Episode01-2 橋の上で恋人に逢ったなら
騎士団本部のあるテ・ヴィッティ広場をヴィート共に出発したキアラは、ドゥオモや駅のあるアルノ川対岸へと向かった。
途中にあるヴェッキオ橋までくると、橋の上にある宝石店から人々が顔を出す。
彼らに「今日は娘と一緒なんだ!」と主張を繰り返すヴィートには呆れるが、それを道行く人たちも喜んではやすので、怒るに怒れない。
それにほんの少しだけ、国民に愛されている父親の姿を見るのが誇らしいという気持ちもある。もちろん彼には言わないが。
国民のために働くガリレオの騎士に、フロレンティアの国民たちは親しみを持って接してくれる。
そしてガリレオの騎士も、騎士としてではなく友人として国民と接するようにしている。
それは団長のヴィートの意向であり、彼自身も騎士団長でありながら、自ら率先して街に出て、こうして国民の声を聞く事が多い。
だからみな、騎士団長である彼にも気軽に声をかける。
道化じみた言動や行動故、からかわれる事すらあるくらいだ。
でもそうやって人々と笑い会っている父の姿が、キアラは本当は大好きだった。人々の中で笑っている姿は、母に微笑みかけていた父を思い出せるから。
「そうだ、キアラちゃん。キアラちゃんの王子様がさっき通ったよ」
そう言ったのは、ヴェッキオ橋で宝石店を営むドワーフの老人だ。
「お、王子様ってなんですか!」
「ヴィンセント王子と付き合ってるんだろう?」
「誰がそんなことを!」
もちろん、老人が指さす先にいるのはヴィートである。
「いや、俺とおやっさんの仲だからつい」
とかいいつつ、至る所で言いふらしている可能性は否定出来ない。
そう言えば、最近街を歩いていると、色々な人から身に覚えのない労いの言葉をかけられる事が多くなった。
街中だけではなく、貴族の護衛で舞踏会などに赴けば、貴族の令嬢達に羨望の眼差しを向けられていたこともある。
「色々合点が行った」
「別にいいじゃねえぁ。みんな応援してくれてるんだろう」
キアラはピンと来ていないようだが、ヴィートは自分同様この少女が多くの人々に好かれているのを知っている。
とはいえ正直、キアラとヴィンセントが付き合っている事が分かれば、愛娘に妬みや嫉妬の火の粉が降りかかるのではと恐れたこともあった。
だが実際は、男装の騎士と王子という組み合わせは、ロマンスに目がないフロレンティアの女子たちにとっては妬みよりも観察の対象とうつったようで、街の娘たちや学生はもちろん、貴族の令嬢達からキアラが嫌がらせを受けたことはないようだ。
もちろんヴィンセントに言い寄る女性が消えたわけではないが、逆に袖にされることに快感を覚え、男装の騎士と王子との恋愛を妄想して楽しんでいる者もいるらしいというのは、参加した舞踏会で得た情報である。
「とはいえ、お前ももう少し努力しないとなぁ」
「何の話ですか!」
「周りをよく見てみろ、道行く女子達のこの輝きを!」
たしかに、春と恋の訪れに人々は浮き足立っている。それに比べてキアラはいつものまま、地に足がついた言葉遣いと態度しか示さない。
「私がいきなりああなったら気持ち悪いでしょう」
「気持ち悪くない! お前はもっと恋におぼれるべきだ!」
力説する父親に白い目を向けるキアラ。
そのとき、橋の向こう側から見覚えのある顔と、聞き覚えのある黄色い声が響く。
「ヴィンセント様よ!」
キアラの側でも悲鳴が上がり、道行く女性達が騎士団の隊服に身を包んだヴィンセントにうっとりした顔を向けた。
「ほれ、お前も……」
と面白半分でキアラの肩をぽんと押すした直後、キアラが突然走りだした。
「おお!」
と感嘆の声を上げたのはドワーフの老人。彼と共に事の成り行きを見守っていたヴィートは思わず微笑む。
「そうか、愛する人に駆け寄るくらいの女っ気がキアラにも……」
と涙を流さんばかりに喜んだ次の瞬間、キアラはヴィンセントの側を猛スピードで駆け抜けた。
恥ずかしさゆえの奇行にしては勢いがありすぎる。
「あの、ヴィート騎士団長」
唖然としたヴィートに、声をかけたのはキアラとすれ違いにこちらにきたヴィンセントだった。
「たぶん、スリを追いかけていったんだと思います。あれは」
「キアラが言ったのか?」
「いえ、女物のバッグを持って走っていく男が見えたので」
俺が追いかけたかったんですが、あの子の方が速くて。
と笑顔で言うと、ヴィンセントは女性達を卒のない言葉であしらいながら、ヴェッキオ橋の向こうに消えた。
「まあ、キアラちゃんらしいけどな」
「橋の上で恋人とすれ違ったら、普通は駆け寄って抱き合ってキスだろう!」
「まあ、お前さんの娘だしなぁ」
「なんでだよ! 俺は最高にモテるいい男だろう!」
「ウチの騎士団長は、ずぼらで、だらしがなくて、おっさんくさい! って騎士達が話してるのを聞いたぞ」
その言葉に、ヴィートはその場に崩れ落ちる。
「俺だって若い頃は! 若い頃は!」
「そういや、お前さんの若い頃ってしらねぇな。オレもここに店を構えて長いが、お前みたいな阿呆な若造に覚えがない」
「だから、昔の俺はもっと格好良くてまさしく王子って感じでだな!」
「寝言は寝てから言え」
と老人は笑いながら店に入っていく。
こう見えてもヴィートもヴィンセントと同様王子の位を持つ人物である。
しかし王子として公務を行うときと騎士団にいる時では外面と纏うオーラが違いすぎる所為で、今では国民にすら別人だと思われている。
そもそも第5王子のヴィートと言えば悪名ばかりが一人歩きをし、今では公務の場ではなくゴシップ誌のピンぼけ写真でしか顔を拝めない存在と化している。もちろん全部赤の他人なのだが。
そのお陰で隠しているわけでもないのに、ヴィートが同一人物だと気付く人はほぼいない。何せ同じ王子であるヴィンセントが気付かないくらいだ。
「納得出来ん!」
「何で絶叫してるんですか」
いつのまにか、キアラが彼の側まで戻ってきていた。
「スリは?」
「本部に戻る騎士が側にいたので、引き渡してきました」
「そうか。じゃあ早速だが、俺は今からお前に説教を……」
「余計な時間をくいましたね。そろそろ行きましょうか」
父親の言葉をばっさりと切り捨て、キアラはさっさと歩き出した。
「納得できん…」
今度は小声でつぶやいて、ヴィートはキアラの後をとぼとぼとついて行った。