Episode01-3 恋人達の異変
「ねえ、さっきそこでキアラちゃんとすれ違ったよね?」
ヴェッキオ橋をわたり、ガラハド騎士団に戻るためにアルノ川沿いの通りを歩いていたヴィンセントに、馴染みの顔が声をかけた。
「アルベール、お前何でこんな所にいるんだ」
「酷いなぁ、一応お仕事中なんだけど」
と子どものようにむくれるのは、親友であり彼の補佐であるアルベール。
「どう見てもこれからデートって感じだけど」
「当分は彼女作らないって言ったでしょ?」
「じゃあなんだその花束は」
「うん、ちょっと捜査をね」
そういうと、アルベールはヴィンセントの側で声を抑える。
「なんかさ、今年いつもよりもカップルの数少ないと思わない?」
アルベールの表情は真剣だが、突然そんな事を言われても、ヴィンセントはいまいちピントと来ない。
ホント恋に疎いなぁとため息をこぼしながら、アルベールは続けた。
「なんかね、復活祭が近づくに連れて恋人が増えるところ、今年は別れるカップルが急増してるんだって」
「そういえば、部下の中にも女性に振られて泣いてた奴がいたな」
「毎年春はフロレンティアで迎えるけど、こんな事初めてでさ。…だから気になっちゃって」
出来たらもう少し本格的に捜査がしたいんだけど、と恐る恐る尋ねるアルベールにヴィンセントは頷く。
「俺に打診するって事は、心当たりもあるんだろう?」
「うん。妖精術の学校で立て続けに妖精が盗まれてるみたいなんだ。それも恋を壊す妖精が」
「そんな物があるのか」
「もしそいつらが恋人達にイタズラしたら、まずいと思わない?」
「具体的な効力は?」
「それを今から聞きに行くんだ。妖精の権威がガリレオ騎士団にいるらしいから」
そして花束はその手土産らしい。
「レナスに見られたら誤解されるぞ」
「最近、僕たち良いお友達なんだよ。妖精に詳しい人を教えてくれたのもレナスさんなんだ」
なら安心だと、ヴィンセントは親友の肩をねぎらうように叩く。
「この件はお前に任せる。精一杯やって見ろ」
「うん、がんばるよ!」
あとそうだ…と、アルベールは少し心配そうな顔でヴィンセントを見つめた。
「ヴィンも恋を壊されないように気をつけなよ」
「たしかに俺達が喧嘩したら流血騒ぎだな」
「そう言う事じゃなくてさ。手ひどい失恋で失踪しちゃう子もいるみたいだし、ヴィンはともかく失恋経験のないキアラちゃんが、ヴィンに振られるようなことがあったら…」
拗れることは目に見えている。
「気を付ける」
ヴィンセントが頷くと、アルベールは満足そうに頷いてガリレオ騎士団の本部へと歩いていった。
ようやく仕事にやる気を見せ始めた親友の姿に、ヴィンセントはほっと胸をなで下ろす。
そして同時に、アルベールの話にヴィンセントは先ほどちらりと顔を見た恋人の事を思い出す。
お互いの騎士団は距離が近いため、時折巡回中にばったり出くわす事は多い。
だがキアラから声をかけてきてくれた事は、まだ一度もなかった。
こちらも女性にまとわりつかれてしまう事が多いので、声をかけにくいのは重々承知だ。
だが、それでも目を合わせるとか、女性に囲まれた自分を見て何か思うところがあっても良いのではないかと、ヴィンセントは思わずにはいられない。
先ほどの事も、実は少し傷ついている。あり得ないとは分かっていても、キアラがかけだしたとき一瞬期待した。
けれど彼女の瞳に映っていたのは自分ではなくスリである。オチはすぐに読めたがやはり男としては切ない。
一体彼女は、自分の事をどれくらいを気にかけてくれているのだろうかと、ヴィンセントはぼんやり考える。
毎日、と思いたいが正直自信がない。
デートの後の口づけもおあずけのまま、手だって繋げるのは3回に一回くらいである。
だがそれでも、年下の彼女の事が愛しくて仕方がないのだから恋というのはやっかいな物だ。
キアラが恋の駆け引きが下手なことは分かっているし、そこに惹かれているのも事実。
けれど、ヴィンセントも男である。
ヴァンパイアとして見た目以上に長い人生を有しているが、恋をすれば少年のように一喜一憂するし、生殖器官と本能は人のそれと変わらないのである。
「俺が妖精の粉をかぶっても案外平気だったりして」
と思わずこぼして、自分で凹んだ。
そのとき、落胆するヴィンセントの耳に、女性の悲鳴が飛び込んでくる。
悲鳴の出所は側を流れるアルノ川。慌てて視線を走らせれば、一人の女性が川を流されていた。
女性の姿と位置を確認すると同時に、上着を脱ぎ捨てヴィンセントは川に飛び込んだ。
流れが速い川ではないが、先日の雨で水かさは増している。とはいえ女性の元までたどり着くのは、泳ぎの得意なヴィンセントには容易いはずだった。
だが女性の体に腕を回した次の瞬間、それまで青白い顔をしていた女性の目がカッと見開かれる。
針生類を思わせる細い瞳孔に危機を感じた次の瞬間、ヴィンセントの口に女が息を吐き出した。
花に似た甘い香りに、ヴィンセントの意識が遠のく。
それでも何とか女をふりほどき、ヴィンセントは何とか岸まで泳ぎ切った。
「大丈夫か!」
荒い息で岸につかまっていると、ヴェッキオ橋から騒ぎを見ていたドワーフの老人が、彼を引き上げに駆け寄った。
「ありゃ何だ」
「わかりません」
振り返ると、先ほどまで女がいた場所を黒い蛇のような物が泳いで行くのが見えた。
「女性が、いました」
「オレも見たが、お前さんの側で突然消えちまった……」
「自分は大丈夫ですので、至急騎士を呼んでいてください」
人でも人でなくても、あれは放っておいていい存在ではないとヴィンセントの第六感が告げていた。
だがすでにヴィンセントの体は重く、老人を見送ることすら億劫だった。
体が燃えるように熱い。
意識を手放してはいけないと分かっているのに、まぶたは重くなり、口から零れる吐息は熱を帯びていく。
そして再び戻ってきた甘い香りに意識を支配され、ヴィンセントは意識を失った。