EP.64 社交界デビュー―
「ついに来ました!ドッキッドキ!聖女様の社交界でびゅー!!!ポロリもあるよ?やっほーい!」
「ありません。そしてその頭の悪そうな喋りはここまでにしておいてください」
「ぽろりってなに?」
ダンスパーティの会場までは馬車で行く手筈になっていた。
聖女様の初めての公式の場ということで、いつも以上に使用人達は張り切った。そして張り切り過ぎた結果、紗和は神々しい光に包まれた女神様と化したのである。
もちろん、それもこれもすべてクリスティアナの姿であればこそ、なのではあるが。
クリスティアナの薄いウェーブがかった金髪は緩くハーフアップにされていて、薄紅色の薔薇の簪が映える様に配置されている。ドレスは薄い青色と白を基調としたフリル満点のもの。まだ十四歳という彼女に考慮して、幼さの残るデザインのモノになった。
ちなみに中の人は御年二十七であるため、そのドレスに腕を通した瞬間一度見事にその魂は昇華された。魂が無事戻ってきた時には、腹をくくり、気持ちはすでに舞台女優。精一杯十四歳を演じる所存だ。
紗和の時にはすっきり消えていたクリスティアナの本来の儚さを作り上げれば、そこにはもう小さな女神しかいなかった。そんな彼女を見て自然と側近達から拍手が零れたのは当然の事といえよう。
紗和は顔で笑って腹で赤面するのである。
その演技力のまま馬車に乗り込み会場に向かう。側近達は皆行くことになっていた。ベティとエイダは、場所が場所なのでお留守番だ。
馬車に乗り込む際、ベティが「くれぐれもサワ様から目を離されませんように」とフランに念を押していたのが非常に引っかかるが、まぁいい。今日の自分はクリスティアナだ。紗和ではない。
儚くか弱い十四歳の聖女様。
そうしてなぜか冒頭の言葉が出てきたわけである。
馬車の中で、最終確認のようにベリアが健康診断をする。
今ではこうした義務的な事しか、二人の間で交わされることはない。それでもよかった。それが本来のあるべき姿なのだ。
なぜかわからないが、紗和には予感があった。もうすぐこの世界と別れを告げることになるであろう予感が。怖くはなかった。ただ、少しだけ寂しいと感じるだけ。
頭の片隅で考えながら、顔は器用に笑顔を作ってエドガーと軽口を叩きあう。
「ねぇねぇぽろりってなにさ」
コリンが隣から声をかけてくるがめんどくさいので黙殺する。自分の言葉に疑問を持っての質問なのに、酷い対応である。
「あ、あれ?」
しばらくして目に飛び込んできたのは城といってもいい大きな建物。
上に長いその城は、まるで某夢の国にある女の子の憧れの城だ。生憎、彼女はかぼちゃの馬車にのってるわけでも、ガラスの靴を手にしたチャーミングな王子に見つけ出されたわけでもなかったけれど。
「わぁお」
まさかこんな処でお目にかかれるとは思っていなかった。
「今日はお嬢様、王女様を含めた満十五歳に成られた姫君方のお披露目会です。もちろん、聖女様の初めての公の場ですので注目はされるでしょうが、それと同時にこの国の第一王女様もいらっしゃいます。そこまで皆様興味津々にサワ様を見られることはないと思いますので、そこまで肩に力を入れる必要もないと思いますよ」
エドガーがやけに優しかった。
「まぁ、もちろん、だからといってサワ様らしく振る舞えというわけではありませんのであしからず」
「けっ」
とはいえ、奴は優しいだけの男でもなかった。
「サワ様、何があっても俺から離れないでください。今日はあなたのエスコート兼護衛ですので」
「あら、そうなの?アーヴィンくんが」
「事実上のエスコートはキース様ですが、キース様は侯爵家当主の身、時には離れることになるかもしれませんので、その際のエスコートにアーヴィンがおります」
「はーい」
「私達も近ず離れずのところから見守っています。何かあればすぐに集まれる場所に居りますのでご心配には及びません」
「ほーい」
「……サワ様?緊張はしないでいいとはいいましたが、しなさすぎも考え物ですね?」
エドガーの笑顔が、いつになく爽やかだった。そして視界の端に捉えたのは、胃の辺りを抱えたフラン。いつもはここで、彼の肩をさするチェスターがいるのだが、今は彼はキースと共に一つ前の馬車に乗っている。
彼に救いの手は、ない。
『すごいねー』
『綺麗な人いっぱいだねー』
『あ、でもみんなで慣れたから気絶とかしなくて済みそうだねー』
「サワ様……初めての場所で興奮するのはわかるが、少し大人しくしていてくれ」
生まれて初めて足を踏み入れたキラキラとした世界に、紗和は浮足立っていた。何かを目にしては小声で側近達に伝えるものだから、フランが苦い顔で忠告を促す。
周りの他の側近達も苦笑いだ。
―――は、いかんいかん。今の私は女優。女優の町田紗和。ちなみに役は十四歳の病弱な聖女様。
自分で冷静に突っ込むのもあれだが、実にあり得ない設定である。
と思いつつ、仮面を被って笑顔で側近達を振り返ってみる。
「えぇもちろん、わたくしはクリスティアナ・オールブライト。この世に生まれ落ちた至宝の聖女ですもの、例え不慣れな夜会であっても皆さまに恥をかかせるような事は致しませんわ。ご安心くださいな」
心持ち幼さを残す喋り方とクリスティアナのイメージを壊さない程度の優しい声音を使ってみた。
そして出血大サービスの聖女な笑みをプラスすればあら不思議、先ほどもまでの飄々とした女性はなりを潜め、そこにいるのはキラキラな星や花々を辺りに散らしながら歩く可愛く清楚な美少女。
その美しさと可憐さに周りの事情を知らない人々は感嘆の息を漏らす。
今まで噂でしか知らなかった聖女の生まれ変わりは、実に聖女然とした少女ではないか。
しかしその一方で、紗和をよく知る側近と聖女の父は空恐ろしいものを感じて唇の端を引き攣らせる。
『なんだこの生き物は』
自分達の目の前でキラキラオーラ全開にしている二十七歳女性を前に、彼らはドン引きしていた。
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この世界にただ一人しかいない聖女であっても、その地位は決して高いものではない。唯一無二の存在と位はあまり比例しないらしい。
クリスティアナは侯爵家生まれのお嬢様であるが、その上には王家があり、そしてエインズ高等官がいるわけだ。つまり何が言いたいかというと、夜会に行ってまず彼女が父のキースと共にしたことは、王家に挨拶に行くことであった。
初めてお目にかかる王族にテンションが上がった紗和は、挨拶の流れこそ完璧にこなしたものの、その内容をあまり覚えていなかった。そして更に、美しい顔をしている王家の方々を前に少し心臓が早い鼓動を打っているとはいえ、今まで起きていた貧血や大量に流れ落ちる汗をまったく感じない事に更に感動する。
まぁ早い話が、王家の人々よりも、聖女の側近達の方が倍キラキラしていただけの話なのだが。
爛々と輝く紗和の瞳に色に気づいた側近達は傍にいるキースとアーヴィンに合図を送り、素晴らしい連帯プレーで早々に紗和を王家の方々から遠ざけた。
『これ以上あそこにいると色々まずいことになりそうな気がする』
というのはその時側近達全員が感じた気持ちだった。紗和を王家の人々の前から下がらせホールを歩いている最中、それぞれがそれぞれと視線で会話をし、そして頷きあう。そこにあるのは一種の同盟感覚。紗和が来る前は個人個人の気持ちでお嬢様と接しており、あまりお互いに干渉しなかったはずの六人の側近達は、いつの間にやら密かな繋がりを見つけたようである。
「えーちょっとーもうちょっと王様とか王子様とか王妃様とか王女様とか見たかったー」
騒ぎを起こす前に騒ぎを起こしそうな原因を遠ざけほっとしている側近達に唇を尖らせながら不服を漏らすのは、見た目は子供頭脳は大人、を地でいく者である。
まさか自分が厄介者扱いされているとは露程にも思うまい。
もしくは、なんとなく側近達の間で交わされる視線から感づきつつあるがあえて気づかない振りをする策士というか。
兎にも角にも、一番大事な主催者への挨拶は終わった。一番の峠は越したというわけである。
その後はキースと腕を組み、夜会に参加する人々に挨拶をして回る。やはり子息子女のデビュー夜会ということもあり、親と子供という組み合わせが多い。
年齢もクリスティアナと同じくらいで、皆それぞれに実に初々しい。
「クリスティアナ・オールブライトにございます。今までは中々思うように身体が動きませぬが故、皆様にお会いすることが叶いませんでしたが、どうぞこれから仲良くしてくださいませね」
父親同士が見守る中、何度言ったかわからない台詞を発して笑みを浮かべた。
そうすれば相手の少年少女は顔を赤らめるのである。
―――初々しいかぎりだわぁ。
そう言って輝く聖女の笑顔に一かけらの変態チックな笑みを混ぜるものの、それに気づいたものは傍にいた側近達だけで、優秀な彼らは賢明にも沈黙を守る。
それにしても、と紗和は今しがたあいさつした少女の父親を見送って思った。
可愛らしい娘とはまったく似ていないずんぐりむっくりした体系に、自分を見た時のあの腹に一物抱えた気持ち悪い笑み、父キースを見ているときの意味ありげな笑みといい。非常にいけ好かない輩であった。
自分が死ぬ前の世界に残してきた幼馴染の事が久々に思い出される。彼女が良く語ってくれた物語りの中では決まってあの輩のような風貌をした者が不手際を起こすものだが、果たしてそれは本当なのか。
何事もなく夜会を終えたいと思う一方で、少しだけ非日常な世界を更に楽しんでみたいと悪い考えが過ったことは、紗和だけの秘密だ。
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お手洗いに行きたいと告げれば、女性であるベリア、護衛のアーヴィン、そしてなぜかコリンが付いてきた。ベリアとは相も変わらず気まずいので、コリンと並んで歩く。ちなみにベリアは今も男装である。はじめて知ったことだが、彼女が男装の美女として社交界では有名らしい。老若男女問わず誰もが彼女に見とれていた。
そしてそれはなにもベリアに限ったことではなく。
アーヴィンは若い女性の視線を独り占めしていたし、エドガーがどちらかといえば奥様方に視線を向けられていたように思う。フランは男性からの熱い視線を受け止めていた気がする。チェスターは最初その男の姿に驚かれていたとようで―――聞けば今ままでは常に女性のドレスを着て行事に参加してい居たらしい―――幾人もの男性が涙を流し、そして数多の女性が歓喜に瞳を輝かせていた。コリンは暇そうにクリスティアナの傍に控えていたが、挨拶を交わす何人もの少女達の目が、目の前のクリスティアナではなくコリンに向けられていたことはなんとなくわかっていた。
そしてそんな周りの人々の視線に共通するのはただ一つ。どれもこれも飢えたハイエナのような目つきで彼らを狙っていた事。よくあんな視線を向けられながら独身を貫けるものだと妙に感心してしまった。
人々の狩人の目を思い出して、密かに笑いを堪えながらお手洗いを出れば、そこには不機嫌な表情のコリンしか居なかった。
「あれ、アーヴィンとベリアは?」
「ウザい奴らに捕まってる」
不機嫌さを隠そうともせず眉を潜めているコリンが視線をある方向に向けられ、誘導されるようにそちらを見れば、若い女性達に囲まれ困った顔をするアーヴィンと、若い男性達に囲まれながら無表情でその場に棒立ちになっているベリアが居た。
「なにあれ、ウケる」
コリンの隣に並び、紗和は笑う。
「ほんと、なんでこうも夜会って馬鹿ばっかなんだろ」
コリンは以外に潔癖症のようである。
「まぁ、人生って長いんだから、恋とか愛っていうスパイスも必要なんじゃない?」
「そんなの僕には必要ないね。お嬢様をお守りするのに邪魔になるだけだ」
「あらまぁ」
紗和の言葉にそっぽ向いたコリンに紗和は意外という風情で目を見開いた。彼はクリスティアナに恋をしているとばかり思っていたが、そうではないらしい。もしくは、ただ単に気づいていないだけなのか。
「あら、クリスティアナではありませんの」
鈴を鳴らしたような声が聞こえた。
廊下に並んで立つ紗和とコリンの向かって右側に居るアーヴィンとベリアは、彼らより少し離れたところで、しかも大勢の人間に囲まれているので気づいていないようである。
そんな彼らの反対側、つまり廊下の左側に立ったのは一度だけ会ったことがある黒に包まれた少女。
唯一、聖女であるクリスティアナに負の感情を向ける、デイジー・エインズワーズだった。