Episode08-3 異形の体と人の心を持つ理由
二人がやってきたのは、サロンのある本館と離れに立つ別館とを繋ぐ広い中庭だった。
喧嘩とは別の方向で盛り上がった男女のために、本日はそこも会場の一部とされており、二人は道すがらききたくもない情事の声を耳にする。
「平和だね全く」
庭園の中央、噴水のある一角にたどり着いたヒューズは、人気のないベンチに腰を下ろしながらぼやく。
この付近にはまだ人がいないが、もう少し時間がたてばここも恋人達に埋め尽くされるであろう。
「で、何があったんですか?」
「見かけによらず、この手の話しに食いつき良いよな」
「安心するんですよ、あなたがちゃんと恋愛してることに」
「何でお前が安心する」
「同じ、人でない者として」
その言葉にヒューズは無言で頭をかき、それから上着のポケットからたばこを取り出す。
「最近あまり吸ってなかったのに」
「レナスがうるさくてな」
「夫婦のようですね」
「その表現はやめろ」
言いつつ火を付けようとするがマッチは物の見事に折れていた。
「…もう、帰りてぇ」
手の中のたばこをへし折り、ヒューズはベンチに背をぐったりと持たれかかった。
ヒューズがここまではっきりと疲れを顔や声に出すのは初めてで、ヴィンセントは静かに頭を下げる。
「色々とすいません」
「なんでお前が謝る」
「きっかけはアルベールでしょう。あれは俺の部下で、友人ですから」
「確かに、もう少し手綱を握っててくれると助かる」
「でも安心してください、レナスさんは歯牙にもかけてませんから」
「だから何で…」
あいつの名前を出すと言おうとして、いつもならこの手の話題を冷静に流していたことを思い出す。
「前にも言いましたけど、あなたの恋は、年の割に青すぎる」
「うるせぇよ」
「それに遠慮しすぎだ。…まあ理由がわからなくはないですが」
ヴィンセントの言葉に、ヒューズが黙り込む。
沈黙は長かった。そしてその長い沈黙を経て、ヒューズがこぼすように言葉を吐いた。
「お前は俺が何に見える」
冗談抜きでと言われて、ヴィンセントは言葉を選ぶ。
「実を言うと、あなたのことを少し調べました」
「調べた?」
「昔の癖で、色々と裏を取らないと相手が信用できないたちでして」
それを咎めることなく、むしろおかしそうにヒューズは笑う。
「で、何がわかった?」
「…何も、と言うのが正直なところです」
いくら調べても、彼に関する情報は、レナスの家に護衛として雇われた所から過去にはさかのぼれないのだ。
まるで意図的に消されているような、そんな印象だったと告げるヴィンセント。
それを聞いたヒューズは、ただ笑みを苦笑に変えただけだった。
「…だから逆に候補は絞れましたけどね。ステイツ出身でこの手の情報操作を行うとしたら、軍の秘密部隊が諜報局当たりだ。そしてあなたの能力を鑑みれば、多分後者」
でもわかるのはここまでだとヴィンセントが降参のポーズを取れば、何故だかヒューズは少し困ったように笑った。
「悪いが、俺も自分のことに関してはあまり詳しくない」
そう言うと、ヒューズは自分の右手を異形の者へと変化させる。
「自分が何者か、俺は教えられていない。ただ人ではないと、そう言われた記憶はあるが」
始めは竜を思わせる物に。そして次に、獣を思わせる物へと変え、ヒューズは忌々しげにそれを見つめる。
「生き物、でもないのだろうな。特別な仕事をさせるために造ったと言われたが、結局その仕事が終わった今も、自分が何者かはわからない」
「知る術はないんですか?」
「前の仕事は辞めちまったからな」
と言うよりやめさせられたとヒューズは苦笑する。
「戦争が終わってずいぶん立つし、最近は俺みたいな存在があると逆に不都合らしい。それでいきなり退職を迫られ困っていたところを、レナスの親父さんに拾われた」
ヒューズの言い方は、酷くさっぱりしていた。
しかしそれがただの退職でなかっただろうことは、彼の奇異な出生を聞けば自ずとわかる。
だが少なくとも今は、身も心もフロレンティアの騎士であると言うヒューズに、ヴィンセントは内心ホッとしていた。
「…でもせめて、本当の自分が『どれ』なのかくらい、聞いておけば良かった」
確かに彼の話が本当なら、いくら地方紙といえども、写真撮影やインタビューには応じられない。それに気付いたヴィンセントの脳裏に、ふと疑問が浮かび上がった。
「いくつくらい、姿があるんですか?」
「数えたことはないが、地球上にあるヒトと呼ばれる種族には一通りなれる。ちなみに今のこれは、ステイツの一般男性の顔だ」
「なぜその顔を?」
「ただ、保つのが一番楽ってだけなんだ。あとは、レナスの好み」
予想外の一言に思わずどういう事かと聞き返せば、ヒューズがウンザリした顔をする。
「元々は、別の顔で接していたんだが、こういう存在だとある時ばれてな」
「全部見せろとか言われたんでしょう」
「1日がかりだった」
幼いレナスに命令されている姿は易々と想像でき、ヴィンセントは思わず吹き出した。
「どうせなら一番楽な姿でいろと言われて……、それでこの姿になったら、一番俺らしいと言われた」
未だにその基準はよくわからないがと唸るが、そう言う困ったような表情が、一番似合っているのがこれだったのではないかと、ヴィンセントは推測する。
「年齢は変えられたりしないんですか?」
「これが限界だが若くはなれる」
「ならもっと若い容姿にすればいいのに」
「レナスに言われたんだよ、ずっと若いままだと不自然だって」
逆にやりすぎて文句を言われたけどと唸りつつも、そのレナスを語るときの彼はとても幸せそうだった。
人ではないとわかっていて、それでもヒューズが人のように笑えるのは、きっとレナスの我が儘のお陰なのだろう。
「今のあなたは、レナスさんが作ったような物ですね」
「あいつと出会わなければ、今の俺はいなかっただろうな」
「あなたを変えたのは、出会いだけではない気がしますが?」
ヴィンセントの笑顔に思わずため息がこぼれたのは、彼の言いたい事がわからぬほどヒューズも鈍くはないからだ。
「良い恋をなさっていますね」
ヴィンセントが思わず微笑めば、ヒューズは困ったように頭をかく。
「異形が恋などすると思うか?」
「側に素敵な女性がいるのなら」
ヴィンセントは微笑むと、ゆっくりと立ち上がる。
「それに俺だって人より異形に近い」
「でも元々は人だろう」
「人間らしい生活を始めたのは、俺も最近なので」
そしてその生活を与えてくれたのはきっと、恋が苦手な可愛らしい騎士だ。
「それにフロレンティアの女性は強い。彼氏が人でなくても、構いやしませんよ」
「お前はキアラを幸せにする自信があるか?」
「ないですよ。ただ、こっちが幸せになりたいだけです」
ヴィンセントの言葉に、今度はヒューズが笑った。でもそんなことを言いつつ、彼はきっとキアラを大切にするのだろう。
「お前が羨ましい」
そう呟いて、ヒューズも静かに立ち上がる。
今更のように、目の前の男に色々と話を聞いたいとヒューズは思った。
しかし残念ながら、それには辺りが騒がしくなりすぎている。
「意外と多そうだな」
言いながらヒューズが剣に手をかければ、サロンの方から物騒な武器を持った男たちが向かってくる。
そしてその武器が、酷く過激な事に二人は気付いた。
「…さすがに、舞踏会に戦斧はないですよね」
さり気なく相手方の動きを見れば、彼らは戦い慣れた様子で陣形を組んでいる。
「選手とその護衛って感じじゃないな」
「違う舞踏会の客だと良いんですけどね」
しかし男達の殺気は、明らかに二人へと向けられていた。
「ちょっとまずいかもな」
こちらへとかけてくる男達に、ヒューズは剣を構えつつ通信機に手を当てた。