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EP.63  キース

数年単位でお待たせしてしまった皆様には、本当に頭が上がりません。申し訳ありませんでした。

ようやく、最後まで書き切ったので、連載を開始します。(近々、題名も変えるかもしれません)

どうぞ、完結までお付き合いください。


「わざわざお越しいただいて、ありがとうございます」

「こちらこそ、こうしてお話できる機会をくれてありがとう」

 

 いま、紗和とキースは屋敷の角にある庭園に向かい合うように座っていた。机には使用人がおやつにと用意してくれたスコーンとクッキー、そして紅茶が置いてある。椅子に座っている二人の前に広がるのは、キースが愛した亡き妻の趣味で集められ、今もなお屋敷に咲き続けている花々達。

 もう少しで日も落ちるという頃合いであるはずなのに、その空が青く澄みわったっているせいだろうか。紗和は今、薄い紫色の世界に包まれていた。その絶妙な暗がりは、花々に影を落としつつ、しかしその色そのものは消すような無粋な真似はしない。


 この場所を指定してきたのはキースだ。きっと、思うところがあるのだろうと、紗和は紅茶を一口含み思う。視界の端に捉えられたのは綺麗に横並びに立つエドガー、アーヴィン、そしてフラン。


「さて、何から始めようか」


 キースは足を組み変え紗和を見る。

 その視線を真っ直ぐに受け止めた紗和は、小さく口元に笑みを浮かべ、そのまま視線を眼前の花園に向けた。つられるように、キースもまた視線を花園に向ける。

 こうして穏やかな気持ちでここにいるのはいつ振りだろうかと、そう考えながら。


「この花たちは、奥様の趣味ですか?」

「あぁ。妻は花が好きでね。しかも種から育てるのが好きだったんだ。自分が育てたらどんな花になるのか、確かめるのが好きな人だったよ。泥に塗れながら、庭師のいう事も聞かずに自分の手で土を掘り、種を植え、水をやっていた」

「素敵」


 心の底から素直に思ったことだった。自然と口から零れ落ちたであろうその言葉に、口元だけが見えるキースが嬉しそうに笑った。


「とても素敵な女性だったんだ」


 噛み締めるように言うキースの声音に切なさが加わったように思う。

 当時を知る唯一の側近であるフランは、当時を思い出すように目を細めた。体が弱い女性ながらも、いつも笑顔を絶やさず、周りが思いもつかないような行動をとっては笑わせてくれた。少女のような女性だった。


「そういえば、この紅茶、エドガーがわざわざ隣国から取り寄せてくれたんですって。クリスティアナちゃんが特に好きだったそうですよ。ぜひ召し上がってみてください」


 まったく違う方向に向けられた会話の内容に不意打ちを食らい顔を上げると、ニコニコと笑った紗和が紅茶のカップを口元に運んでいくところだった。

 進められては断れない。ちょうど喉渇きを覚えていたキースは素直に紅茶を飲みほした。その頃合いを見計らって紗和は口を開く。


「そんなお花が好きだった奥様は、外だけでなく、屋敷の至る所に花を咲かせてましたね」

「え?」

 またもや不意打ちのように発せられた言葉にキースが顔を上げれば、笑顔の紗和がいた。

「この屋敷のほとんどの家具には、お花の彫刻がされてあります。特に、クリスティアナちゃんのお部屋には、至る所にお花がありました。きっと奥様が、娘のために残されて行かれたんでしょうね」


 キースが息をのむ気配が伝わってきた。

 まさか赤の他人の、亡くなった妻のことなど知らない人間が気づくとは思ってもいなかったのだろう。そう思い当たって紗和は心の中で笑った。


「キース様は、その事を、クリスティアナちゃんにちゃんと伝えていましたか?」


 母が、たとえ自分が居なくなってもその温もりを忘れないでほしいと願って作らせた娘の部屋の意味。そこに咲き誇る花の一つ一つに、母の娘に対する愛情が込められているに違いなかった。

 もしもクリスティアナがこの事を知っていたなら、精神を弱らせて命の危機に晒されるほどの事にはならなかったのではないだろうか。当事者ではないのだから、これ以上の予想はできるはずもないけれど。


「……カレンが死んで、クリスティアナの目の前にして、私はどうすればいいのかわからなかったんだ」

 キースは静かに語りだす。

 仮面の後ろから覗くその瞳は目の前に座る娘の姿を通り越し、遥か彼方を見据えていた。

「娘の事を大事にしているつもりで、一日一度は必ず姿を見に行くようにしていた。けれど、それはすべて私の自己満足からきたものだったに過ぎない。彼女にカレンの事を話したことはなかった。そして娘もまた、聞きたいであろう母の事を私に聞くことはなかった。遠慮していたのだろうと、今ならわかるよ」


 会話をする中で、母の事を決して話すことはない父を見て、幼い娘は何かを感じたのだろう。聞きたくて、聞けなくて、けれど屋敷の中には確かに母の思い出が残っている。疎外感を感じる空間の中で、クリスティアナはきっと思い違いをしてしまったのだ。きっと自分が生まれたせいで、父の愛していた母は死んだ。自分のせいで、自分がこの世に生まれてしまったせいで。


 そして生まれた気持ちが、きっと娘を蝕んでいったに違いない。幼い頃は病弱とは無縁の暮らしをしていた彼女なのだから。

 今更ながらそのことに思い当たり、キースは前かがみになって深いため息を漏らした。無意識のうちに片手で額を抑える。

 深い自己嫌悪に陥っていた彼は気づかなかった。

 気が付けば娘が目の前に膝をついていて、下から見上げるように自分を見ている。その、歳にしては小さな手が自分の方に向けられ、外されるのは目の周りを覆っていた薄い板。

 視線を真っ直ぐに受け止めたところで、娘の姿をしたそれは口を開く。


「お父様、待っていてください。クリスティアナはきっと戻ってまいります。ですから、その時はきっと、素直な気持ちでお母様の事をお聞かせくださいね」


 まるで蕾が綻ぶような眩しい娘の笑顔を見た瞬間、キースは唐突に猛烈な睡魔に襲われたのを感じた。少しずつ瞼が重くなっていく。けれど、抗うつもりはない。

 それはとても心地よいものだったのだから。


「さて。エドガー、アーヴィン、フラン。よろしくね」


 眠ってしまったキースの目の前に膝をついていた紗和は、彼が完全に寝入ったのを確認して立ち上がった。その際、ドレスに付いてしまった砂を軽く叩き落す。


 仮面を外したキースの目元は黒いもので縁どられていて、彼がどれだけ睡眠をとっていないのか、手に取るようにわかった。それはさながら繁盛期を迎えた大手会社の一サラリーマンのようだ。

 そんなに歳を取っているわけではないはずなのに、その顔はまるで疲れ切った老人のよう。仕事と、亡き妻の思い出と、行方知れずの娘に、彼自身気づかない内に追いつめられていたのだ。

 側近達からキースの容体を聞いていた紗和は、仮面を取ると同時に、一芝居うったというわけである。ちなみに彼が飲んだ睡眠薬は、ベリアの手で処方されエドガーの元に届いたものだから危険性はまったくない。


「ベリアによれば、薬が効いている間は何しても起きないようだから、とりあえず寝室のベッドに寝かせてあげて」 

「はい」 

 アーヴィンとフランがキースを両脇から支える様に持ち上げる。

「サワ様はいかがされますか」

「部屋に戻るよ。大丈夫、一人で戻れるよ」


 クリスティアナの部屋はここから一番近い場所にある。わざわざそこに娘の部屋を用意したことにも、きっと両親の深い愛が込めてあるに違いない。ただ、言葉が足りなかっただけで。

 庭園の横切り、屋敷の中に入り、真正面で待ち構える階段を上がればすぐに辿り着くクリスティアナの部屋。

 寝室を抜けてバルコニーへ出れば、真下に広がる母の愛した庭園。

 夕日が地平線の奥に吸い込まれているのを黙ってみていた紗和は、人知れず傍に控えていたエイダに声をかけた。

 

「ねぇ、エイダ」

「はい、紗和様」 


 ―――ずっと考えていたことがある。紗和と側近達の間に確かに生まれつつある何か。芽吹いていたそれは蕾になり、そしていつかは花開くだろう。けれどそれは決して咲いてはいけない禁断の花達。それを止める術はただ一つ。

 花が開かぬよう、その蕾が開く前に刈ってしまおう。


「あなたは、『私』の傍にいてくれる?」

「―――えぇ、もちろん。わたしは、『紗和』様のためにここに居ります」

 

 紗和は気づいていなかった。蕾はすでに開き、次々に色鮮やかな花をつけ始めていたことに。





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