後日談: 甦るのは思い出の日々
本編後のお話。
長くなったので二話に分けてます。
「お嬢様、なにやら周辺がきな臭くなってきました。ここはとりあえずこの場を去るのが得策かと」
「心配症のエドガーが言うなら、従います」
「………」
とても引っかかる物言いではあるが、相手は敬愛して止まない少女なので、無言で耐えた。
「クリスティアナ様、こっちだ!」
左顔面に負ったモンスターからの爪痕のせいで、片方しか見えていないはずのフランはそれでも機敏に動きながら、守るべき少女と同僚を誘導する。
その周りで剣を構え、剣呑な表情を崩さないのは、護衛であるアーヴィンにチェスター、そしてコリンだ。
ベリアはエドガーと共にクリスティアナの両隣を固めている。
心身ともに健康となった誰よりも大事な少女が彼らの元に帰ってきて、すでに五度目の季節が廻っていた。
特に変わったことといえば、コリンの背が伸びたこと、クリスティアナが屈託なく笑う事ぐらい。
そして、モンスターの活発化であろうか。
噂には聞いていた。モンスターが村や街を襲うようになったと。
警戒をしていたはずなのに、ここまで手が伸びてくるとは予想外だった。
クリスティアナやその側近達は、王都からそう遠くない都市を訪ねていた。チェスターを通じて知り合いになった、彼の弟への誕生日プレゼントを買うために、彼らはたまたまそこに居た。
そして出くわすことになってしまったモンスターの来襲。
街の住人達と共に協力してその場を離れる算段を整える。
「ヒィィィ!!ボアロだ!!!」
ボアロとは、熊を更に狂暴化し巨大化させたモンスターの事。当然ながら肉食である。
「お嬢様!!先にいけ!!俺達で食い止める!!」
アーヴィンが剣を構え、自分の何倍もの大きさのあるモンスターを、真正面から見据えた。
「僕もお供します!!」
その隣にチェスターが立つ。
「恥じない自分になると、約束しましたから」
それが誰との約束か、言われずともわかる。
「俺だって!!」
二年ほどまえから身長が急激に伸びたコリンは、変わらない悪戯っ子のような笑顔でチェスターの隣に立っていた。
「みんな………」
エドガーに急かされるように走っていたクリスティアナは、後ろを振り向いて、一瞬足を止めた。
ずっと昔にある人が語ってくれた彼らの良いところ。その物語りがあったからこそ、クリスティアナは今の場所に還って来ようと思ったのだ。
彼らがその人を思い出させるような事をクリスティアナの前で言ったのは、これが初めてだった。
「お嬢様!」
力の差は一目瞭然だ。けれど、負けるわけにはいかないし、負けるつもりもない。
ここで死ねば、自分達の幸せを願って先に逝ってしまった彼女に面目が立たない。
一匹だと思っていたはずのボアロの後ろから、更に三匹のボアロが姿を現した。
ボアロ達の爪が、目の前に立ちふさがる三人に向かって容赦なく振り下ろされる。
「アーヴィン!!」
「チェスター!!」
「コリン!!」
遠くから、同僚たちの自分を呼ぶ悲鳴が聞こえた。
と、目の前に現れたのは、三つの影。
一瞬にして崩れ落ちたのは、大熊の形をしたモンスター達の方だった。
何が起きたのかわからず、その場に居た全員が目を白黒させる。それは、戦いの経験も多いクリスティアナの側近達も同様だった。
次いで聞こえた声は、確かにボアロの亡骸の後ろから聞こえてくる。
『ったく、こんな雑魚にどんだけ必死なんだか』
『相手は人間だよ、当たり前』
『ちょっとーもー、やるなら急所狙いなさいよー。身体に血がついちゃったじゃない』
その三つの影の正体はすぐにはっきりした。
「!!」
アーヴィン達はすぐに剣を構え直した。
三匹に共通しているのは、豹を一回りも二回りも大きくさせたその姿。
猫のようなやわらかで真っ黒な毛並みを持ちながら、しかしその尻尾は爬虫類のように長く先が尖っている。耳もまるで閉じているかのような不思議な形。その目は藍色で、面白そうなモノを観察するように目の前の人間達を見つめている。
真ん中に佇む一匹は、全体が白で耳と尻尾が茶色。一見すれば三毛猫のような色合いだが、明らかに猫ではない小さな羽が生えている。紅い瞳はまるで高みの見物をするかのように細められている。
そして最後の一匹は体を鱗で覆われていた。魚の鱗のようなそれは、光の反射で美しい光沢を放つ。他の二匹に比べてとても穏やかな緑の瞳をしていた。
新たに現れたモンスターである彼らに、その場に居た全員が一斉に警戒心を強くした。先ほどの光景は、まるで彼らを助けるようにも思えたが、そんなことがあるわけがない。
モンスターは、悪なのだ。
人を襲う悪しき存在。
けれど、本当に?
と、鱗で覆われた一匹がゆったりと前に踏み出した。
『僕達はあなた方の敵というわけではありません。………とりあえずは、味方、と認識してもらっても構いません』
「モンスターが人間の味方だと!!そんなことがあるわけがなかろう!!」
少し離れた場所に居たベリアは、聞き捨てならない言葉に抗議の声を上げた。
『うっせぇなー。なんだよ、相変わらずかよ』
藍色の瞳のモンスターが威嚇するように牙を見せつける。
ベリアは黙った。
『あぁ、嫌だ嫌だ。だから、無知なくせにそれを認めない奴は嫌いよー』
赤色の一匹がその隣で暢気に欠伸をする。
『兄さんも姉さんも、周りを煽るの止めてくれませんか。ほんと、誰に似たんだか』
緑のモンスターはなにやら苦労性らしく、溜息をついていた。
一見すれば、コントのようなやりとりである。そのやり取りを行っているのが、豹型のモンスターでなければ、の話だが。
『この周辺のモンスター達はすべて片づけました。しばらく、ここは安全でしょう。逃げるのも、留まるのも、好きにすればいい』
緑の瞳の彼は、どうやら常識的なモンスターであるようで、丁寧に状況の説明をしてくれた。
「俺達が、それを信じるとでも」
アーヴィンが緊張を含んだ声音で、牽制するように語り掛ける。その視線は、一瞬たりとも目の前の三匹から外れることはない。
鱗で覆われたモンスターは、しばらくの間目を細めて声をかけてきた青年を眺めていたが、その後は興味を失ったかのように顔を背けた。
『信じるかどうかはあなた方次第です。人間界にも色々決まり事などがあるようなので、尊重することにしましょう。とりあえず、僕達があなた方を助けたのは、主からの命令だったから。………僕達からの恩返しも兼ねてますけど』
『やっぱりわかってたけどさー、忘れられんのはちと悲しいなぁー』
『仕方ないじゃない、どんだけ時間が経ったと思ってんのよ』
『さぁ、戻りましょう。主がお待ちです』
三匹はそう言って、人間達に背中を向けて歩き出す。
どうやらもうここには用はないようだ。
とりあえず去ったのだろう危機的状況に、アーヴィン達が安堵の息を漏らせば、いつの間にかエドガーの隣に居たはずのクリスティアナが前線に居た彼の隣に立っているではないか。
「ありがとうございました!!」
彼女は深々と頭を下げて去っていく三匹を見送る。
去り際のモンスター達は歩みを止めて後ろを振り返る。それぞれの口元には笑みが浮かんでいて、その瞳は果てしなく優しい。
彼の言った味方という言葉を、手放しで信じてしまいそうになるくらいには。
『いいってことよ!!聖女様よ!!』
藍色の彼が叫んだ。
『良い顔で笑うようになったじゃない』
紅の彼女は、言葉に反してどこまでも優しい声音で言った。
『まぁ、僕達の主には負けるけどね』
緑の彼はそう言って、他の二人に先に進むように頭で前方を指しながら促す。
「ラン、コウ、リョク!!早く!!遅れるわよ!!」
その時、三匹の進む更にその先に、人影が現れた。
並んでいるのは二つの影。顔の詳細まではわからないが、一人は黒髪の長い髪が腰の辺りで揺れていて、もう一人はそんな黒髪の人物より幾分か身長の低い、茶髪の肩までの髪。そのほっそりとしたシルエットから、なんとなくどちらも女性なのだろうと予想できた。
『主!!』
三匹が嬉しそうに駈け出した。
すぐに彼らの傍に駆け寄ると、二人は慣れたように、黒髪の女性は緑の彼の背に、そして茶髪の女性は、一度クリスティアナ達の方へ深い一礼をして、紅の瞳のモンスターの背に跨った。
「ラン?」
聞き慣れない音であるはずなのに、どこかで聞いたことのある名だ。コリンは眉を顰めた。
それは側近達全員に共通する思いと表情。
しかし、クリスティアナはまったく違う方向に意識をとられていたので、彼らには気づかない。
「お姉、さま?」
あの黒髪、そしてあの声。
「クリスティアナ様?」
自分の意識の中に嵌り込む寸前だったアーヴィンは、その寸前で隣に立つ少女の呟きを聞きとがめた。
エドガー、ベリア、そしてフランも前の方に向かってくる。
「お姉さまですよね!!」
決して小さくないクリスティアナの問いかけは、遠方にいるはずの人物達にも聞こえたらしい。モンスターの背に跨ったまま、黒髪の女性の頭が確かに頷き返す。
「あの、クリスティアナ様?お知り合いですか?」
「はい!!昔、魂のまま彷徨っていたわたくしを迎えに来てくださったお姉さまです!」
「え?」
質問をすることで、状況を把握しようとしていたエドガーの思考が止まった。
遠い昔の記憶が甦ってくる。
思い出すと切なくて、気が付かぬうちに記憶の彼方に追いやっていた優しい思い出たちだ。
「エドガーを心配性だと。ろりこん、はらぐろ執事だと、そう仰っていた方ですわ。………意味については、結局教えてはくださいませんでしたけど」
「!!?」
側近達は、驚いたように息を呑んで、その勢いのままモンスター達が佇んでいた方向を振り返った。
そこにはもう誰もおらず、見れば空の上を飛んでいく影が見える。
その内の一つが、大きく腕を振っているのが見えて、側近達の間から知らず知らずの内に乾いた笑い声が溢れだしてきた。
また、うまく逃げられてしまったようだ。
「ラン、コウ、リョクですか」
チェスターが呟く。遠い昔に、身近で何度も繰り返し聞いていたモノだ。何故、忘れてしまっていたのだろう。忘れないように、気を付けていたはずだったのに。
「そりゃあ、聞き慣れない名前だよね。だって、この世界のものじゃないんだから」
コリンは前髪をくしゃくしゃに掴みながら、モンスター達とその背に乗った彼女達の飛んでいった先を凝視し続ける。気づくことのできなかった自分が悔しい。
「黒髪の女性がサワ様ならば、その隣に居たのは、きっと」
一つの謎が解ければ、自ずとすべての点が綺麗に繋がっていくものだ。
フランは、サワが逝ってしまったあの日、同時に姿を消した侍女を思い出していた。彼女も、結局謎のまま居なくなった。
「この世界に、留まっていたのか」
ベリアの表情は微かな苦しみを表している。。あの時、謝罪すらできなかったことは、今も彼女の中に残っている後悔なのだ。
「本当に、我々の想像を超えたことをなさる、困ったお方だ。もちろん、次に会った時は絶対に逃がしはしませんが」
エドガーはいつも以上に早口で語ると、メガネを指先で押し上げたまま空を眺め続ける。まるで、彼女の微か残り香を見つけ出そうとするかのように。
「俺達と同じ世界に、居てくれたことが、嬉しい」
アーヴィンの瞳は微かな熱を持っていた。彼の呟きは、去って行った彼女に向けられているのだろう。その証拠に、彼の瞳は周りの誰かを映しているわけではない。
切ない表情で彼を見上げていたクリスティアナだが、何か言うつもりはない。
この世界に戻ってきた時にはすでに、仄かな憧れを抱いていた彼は、誰か違う人をその心に選んでいた。それが、自分を救ってくれたあの女性なら、まだ救われるというもの。
もう一度、クリスティアナは空を見上げた。
そこには、青い空と、白い雲が浮かんでいるだけ。