろで皆がひっくり返ったのだろう。
大勢の叫び声が聞こえた。
「いい加減に言い争いは止めろよな。シルバーが怖がるだろうが」
「いやいや! 今の方が怖がるよね!?」
アリスがそう叫ぶので俺は膝の上のシルバーを見た。
「しゅごー! ぱぱ、ぐいん! しゅごー!」
うん、いたくご満悦のようだ。
「怖がってないけど?」
「なんで!?」
なんでって、シルバーが自分で操縦桿操作したしな。俺の補助付きだけど。
自分が操作したことで飛行艇が動いたことが嬉しかったんだろうな。
「うー、うー」
俺の手の下で、今も必死に操縦桿を動かそうともがいてる。
そうだな……。
「とりあえず、操作性のテストもしとくか。皆、揺れるから何かに掴まるか、椅子に座ってベルト締めて」
「シン君、シルバーに甘すぎない!?」
「そうなんですよね。パパったらシルバーが喜ぶことなんでもしちゃって」
アリスの叫びに、シシリーが困ったように返事をした。
あれ?
なんか、夫が子供を甘やかして困る奥さんみたいになってる。
……あ、そのままか。
「えー? そんなことないよ。シルバーが楽しそうにしてることをしてるだけだって」
「それって、甘やかしてるって言うんじゃないの?」
「そうなんだよマリア。この間も、お空の散歩だって言って……」
と、シシリーが暴露したことにばあちゃんが食いついた。
「シン! アンタ、そんなことしてたのかい!?」
「え? やっちゃ駄目だった?」
「当たり前さね! もし落としたらどうするんだい!!」
「大丈夫だって。ちゃんとベルトで括りつけてるから」
「そういう問題じゃないんだよまったく!」
そうなの?
前世でいう抱っこ紐みたいなものを作って、俺とシルバーをガッチリ固定してるから全然問題ないのに。
それに、シルバーはこうして空を飛ぶことがとても好きみたいなんだ。
今もジッとフロントガラスから目を離さないし。
「はあ……シルバーが動じていないのはお前のせいだったか」
「なんというか……シルバー君、凄い子に育ちそうですね……」
オーグとオリビアがそんなことを言っている。
オリビアももうすぐマークと結婚するし、子供のことに興味があるんだろうか?
そんなことを考えていると、シルバーが切なげな眼で俺を見上げていた。
「ぱぱー……」
おっと、操縦桿が一向に動かないもんだから痺れを切らしたな。
しょうがないな。
「それじゃあ、旋回性のテストするから、掴まって」
俺は後ろの皆にそう言うと、シルバーに話しかけた。
「じゃあシルバー、さっきと違ってちょっとだけ動かすよ」
「う?」
「いくよ」
「あい!」
最初の言葉には首を傾げたシルバーだったが、俺の合図にはしっかりと返事した。
やべ、可愛い。
「はあ、可愛い……」
隣でシシリーもシルバーの可愛さにやられてる。
「似た者夫婦……」
後ろでリンの声が聞こえるけど、シルバーの可愛さの前じゃ皆こうなるだろ?
そう思いながら、操縦桿を少し左に回す。
すると翼のフラップが動き、飛行艇は左に傾き旋回した。
「うん。ちゃんと動作してるね。じゃあ、今度は反対だ」
「あい!」
今度は操縦桿を右に回すと、飛行艇も右に旋回した。
「問題ないね。後は強度の問題だけど、それはある程度距離を飛ばないと分からないな」
「それならシン。アールスハイドまで飛んではどうだ」
「そうだな。それじゃあそうしようか」
こうして、アールスハイドまで試験航行をすることにした。
途中、旧魔人領の上空を飛んだとき、復興中の街が見えた。
小さすぎて詳細までは見えなかったけど、徐々に復興してきているらしい。
新しく移住したいという希望者も多いみたいだし、なんかちゃんと前に進んでるなっていう感じがする。
そして、やがて飛行艇は旧魔都上空に差し掛かった。
ここは、まだ手付かずのままだ。
俺たちがシュトロームと最後に戦った帝城が半壊したまま残っている。
その片隅には……シルバーの本当の母親であるミリアを埋葬した墓がある。
父親であるシュトロームは消滅したので遺体は残っていない。
俺は複雑な気持ちでシルバーを見た。
当然そんなことは覚えていないシルバーは、魔都にも帝城にも興味を示さず、長時間のフライトに飽きてきたのかウトウトしていた。
それが、なんとなく悲しかった。
「シン君、シルバー預かりますね」
「え? あ、ああ」
複雑な心境でシルバーを見ていたら、シシリーが声をかけてきた。
寝落ちしそうなシルバーをシシリーが抱きかかえた。
そして、ギュッと抱きしめた。
「……まま」
「はい……ママはここにいますよ」
「うにゅ……」
シルバーはそう言ったあと、完全に眠りに落ちた。
眠るシルバーを見るシシリーの表情は、俺と同じように複雑な表情をしていた。
「シン君……」
「ん?」
「いつか……シルバーには本当のことを話しますか?」
「……」
本当のこと。
それは、シルバーの両親が人類の敵となった魔人であったこと。
それを……伝える?
「……いや、やめておこう。シルバーには世間で流れている話の方を話すよ」
「そう……ですよね」
そう言ったきり、シシリーは黙り込んでしまった。
本当の両親のことを、俺たちは知っている。
だけど、それを話してしまうとシルバーが苦しむことが目に見えている。
そんなことだけはしたくない。
それはシシリーも同じだと思う。
だけど……。
「せめて、ミリアの墓参りだけでもさせてやりたいな……」
俺がそう言うと、シシリーはハッとした顔をした。
「そうですね。せめてそれだけは……」
幸いと言っていいのか、旧魔都がある場所はアールスハイドの分割地となっている。
これは、オーグ……いやディスおじさんと相談するべきかな。
旧魔人領を抜け、アールスハイド王都上空に差し掛かったとき、俺はそんなことを考えていた。