一章[始]
震える手から、スライドが下がりきったハンドガンが滑り落ちる。
メタルシルバーとブラックに塗られた、美しさすら感じさせる凶器は、真っ黒な血溜まりに沈む。
肘と肩がじんわりと痛む。指先が震える。痛い、痛い、
遺体。僕の前の遺体。僕が作った、遺体。
なにも考えられない。頭はぼーっとして、気づけばまたハンドガンを拾っていた。
重い。金属製で冷たく、生暖かく濡れたそれを、自分の顎の下に当てる。
感情はなかった。本能的に、そうした。
不自然な体制でトリガーを引く。
撃ち尽くした弾倉から、弾は出なかった。
教会。
厳かな雰囲気と、ステンドグラスから漏れる月明かりが僕を包む。パイプオルガンは沈黙して、人の姿はない。夜中の2時だから、当たり前だけど。
ここは普段、キリスト教カトリックの教徒さん達がお祈りをしたり、聖歌隊が歌ったり、たまに結婚式が開かれる場所で…僕みたいな一般人にはなじみがない場所でもある。
じゃあこんな夜中になにをしにきたのかと言えば、懺悔をしにきたのだった。
僕…戸松 季和は、罪を犯した。
最低で最悪で、非道で邪悪な罪。
到底、許されることじゃない。いや、許される筈がない。
でも、神様くらいには許してもらわないと…僕の気が保てない。
だからこうして僕は、十字架の前に跪き手を胸の前で組んでいるんだ。
「神様、どうかお許しください…僕は、最低な罪を犯してしまいました。…彼女には許されないでしょうが、自己満足の為に懺悔します」
僕は息を吸ってから続ける。
「僕は彼女を、傷つけてしまいました。……僕は彼女に、告白してしまいました」
〓
…僕の罪は、告白したこと。
真実を言ったこと。
嘘をつかなかったこと。
昔から嘘をつくのが下手な僕は、嘘をつくことは悪いことだと盲信していた僕は、嘘を言わずに彼女を傷つけた。
最低だ、最悪だ、僕はとんだ馬鹿だ。
救いようがない。
僕の懺悔は、神様に届いたのだろうか?
目を瞑って、頭を下げる。仄かな静寂が質量を持ったかのようにのしかかる。…と、
微かに浮遊感。
「……ん、あ、れ?」
戸惑いながら目を開けると、立ち膝だった体制のまま数センチ浮いていた。
「え……」
呆然としていると、次は全方位からの圧迫感。
「ぐぇっ……ガッ!」
痛い!
全身を隈無くプレスされている。上下左右前後斜め全部。
体が締め付けられ、骨は悲鳴を上げ、内臓が潰れそうだ。
目玉がコロッと落ちそうwww。
……ダメだ僕、冷静になれ。
というか、どういう状況だ?なんで浮かんだ状態で体を圧迫されてる?
…天誅?
涎が零れ、悲鳴も上がらない。神の裁きは結構えげつない。
絞め殺すのか。痛めつけてからゆっくり殺すのか。
「…ぁ……ぅだっ…がぁあ…あ…」
こうして僕の意識は途切れた。
こうして僕の日常は変わった。
目を覚ますと全裸だった。
全裸で寝そべってた。
「おぉお!?」
僕、未だにちゃんとした台詞を喋れてない…のはいいとして、
……ここは、どこだ?
薄暗い、街灯もマトモについていない。アスファルトは荒く、ゴツゴツしている(肌に刺さって痛い)し、日本だとは思えないような建物ばかりだ。どっちかと言えばアメリカのストリートっぽい感じ?
あまりいい印象はない。治安が悪そうな街並みだ。
天国ではなさそうだし、地獄のイメージでもない。
手首を触る。脈アリ。
胸に手を当てる、鼓動アリ。
どうやら生きてる、らしい。
…生きてるならこれは生き恥曝しだ。ストリップですよこれ。僕にそんな趣味はない。
ヤバいヤバいと焦ってあたりを見回すと、目の前、僕の一メートル前に見つけた。
それを引き寄せて、品定め。
まず、布。
…いや、ただの布。ボロボロで所々穴があいている。加工も何もない。
〓
…ん?なんか微妙にいい匂いがするな…。
次、拳銃。
…拳銃!?
恐る恐る近づいて、その拳銃の持つ場所…たしかグリップを握る。
重い。最初に感じたのはそんなことだ。市販されてるエアガンなんて比べ物にならないくらい。そして、それが本物だという証明になってしまう。
弾倉を取り出して確認する。やっぱり、BB弾ではなく実弾っぽい。
…唾を飲み下し、そのハンドガンを凝視する。
黒と銀に色分けされたその姿はスマートでクール。形は一般的なハンドガンのそれだ。イッツスタンダード。
口径とか、この銃の名称とか、そういうことは一切わからない。僕の銃の知識といえば、せいぜいゲームや映画で見た程度だし。
…でも、だからこそ僕は、撃ちたくなった。
震える指先は、すでに引き金にかかっている。
当たりに誰もいないのを確認して、適当な壁に銃口を向ける。
「…はっ、はっ…はっ…」
ドキドキする。息が詰まる。目は笑ってるけど僕の道徳が顰めっ面で「止めろ」と煩い。
一発、一発だけ…。
その一発が、全てを変えるとも知らず。その時の僕は…引き金を引いた。
…カチリ。
「……あ?」
カチリ。カチリ。
「あれ、あれ?」
いくら引き金を引いても、弾は発射されずに不愉快な音しか出ない。
…不良品?
…あっ、安全装置だ!
昔お祭りのくじで貰ったエアガンにもついていた。この銃にもやっぱりついている。
カチッと、今度は小気味良い音を立てて安全装置、セーフティーが下ろされる。
後は、引き金を引くだけ。なんだか肩透かしを食らった気がするけど、次こそは撃てる。
ワキワキしながら再度、同じ壁に銃口を向け、トリガーに指を掛け『ダンッ!!』「ひゃぁぁあ!?」
ゆ、指が触れただけで弾が出た!
こ、腰抜かした!肩がビリビリしてる!うわー!
鼓膜も破れそうだ。そのくらい音は大きかった。
口を開けてぼーぜんと、煙立つ銃口を見る。空薬莢を見る。本物だ。
壁に向けてからトリガーに触っていてよかった。もし不用意に弄って自分に当たったら、笑い事じゃすまない。
「…あ、壁」
自分の一番初めのマトモなセリフが…あ、壁、だったことに落胆しつつ、壁を見る。
〓
レンガ造りの壁は、命中したところが凹んでいた。その下には潰れた弾丸が転がっている。
火薬の匂いが鼻を突く。
…前触れはなかったけど、自分が裸だったことに気がついた。全裸で拳銃を撃つ少年とは、二重で犯罪だ。
あ、犯罪だ。魔が差した。
意外と楽観的な僕は、黒くて微かに花の匂いのするぼろ布で体を隠した。まぁアウトだけど、ないよりいい。
今の僕の状態を整理しよう。
衣服は布、右手に銃。
多分アメリカに、いつの間にかいた。
「…どうなってる?」
そう呟いた僕の視界の端で、
血飛沫が舞った。
〓《撃》
タン、という軽い音よりも、体に穴が開き血が地面に落ちる音の方が大きく聞こえた。
僕の目の前の狭い通路、家と家の隙間から、それは倒れ出てきた。
暗い色の服に、ヘルメット。右手には…マシンガン。
男の人間【だったモノ】は、胸のあたりから血を流して●んだ。
声すら出なかった。
人が●んだ。
シンデル。
信じられない。理解できない。どうして?なんで?
なんで、死んでる?
「大丈夫?」
そのとき彼女が僕の右手を掴んでいなかったら、僕は確実に彼女を撃っていた。
それでも僕は突然の出来事に反射的に驚き、パニックになった。
「は、離して!やめてよ!あ、あの人が!死んでる、死んでる!!」
「落ち着いて!大丈夫だから、」
布越しの鳩尾に、何かの感触。硬質のそれを押し当てられて、
「…落ち着いて」
と低い声で言われれば、頭は冷める。
お腹に当てられたそれは、ハンドガンだ。僕の右手にある銃と似た形をしている。
左手に僕の右手を握って、右手のハンドガンを僕の鳩尾に当てている少女は、冷たく静かな声で言う。
「こんばんは…私はヒタナギ・雨里。【裏華穿】のメンバー。あなたは?」
「ぼ、僕は、戸松 季和。ねぇ、ここどこ?なんで死んでるのあの人は?僕は、大丈夫なの!?」
「落ち着いて、取り乱さないで、騒がないで」
ハンドガンが押し付けられる力が強くなる。
僕は焦りと恐怖を綯い交ぜにして、尚も詰め寄る。
「あ、あの人…救急車…」
「…きゅーきゅーしゃ?」
「そう!…携帯は?」
「けーたい?」
「携帯電話だよ!」
「…なに、それ?」
「…え?」
薄暗い街頭じゃ顔もまともに見えないが、ヒタナギさんの声音は冗談を言ってる風じゃない。
本当に知らないのだ。
「…あの人は死んでるわ」
ヒタナギさんは、なんでもないように言い放つ。僕は呼吸が止まった。
そんな、本当に、死んでる…。
「な、なんで…」
「なんで…って、私が撃ったから。これで」
「……っ」
僕の鳩尾に密着している銃が…殺した?
じゃあ、ヒタナギさんは……人殺し。
〓
体は、衝動的に動いていた。
鳩尾のハンドガンを左手で払い、固定された右手を払いのける。
ヒタナギさんの顔に驚きが…、それを確認する間もなく僕は右手の銃を、
「アガッ…」
彼女の口に入れた。小さな口に銃口は収まらないから、横倒しにして滑り入れる。奥まで入れすぎた所為か、「おえっ…げっ、かっ…」と喘いで涙目になった。
しかし、それも一瞬のこと。
僕が安全装置を外そうと親指を上げた途端に、ヒタナギさんも動き出していた。
背中にあるそれを体の前に持ってきて、僕の無防備な横っ腹を殴ったのだ。
思わぬ衝撃に、僕はうずくまる。痛みには馴れていない。
「…けほっ、かふっ…よくも…やっぱり【新夜凪】の奴なの?助けた私の失敗ね…これが恋だと思ったのに」
「な…オグッ…なに、言ってるの…?人殺しめ…」
「人殺し?」
細長いシルエットが蠢く。金属製の部分が街頭の光を反射して黒々とした光沢を見せる。
あれは…ライフル、狙撃銃!?
そのライフルの銃口は、確実に僕を狙っている…距離、五センチ。
「“人殺し”は、あなた達でしょ?」
銃口から覗く闇より深い、深淵の“黒”…怨念すら感じる黒の光が、彼女の瞳の奥底にはあった。
その光と、僕の視線がぶつかる。
途端、吐き気と恐怖が背中から這い上がってくる。血の匂いが、これほどまでに気持ち悪い。
鉄と硝煙の匂いだ。
「…死ね」
弾丸より強く言い放つヒタナギさんの言葉に反応して、僕は恐怖で竦む体を無理やり右に倒した。
音はほとんどしなかった。ただ、地面を抉る甲高い響きだけが僕の耳に届いた。
「…外した」
彼女が驚きの声を漏らし、一瞬のスキを生んだ。
チャンス。僕は彼女のライフルに蹴りを入れる。
「あっ…!?」
ライフルは数秒飛んで、彼女の手から離れた。
ヒタナギさんに焦りの表情が走る。
それを確認して僕は、
「…なっ!?」
…逃げた。
戦略的撤退だ。僕は、どことも知れない裏路地に迷い込んだ。
裸足で走り回る。今は靴を探してる場合じゃない…一刻も早く、できるだけ遠く、彼女から離れなければ…。
〓
男の目に、驚愕の色がチラつく。
本能が、人差し指を操った。
無意識に、標準を合わせた。
頭が真っ白に、視界は真っ赤に。
一発。
男の体が跳ねる。反動が肩に来る。
二発。
心臓を貫く。
三発、四発、五発。
血を吐く。呻く。崩れ落ちる。
六発、七発。
頭が破裂し、脳漿が散らばり、血の池がどんどん広がって、僕の足を濡らした。
空薬莢が赤く染まる。
そして…、
震える手から、スライドが下がりきったハンドガンが滑り落ちる。
メタルシルバーとブラックに塗られた、美しさすら感じさせる凶器は、真っ黒な血溜まりに沈む。
肘と肩がじんわりと痛む。指先が震える。痛い、痛い、
遺体。僕の前の遺体。僕が作った、遺体。
なにも考えられない。頭はぼーっとして、気づけばまたハンドガンを拾っていた。
重い。金属製で冷たく、生暖かく濡れたそれを、自分の顎の下に当てる。
感情はなかった。本能的に、そうした。
不自然な体制でトリガーを引く。
撃ち尽くした弾倉から、弾は出なかった。




