Ending いつもそばに
『まもなくフロレンティア。フロレンティアでございます。お降りの方はご準備をお願いいたします』
車内アナウンスに、大きな伸びをひとつしてヒューズは意識を覚醒させた。
「仕事中」
隣に座るレナスの声に、ヒューズはあくびを返す。
「大丈夫だろ。車内の敵はあらかた片づけたんだし」
そう言うヒューズの足下には、縄で縛られた騎士姿の男達が転がっている。
「しかし、こいつ等も懲りないね」
「フロレンティアについたら、アルベールが全部解決してくれるわよ。だからこれで最後」
「でも、帰りぐらいゆっくりしたかった」
「とかいって、一人で全員ぶちのめしたのは誰よ」
「そんな顔の女に負けたら、こいつ等のプライドズタぼろだろうからな」
ヒューズの言葉を鼻で笑うレナスの目ははれている。クマは化粧で隠してはいるが、それでも泣きはらした目だけは戻らない。
「今回の恋も、あっという間に終わっちゃったな」
高速で駆け抜けていく風景を眺めているレナスに、ヒューズがちらりと顔を上げる。
「2ヶ月なら長い方だ。それに、嫌われて終わった訳じゃないだろ」
「嫌われた方が楽だった」
そうこぼし、レナスは窓ガラスに頭を預ける。
お互いのことを話して、出した結論は別れだった。
『今のままじゃあなたと付き合う資格がないんです』
そう言うアルベールに、そんなことはないと縋り付くことは出来なかった。
彼は決意をしていたのだ。騎士として、男として。
今の自分を変えたいと。一人で一人前の男になりたいと。
そしてそれを彼女は止めることは出来なかった。女としては引き留めたかった。支えたいと言いたかった。
けれど彼の決意を騎士であるレナスはいたいほど理解出来てしまったのだ。
だから彼女は頷いた。
「結局、わたしはアルベールの前じゃ女にはなれなかったのよね」
でも後悔はしていない。それでも一晩泣くほど辛かったけれど、後悔はしていない。
だから彼女は、側のヒューズに視線を向けられる。
「あーあ、でもホント惜しい事したなぁ」
「ん?」
「ローマまで行ったのに買い物も出来なかった」
落ち込むレナスをどう励まそうかとそれなりに頭を悩ませていたヒューズは、その言葉にため息を重ねる。その反応にレナスがわざとらしくふて腐れた顔を作る。
「仕事中って言ったのは誰だよ」
「でも、早起きすればブティックくらい行けたのに!」
「お前、失恋すると買い物に走るタイプだよな」
そしてそれに毎回付き合わせてきたのだ。財布も含めて。
「今回は金はかさんぞ」
「安心しなさい。当分休みはないし、買い物何てしてる暇ないし」
ホント最悪よ。そういうと、再びレナスは車窓に目を向ける。
気がつけばフロレンティアの町並みがそこにはあった。後数分で駅にも到着することだろう。
「いくわよヒューズ」
「最後で良いだろ。仕事熱心な部下達がいるんだし」
そう言うヒューズの横を、キアラとヴィンセントが捕縛した騎士を担いで歩き去っていく。
「な?」
と微笑むと、レナスは呆れた表情でヒューズを見た。
『フロレンティア・フロレンティアでございます』
窓の外には見覚えのある駅のホーム。そしてそこには騎士に護衛をされたアルベールの姿がある。
決意もしたし後悔はない。でもやはり泣きはらした目を見られるのが嫌で、レナスは慌ててヒューズを追い立てるために窓に背を向けた。
だがヒューズはそのまま動かず、それどころか突然レナスを抱き寄せた。
突然のことに言葉を失うレナス。その耳元で、ヒューズが笑う。
「こうしてりゃあ、見えん」
そう言う問題ではない。だが、相も変わらず言葉は出ないままだった。
『北ローマ行きフレッチャ・ロッサ発車いたします』
それどころか、気がつけば発車ベルまで鳴っている。
「れ、列車!出ちゃう」
ようやくそれだけ言うと、レナスは慌ててヒューズから体を離す。
対するヒューズはさして動揺することもなく、列車の座席から立ち上がることもない。
どうすることも出来ずに窓の外を見れば、景色は動き出している。
その中で、副官の少女が笑顔で手を振っている。
「なっななっ!」
そこでようやく呪縛が解けた。レナスはヒューズの胸を掴み上げると、殺す勢いで締め上げる。
「列車出ちゃったじゃない!」
「落ち着けよ」
「落ち着け? これ、北ローマまで停まらないのよ!」
「まあ、2時間ちょいだろ」
「仕事中なんでしょ!」
「お前はさ、もうすこしサボることも覚えたほうが良いぞ」
「あんたが言うな!」
言うが速いか、ヒューズに右フックをお見舞いしていた。あまりに威力に通路までふっとばされるヒューズ。
その情けない倒れ方に、レナスは怒るきも失せる。
それどころか、どんどん遠ざかっていくフロレンティアの景色とあわせておかしさすらこみ上げてくる。
「もうほんと、団長に怒られるわよこんなの」
「だから落ち着けって」
殴られた頬をさすりながら、ヒューズが椅子の手すりに体を預ける。
「でもホント、なんでこんな…」
先ほど抱きしめられたことを思い出し、レナスは思わず赤面する。自分から抱きつくことや体に触れることは小さい頃から何度もあるのに、何故だか胸の動悸が治まらないのだ。
そういえば、いつもは自分からでヒューズから抱きしめられたのは始めてかも知れない。
「買い物、したそうだったから」
動揺するレナスとは対照的に、ヒューズはそんなことをのんびりした口調で言ってのける。
「買い物ってあんた」
「北ローマの首都ミラノつったら、お前の好きなブランドの店があるんだろ。ローマでできないなら、そこまで行けばいいかなって」
「だけど、いくら何でも今って」
「だって、辛いのは今だろ?」
そう言ってレナスを見上げたヒューズの微笑みに、レナスはぐっと唇を噛む。
そうしなければ、また泣いてしまいそうだったからだ。
「部下も元彼もいねぇぞ、ここには」
「うるさい! あんたがいる!」
「何度お前の泣きっ面見てきたと思ってる」
ほらこいと、腕を広げたヒューズにレナスは一も二もなく抱きついた。
「あんたはさ、ホント馬鹿」
「そんなの、自分が一番知ってるよ」
レナスを軽々抱きかかえ、ヒューズは再び自分の席に腰を下ろした。
「まあ、一応臨時休暇って事で話は付けてあるから、安心しろ」
「いつの間に…」
「いい男は仕事も出来るんだよ」
冗談は顔だけにしろとヒューズをこづきつつ、実際少しだけ見直したのは秘密だ。
「じゃあ、今までで一番辛い失恋だから、いっぱいバッグ買おうかな」
泣きながら言うセリフではないが、思いついたのはそのセリフだったのだから仕方ない。
「ほどほどにな」
「いいでしょ。荷物持ちもいるし」
レナスの言葉にヒューズが返したのはため息。でも、文句を言いながらも彼は絶対自分の隣にいてくれる。
「次の恋はさ、ちゃんと成功させるから」
「だからお金かせって?」
「わかってるじゃない」
「かえせよ」
もちろんと頷いて、涙を拭いて、レナスは笑った。
今度はお金だけじゃなくてちゃんと恩もかえすから。今度はもう間違えないようにするから。
「だからもうちょっとだけ、付き合ってよ」
そうつぶやいてレナスは車窓に目を戻す。
フロレンティアはもう遙か遠く。窓の外にはのどかな田園風景が広がり始めていた。
ミラノまでの所要時間は2時間45分。
その間のひとときはヒューズとの小旅行を満喫したくて、レナスは耳に付けた通信機を外した。
隊長達の受難編【END】