Episode04-2 異形の者達
肩に走る熱と血のにおいで、レナスは右腕が使い物にならなくなったのを悟った。
剣を左腕に持ち替え、彼女は目の前に立つ異形の化け物を見上げる。
「隊長!」
部下の声に視線を走らせれば、吹き抜けになった2階の廊下にキアラとヴィンセントが立っていた。
「これは……」
息を呑んだのはキアラ。だがヴィンセントは異形の赤い瞳に見覚えがあった。
「ヒューズ隊長か」
人の姿に酷似していながら、それには禍々しい黒き闇を纏った翼と角、そして鋭い爪を有していた。
どことなく竜をも思わせる鱗の肌はまさしく異形。だがその体躯と、レナスを見下ろす顔にはヒューズの面影がある。
変わり果てたヒューズの姿に、キアラは息を呑み、ヴィンセントはきつく剣を握った。
「何故こんな姿に……」
キアラの言葉にレナスは首を振る。
「これがこいつなの。だけど……」
レナスを見つめる瞳は先ほどのヴィンセントかそれ以上に冷たく、そして殺意に満ちていた。
「ヴィンセント様の時と同じでしょうか」
「君は、俺を殴って戻したのか?」
「はい、それで目が覚めたと聞いたので……」
キアラの言葉にヴィンセントが剣を片手にヒューズの背後に飛び降りる。
そしてそのまま、彼ヒューズの懐に入り、僅かに面影が残るその顔に拳をたたき込んだ。
だがその直後、ヒューズの爪がヴィンセントの肩を貫いた。
激痛でうめくヴィンセントから爪を引き抜き、その体を壁へと叩き付けるヒューズ。
彼の意識は、まだ戻らない。
「ヴィンセント様の時は上手くいったのに」
倒れたヴィンセントにもう一度ねらいを定めるヒューズを見つめ、キアラは必死に頭を働かせる。
先ほどと何が違う。考えろ、考えろ。
猛襲した爪を避けながら苦痛にうめくヴィンセントの姿は、キアラの思考は何度も中断させる。
だが糸口は自分の中にあるはずだった。
異形と化していたが、レナスはそれを知っている様子。ならばヒューズにかかっているのは意識を奪う、あるいは操る魔法のみのハズだ。
同じ系統の魔法、そして同じ術者によってかけられた魔法ならば解除の方法は同じハズ。
だが同じ衝撃で彼は目覚めない。
ヴィンセントの時、ヒューズの時、そしてバールの店長の話をもう一度思い返し、そして、彼女は気付く。
「逃げてくださいヴィンセント様! その魔法は私達じゃ解けない!」
「どういう意味だ!」
「意識を戻せるのは、恋人だけなんです。好きな相手じゃないと、きっと届かない!」
ヴィンセントはヒューズの攻撃を避けながら、レナスに視線を走らせた。
「なら大丈夫だ」
ヴィンセントの視線にたじろいだのはレナスだ。
「何で私が!」
「少なくとも俺やキアラよりは近い存在だろう! 試してみる価値はある!」
嫌だと言おうとしたが、レナスはヒューズの姿を見て思いとどまる。
彼女は思い出したのだ、初めてこの姿を見たときのことを。
レナスはまだ幼い子どもだった。だから恐ろしくなかったと言えば嘘になる。だが、それよりも鮮明に焼き付いているのは自らの姿を悲観するヒューズの悲しげな瞳だった。
「でもそうね、私の拳なら覚えてるかも知れない」
もしあいつをひっぱたくとしたら、自分しかいない。
邪魔になる剣を投げ捨て、レナスはヒューズの側へと駆ける。
爪を振り上げヒューズが吼える。だが、その腕が不自然に止まった。
まるでレナスを傷つけまいと、彼の心が魔法に抵抗しているようであった。
「目を覚ませ、この阿呆!」
渾身の一撃をたたき込めば、ヒューズの体がのけぞる。
「もう一発!」
さらにもう一撃。
そしてもう一度腕を引き、更にもう一撃喰らわそうとしていたレナスの腕を、ヒューズの掌が止めた。
「一発で十分だっての……」
姿は異形のままだが、零れたその声はいつもの彼の物だった。
「ヒューズ!」
力無く崩れ落ちた体を抱きかかえれば、ヒューズの声が苦痛に震える。
「待ってろ、押さえ…こむ」
レナスの腕の中で、ヒューズの体は次第に人のそれへと戻っていった。
変化に伴い破れた衣服までは戻らないが、翼も角も体の内へと消えていく。
「あんまり心配かけないでよ」
「悪い」
まだ荒い息づかいのヒューズを支えながら、レナスはヴィンセントにありがとうと礼を言う。
「あんたのこと、少し見くびってた」
気がつけばヴィンセントの傍らに立っていたキアラが、レナスの言葉に小首をかしげる。
「惚れた男を殴りに行くなんて、ちゃんと彼女の自覚があるんじゃない」
レナスの言葉にキアラは真っ赤になって、違う、誤解だと騒ぎ出す。
それを見守るヴィンセントの表情は甘く、それを見ているとうらやましいとまで感じた。
「そりゃあ一人だけ生き残るはずだわ」
レナスのつぶやきが聞こえていたのは、ヒューズだけのようだった。