EP.73 聖女の居る村
馬に乗れない紗和を気遣ってか、サイラスは言葉通り神殿の前に小さな馬車と御者を用意してくれていた。村娘用のワンピースを着た紗和とエイダは、素直に感謝しながら馬車に乗り込む。
そこから丸一日かけて、彼女達は目的の村に辿り着いた。
小さな風車小屋が幾つもあるその村は小さく、けれどどこまでものどかな雰囲気であった。
御者は、なんと彼女達を屋敷まで送り届ける任まで請け負っていたらしく、自分は馬と待っているのですべて終われば教えてくれと穏やかに言って、村唯一の宿屋に去って行った。
頭の下がる思いを胸に彼を見送って、紗和はエイダに案内されて村の奥に位置する彼女の養父母の家に招かれた。
「ねぇ、エイダ。これは天使の加護なのかな、なんかさっきからいろんな人の周りに色が見えるんだけど」
「えぇ、そうです。前に聞いた通り、この国の人々は天使達の加護を受け取って生を受けますので」
「こういう意味だったのね」
見えないだけで、精霊はこの世界に数多くいるようだ。
「父さん、母さん、今帰りました!」
こじんまりとした木造の建物の前で、エイダが極めて明るい声を掛けながら扉を開けた。
「エイダ、お帰りなさい」
出てきたのは初老の女性。茶髪の髪を一括りに結び、その顔には年相応の皺が幾つか刻まれている。
あまりエイダに似ているようには思えない。まぁ、養母であるためそれは当たり前である。
ここに来る道中、彼らには本当の事は伝えていないと聞いているため、紗和は余計な事は言わないように努めることにした。彼らはごくごく普通の村人で、地上で生活するためにエイダとその兄が人間の身体を受け取った時にたまたま通りかかり、拾ってくれたらしい。
子供が授からなかった彼らは、もうすでに成人といっても差支えないほど成長していたエイダとその兄を、それでも構わないと喜んで養子に迎えたという。人間に紛れ込むため出生を怪しまれないように二人は彼らの申し出を受け入れた。
それから何年かして、兄は急に姿を消す。王都の近くに居るという噂だけを頼りにエイダもまた王都へ向かい、そうして今に至る。
実際の彼らは天使なので、エイダは実は兄の居場所を把握しているし、彼らが王都に向かったのは神のお使いであったこともすでに承知である。
話に穴が開かないように、表向きの筋書を頭に叩き込んで、紗和は今日という日に挑むのだ。あくまでも、エイダの友人として何日かお世話になる。
「あなたから手紙をもらってから、父さんと二人で楽しみにしてたのよ。さぁ、顔を見せて、まぁ、少し大人の女性になったんじゃない?」
「そうでしょうか?それよりも、二人共、紹介します。紗和様です。王都でわたしが仕えている人なんですが、訳あって、少しの間ここに滞在することになりました」
―――初っ端から打ち合わせとちがーう!!!
紗和の厳しいツッコミが入った。けれど、今は他の人もいるため、あえて突っ込みは心の中だけで行われる。本当であれば、今すぐにでも叫びながらエイダの頭を叩きたいところである。
「まぁまぁ、それはそれは。いつも娘のエイダがお世話になっております。何もない場所ですが、どうぞゆっくりなさっていってくださいね」
「あ、い、いえ、お気遣いなく………」
冷や汗を浮かべながら腰低く対応してくるエイダの養母に、こちらも丁寧な返事をした。
やり辛いにもほどがある。
軽くエイダを睨み付けようとしたものの、彼女は別に裏切った自覚も悪いことをしたと思っても居ないため、とてもにこやかな笑顔だ。
天使だとしても、エイダという人物はやはりエイダだったらしい。
秘密を知ったところで、紗和とエイダとの関係性はなんら変わることはないらしい。
紗和は、諦めたように苦笑した。
「母さん、父さんは上?」
「えぇ、さっきまでエイダを迎えるんだって頑張って起きていたんだけどね、疲れて寝てしまったのよ」
「そうですか、じゃあ、挨拶は後にしましょう。紗和様、とりあえず部屋に案内しますので」
エイダに続いて、二階の部屋に通される。
あまり大きくはない家だが、部屋は全部で三つある。
エイダの兄が昔使っていた部屋に滞在することになった。
荷物を置いて、エイダが持たせてくれた肩掛けの小さなカバンに、ジョンダイルの手鏡を入れる。そして、ともすれば存在を忘れてしまいそうになるほど大人しくしてくれているモンスター三兄弟を入れた籠を持った。
といっても、ランは馬車の中でこれ以上にないほど暴れまわっていたため、今は疲れて寝ているだけだ。頭の良いコウは、今は五月蠅くしてはいけないとわかっているし、リョクに関しては通常運営である。
「さぁ、二人共、長旅で疲れたでしょう。お昼時ですからね、食べていってください」
明るい木で作られたであろう大の大人四人が悠に座れるその机の上には、白いレースのテーブルクロスがかけられていて、その上には二人分の食事が並べてあった。
メニューは野菜がたくさん入ったコンソメスープと、ほうれん草のキッシュである。
「何もない村だから、あまり豪勢なものは作れないのだけれど………」
「いいえ!そんな事ありません。本当に美味しそう。ありがとうございます、ありがたく頂きます」
人間三大欲求の中でも食欲だけには絶対に勝てないと自負している紗和は、すぐに椅子に座ると、エイダの養母に礼を言ってすぐさま食事に取り掛かった。
それは、屋敷で慣れ親しんだシェフお手製の手の込んだものではなかったが、とても美味しかった。それこそ、紗和の料理を食べる手が全く止まらないほどに。素朴な味は、おふくろの味。
紗和の母の作る料理が和食が多かったから、決して、自分の母を思い出したわけではないけれど、それでも勝手に涙が溢れてきてしまうぐらい、久々に味わった家庭的な味だった。
「まぁ、お嬢様、何かお口に合わないものが!?」
養母が驚きに声をあげ、慌てて水を片手に近づいてくる。
それを手で制して、紗和は片手で目を拭った。
「いえ、違うんです。とても美味しくて、少し懐かしくなってしまったんです」
「そ、そうですか?」
「はい。とっても美味しいです」
大事なことだから、二度言います。
―――あぁ、そういえば、この台詞よく幼馴染が使っていたっけ。
懐かしい味のせいで、どうでもいいような過去を思い出しながら、紗和は食事を終え、エイダと連れ立って家を出た。
時間は丁度午後を回ったぐらい。
村にも小さな教会があって、食事をしている最中、そちらの方向から六時課の鐘が聞こえてきたところなので、ほぼ間違いないだろう。
「あぁ、そっか」
家から遠ざかり、エイダに連れられるがままに小川の流れる森の中に足を踏み入れながら、紗和はふと、何かに思い当たったかのような声をだした。
三兄弟はすでに籠から飛びでており、今は紗和とエイダに続くように歩いている。
ランは言わずもがなピョンピョンと効果音が付きそうなほど軽い足取りで、時々大きく逸れては、主の所に戻ってきていたし、コウはゆったりと背筋を伸ばして歩いている。
リョクに関しては、あまりにも歩みが遅いので、紗和が仕方なく途中で彼の持ち上げると自分の肩の上に乗せる次第だ。ここまでくると、確信犯にも思えてしまうのは被害妄想だろうか。
「どうかされました?」
「前から時々あんたを見て感じてた違和感。あれ、私の事全部わかってた上での発言だったのね。ほら、私の本来の身長の話だったり、私が天使からの遣いだと言っておきながらこの世界の事何も知らなかったことにも、全然驚いてなかったみたいだし」
むしろ、そのフォローに回るようなことばかりしていた。
木々の間から漏れる太陽の光が顔にあたり、少し眩しそうに目を細めていたエイダは、笑った。
「はい。その通りですよ。天から伝達がありましたので、元々紗和様にお仕えするようにあの屋敷に居りました。ラクザレス様にお伝えしたのもわたしです」
「あぁ、なんかすべて納得したわ」
「長い間、紗和様の事を欺き続けてきたこと、本当に申し訳ありませんでした」
エイダは立ち止まり、腰を九十度に曲げて頭を下げてくる。
「全然!エイダが居てくれなかったら、私はこうして今もやってこれたか分からないんだから。何も謝ることはないわ」
「紗和様………」
何やら感動したような彼女の瞳に、少し嫌な予感を覚えた。
先ほどまで頭を下げていたエイダが、次の瞬間両膝を地面につけると、紗和の片手を己の両手で包み込み、そのまま自分の額に押し付けた。
「紗和様、わたし、シェーシアであるこの魂は今この時からあなた様と共に歩んでいくことを誓います。どうぞこの身勝手な願いを御受けくださいませ。我が主になっては頂けませんか」
急に紡がれた難しい言葉の羅列に目を瞬かせる。
「え、もう私に仕えているんじゃないの?」
それは特に何かを考えて紡いだ言葉ではなかった。ただ先ほどのエイダの言葉を復唱しただけ。ちなみに、紗和は、この時いったことを非常に後悔する羽目になるのだが、それはまた後の事。
「ありがとうございます。我が主」
何やら少し違う呼称に嫌な予感を覚えた紗和だが、エイダが離れたため、頭を切り替えることにした。
―――なんか、深く考えちゃだめな気がする。
そしてその予感は、正しかった。
「聖女の魂は四色全部が合わさっているんだよね」
「えぇ、黄金の色なので、今の紗和様であればすぐに見つけることが可能ですわ」
「でもさぁ、この村の周辺にあるとは言っても、こんだけ広かったら見つけるのかなりかかりそうなんだけど………」
森を見渡して、紗和は溜息をついた。
生前の時よりも長い髪は、切るのは勿体ないので耳より高い位置で一つに纏めている。
「地道に、というしかありません。聖女様自身が帰還を嫌がっておられる以上、無理意地はできませんし」
「うーん」
―――色々無茶言ってきてるから、そんなに長居はしたくないんだよねぇ。
長くなればなるほど、屋敷に帰った後が怖い。
当初の予定では、数日のつもりだったが、これでは悠に一月は過ぎそうだ。
結局初日はなんの進展もなく日が暮れてしまい、二人は家に帰りざるを得なかった。
ただ一つ、気になったことがあった。
―――あの村で見かけた人、なんだかすごくルークに似てる気がしたけど………、デイジーちゃんも居ないのに、こんな所にいるわけないか。