Episode02-3 仕事と恋とやけ酒と
「もう、ほんと、マジで最悪。死にたい」
ワインの瓶をテーブルにどんとたたき付けながら、レナスがその日2度目の怒鳴り声を上げたのはフロレンティアの中央広場より西に延びる、細い通りにある一軒の酒場だった。
ヴィートより護衛任務を命じられたその夜のことである。
本日呼び出しを受け、愚痴聞き役となっているのはヒューズである。
1時間前まではキアラもいたのだが、あまりの荒れように明日の作戦に支障が出そうだと判明したため、ヒューズが彼女を先に帰したのだ。
二日酔いで仕事に来ることも多いレナスだ。その上、恋愛が絡むと悪酔いするのは確実だった。
前回男性にフラれたときは、ヒューズを連れ立って酒場を5軒梯子し、最終的にヒューズがコレクションしていたワインを全部あけた。
その更に前は飲んでいたときこそ大人しかったが、その翌日は仕事中に突然涙が止まらなくなり、泣きっ面のまま銀行強盗を5人逮捕していた。
私生活を仕事に持ち込むなど騎士の名折れだと更に凹み、やはり励ますのに一晩とコレクション全部を費やした。
フォローする側にしてみると、失恋したレナスはとにかく面倒くさい。そこに酒が入ると更にだ。
基本的にフロレンティア人は仕事よりも恋が優先なので、むしろ泣きながらでも仕事をしている分レナスはマシな方である。仕事的に言えばだが。
でも後に引きずれば引きずるほど面倒は増えるため、可能ならば愚痴も涙も全て出し尽くさせたいというのがヒューズの本音だ。
「ホントさぁ、今回は超順調だったのよぉ。こんなに、かわいいって言ってくれた人今までいなかったしぃ」
怒っていたかと思えば突然にやにや笑いだし、レナスは手でワイン瓶をもてあそぶ。
「もう聞いたよその話は」
「まだ20回しか話して無いじゃない!」
「何回話したら満足すんだ」
「わかんなーい」
きゃははと笑って、レナスはヒューズのグラスに勝手にワインをつぐ。
「俺まで二日酔いになったら、明日誰が指揮すんだよ」
「あんた酔わないじゃない」
「あのね、俺もういい年のおっさんなの。胃とか肝臓とか弱ってんの」
「あ、おねーさん!赤ワインもう一本」
「聞けよ俺の話!」
「え?何?」
呂律も回らなくなり始めたレナスに、ヒューズは深いため息をついた。
「ちょっとー、ため息つきたいのはアタシなんだけどぅ」
「もういいよ、ため息でも酒でも涙でも、好きなだけ飲んでこぼせ」
「うん。泣きます、一晩中泣きます。そして飲みます」
「店閉まるぞ」
「あんたんち行くからいい」
「また俺のコレクション飲み尽くす気かよ」
「それで私の怒りが収まればいいわねぇ」
うふふと笑いワインを煽るレナス。それに苦笑しながら、ヒューズはワイングラスを傾ける。
ちらりと伺えば、レナスの表情から堅さが消えている。
そろそろか、と長年の感で見当を付けヒューズは傾けたグラスを置いた。
「そういえば、明日のことだけどな」
「泣けと言いながら仕事の話?」
不満そうに、だが無視も出来ないのかレナスは言葉を返してくる。
「お前報告書読んでないだろ」
「キアラが読んでるもん」
ひどい上司だなと苦笑しながら、ヒューズは持っていた報告書を机の上に放り投げる。
「なによ、ここでいきなり説教でもするの?」
「結構状況悪いぞ」
そこで、レナスの手がグラスから離れた。
「まあ、こっちに依頼が来たって時点で、お前も気づいてたんだろうけどよ」
ヒューズが言葉を重ねたとたん、レナスは机に顔を埋めた。
「…あたし、ホント最低なの」
その肩が震えていることに気づきつつ、ヒューズは無言でワインを煽る。
「話がきた時点でどれくらいやばいかわかってたの」
嗚咽混じりのか細い声だった。
しかしヒューズはあえて、短い相づちだけを返す。
「アルベールが危険な状態だって分かったの。…なのに」
そこで、堰を切ったように泣き出すレナス。
落ち込むことがあると、彼女はとにかく酒を飲む。そして自分の不運を愚痴り、怒り、無駄に笑う。
だが、涙はいつも後回しだ。
「真っ先にバレたらどうしようって思っちゃったの…。アタシ恋人なのに、騎士なのに、自分のコトばっかりなの…」
涙と一緒にようやく零れた本音にため息を重ねながら、ヒューズは机に伏せるレナスの頭を優しくなでてやる。
本音と涙がなかなか出てこないのは、幼い頃からのお約束だ。
貴族の令嬢として子どもらしさよりもレディとして振る舞うことを強要されてきたせいか、ヒューズが始めて会ったとき、レナスは泣くことを知らない娘だった。
悪戯や悪ふざけが度を過ぎるのも、結局自分の気持ちを表現する事に不器用だからだ。
今も昔も、記号的な行動でしか彼女は感情を表せない。
泣けば全てがすむところを、酒におぼれた哀れな女を演じないことには、自分の本音も吐き出せない。 そのくせ演じることで更に無理をし、心がこじれてしまうのだ。
本当に面倒が臭い女に捕まった。
とヒューズは目の前でなくレナスを見つめながら思う。
それでも何故だか放っておけなくて、いつもいつもこうして見たくもない涙をわざと流させるようなことまでしている。
「自分の保身に走って何が悪い。同じ状況だったら、俺は心配なんて二の次になるぞ」
「あんたはぜったいそうなんない」
「買いかぶってくれるね」
「かぶるわよ。あんたはアタシの目標なんだから」
くぐもった声のつぶやきに、ヒューズは苦笑を濃くする。こういう事を泣きながら言うから、更に放っておけなくなるのだ。
「お前は何から何まで、男の趣味がわるい」
「アルベールはいい男だもん」
「お前がそこまで惚れるくらいだからな」
「だから、こんな終わり方したくない」
「まだ終わったって決まってねぇだろ」
「だけど、さすがに騎士団の格好で前に出たらバレちゃうし」
「つーかおまえ、そもそもそんなな正攻法で護衛するわけ?」
ヒューズの言葉に、レナスがようやく顔を上げた。
泣きはらした目と赤い鼻のまま、彼女はヒューズを見上げる。
だがその顔に悲観の色はなく、ヒューズはほっと胸をなで下ろす。もちろん、レナスには気付かれないようにだ。
「ヒューズ」
「あん?」
「仕事の話、しよっか」
「現金だなお前」
笑いながら、ヒューズは「すいません、白ワインももう一本」と手を挙げた。