ShortEpisode01-3 二つの指輪
「それが気になるのか?」
いつもの癖で気配を消して近づいたところ、キアラは未だかつて無い驚愕の表情でヴィンセントを振り返った。
「何でいつも、突然背後に現れるんですか!」
「君に引き寄せられるから」
ヒューズの鼻まで使って尾行していたとは勿論言わずに、ヴィンセントは穏やかな笑みをたたえる。
それから彼はショーウィンドウを覗き、お目当ての指輪を探した。
いくつも指輪が飾られていたが、一目見れば彼女が望むものはすぐにわかる。
「あの獅子のが欲しいのか?」
「どっどうして…」
「君の好みくらいわかる」
元々女性の好みを当てるのは得意な上に、相手はキアラだ。レナスではないが、彼女の趣向が世の乙女達のそれと逸しているのはわかっている。
「あれはペアなんだな」
わかっていたがあえて尋ねると、キアラが真っ赤になってうなだれた。
「でっでも片方だけでも売ってくれると言われたので、その……」
「ペアの物を片方だけ買うのは感心しないな」
「でも同じ物を二つ持っていても仕方がないでしょう」
「確かに、それには同意する」
だから待っていろと言った次の瞬間、ヴィンセントは店の中に入っていった。
もちろんキアラは、ただ唖然とすることしかできなかった。
彼がすることはわかっている。そして止めるべきだとわかっているのに、彼女の足は縫いつけられたようにその場から動かない。
動けと何回も念じ、それでも動かない足に泣きそうになっていたとき、ヴィンセントが店から出てきた。
その上彼は慣れた手つきでキアラの指に、彼女が求めていた物をはめてしまう。
「二つ買ったんだけど、同じ物を持っていても仕方ないから」
「揚げ足を取らないでください」
精一杯不満を込めてそう言ったのに、指輪から目が離せない自分がキアラは悔しかった。
そしてヴィンセントの揚げ足を取るような言葉は、素直に甘えられない自分を見越しての物だとわかっているから、更に悔しい。
欲しいとねだれないのも、自分で買ったところで素直に渡せないのも全部見抜かれている。それを理解していたのに結局彼に買わせた自分が酷く卑しく思えて、キアラは視線を下げた。
けれど同時に、指輪が自分の手にあることがどうしようもなく嬉しくて、いらないと突き返すことも出来ない。
顔を下に向けたのも、うれしさの隠せない顔を見られないようにと思ったからだ。
「でも丁度良かった、君の指にピッタリだ」
重ねられた言葉に、キアラは呼吸をただし笑顔を押し込める。
それから彼女は覚悟を決め、おずおずとヴィンセントを見上げる。
「……だから欲しかったんです、ずっと」
キアラの言葉に、今度はヴィンセントが驚いた顔をする。
「去年のナターレの時に見かけて……。生まれてはじめて、欲しいって思った指輪なんです」
だから、凄く嬉しいです。
ありがとうございます。
そう重ねられた言葉は所々掠れていたが、一所懸命思いを伝えようとするキアラの顔は年相応の、恋に幼い少女の物だった。
そんな表情を見られたことが酷く嬉しくて、ヴィンセントは微笑む。
けれど彼が喜んでいられたのは、一瞬だった。
「でも私が先に目をつけてたのに、横取りなんてずるいです」
キスの一つでもねだろうと思っていたヴィンセントの不意をつくように、キアラの顔がいつもの生真面目な物へとかわる。
その上キアラは、ヴィンセントが手にしていたもう一つの指輪を奪い、代わりに数枚の金貨を握らせた。
「嬉しいけど、やっぱり貰うだけは嫌です」
勢いのあまりうっかり受け取ってしまった金貨に、ヴィンセントが慌てたのは言うまでもない。
「貰えるわけがないだろう」
「二人でつける物なら当然です」
「君は本当に男心がわかってないな」
「ヴィンセント様こそ女心がわかってません」
「一般的な女心なら心得てるつもりだが?」
思わずこぼれた一言に、キアラの眉がつり上がる。
「全然わかってません、私は指輪を送り合いっこしてみたかったんです!」
思わず怒鳴って、それからキアラが目を見開く。
そのまま真っ赤になって項垂れるキアラをみれば、先ほどの叫びが彼女にとって失言だったのは明白だ。
「……今のは、あの」
「空耳なんて言わせないぞ」
呆れたような、しかし穏やかな言葉と共に、ヴィンセントが奪ったのはキアラの唇だった。
「とっ突然キスしないでください!」
「キスしたくなるほど可愛いことを言ったのは誰だ」
「一般的な女心がないってさっきは言った癖に!」
言うと同時に、キアラはその場を飛び退く。
「ともかくこれは私がヴィンセント様から買いましたから!」
「その主張はどうかと思うし意味があるとは思えないが?」
「さっきも言いましたが、一方的なプレゼントは嫌なんです」
それからキアラはヴィンセントから奪った指輪を差し出す。
「……二個同じ物を持っていても仕方がないので、あげます」
「じゃあ、俺の薬指にはめてくれ」
それは無理だと叫ぶキアラに、ヴィンセントは冗談だと苦笑した。
「くれるだけで嬉しいよ」
「別にはめなくて良いですからね! 安物だし、ヴィンセント様ならもっとちゃんとしたの持っているだろうし」
「君から貰った物だぞ。どんな高価な指輪にもかなわない価値がある」
指輪を受け取りつつ腕を引かれ、キアラは彼の腕の中に閉じこめられる。
「大げさです」
「嘘じゃない。どんな大金を積まれたって、俺はこの指輪を手放さない」
そう言って、ヴィンセントは左手の薬指に指輪を滑り込ませた。
「大事にする」
「……私も、します」
「毎日つけてくれるか?」
「部屋で、一人の時に」
「仕事中とは言わないが、デート中は付けて欲しい」
「……お揃いは恥ずかしいです」
「君との婚約指輪を買うのは大変そうだな」
「こっ」
「安心しろ、君がお揃いの指輪をはめても良いと思えるまでちゃんと待つよ」
だからそれまでは、この指輪で練習しようと微笑むヴィンセントに、キアラは思わずうなだれた。
「しかし、お揃いの指輪を着けることすら修行がいるとは、本当に君は可愛いな」
「さっきは一般的じゃないって言いました」
「結構根に持つんだな」
むくれるキアラに悪かったと謝るヴィンセント。
それから彼はキアラの手を取り、薬指に輝く指輪の上に甘い口づけを落とす。
「でも普通の価値観に縛られない所が、俺は特に好きなんだ」
そう告げる声音はあまりに甘すぎて、キアラの腰が見事に砕けた。
勿論ヴィンセントはそれを見過ごさず、右手でキアラの腰をささえ、左手で彼女の腕をすくい上げる。
お揃いの指輪をはめたヴィンセントの左手が視界に入ったとき、キアラの顔は恋する少女の物へと戻っていた。