EP.75 終わりを告げる鐘が鳴る
エイダの養父母に別れの挨拶を告げて、馬車に乗り込む。
結局一週間以上の滞在になってしまった。
彼女達を乗せた馬車は神殿に辿り着く。
そこで再び紗和の魂を依代から切り離し、元の人形に移し入れる。
ここまで何度も魂の入れ替えをされれば、その感覚にも慣れるというもの。
―――いやぁ、こんなものに慣れても仕方ないんだけどなぁ。
無事人形に戻り、エイダの胸元に大人しく収まっていた紗和は溜息をつく。
馬に揺られ見えてきたのは懐かしいオールブライト家本邸。
『いやだぁ、やっぱり帰りたくないぃぃぃ、てか気まずいぃぃぃ』
「諦めた方が良いと思いますよ」
エイダの胸元にひしっとしがみ付き紗和は無力な抵抗を試みる。馬の手綱を握っているため、エイダはただただ苦笑するのみだ。
屋敷の使用人用に設けられている小さな入り口に差し掛かった途端、今はもうすっかりお馴染みの引っ張られる感覚とその後の背中を押される衝動。
―――って、今の私に背中なんかないのに、なんでだ。
現実逃避が出来るぐらいには、慣れてしまったようだ。
そうして目をあければ、白い天井と何かに包まれているような感触。
「あー」
意味もなく声を出してみた。
そして近くで聞こえた椅子の転がる音と、黒い髪。
「げ」
「サワ様!!」
「お目覚めに!?」
よりにもよって、目覚めてすぐに視界に入ってきたのが黒髪執事と茶髪護衛とは。とりあえず今一番に会いたくない人物達ではないか。二人共座っていた椅子をひっくり返すほど驚いたらしい。
すぐにベッドの傍に駆け寄り、両端から紗和をのぞき込んでくる。
対して紗和は、胸元までを覆っていた毛布を頭の天辺まで引きずりあげる。起き抜けに説教はごめんだ。それは無言の抵抗である。
しかしそんな反抗を虚しく、すぐに毛布をはぎ取られてしまった。
「サワ様、言いたいことは多々あれど、一つだけ聞きたいことが」
目の前には般若の顔のエドガー。ベッドを挟んだ反対側には、困惑気味ながら紗和に会えたことへの嬉しさを隠しきれず変な顔をしているアーヴィン。
応援は期待できそうになかった。
「なによ、聞きたい事って」
いつの間にか着替えさせられていたらしい夜着の皺を無駄に伸ばしながら、視線を明後日の方向にやりつつエドガーの言葉を促す。
毛布を握ったままの彼は、珍しく言い淀み、しかし意を決したよう自分を見ようとしない少女を見つめた。
「我々の気持ちが、それほどまでに、迷惑に感じられましたか」
「は?」
まさかの言葉に顔を背けていた理由も忘れてエドガーを振り返った。
そこには、泣きそうな顔で自分を見つめる腹黒執事、であったはずの人物。なにやら非常に可愛らしい人物になっているのは果たして紗和の作り出した幻覚か。
―――いやいや、なによ幻覚って。こんなしおらしいエドガーなんて見たくもないわ。
とりあえず脳内ツッコミで現実逃避を図る。
が。
「アーヴィンとの会話の後、あなたは姿を消された。そんな事をされて、我々が何も感じないと思われましたか」
「え、エドガー」
予期もしなかった話転がり方に、さしものアーヴィンもたじたじになる。
だが、そんな言葉は今のエドガーに届くはずもない。
「努力をして、目を背けていたのに。あなたはそれを許してはくれなかった。あなたが居なくなって、私は」
「え、な、ちょ」
「ちょ、おい」
聞いてはいけない言葉が続きそうで、紗和とアーヴィンが声を上げようとしたところで、乱暴に部屋の扉が開いた。
いつもなら抗議ものだが、今は天からの助けとも言える所業だ。
あまりの幸運に思わず両手を組み、天に祈るような仕草で紗和が顔を扉の方向に向けた。
そこには息を切らしたフラン、コリン、チェスター、ベリア、そしてキール。さらには、泣きそうな顔をしているベティにいつもの笑顔のエイダも居る。
「サワ様!!!」
「ベティ?」
自分の主であるだろう側近達や仕えている主人であるはずのキースを押しのけて、ベティが紗和に縋りついてきた。
「何故、なぜ私を連れて行ってはくださらなかったのですか!?」
―――えぇぇぇぇ。
エドガーといい、ベティといい。ここに来てキャラが少し変わってしまったようだ。
―――なんだっけ、えーと、あ、そうか、ツンデレだっけ。え、ということは、ツンデレがデレたのか!?
いつものように元の世界の幼馴染の口癖を借りて、脳内でこの状況を実況してみた。言葉にすればかなり納得がいったので、心が少し冷静さを取り戻す。
「ごめんねぇ。だってベティはさ、私の見張り役みたいなものじゃない?エドガー達の命で傍に居てくれてるから、巻き込むのは悪いなぁと思ってね」
「サワ様」
「あら、私が気づかないとでも思っていた?」
目を覚まさなかった幼い少女が、こうしてまたいつも通りの不敵な笑みを浮かべて笑ってくれている。
その事に、一同が安堵の息を吐いた。
けれどそんなことなどお構いなく、紗和はベッドから抜け出ると、まるで明日の天気を伝えるかのような明るい声音で、言うのだ。
「さぁ、早く神殿に行きましょう。エインズワーズ最高等官に会わないと。膳は急げっていうしね」
「どういう、ことですか」
震える声音は果たして誰のものか。
きっと、誰しもが予想はついていたはずだ。紗和の魂の入っていない身体はクリスティアナだけのもの。眠る少女を眺めながら、入れ替わり立ち代わり部屋を訪れていた彼らは、それぞれに紗和がやってきた当初の記憶を呼び起こしていた。
だから、彼女が帰ってきたという意味も、頭の良い今の彼らならば自ずと導きだすことが出来る。
頭では分かっていても、何故だが心が拒否をしている。可笑しなことだ。
しかし紗和は、容赦なく彼らに引導を渡すことにした。
「クリスティアナちゃんの魂と入れ替えるの。私の役目はこれで終わりよ」
エイダを除く、その場の全員の瞳に、絶望の色が浮かんだ瞬間だった。




