EP.67 子姑執事見参
「サワ様、コリン。申し訳ありませんでした。……どうかされました?」
バルコニーを後にして、来た道を戻れば、大勢の人々から逃げ切れたらしいアーヴィンとベリアに出迎えられた。
「え、ううん。ちょっとね」
「アーヴィンも合流したことだし。僕は一足先に馬車に戻ってるよ」
「うん。またね」
「え、おい、コリン」
まるで示し合せたかのように交わされる二人の会話とそのまま歩いて行こうとする年若い同僚にアーヴィンは驚いて声をかけるが、彼は背を向けたまま手をひらひらさせてそのまま姿を消した。そんな彼の隠された腕には大人しくなったランが抱えられている。
今は一刻も早くこの場を離れるべきだったのだ。
「さ、私達も戻りましょ。結構長いこと離れてたし、そろそろ子姑エドガー辺りが騒ぎ出す頃よ」
「お聞きしたいことは多々ありますが、良いでしょう。サワ様、その子姑とやらと後ほどゆっくりお話ししましょうか」
「げっ」
今一番聞きたくないと思っていた声が後ろから飛んできた。思わずカエルの潰れたような声を出せば、目の前に居るベリアは眉を潜め、アーヴィンは苦笑して見せる。
「これ以上会場を離れられては、皆様から下世話な想像をされるかもしれません。そろそろお戻りください」
「はーい」
夜会は貴族たちにとってのゴシップ提供場所だと教わっている。たとえ供を連れて離れたとはいえ、きっと噂があらぬ方向に向かう事だろう。ご苦労なことである。
エドガーの言葉に素直に従う事にして、紗和は会場に戻るために歩き出す。その隣をアーヴィンが、そしてその後ろにエドガーとベリアが続く。あまり詳しくは聞いていないが、アーヴィンは一応それなりの爵位を持つ貴族の出らしい。そのため、クリスティーナのエスコート役としても最適なのだ。
会場に戻る道を歩きながら、紗和は一人考えに耽る。
ルークに聞かされたデイジーの生い立ちと立場、そしてデイジーという少女。あの強い眼差しと真っ直ぐに伸ばされた背筋。もしもルークの言葉が本当だとしたら、彼女は生まれながらにして、誰に教えられるわけでもなくあの強さを持っていたという事だ。それはとてもすごいことである。特に誰にも顧みられずにいたのならなおさら。
もっとあの少女について知りたいと思う。
けれどそれはクリスティアナの身体を受け持っている以上出来そうもない。デイジーがクリスティアナに拒否反応を示しているのなら、それを尊重すべきである。
そんな風に考えているうちに会場に戻ってきたようである。側近達に囲まれて中に踏み込めば、一斉に視線を向けられた気がした。しかしそれも一瞬で拡散する。
会場に居る者達は基本的な挨拶を終えたようで、今は思い思いの時を過ごしているようだ。
その証拠に先ほどまでなかった場所に小さなオーケストラの団体が居て音楽を奏でていたし、広間の中心では何人もの男女がその調べに合わせて美しい踊りを披露していた。
「さて、アーヴィンくん」
「はい、お嬢様」
普段は見せないような少し色気のある笑みを浮かべて、アーヴィンは片手を紗和の方に差し出す。その手に満面の笑みで自分の手を重ねた彼女は、そのまま青年に連れられるがままに広間の表舞台に躍り出た。
一気に寄せられる視線と小さな会話達がさざ波のように二人に押し寄てくる。それらを感じながら、けれど紗和はそれに動じることなく足を動かした。
その堂々たる姿勢にアーヴィンは思わず笑みを零し、紗和もまた笑い返す。
―――きっと最初で最後の舞踏会でのダンスなんだし、そりゃあ楽しまないと損でしょ。
もちろん、ピュアな青年は笑顔の裏にある紗和の損得など知る由もないわけだが。
何度も練習した成果もあって、二人のワルツは大成功を収める。お互いの足を踏むこともなかったし、綺麗なターンも何度もできた。
曲が終わり、紗和はドレスを摘まんでの深い礼を、そしてアーヴィンは右手の左胸に置いての浅い一礼をした瞬間、大きな拍手に包まれた。本当は他の紳士たちとも踊ってみたかったのだが、アーヴィンにやんわり止められてしまったため、結局一曲だけで終わりを告げる礼をしたのだ。
どうやら、他からみても彼女達のダンスは成功だったようだ。
少し遠くから見守っていた側近達も満足そうな笑顔で拍手をしてくれていた。
「素晴らしかったですよ、お嬢様」
「ふふふ、ありがとう。アーヴィンくんもありがとうね、とっても楽しかったわ」
「こちらこそ、さ、お嬢様と踊れてとても光栄です」
手を重ねたままダンスフロアーを後にした紗和とアーヴィンに、珍しくエドガーの裏表のない賞賛の声がかけられた。
その際、アーヴィンから手を離そうとして、けれど逆に強く握られた感覚に顔を上げる。動揺は一瞬の事。
笑顔を張り付け、重ねた手のひらを持ち上げながら礼を言えば、一瞬傷ついた表情をした彼もまた笑みを浮かべその手を離した。
その緊張感は、果たして、二人の間だけのものだったのか。
目を細めたエドガーに、切ない顔をしたチェスターに、紗和が気づくことはなかった。
「お嬢様、喉が渇いただろう」
一番最年長であるフランが気をきかせて飲み物を持ってきてくれた。
その手に握られていたノンアルコールのカクテルを受け取る。
「さすがだな。アーヴィンも。とても良いワルツだったよ」
フランと共に居たらしいキースも笑顔だった。
すぐに、屋敷で慣れ親しんだ雰囲気が側近達と紗和達を包み込む。
と、そこに、現れた一つの小さな影。
「せ、聖女様!!」
「?」
和気藹々とした彼らの空気に水をさすようにかけられた声。
見れば、先ほど挨拶したはずの愛らしい少女が少し困った顔をして立っていた。父が非常にいけ好かないと感じたあの少女である。
「申し訳ありません、聖女様の側近であるアーヴィン様とダンスをさせてはいただけませんか?」
「………あ、え、と」
思わぬ申し出に少女と指名された青年を見比べた。
側近達は揃って少し眉を潜めている。彼らは聖女の側近である。確かにその容姿の端麗さから声を掛けられはするものの、今回は久々の主の参加する夜会。彼らが聖女から離れないであろうことは容易に想像が出来た。
だからこそ、今回に限り、夜会に参加している女性達も普段に比べ格段に大人しいのである。
にも関わらず、声をかけるとは。しかも本人はまだデビュー仕立ての少女。
暗黙の了解を知らないのか、それとも誰かにそそのかされたのか。
周りの空気も、それに比例するように小さく揺らいでいた。
「申し訳ありません、私は、今回、クリスティアナお嬢様のエスコートを務める身。お誘いは嬉しいのですが、ここを離れるわけにはいきませんので」
少女を傷つけないように、明確な断りの言葉は濁しながら、アーヴィンは困ったように笑った。
「そ、そうですよね!も、申し訳ありませんでしたっ!!」
声をかけてきた割には、聞きわけがよかった。彼女は泣きそうな顔で頭を何度も下げながらその場を小走りに去って行った。
その方向を見つめる人々の口から零れる、少女に対する悪態の数々。
まぁ、その理由はわからないことはない。
しかし少し予感のあった紗和は、無言で視線を滑らす。
そして見えたのは、苛立ちを隠そうともしない表情の父親と、そんな彼に何度も頭を下げる娘の姿。
―――なるほど。
知らずの内に、紗和の唇の端が持ち上がる。
「お、お嬢様?」
「おい、何かよからぬことを考えたわけじゃないだろうな」
チェスターとフランがその笑みにいち早く感付き悲鳴を上げた。すぐに他の側近達の視線も紗和に集まる。
「え、どうかなさいまして?」
言葉使いからすでに怪しさ満点であるが、その考えまでは読めないため側近達の焦りは募るばかりである。しかしそんな彼らを尻目に紗和は近くを歩いていた給仕の青年に声をかける。
「あの、申し訳ないのですが、先ほどの令嬢の所に私はもっているモノと同じ飲み物をもって行ってくださいませんか?」
「はい、かしこまりました」
感嘆の息が漏れるほど洗礼された丁寧な礼をして、彼は一旦飲み物を取りに行くべくその場を後にする。
その間に紗和は哀れな少女とその父親の傍に行くために足を進めた。
「お嬢様、どうなさるかせめて説明していただきませんことには、ここを通すわけには参りませんね」
いち早く我に返ったのは、子姑執事エドガーである。通せんぼをするように、紗和の目の前に立ちふさがった。
「あら、私は今から人助けをするのよ。だから、どいてちょうだい。大丈夫よ、クリスティアナちゃんの評判は下がらないわ、むしろ上がることを保証します」
「ですから、何故かと聞いているんです」
「まぁ、女に質問とは不躾ですわ。女は秘密の一つや二つある方が輝くのですよ」
「それとこれとは話が違うでしょう。というか、お嬢様に秘密があっては困ります」
「なによ、彼女のすべてを知りたいとでもいうの?いやぁねぇ、これだからロリコンは………」
「さわさっ!」
「お前達、ここまで来て何してんだ。………ほんとに勘弁してくれ」
フランが青白い顔をしながらも、大人な威厳を片隅に引っ掛けた状態で二人の仲裁に入る。
フランにより自分の位置を思い出したのはエドガーで、少し頬を染めながら一応弁解を試みる
「わ、私ではなく、それはお嬢様に………って!」
ちなみにここまでは紗和の予定の範囲内であったりする。彼らの隙を見て、小柄なクリスティアナの体系を利用してその場を離れることに成功した。
丁度近くに居たチェスターと目が合うが、秘密にしておくようにとの合図として、人差し指を唇に当てウィンクを送っておけば、仕方がないという苦笑と共に送り出してくれた。
彼はなんだかんだ紗和を信頼しているので、彼女が何か不利になるようなことはしないと確信しているのだろう。
「お嬢様が居ない!?」
ようやく側近達が気が付いた時には、紗和はあと一歩で例の親子の傍に辿り着くところだった。
いい具合に、先ほど声をかけておいた給仕も歩いてくるのが見えた。そして周りにはドレスを着た女性達の集まり。
―――さて、行きましょうか。
紗和はひっそりとその口元に笑みを浮かべた。
その時の笑顔を側近達が見れば、皆背筋を凍らしたに違いない。それほど恐ろしい悪魔の笑みだった。しかし、幸か不幸か、それを見た者はいなかった。




