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王都の菓子職人

作者: Ono
掲載日:2026/04/26

 王都ヴァシュランの春はサラにとって少し不思議な季節だった。

 石造りの尖塔や深い青の旗を掲げた城門、磨き抜かれた白い回廊よりも、彼女の目を奪ったのは街路樹だ。

 王宮へ続く大通りの両脇に白い花が雲のように咲きこぼれる。花びらは薄く、開けば光を透かし、風が吹くたび甘やかな香りがゆるく流れていく。遠目には白い海がさざめいているようにも見えた。

 最初にそれを見た時、サラは思わず「桜みたい」と呟いた。

 もちろん、この世界に“桜”はない。けれどその花の並木は、春の記憶の底に沈んでいたものを優しく掬いあげるのだった。桜よりも香りが強く、夏椿にもどこか似ている、不思議な白い花々。


 王宮付きの侍女たちは、サラが王宮の窓から通りを眺めていると微笑ましそうに教えてくれた。

「あれはポム・フルリですわ」

「ポム……?」

「ええ。花のあいだを魔術師がつなぐと、赤い実を結ぶ果樹ですの。春の終わりに術をかけるんです」

 花と花をつなぐ、という言葉の意味がよく分からなかったが、この世界に魔法があることは知っていたので、サラはそういうものなのだとなんとなく納得した。

 とにかくあれは桜ではなく、どうやらさくらんぼよりずっと大きな、しかしリンゴよりは小さな赤い実がなるのだという。白い花の海だと思っていた並木は、実のなる頃には可憐な赤い果樹園になるらしい。


「あれ、桜じゃなくてリンゴの仲間なんだ。でもリンゴと桜って同じ仲間だっけ。ん? まあ、でもどっちでもなくてポム・フルリなんだね、あれは」

 サラがしきりに頭をひねりながらそう言うと、隣にいたシャルロット王女がおかしそうに笑った。

「自分で難しくしているのね、サラったら」

「うー……」

「桜。前にあなたが話してた、花だけを愛でる木ね。でもわたくしは、実がなるほうが好き。待つ楽しみがあるもの」

「私も食べられるほうが、どっちかっていうと好きかな」


 王女は十六歳の誕生日を間近に控え、近く婚約の披露も予定されていた。相手は辺境伯家の若き当主。幼い頃からの遊び相手で、領地を継いで王都を離れてからは滅多に会えなくなった相手だと聞いている。

「待ってられずに自分で結びにいっちゃったわけだ」

「ええ。お父さまにお願いしたの。わたくし、アンリではない他の誰かなんて嫌だったもの」

 そう言って頬を染めるシャルロットは、王女である以前に年頃の少女だった。同性で同年代のサラをひどく気に入り、刺繍をしても花を見てもお茶を飲んでも、なんでも一緒にやりたがる。


 異世界から迷い込んだサラは、王宮に保護されてからというもの、なぜか賓客のように扱われていた。どうも沙羅(サラ)の名がこちらではやたらと高貴に響くようで、ただの一般人にもかかわらず異世界の姫だと勘違いされているらしかった。

 王の命で「不自由のないように」と言いつけられているため、侍女たちは丁寧すぎるほど丁寧で、サラがうっかり自分で茶を淹れようものなら軽い騒ぎになる。

 ありがたいけれど、丁寧すぎてそわそわしてしまうのが正直なところだった。サラは天真爛漫なシャルロットと比べればのんびりした性格ではあるが、やはり年頃の少女らしくじっとしていられない時もある。

 そんなサラが王宮の中で一番落ち着く場所は、厨房の近くだった。焼きたての肉の香り、煮詰めた果実の甘酸っぱい匂い、皿の鳴る音、戦場のような忙しさ。そこにはいつも何かが形になっていく気配があった。


 王女の生誕十六周年と婚約を祝うため、王都でいちばん人気の菓子職人が王宮に招かれた日も、サラはあっさりと香りに釣られてしまった。

 サラは入口からそっと顔を覗かせる。

 広い厨房の右手側はいつも通り王宮の食事の仕度で騒がしく、左手側には打って変わって静けさが満ちている。

 背の高い男が銅鍋を火にかけていた。肩幅が広く、腕も太い。白い上衣の袖を捲って、無駄のない手つきで泡立て器を操る姿は、まるで戦場の騎士に似た迫力がある。眉間に深い皺が寄っているせいで、なおさら近寄りがたく見えた。

 カミーユ・シブースト。街でも指折りの菓子職人で、腕は確か。ただひどく無口で客商売が不得手、いつも奥の厨房に引っ込んでいるらしい。王宮への納品も請け負っているが、本人が届けに来ることは滅多にない。そのカミーユが王宮の厨房を使うのは、ずいぶんと異例のことらしかった。

 それだけシャルロット王女の誕生祝いが格別の意味を持つのだろう。


「……またきたのか」

「ごめんなさい。邪魔しないから」

 サラが小声で言うと、カミーユは困ったように視線を逸らした。

「……そういう問題では」

「見てるだけ」

「見られていると、落ち着かない」

「じゃあ柱の陰からこっそり見る」

「なぜそこまでして」

 もっともな言葉に、サラは少し考えてから答えた。

「だっておいしそうな匂いがするから」

 厨房にいた下働きの少年が吹き出し、カミーユはますます眉間の皺を深くした。けれど追い返しはしない。文句を言うのも苦手なのだろう。あるいは相手が王宮の賓客扱いを受けている少女だから、強く出られないのかもしれない。


 実際のところ、カミーユはサラに困り果てていた。

 王宮からの依頼は大仕事だ。王女の誕生日と婚約、ふたつの祝いをひとつの菓子に込めなければならない。華やかで記憶に残り、祝いの席に相応しい新しい菓子。腕の見せどころであると同時に、失敗の許されない場でもあった。

 なのに作業場の端にはいつも、ふわりとした空気の少女がいる。じっと見ているくせに圧はない。ただ花の香りに惹かれてきた蝶のようにそこにいる。話しかければ素直に返事をするし、黙っていれば黙って眺めている。

 どう扱っていいのか分からない。


 カミーユは女性が苦手だった。生来のあがり症に加えて、特に女性を相手にはうまく話せない。店でも接客は弟子や女主人の役目で、自分は大抵厨房に引っ込んでいる。王都では無口で気難しい職人として通っていたが、実際は女の客に何か尋ねられただけで喉が詰まり、耳まで熱くなってしまうだけだった。

 だから、これはいつものことだ、とカミーユは思っていた。

 サラに対して妙に調子が狂うのも、ただ女性が苦手だからだと。そう思っていなければ仕事にならない。


 ***


「王女殿下は、ポム・フルリが好きなんだって」

 ある日、サラが作業台の端に並んだ果実を見て言った。白い花の季節が過ぎて盛りの頃に採られた実が、宮廷魔術師たちの手により新鮮なまま食糧庫に貯えられているものだ。

「婚約者になる辺境伯様と、子供の頃によく食べたって」

 カミーユは果実を手に取り、その重さと香りを確かめた。

「祝いには向いている」

 魔法が花をつなぎ、やがて実を結ぶ。ポム・フルリは栄養価も高く、菓子にも食事にも使いやすい果実だ。


 彼は薄く伸ばした生地を円形の型に敷き込んだ。底に穴をあけ、重石を乗せて焼く。別の鍋では牛乳を温め、卵黄と砂糖、粉を合わせたものに少しずつ加えていく。手元は迷いなく、鍋の中身はゆっくりと艶を増した。

「それ、何?」

「クレーム・パティシエール。カスタードだ」

「あ、知ってる。とろっとしておいしいやつ」

 サラの声が少し弾む。カミーユは頷き、今度は卵白を泡立てにかかった。白い液体が、やがて雪のような山を立てる。そこへ熱い砂糖液を細く垂らし、さらに泡立てる。きめ細かく艶やかなメレンゲが鉢の中で光を宿して膨らんだ。

「それと混ぜるの?」

「ああ」

 冷ましたカスタードに温かいメレンゲを合わせる。重たかったクリームが見る間に軽く、空気を含んだものに変わっていく。崩れやすい。手早くしなければならない。


 焼きあがったパイ生地に果実を並べ、その上からクリームをこんもりと盛る。表面をならして最後に砂糖をふる。火で焼きつけ、薄い飴の膜を作るのだ。

「きれいだね」

 サラの呟きに、カミーユは返事をしなかった。ちょうどその時、背後から侍従が王女の細かな要望を告げにきたからだ。祝いの席の飾り花の色、切り分けやすさ、持ち運びの時間。次々と差し挟まれる言葉に気を取られ、カミーユの集中は僅かに乱れた。

 しかも気づけばサラがいつも以上に間近で手元を覗き込んでいた。

「いい匂いがする」

 カミーユの肩がぴくりと揺れる。火加減が一瞬遅れた。

 表面の砂糖は美しい琥珀を越えて、やや濃い褐色に沈んだ。端のほうは小さく煙を上げ、ほろ苦さが強く立つ。


 焦がしてしまった。しかし幸いにもまだ試作品だ。カミーユは低く息を吐いた。作り直せばいいだけ、そう判断するのに一拍も要らなかったが、焼き色の確認のため切り分けた一片をサラがひょいと摘まむほうが早かった。

「待て、それは」

「もう食べちゃった」

 しれっと咀嚼したサラは、思いがけず嬉しそうに笑う。

「カミーユさん、これおいしい」

「だが焦げている」

「うん。それがいい。甘いだけじゃないのがいい。果物の匂いが強くなって、クリームはふわふわで、下の生地はさくさくで……焦げたところが、なんか大人っぽい」

 弟子たちが顔を見合わせる中、カミーユは言葉を失った。


 明らかに失敗だと思った。だが、この少女は、そこにしかない味を見つけている。

「……もう一口いるか」

 気づけばそう言っていて、サラはぱっと表情を明るくした。

「いる!」

 その返事の速さに、厨房の隅からまた笑いが漏れた。


 それから数日のあいだ、祝いの菓子は何度も試作された。

 果実の厚みを変え、焼き色を調整し、香りづけの酒を変え、パイの層を重ねる。サラは相変わらず香りにつられて現れ、そのたびに「見てるだけ」と言いながら、結局はカミーユが空気に耐えられなくなって端切れや試作品を差し出し、味見するのだった。

「今日は、昨日より花の匂いがしておいしい」

「それは酒だ」

「んー。ふわふわが強くておいしい」

「メレンゲを増やした」

「こっちは焦げ目がカリッとしておいしい」

「君は何でもおいしいと言う」

「だっておいしいんだもん」

 口数の少ない職人と、のほほんとした少女のやり取りは、忙しい厨房の者たちの密かな楽しみになっていた。


 そしてカミーユは試作を重ねるほど落ち着かなくなっていった。サラがくると火加減を確かめる回数が増える。名前を呼ばれるだけで鼓動が跳ねる。彼女が王女のもとへ戻る背を見送ると、厨房が急に広く感じられる。

 女性が苦手だからだ。そういうことにしておけば、まだ平静を保てる。そういうことにしておかなければ大きな失敗をしそうだった。


 一方サラはそんなカミーユの内心など知らない。ただ最初は怖そうだと思っていた大男が、菓子に触れる時だけ驚くほど繊細なことを知り、その不器用さに親しみを覚え始めていた。

 サラが厨房に入ると、カミーユはちょうど試作品のパイ生地を伸ばしているところだった。見た目とは打って変わって丁寧で繊細な仕草。自分はお菓子ができあがる過程を見るのが結構好きらしいと、サラは最近になって気づいたのだ。

「カミーユさん。私お仕事の邪魔?」

「……いや」

「私がくると困る?」

 また短い沈黙。今度は少し長かった。カミーユは視線を生地に戻しながら「慣れないだけだ」と言った。

「女の人と話すのが?」

「……ああ」

「私がくるとうるさいですか」

「……」

「うるさいのは嫌ですか」

 カミーユはパイ生地を置いて、作業台に両手をついたまま俯いた。


「くるなとは言えない。君は……王宮の賓客だ」

「ただの居候なんですけど。だから、くるなって言っても大丈夫です」

「……」

「言わないんだったら、きちゃいますよ?」

「……ああ」

 カミーユはくるなとは言わなかった。それは彼なりの「きてもいい」なのだとサラにも分かり始めていた。


 言葉は少ないが、小間使いにも必ず欠けのない焼き菓子を渡す。手伝いの少年が指を火傷すれば無言で薬草膏を差し出す。サラが熱い皿に触れそうになれば、ぎょっとした顔で引き寄せてくれる。

 優しい人なのだ、とサラは思った。ただ本人がそれを表に出すのがへたなだけで。

 この恵まれた体躯で振るうのは剣でも槍でもなく鍋とレードルではあるけれど、カミーユの周囲には安堵と平穏が満ちているように感じられた。


 ***


 祝いの日が近づくと、王宮全体が明るく浮き立った。廊下には花が飾られ、庭では楽師たちが宴の練習を重ねている。

 サラはシャルロットと並んで、王宮の窓から通りの並木を眺めて待つ。白衣を纏った魔術師たちが一列に並び、銀の杖でひとつひとつの花に触れながら、魔法を唱えている。

 白い花から花へ、きらめく糸のような光を渡していく。枝の先で、あるいは向かい合う枝のあいだで、魔法の線が結ばれるたび花芯に淡い紅が差した。数刻もすると、白い花の奥に小さな丸い膨らみが現れる。

 なるほど魔法はミツバチの役割なのだとサラは興味深そうにその光景を見つめていた。


「きれいね」

「うん」

「あの光を見るたびに、わたくしはなんだか胸が熱くなるの」

「私も。つながるっていうのが、なんかいいなと思って」

 花だけでは実がならない。だからといって魔術師が強引につなぐわけでもない。

「花が咲いていないとだめだし、咲いてる花同士じゃないとだめ。お互いに、咲いている時じゃないと」

「わたくしとアンリの恋みたいだわ」

 うっとりと惚気てくるシャルロットに微笑ましいやら鬱陶しいやら絶妙な気持ちになる。まだ婚約前だというのにラブラブである。

「まあ、そんな感じかもね」

 ポム・フルリの甘い香りが漂ってくる。カミーユが試作品のパイ生地を伸ばす時の慎重な手つきを思い出す。焦げたキャラメルの使い道を考える真剣な瞳。サラがくるたび困惑しつつも決して迷惑そうにはしない優しさ。

 窓の外の光を見ながら、あの厨房の空気を思い出していた。


「来月ね、アンリがくるのよ」

「辺境伯領から? 婚約でも結婚式みたいなことをするんだ」

「ううん。でも今年は婚約者としてわたくしの誕生日を王都で祝う、って。アンリが王都にいてくれるのだと思うと、カミーユには悪いけれど、ケーキの完成までもっと時間がかかってほしいと思ってしまうの」

「……そうですねえ」

 シャルロット王女のためのケーキを作りにきているのだから、それが終わったら帰るのだと、そんな当たり前のことをサラは改めて考えていた。


「ねえ、サラ。あなた、最近よく厨房にいるでしょう」

「うん」

「カミーユとはどう?」

「どう、って?」

「素敵と思ってるんでしょう」

 あまりに率直な言い様にサラはびっくりして瞬きをした。

「ええと、すごい人だなとは思うよ。あんなごついのに作るお菓子はきれいだし、おいしいし」

「そうじゃなくて」

 王女はソファに寝転がるようにしてクッションを抱き、嬉しそうに笑っている。

「まあ、いいわ。昔、彼がお母さまのために焼いた菓子を見たことがあるの。丁寧な仕事をする職人は多いけれど、あんなふうに心を籠められる人は、めったにいないわ」

「うん……」

 そうだねともそうかなとも言えず、サラはぼんやりと窓の外を見た。


 ***


 祝いの当日、広間には招かれた貴族たちが集い、燭台の火が無数に揺れていた。花と果実の飾りで縁どられた長卓の中央に、カミーユの菓子が運ばれる。

 薄く焼いた黄金のパイ生地の上に、ポム・フルリのソテーが艶やかに並ぶ。こんもりと盛られたクリームは雲のように軽く、その頂には琥珀色の焼き目が煌めいた。表面には白い花弁を模した砂糖細工がそっと添えられていた。

 花が実を結ぶように。少女が新たな約束へ向かって歩み出す様を寿ぐように。

 祝福と繊細な祈りが一皿に閉じ込められているようだった。


 切り分けられたひと口を食べたシャルロット王女は表情を綻ばせる。

「おいしい! 最後に少しだけ苦いの。大人になるお祝いみたい」

 辺境伯アンリも、珍しく言葉少なに頷いてから「毎年食べたい」と真顔で言ったため、王女は「でしたらずっと王都にいらして」と声を立てて笑った。

 広間はたちまち賛辞で満ちた。王も機嫌よく杯を掲げ、王妃は花の砂糖細工に娘を重ねて目を細める。


 その喧騒から少し離れた柱にもたれ、サラはそっと息を吐いた。あの焦げ目の失敗から始まった菓子が、こんなにも晴れやかな場所に似合っている。自分のことのように胸がドキドキしていた。

 ふと見ると、広間の入口近くにカミーユが立っていた。祝いの席に職人が前へ出ることはほとんどない。けれど最後まで様子を見届けるつもりなのだろう。

 彼と目が合う。カミーユは一瞬、視線を外しかけ、今回はなんとか思い留まった。そしてぎこちなくサラへ向かって小さく頭を下げる。

 サラが駆け寄ると、カミーユは意を決したように「君のおかげだ」と口にした。

「え、何が?」

「キャラメルを焦がすのは思いつかなかった。それに……君が、ポム・フルリの香りを運んできたから」

「じゃあ、一緒に作ったケーキってことで!」

「ああ」

 冗談めかして言った言葉に思いのほか真剣な表情で頷かれ、サラは妙に照れくさくなって頬を染めた。


 ***


 祝宴が終わるとカミーユたちは店に帰って行き、厨房の左手側もまた酒と肉の匂いが漂う戦場に戻った。

 別れの挨拶はなかった。もちろん国王夫妻や王太子、シャルロット王女には挨拶したのだろうけれど、サラには一言もなかった。当然そうだろうとは思いつつ、サラはなんとなく不貞腐れていた。

 異世界からきた友人のそんな不安を見てとり、同じく婚約者が早々に辺境伯領へ帰って行ったことに唇を尖らせていたシャルロットが言う。

「ねえサラ、カミーユのお店に行ってみましょうよ」

「え、今から?」

「わたくしが行きたいと言えば一緒に行けるわ」

 そういう理屈がまかり通るのが王宮という場所のよいところだ、とサラは思った。


 結局、国王に「今日いきなりは無理だ」と叱られ、お触れを出した後にサラはカミーユの店を訪ねることになった。シャルロットが侍女二人を連れ、護衛もつけてずいぶん大袈裟な「お忍び」だったが、人々は王族に慣れているらしく歓迎しながらも騒ぎたてられることはなかった。

 菓子店は石畳の小道の角にある。白い壁に緑の鎧戸。窓辺に飾られたタルトやパイが通りからでも輝いて見え、日頃の女性人気を窺わせる。まるで高級宝飾店のようだった。


 中に入るとカミーユが所在なさそうに立っていた。王女がくるとなれば出迎えざるを得なかったのだろう。店内は今日のために人払いがされているらしく、他の客の姿はなかった。

「こんにちは」

「君も一緒だったのか」

「シャルロット殿下だけだったら困ったでしょ?」

「……ああ」

 カミーユの視線がシャルロットのほうへ向かう。シャルロットが元気よく「ごきげんよう。わたくしの婚約祝いのケーキ、ありがとうございました」と笑いかけると、カミーユはぴたりと固まってしまった。


「シャルロット殿下、ほらあれ、あのお菓子、向こうの世界にも似たのがあったんですよ」

「まあ、本当? あなたの世界とこちらの世界、時々よく似ているのね」

「こっちのは見たことないなあ。私がもっとお菓子に詳しかったらよかったんだけど」

 さりげなくシャルロットの手を引いて店内を見て回りながら、サラはカミーユに「ここは任せろ!」と目配せをする。それを見てカミーユは安堵のため息を吐き、厨房のほうへ退いていった。

「タルトとパイが今日の目玉みたい。それから……」

「先日のケーキはないのかしら」

「あれは殿下のためのお祝いだから、カミーユさんも勝手には作れないんじゃない?」

「でしたらこのお店のメニューとして差し上げられるよう、お父さまにお願いしましょう」

「いいですね。そしたら街の人たちも食べられるし」

 その日、サラはほとんどの時間を接客に費やした。シャルロットはご機嫌で様々な菓子を試食し、侍女たちも楽しそうに菓子を選び、店の中は随分と華やかな雰囲気だった。


 帰り際に、カミーユが厨房の扉から少し顔を出した。それを見つけてサラが駆け寄る。

「ありがとう、助かった」

「いえいえ。お役に立ててよかったです」

「またくるか?」

「殿下があのケーキ、また食べたがると思います」

「……そうではなく」

「え?」

 カミーユは視線を逸らして、厨房のほうを向いたまま黙っている。それでもなんとなく照れくさくなって、サラは勢いを失って俯いてしまう。厨房の扉を隔てて中では弟子たちが、店先ではシャルロットと侍女たちが、固唾を飲んで見守っていた。


 やがて菓子店にはあの宴のケーキが並ぶようになり、人々はそれを作った職人の名をとって『シブースト』と呼ぶようになった。王都の新しい春の名物、ポム・フルリを使った祝い菓子。


 ***


 そして季節が幾度か巡ったあとにも、その店には変わらず甘い香りが満ちていた。

 王都で最も人気の菓子店だというのに、厨房の奥では大柄で無口な職人が今日も人目を避けるようにして菓子を焼いている。相変わらず客の前に出るのは得意ではない。注文を受けようとすれば言葉に詰まり、褒められればますます奥へ引っ込んでしまう。

 そんな彼を守るように、店の表には明るい声が響いていた。

「いらっしゃいませー。本日のおすすめは、焼きたてのシブーストです。当店特製ポム・フルリのジャムを添えてもおいしいですよ」

 ほがらかに笑って客を迎えるのは、王都では珍しい黒髪の女性だった。王宮の賓客であった異世界人は、今ではすっかりこの店の顔になっている。子供には焼き菓子をひとつおまけしてやり、手土産を迷う貴婦人にはやさしく相談に乗り、忙しい昼どきには包み紙を結ぶ指もずいぶん早くなった。


 奥の厨房との境目から低い声が彼女を呼ぶ。

「サラ。飾りの花が足りなくて……」

「はーい。いま持っていく!」

 振り返ったサラは、白い砂糖花の籠を抱えて奥へ向かった。

 カミーユはいつものようにぶっきらぼうだったが、受け取る時に彼女の指に砂糖がついているのを見ると無言で布巾を差し出した。サラは笑って礼を言い、そのまま作業台の端に腰掛ける。


「今日の焼き色、ちょっと深い?」

「……少し強めに焦がした」

「私、あの香り好き」

「知ってる」

 カミーユは耳の辺りを僅かに赤くしながら、新しく焼きあがった菓子の表面を見つめた。

「味見するか」

「する!」

 返事が相変わらず早く、彼は見慣れている者でなければ分からない程度に唇の端を持ち上げ、サラも同じように微笑んだ。表では客の笑い声がして、扉が開くたびに春の風が花の香りを運び込んでくる。


 ***


 婚姻の儀を終えたシャルロット王女はアンリ伯について辺境伯領へと移り住み、時折サラのもとへ手紙を寄越した。最近の彼女はお菓子作りに精を出しており、夫が「シブーストのほうがうまい」と言うのでなお熱心に挑戦を繰り返しているようだ。

 王都ヴァシュランで過ごす何度目かの春。王宮へ続く大通りの両脇に白い花が雲のように咲きこぼれ、菓子店の窓からそれを見つめるサラは「ポム・フルリが咲いてるなあ」と思う。

 花と花が、魔法でつながれて実を結ぶように。すべてのことはゆっくりと静かに色づき始めていた。

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