EP.66 デイジー
―――やばい、やばすぎる!!ランはモンスターなのに!
見つかったのがよりにもよってデイジーとは。
彼女がどのような行動に出るかまったく予想が出来ない紗和とコリンは、とりあえず様子を見ることに決め息を潜めて二人と一匹を見守る。何かあれば、すぐに駆けつけられる体勢でだ。
日は先ほどより暗くはなってきているがまだ周囲を窺えるほどの明るさは残してくれていた。
ランを見つけたデイジーはまったく臆することなく彼に近づき、そしてその小さな身体を抱き上げた。
「お前、モンスター?親とはぐれて迷子にでもなったのかしら?」
その手つきと声音は先ほどのデイジーと正反対で慈愛に満ちたもの。
ランを壊れ物のように片方の腕の中に抱え、もう一つの手でその頭を撫でる。ルークは何も言わずにその様子を見守るだけ。それはなにやら慣れたような流れで、こういうことが彼女にとって初めてではないと感じさせるには十分な光景だった。
紗和は先ほど自分の中にあった疑問が解消された気がした。
コリンは目を見張り、食い入るようにデイジーを見つめ続ける。彼の中で、デイジーはいつも不機嫌そうな表情をしているか、澄ましたように自分の大事なクリスティアナを見下してくるかのどちらかだった。しかし何故だろう、今目の前にいる黒い少女は今まで見たことがないほど甘く美しい笑顔をしているではないか。
それはきっと自分が見たことないだけで、デイジーの本当の素顔なのだろう。
隣にいる青年は、その表情を今まで独り占めにしてきたというのか。それがなぜだか、まったく面白くない。
紗和を抱え込んでいる事を忘れて、己の腕に力を込めるコリンをちらりと見上げて、紗和は思った。
―――あ、これ、ギャップにやられたな。
若い証拠だ。
良きかな良きかなと、緊迫した雰囲気にも関わらず深く納得してしまっていた。
そんなちぐはぐな二人に気づきもしないデイジーは、腕の中の小さな生き物を撫でながらこの世界で唯一信頼する付き人を見上げて問うた。
「今ままで色々拾ってはきたけれど、モンスターは初めてでしてよ。ルーク、どうしましょう?」
普段無口で表情筋も動かない彼は黙って腕の中の小さなモンスターと可愛らしい主を見比べる。
「それにしても、可愛らしいモンスターですこと。お前、もし親が居ないのであればワタクシのところへ来る?」
ランの身体を両手で持ち上げ、高い高いを数度繰り返し、そうしてランの鼻先と自分の鼻先をくっつけ、まるで向日葵が咲き誇るような笑みを零した。
クリスティアナでは決して見ることが出来ない類の笑顔である。デイジーが向日葵、もしくは名前の通りデイジーのような明るい笑顔を見せるのならば、クリスティアナは儚い百合のような笑顔。
『……っ』
―――あ、完全に落ちた。
デイジーの様子とコリンの様子を密かに観察していた紗和は、コリンがデイジーの満面の笑顔を見た瞬間硬直し、顔を赤らめたのを見て確信した。
―――まぁ、若いのはそこら辺に置いといて。ランをどうするか。
デイジーの事を思い違いしていた自分に喝をいれながら脳を回転させる。一番良い解決方法を導きだすのだ。
そして一か八かの賭けに出ることにした。
硬直したまま動かないコリンの腕から抜け出すと、紗和はバルコニーを出て庭園に降り立った。
「まぁ、クリスティアナ、またあなたですの?」
デイジーが彼女の姿を認めると同時にランがデイジーの腕から抜け出し、そのまま嬉しそうにクリスティアナの元に駆けていく。
それだけで状況を理解した様子のデイジーは、やはり紗和が気に入る類の人間だ。
「クリスティアナ、モンスターをここまで連れてくるなど言語道断ではありませんこと?」
「私が連れてきたわけじゃないわ。勝手についてきたのよ。こっちもびっくりしたんだから」
「あら……あなた」
デイジーという少女を、クリスティアナの従妹としてではなく、デイジー一個人として認めたため、紗和は素で向き合う事にした。信頼に足る人物だと判断したのだ。
「初めまして、デイジーちゃん。騙していて悪かったわ。今の私はクリスティアナであってクリスティアナではないの」
怪訝そうな表情でこちらを窺うように見つめるデイジーを正面から見返していると、コリンが慌てたようにやってきた。
「サワ様、どうして!」
「サワ?」
デイジーの質問に、紗和は誠心誠意で答えるつもりだ。
「えぇ。今のクリスティアナちゃんは神様のところでその弱った魂を休めているの。その代わりに彼女の身体を任されたのが私」
「なるほど。それならば辻褄が合いますわね。急にクリスティアナが元気になった理由も、ワタクシに言い返すようになったわけも」
「そういうこと」
そこで黒の少女は眉を寄せる。
「クリスティアナはいつ戻ってくるんですの?」
「それは私にもわからない。でも、きっともうすぐよ」
徐々に辺りは暗くなっていき、デイジーの表情を捉えるのが難しくなってきた。が、それでも彼女が眉を寄せた気配は感じることができた。
そして、同時にコリンが息をのんで自分を凝視してきたことにも。
「このお話、想像するにとても重要なようですけれど、ワタクシがクリスティアナを良く思ってないのを承知で打ち明けた理由をお聞かせくださいません?ワタクシに話したところで現状が良くなるわけでもない。ましてやワタクシが誰かに漏らすという可能性を考えなかったわけではありませんでしょう?」
心なしか挑発の色を含んだようである。
それに紗和は笑顔で言い切る。
「デイジーちゃん、あなたはきっと私が聞かされたような人じゃないわ。その証拠に、この世界で決して歓迎されることのないモンスターであるこの子にあんなに綺麗な笑顔を向けてくれたじゃない。そんな子を、どうして疑えというの?」
「っ!」
あまりよく判別はできないが、デイジーの顔がほんのり赤くなっている気がする。なんと可愛らしい少女か。
「ごめんなさいね。私結構天邪鬼なの。決して人の噂だけで物事を判断することはない。自分の勘と、目と耳を誰よりも大事にする人間なのよ」
自分が是と思えばそれは人がなんといおうが是なのだ。そしてそれに対する責任もきちんと取る心づもりでもいる。もしその是が間違っていれば、それ相応の責任を取る。だからこそ、判断する時は慎重に、いくつもの情報を総合させる。
「あ、あなた……」
自分を肯定しきった珍しい人間を前に、デイジーは言葉を紡がない口を開けたり閉じたりする。クリスティアナの姿をした者の発する言葉はなんて甘美で嬉しいものだろう。
だが、その言葉の先にいるのは、クリスティアナなのだ。嬉しいけれど、どうしてもだめなものがある。
自分も大概天邪鬼であると、デイジーは人知れず自嘲した。
「サワ様、とおっしゃいましたが。その言葉、とても嬉しく思いますわ。けれど残念ね。あなたがクリスティアナである以上、ワタクシはその言葉を素直に受け止めることはできないの。誰よりもクリスティアナが憎いワタクシにはね」
そう言って、キラキラ輝く聖女と相対するような黒づくめの少女は洗礼された仕草で頭を下げると、先ほどもそうしたように、彼らに背を向けて歩き去って行った。
「ごめんなさい」
微かに聞こえたその言葉は、紗和にも、そしてコリンにもはっきり届いていた。
● ● ● ● ●
「おい、自分の主人放っておいていいのかよ」
何故か去っていくデイジーの背中を見送るルークに、コリンは思わずという風に声をかけた。
彼の深海のように深く静かな瞳が紗和とコリンを移す。
何も言わずにただ二人を見つめていた彼は、やっと口を開いた。
「デイジー様は、傷ついた僕を拾ってくれました。手当をし、食べ物を食べさせ、居場所を作ってくださった」
そう語る瞳は決して揺らがない。けれど彼は言葉を紡ぐ。まるでそれが必要なもののように。
「そうして知ったのは、デイジー様の立場だった。彼女は一人です。手当の仕方も食べ物を食べさせることさえも覚えてなくてはいけないほど、一人だったのです」
「!!」
この世界の事情を知るコリンは息をのんだ。
「おい、まさか」
「彼女に侍女は居りません。一人でなんでもしなければいけない。そしてそれは生まれた時からだから、彼女は何一つ疑問に思うことなくこなされてきた。侯爵家の娘であるが故にやらなければいけないことをやるため、自分で家庭教師を雇った。夜会に出るために着飾る時は、僕が来るまで一人でされていた。それがどういう意味か、おわかりですか?」
そこで紗和も思い当たった。
クリスティアナである時は、周りに侍女がいて、湯あみの時も食事の時も、傍には誰が居てくれた。
「え、でも、侯爵家には当主も奥方も」
「聖女でない彼女に用はないのです、誰も。皮肉にも、デイジー様が生まれた翌年、弟君がお生まれになられたようですからね」
「「……」」
「サワ様にはなんの怨みもございません。けれど、デイジー様の本質を見つけてくださったあなたに、そしてクリスティアナ様の側近であられるコリン・ハリスに伝えておきたい。デイジー様は、きっとクリスティアナ様を受け入れることはできません。出来るとしても、それは長い道のりを要する。デイジー様とクリスティアナ様の祖父母は、クリスティアナの母であるカレン様を可愛がっていたことで、すでにデイジー様の母上には劣等感が生まれていた。それに加え、自分の娘より一日生まれが早いというだけで聖女として神から祝福を受けた姪が憎くなったのでしょう。その劣等感をなんの罪もない自分の娘に向けた。ではデイジー様は、生まれたというだけで実の母から受ける憎しみをどうすればよいというのでしょう。当主や奥様から憎まれている娘を、どうして屋敷の者達が優しくお世話できるというのでしょうか」
予想だにしていなかったその話の内容に、紗和とコリンはどう反応すればいいかわからず口をつぐむ。
「あなた方に知っていただきたいと思うのは僕のエゴです。きっと後でデイジー様に怒られてしまうでしょう。けれど最終的に彼女は笑って許してくださいます。しょうがない、そう言って」
そう言い残して、ルークは去って行った。