EP.8 自己紹介
「君が会ったという天使は、なんと告げたんだい」
キースは穏やかな口調で紗和を促した。
誰にも見られないように、毛布の中で拳を握り締める彼女の手は震えている。これがもし、紗和の体であったなら、本当に力を込めて拳を作っただろう。だがこの体はあくまでも借り物だ。だから、傷つけることはできない。力を込める事の出来ない反動で、その拳は本当に小さく、震えていた。
それでもこのことを決して誰にも見せないのは、紗和が紗和であるための意地だった。
自分からこの役を引き受けた。すでに死んでいるはずだった自分はこうして生きている。ならば、きちんと自分の役目を全うしてやろうではないか。
「天使は、私に、この体の健康状態を快復してほしいと言っていました。彼女の体は弱いのは、あくまでも精神からくる病であって、もしその精神的病が無くなれば、きっとまた体は元に戻ると」
「本当ですか!?」
水色のドレスを来た女性が瞳を瞬かせて声を上げた。
「クリスティアナちゃんの魂を神様の元で快復させて、その一時期の間だけ、体を他の健康的な魂に受け渡したんだと言ってました」
「その選ばれた魂が、君だと」
「多分、そうなると思います」
「では、神と天使達が直々に君をクリスティアナの体に宿らせたんだね」
「はぁ、多分」
―――実は自分死んでまして。なんか色々な偶然が重なった結果ここにいます。
などとは口が裂けても言えない紗和である。これを言えばまた、周りの人間の怒りに触れてしまうだろう。仮面越しに人に怒られるのは恐いし、正直、とても不気味だ。
「手鏡を、見せていただいてもよろしいか」
ベリアが、少し顔を俯かせたまま手だけを紗和の方に向けていた。
『お嬢様』に対して怒鳴ってしまったことに謝罪の意を覚えているのか、はたまた我を忘れて怒りを露にしてしまったことに後ろめたさを感じているのかはわからないが、紗和は自分よりも幾分か年下のように見える彼に、快く手鏡を渡した。
手鏡の後ろに刻まれた言葉に目を通した後、彼は紗和を見た。彼女の真正面に立つと、背筋を伸ばし、それから腰を曲げて頭を下げた。
「先ほどの無礼、どうぞお許しください。天使様は、あなたの魂を尊いものとしてこの世界に召喚されました。それは、この手鏡が証明している」
「なるほど」
ベリアから手鏡を受け取り、様々な角度からそれを見ていたキースも、どこか納得するように頷く。
「確かにこの言葉は、君がクリスティアナの命を救うために存在していることを指している」
キースは手鏡を赤い髪に男性に渡し、そしてその男が紗和に返した。
「クリスティアナ、ではなかった。………なんといったかな」
「サワです」
「そうだ。サワ、だったね。では、サワ、クリスティアナが神の元でその心の傷を癒す間、どうか君が彼女の体を癒してやってほしい。彼女の父親として、お願いするよ」
キースはそう言って小さく頭を下げた後、用事があると席を立った。
彼が退出する際、その瞳に少しだけ冷めた色を見つけたのは、これまで仕事の関係柄様々な人々と出会ってきた紗和の勘だ。確かに、紗和の存在を認め、彼女の役割を理解したであろうキースは、されど、紗和のことを完全に受け入れたわけではない。それを彼女は彼の瞳から感じ取った。
きっとこれからも、警戒をされてしまうだろう。
クリスティアナが無事に戻ってくる、その日まで。
● ● ● ● ● ●
「それではお嬢様、私達の方も話を進めましょう」
長髪の黒髪の男が言った。
「あの、その、お嬢様って呼ぶのは、止めてもらえない?なんだかごちゃごちゃになりそうなんだけど。……名前で呼んで、サワって」
「それは、慣れてからでないと無理な話ですね。あくまであなたはお嬢様なのですから」
「はぁ」
「では、あなた様がお嬢様であってお嬢様自身でない事がはっきりした今、きちんと自己紹介をさせていただく必要がありますね」
「……………あ、うん。お願い」
かなりややこしい状況に陥っているんだなと改めて思い直していた紗和は、男性の言葉にやや遅れて反応した。
彼女の反応を特に気にした様子もなく、まずは今まで話をしていた黒髪の長髪の男が腰に手をやって恭しく頭を下げた。
「クリスティアナお嬢様の執事をしております、エドガー・ベラミーと申します。彼女の身の回りの管理はすべてこの私がしておりますゆえ、どうぞ何かお困りの際はお声をかけていくださいませ」
彼が席に座りなおすのと同時に、茶髪の青年が立ち上がった。
「俺はお嬢様の護衛をしている、アーヴィン・オルポートといいます」
彼はまだ少しだけ紗和の存在を疑っているようだ。言葉少なく自己紹介を終えると、そのまま席についた。
「オレはフラン・ビショップ。クリスティアナ様のお目付け役として傍で使えている。これからよろしく頼む」
「あ、はい。こちらこそよろしく、お願いします」
赤い髪の男性は、周りに比べてかなり友好的な態度で紗和に接してきてくれた。そのせいか、紗和も自然と頭を下げてその紹介に答える。
次に彼の隣に座るドレス姿の女性が立ち上がり、深々と頭を下げてきた。
「チェスター・バーンズと申します。アーヴィンと同じく、お嬢様の護衛を勤めております」
「………チェスター?」
先ほどから聞いていると、彼らは皆英国の名前を名乗っている。まぁ、この世界が中世ヨーロッパのパラレルワールドだというのだからそれは当然だ。紗和が引っ掛かりを覚えたのは、女性の名前だ。
彼女の記憶が正しければ、その名は男性につけられるはずなのだが。
「あぁ、この格好でよく間違われますけれど、チェスターはちゃんとした男です。この姿は、まぁ、彼の趣味だとでも捉えておいて下さい」
エドガーがにこやかな笑顔でフォローする。
「へ、へぇ」
「申し訳ありません!こんなワタシがお嬢様の傍にお仕えしているなど、やはり恥以外の何者でもないとは承知なのですっ」
「い、いや。別にそこまで言ってないから、落ち着いて」
急に顔色を悪くして悲観的なことを言い始めたチェスターにたじたじとなりながら、紗和は笑顔を崩さなかった。
「……僕は、コリン・ハリスです。お嬢様の遊び相手として屋敷に住まわせてもらっています」
金髪の少年は、それだけ言って、アーヴィンと同じように椅子に座った。そして紗和の姿を視界に入れないようにそっぽを向く。
―――若いなぁ。
その態度を失礼に思う事無く、紗和は苦笑いをした。この生意気さは、彼女の甥を思い出させるため、間違えれば笑いさえ零れそうだ。あれが大きくなれば、こんな風になるのだろうかと、想像してしまって。
「私の名前はベリア・ランドルフ。医師として、お嬢様のお傍に仕えさせていただいている」
最後に銀髪の青年が言った。
クリスティアナの付き人は全員で六人。そんな彼らは揃いも揃って美形の男性という。
紗和はふと思った。
―――この子、一体どこからこんなに美形ばっかを集めたんだろう。