休日出勤の代償【カイル=ヒューズ】
キャラクター紹介小説ヒューズ編です。
※騎士の休日編までのネタバレ含みます
【午前3時45分】
目を開けると、そこに広がっていたのはガリレオ騎士団内にある、仮眠室の天井だった。
もう5日ほど家には帰っていない事を思い出しながら、硬いベッドに悲鳴を上げる背骨を伸ばす。
シャワーは浴びれるが、そろそろロッカーに置いてあるシャツのストックも切れかけている。
今日こそは帰りたいと願いつつベッドから抜け出せば、既に東の空に色づき始めていた…。
【午前3時50分】
俺が隊長を務めるガリレオ騎士団第5小隊の隊室に戻ると、昨日逮捕した麻薬の密売人が、アジトの場所をまだ割らないとの報告を受ける。
せっかく今日は非番なのに、これではまた家に帰れない。
さすがに部下達も疲れ切っているので、仕方なく秘密兵器を投入することを決意する。
と言っても俺である。
ただしいつもの姿ではなく、俺のもう一つの姿で取調室に入り、オーバーな動きで机を粉砕したところ、犯人が泣きながらアジトの場所を吐いた。
【午前4時】
隊室に戻ると部下にも悲鳴を上げられた。
皆俺の正体を知っているが、やはり竜を思わせる翼や角を有する姿は気味が悪いのだろう……とこっそり凹んでいたら、問題は机を粉砕したときに酷く裂けた右腕だった。
よく見ると血が大量に出ている。
よってたかって救護室に行けと叫ばれたので、仕方なく元の姿に戻り部屋を出る。
【午前4時5分】
最悪なことに、今晩の当直は白衣の天使を自称する男、アレッシオであった。
腕だけで良いのに体中まさぐられ、セクシーだの何だの良いながら顎髭にキスまでされた。死にたい。
【午前4時15分】
変な薬をもられそうになったので、ガーゼと包帯を奪って逃げる。
隊室に戻ると、アジトへの突入は、この件を一緒に捜査していた第7小隊が行うことになったとの報告があった。
手柄はあちらの物になるがと前置きされたが、犯人が検挙できるならそれだけで十分だ。
それに部下達もみな家に帰れていないので、手柄よりも休息を取ることのほうが重要だろう。
【午前4時20分】
今日はゆっくり休めると喜ぶ部下達と共に騎士団を出る。
久しぶりの非番だ。今日こそはあの女の我が儘で睡眠を妨害されないことを祈る。
【午前4時40分】
帰宅すると留守電が入っていた。
嫌な予感を覚えて再生すると、案の定俺の同期兼雇用主のレナスからの物である。
残されていたのは、酷く酒をのんだから明日は起こしに来いという勝手な伝言だった。
非番の意味がないじゃないかと思いながらベッドに倒れ込んだ直後、意識がとんだ。
【午前7時半】
さめなくていいのに目がさめてしまった。夢の中でレナスに殴られる夢を見た所為だ。
それも出会った当初の、幼い彼女に殴られる夢だ。
思えばもう、16年もあいつの面倒に振りまわされている。
初めは護衛役とその対象として出会い、今や完全に奴の下僕である。
【午前7時35分】
風呂にも入らずに寝てしまったのでシャワーを浴びる。
何気なく腕を見ると、怪我をした腕にはもう傷ひとつ残っていなかった。
短時間とはいえ熟睡できたおかげで、ただでさえ高い治癒能力が活性化したようだ。
【午前7時40分】
シャワーを終え、寝室にあるクローゼットの鍵を開ける。
昨日着ていた制服をしまい、変わりに予備の物を出したが、ズボンもシャツも上着も、アイロンをかける暇がなかったので皺になっている。とはいえこれしかないので、着るしかない。
ボタンやベルトをしっかり止めてしまうと目立つが、カチッとした着方はしないので少しはマシだろう。
レナスにはだらしがないと言われるが、上着はいつも手で持つか肩に羽織るだけだし、シャツも二の腕までめくり上げ、胸元のボタンは冬場でも締めない。
ちなみにこれはファッションとかではない。俺の中に眠る獣の血がそもそも服を好まないのだ。
俺の中には竜族や獣人と言った特異な人種の血が多く入っているため、特に血が濃い種族の特性は、人の姿の時にも現れてしまう。
故に夏場は地獄だ。なにせ毛皮を着ているのと同じ状況なのである。
故にいっそ獣に変身して寝ている方が実は涼しい。
実際仕事がないときは狼の格好でウロウロしていることもある。
野良犬が多いフロレンティアでは、こうしていても意外にばれないのだ。
むしろ動物の姿をしているときの方が優しくして貰える。……正直それはそれでとても切ないが。
【午前7時50分】
歯だけは磨こうと鏡の前に立ったら髪がまだ乾ききっていなかった。
なかなか散髪に行けない所為で、後ろ髪がだいぶ伸びてきているようだ。
また黒に近い茶色の髪は、色が暗いせいか長くなると獣の毛のように見えてきてしまうのも問題だ。
変身してないのに狼に近づいてきたとか失礼なことをレナスに言われたことを思いだし、せめてちゃんとセットくらいしようとドライヤーに手を伸ばしたら、スイッチが入らない。
そしてふと、この前レナスが酔った勢いで振りまわし、壊したことを思い出した。
トースターと電子レンジとテレビに続き、我が家で彼女が破壊した機械製品は既に4つ目である。
【午前7時55分】
冷蔵庫の中から朝食になりそうな食材をいくつか見繕い、剣とベルトと共に抱えて玄関に向かう。
その瞬間、今更のように自分が非番であることを思い出した。
制服でなくても良かったのにと思ったが、着替えるのも面倒なのでベルトを腰に回す。
ガリレオで支給されている物とは違い、俺が使っているのはかつて故郷のステイツで愛用していた物だ。
拳銃と呼ばれる武器をしまう為のベルト、通称ガンベルトと呼ばれるそれを改造し、今は剣をさせるようにしている。
おっさんくさいだの、西部劇みたいだのとレナスには散々言われているが、下僕の俺にだってこだわりのひとつくらいあるのである。
【午前7時59分】
レナスのアパートに到着。
女性向け物件の所為か、全体的に作りが小さなアパートは、身長が188も在る俺には酷く狭く見える。
ちなみにこのアパートはガリレオの女性騎士専用のアパートであるため、男の出入りはほとんど無い。 故に男子禁制ではないが、中にはいるのは少し勇気がいる。
それを本人に告げたところ、嫌がらせのように合い鍵を渡された。
チャイムを鳴らさなくて済むでしょうと微笑まれたが、そう言う問題ではない。
【午前8時】
アパート内でキアラとすれ違う。
「今日もご苦労様です」と呑気に出て行くところ、今日もレナスを起こさずに出てきたようだ。
副官ならフォローしろと言いたいところだが、あの女の寝起きはドラゴン並に悪いので無理は言えない。
【午前8時5分】
ソファーで爆睡しているレナスを発見する。物凄く酒臭い。
思わずその事実を口にすれば、寝ていたはずのレナスからパンチが飛んでくる。
予想はしていたので素早く交わす……はずが、レナスが脱ぎ散らかしたブーツに躓いてもろにくらってしまった。どんなに腹筋を鍛えていても彼女の一撃は痛い。
【午前8時10分】
ようやく受けた一撃の痛みが消えてきた。
レナスももぞもぞと動き出したので、無理矢理風呂に追い立てる
【午前8時15分】
あまりに部屋が汚いので、レナスの脱ぎ散らかした服と飲み散らかした酒瓶を片づける。
キアラの物に触らないのは、彼の恋人であるヴィンセントを知っているからだ。
あの男、女慣れしているように見えて、キアラに関しては相当嫉妬深い。本人は無自覚のようだが。
【午前8時20分】
持ってきた食材で簡単なサンドイッチを作る。
あの様子では朝食を取る余裕は無さそうなので、職場に持って行けるように紙袋に入れる。
【午前8時半】
服はおろかタオルすら巻かずにレナスが風呂場から出てきた。
慌ててバスタオルをかぶせると、張りのない声が返ってくる。確実に寝ぼけている。
どうしてこの女はこうも心臓に悪いことをやらかすのか。
子どもの頃からの付き合いとはいえ10も年が離れた男がいるというのに、よりにもよって裸である。
【午前8時40分】
自分に原因はないとはいえ、裸を見てしまった罪悪感にさいなまれていると、レナスがまたあられもない姿で現れた。
ズボンははいているが上は下着だけである。まだマシか、と思ってしまうのは彼女に毒されている証拠か。
ブーツがないと騒ぐ彼女に、床に放置されていたそれを投げれば、ようやく寝室に引っ込んだ。
【午前8時50分】
レナスがようやく服を着てくれた。
しかし完全に酔っ払いの着方なので、襟やボタンの掛け違いを直してやる。
子どものようだと指摘すれば、逆にヒューズもだらしないじゃないかとふて腐れる所が更に子どもだ。
【午前8時55分】
先ほど作ったサンドイッチをレナスに持たせ、家を出る。
遅刻寸前なので無理矢理走らせれば気持ちが悪いと文句を言われた。自業自得だ。
【午前9時】
ガリレオ騎士団の本部に到着。しかし肝心のレナスがいつの間にか後ろにいない。
探すべきかと思ったが、さすがにどこかで寝ている…なんてことはないだろう。あれはもう26だ。
【午前9時15分】
せっかくなので、隊室でたまっているデスクワークを片づけていると、レナス隊長が来ていないとキアラから文句を言われた。
暗に探して連れてこいと言っているのは明白で、仕方なく仕事を中断する。
【午前9時20分】
来た道をたどると、騎士団本部近くにある公園のベンチでレナスが爆睡していた。
見つけると同時に、すぐに戻るべきだったと俺は後悔する。
なぜなら、レナスを遠巻きに見つめる男達の視線があまりに多かったからだ。
腹筋の所為でモテないと言っているが、それは彼女の魅力を正当に評価できない男に引っかかるからであって、ガリレオ騎士団のレナスといったら、美しき女騎士として異性にも人気が高い。
今もレナスに声をかけようとする男がじわじわと増えており、俺は急いで彼女を引っ張り起こす。
寝ぼけて足腰が立たない彼女を仕方なく背に乗せれば、無意識ながらちゃっかり腕を回してくる。
それから周りを見回せば、男達が気まずそうな顔で逃げ出した。
睨んだわけではないが、俺の灰色の瞳は人を畏怖させる魔力があるようなのだ。
今日のような場合は役に立つが、子どもや動物に怯えられるのは正直ちょっと切ない。
【午前9時25分】
騎士団本部に到着。今更のように自分の有様を自覚して、レナスが慌て出す。
化粧なんて今更どうでも良いだろうと思ったが、それはおきまりの台詞なのでその手のスキンケア商品は俺が変わりに持ってきている。
いったいいつまで俺はこいつの執事みたいな事をせねばならないのかと思いつつ、嬉しそうに微笑まれるとどうにも弱い。
だがせめて服くらいはちゃんと着れるようになって欲しい。これは切実である。
【午前9時半】
隊室に戻ると、私服姿の部下達がいた。休日だろうと指摘すると、それはこっちの台詞だと言われた。
隊長がちゃんと休んでいるか確認しに来たのだという。
部下達には日頃楽をさせて貰っているので、休日出勤くらいしてもいいと思ったが、それを口にしたら物凄く怒られた。
楽をさせてるのではなく、楽を押しつけているのだと言われた。
そうしないと働きすぎて過労死するだろうと怒鳴る彼らに、否定の言葉を返せないのは実際倒れたことがあるからである。
俺が唸っている隙に部下達は勝手にデスクを片付け始め、せっかくだから飲みに行こうと誘ってくれた。
【午前10時】
気配り上手な部下達に感動していたのに裏切られた。
飲みに行く…というのは大嘘で、向かった先は野郎には似合わない可愛らしい軽食堂に設営された、合コン会場だった。
それも相手は魔法学校の学生達で、休校を利用して朝からおめかししてきたらしい。
正直全く興味がなかったが、合コンの条件が俺の参加らしいので帰るに帰れない。
通りでいつもは定時通りに来ない部下達が、朝も早くから隊室にいたわけだ。
36にもなって結婚できない隊長のため!とか言っているが絶対嘘だ。
やはり帰ろうと立ち上がれば、こう言うときだけ無駄に団結力を発揮する部下達に無理矢理椅子に戻され、いつの間にか手と椅子を手錠で固定されている。
どうして俺の周りはこういう強引で勝手な奴ばかりなのかと思いつつ、もし合コンをしたことがばれたら、一番勝手な女が怒る事は火を見るより明らかなので、俺は箝口令を敷くことを心に決めた。
次々増える仕事と心労に、もはや生きた心地はしない。
やはり休日出勤などする物ではないなと思いつつ、俺は手錠の外し方について考え始めた。