Episode10-2 告白は花火の下で
空気をふるわせる低い破裂音にレナスが気付いたのは、酒場で喧嘩をしていた酔っ払いを投げ飛ばしたときだった。
話を聞かない上に、こちらへと殴りかかって来たので仕方なく応戦したが、どうやら勢いがつきすぎたらしく、相手の意識は完全に飛んでいる。
とりあえず大事がないことを確認し、それから同行していた部下に騎士団へと運ばせてレナスは一息ついた。
「花火始まっちゃいましたね」
ここからよく見えないが、赤い瓦屋根を彩る光と低い音、そして花火を見ようとかけていく人々の姿に、レナスは部下と共に肩を落とした。
「いつになったら静かになるのかしらね」
「花火の最中は割と静かだと思いますけど」
確かに騒ぎの報告は少なくなっている。しかし終わればまた、人々は酒場に戻っていくことだろう。
払い戻しの騒ぎはようやく一段落したが、酒が入れば喧嘩も増える。夜はまだまだこれからだ。
「じゃあ今のうちに休憩取っちゃいましょうか」
かれこれ8時間も働きづめで、これ以上の激務は致命的な怪我に繋がりかねない。
とりあえず1時間後にヴェッキオ橋のたもとに再集合と言うことになり、部下達は一度騎士団へ、レナスは一人側のバールへと向かった。
騎士団でゆっくりしても良いのだが、もう三時間ほど前から空腹で死にそうだったのだ。
なのでパニーニとカッフェを買い、せっかくだからと花火の見える場所へレナスは移動する。
花火が上がる川沿いはさすがに人で込んでいたので、少し離れた場所にある噴水広場にレナスは陣取った。
アルノ川から遠いその広場は、花火が上がる方向に建物がないので、ヘタに近づくよりも花火がよく見えるのだ。その上人も殆どいないので、噴水前のベンチに腰を下ろし、ゆっくりパニーニにありつくことも出来る。
穴場なんだと、この場所を教えてくれたのはたしかヒューズだ。
あのときはたまたま巡回途中で一緒になり、せっかくだからと二人で花火を見上げた。
仕事中だというのにレナスがピザと酒を買い込み、それがあとでばれて上司にこっぴどく叱られたのは良い思い出である。
懐かしいなと思う反面、何故だかちょっと切なさを感じていると、唐突にレナスの肩が叩かれた。
見えない側だったので慌ててそちらを向けば、そこにいたのはアルベールだった。
一瞬ヒューズかと期待したのは絶対に言えないが、慌てて貼り付けた笑みに彼は違和感を感じたようだ。
「僕でがっかりしました?」
「驚いたのよ。まだ右側の感覚つかめないから」
言いながら、誤魔化しもかねてアルベールにパニーニを半分分けてやる。
「れ、レナスさんと半分こ!」
「どうせまだご飯食べてないんでしょ?」
食べるのが勿体ないと本気で感動しているアルベールに、レナスはあきれ果てる。
「そっちも休憩?」
「もう終わりです。うちの騎士団撤収早くて」
確かにいつの間にかか、ガラハドの騎士を見かけなくなっている。
まだまだこれから忙しくなるのにと苛立てば、アルベールが慌ててフォローに走った。
「でもうちの隊はまだまだ働きますよ! 僕も、まだ帰らないですし」
というか、是非レナスさんのお手伝いをしたいと思い、街中探し回ってました! と明け透けもなく言うアルベールに、レナスは思わず感心する。
「あんたってたまに凄い行動力を発揮するわよね」
「たまにって…」
「いや基本的に臆病でウッカリでそそっかしいんだけど、自分の心に素直に従うところは正直尊敬するわ」
「褒めてませんよね」
「褒めてるわよ、その素直さが羨ましい」
失敗を恐れるよりも、成功を信じるその強さは羨ましい。レナスも無鉄砲さには定評があるが、恋に置いては彼のような行動力を発揮できないことが多いのだ。
「そう言えば、今日は失敗しなかった?」
「怪我はたくさんしましたけどね」
昨日の今日で失敗したらそれはそれで問題だろうと思ったが、褒めて褒めてと子犬のように寄ってくるアルベールに、とりあえずよしよしと頭を撫でてやる。
「じゃあ朝の答え、発表しようか」
途端に、アルベールの顔が凍り付いた。
「あの、すいません。朝のは無しで」
ちょっと混乱してたのでと言って、アルベールは手にしていたパニーニを大急ぎで頬張る。
それから彼は必死になってそれを咀嚼し、手も口も開いたところで胸のポケットから小箱を取り出した。
「母の形見なんですけど、是非あなたに受け取って欲しいんです」
レナスの前に膝をつき、小箱を開けるアルベール。
中に入っていたのは、貴族でさえ手に入れるのが困難な、大きさなダイヤの指輪だった。
それにレナスは息をのむ。
告白をされるとは思っていた。でもこんなにも本格的で、そしてこんなにも大事な物を自分にくれようとしているとは思っていなかったのだ。
「今まで、あんたのこと蔑ろにしすぎてた。本当にごめんね」
レナスの声に、アルベールの顔が輝く。
「…だからここからは、本気の気持ちだから」
真剣な目でアルベールを見つめ、そしてレナスは、開かれた小箱を静かに閉じた。
「あんたの気持ちは嬉しい。だけど、他に好きな人がいるの」
閉じられた小箱を、アルベールが静かに胸に抱く。
「あんたとつきあってた頃はね、こういう指輪が凄く欲しかったの。目の前で膝をついてプロポーズされたら、すぐ頷けると思ってた」
「でも今は違うんだね」
そう答えるアルベールの顔は、レナスの予想に反し、酷く穏やかだった。
「誰でもいいわけじゃないって気付いたの」
むしろ指輪なんてなくて良い。好きと言ってくれるなら、プロポーズの仕方など問題ではない。
ただ、側にいられるならそれで良い。そう思える相手こそ、自分が結婚すべき相手なのだと彼女は気付いてしまった。そしてその存在が、誰よりも側にいることも。
「ごめんね」
「いいんだ。本当はもう、わかってたから」
小箱をポケットに戻して、それからアルベールはようやく残念そうな顔をした。
「パニーニ、もっと味わっとけば良かったなぁ」
「いくらでも奢ってあげるわよ」
「…半分こがいいんだよ」
「してあげるわよそれくらい」
「彼氏じゃなくても?」
「割と誰とでもするけど」
告白を断ったときよりもショックだったのか、アルベールは頭を抱えてうなだれる。
「ちなみにさ、レナスさんの中で僕の立ち位置って何処?」
友達か、親友か、元彼か、戦友か。
尋ねられた答えに、レナスは頭を捻る。
「昔の私、が一番近いかなぁ」
「なにそれ」
「あんたのその未熟で無鉄砲で失敗だらけな所、騎士団に入った当時の私にそっくりなのよね」
ヒューズにもそんなことを言われたなと、アルベールはふと思い出す。
「正直自分の黒い歴史を見ているようで凄く恥ずかしいんだけど、でも放っておけないのよねぇ」
「見てて恥ずかしいんだ、僕」
「自覚ないの?」
と尋ねつつ、自分で自分が恥ずかしいと思えるようになったのは最近だったと気付く。
「私の場合、それを矯正してくれたのはヒューズでさ。そう言うのが側にいた良さを知ってると、やっぱり何かしてあげたいって思うのよ」
言うほど自分も成長していないけれど、でも自分が学んだことを何かひとつでもアルベールに教えられたらと、勝手にもレナスは思ってしまうのだ。
「正直不快だったら言ってね。その気もないのに元彼にお節介焼くとか、正直どうかと思うし」
「そんなことないよ。フラれたけど、レナスさんとはこれからも一緒にいたいって思うんだ」
こんな人は初めてだよと微笑むアルベール。その笑顔に救われ、レナスは手に持っていたパニーニを更に二つに割り、それをアルベールに手渡す。
「今度は僕がパニーニ奢るから、これからも色々教えてね」
「剣の使い方とかね」
うっと喉を詰まらせるアルベールにレナスは笑う。
「責める気はないけど、一度見つけた弱みは二度と放さないわよ」
意地悪く笑うレナスに情けない悲鳴を上げるアルベール。
だが一方で、素敵な女友達が出来たことを、彼は心の底から嬉しく思っていた。